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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ヨブ記19:23-29(私は私の肉から神を見る)

投稿者
tbic
投稿日
2023-06-11 23:15
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ヨブ記19:23-29『ああ今、できることなら、私のことばが書かれ、書物に記されればよいのに。鉄の筆と鉛によって、いつまでも岩に刻みつけられればよいのに。私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。私の皮がこのように剝ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。私の思いは胸の内で絶え入るばかりだ。あなたがたが、「彼をどのように追いつめようか。事の原因は彼にあるのだから」と言うなら、あなたがたは剣を恐れよ。憤りが剣による刑罰をもたらすからだ。こうして、あなたがたはさばきがあることを知るようになる。』

皆さん、神様をちゃんと信じれば、すべてがうまく行けるし、神様が守って下さるからどんな苦しみもないのでしょうか?本当に信仰を持っていれば、事業も成功し、勉強もできるし、体も痛いところがなく、健康のまま生きるのでしょうか?これは信仰ではなく、神話です。私たちの誤解です。

信仰というのは、それらと関係なく、どんな状況、どんな環境の中でも、それが最悪の苦しみの中でも、全てを乗り越えられる力を意味します。なぜでしょうか?私たちに御子イエス・キリストまで渡してくださった方が私たちを愛し、必ず助けて下さるからです。これが分かった使徒パウロはピリピ4:12で、こう告白します。「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」この自由さが、真のクリスチャンの姿だと思います。

ヨブ記は義人ヨブの苦難、苦しみを描いています。ヨブは本当に神様が認められる義人でした。ヨブ記1:1、「ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。」と出ます。彼は本当に清い人生を生きた義人でした。このように、ヨブのような信仰ある人は神様がいつも助けて下さり、すべてがうまく行って、健康で幸せになるはずだとみんな思い込んでいます。

しかし皆さんもご存じのように、ヨブは想像を絶する苦しみ、苦難を受けました。ヨブは敬虔で10人(息子7人、娘3人)の子供がいたのです。彼らの誕生日ごとにお祝いをし、本当に楽しく過ごしました。その中で、もし彼ら(子供たち)が間違いをしたかもしれないと思った瞬間、全焼のいけにえをささげるほど、彼は潔白で清い生き方だったのです。

こんなに正しく生きようとしたヨブであれば、苦しみや混乱、痛みのない人生のはずだとみんな思うのですが、しかしその義人のヨブが苦難を受けます。皆さん、ちゃんと覚えて下さい。義人だからこそ、苦難があることを覚えて下さい。本物のクリスチャンであれば、人生の中に絶対に苦難(十字架)があります。想像を絶する信仰の戦いがあるということです。信仰が生きているのであれば、サタンがそのまま、ほっておくことはあり得ません。もう死んだ者はサタンが別にかかわらなくても大丈夫です。それでサタンは彼らをほっておきます。しかし信仰が生きていて影響を及ぼす可能性がある人であれば、サタンの攻撃は激しくなります。だから、テモテ第一6:12、「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました」と。信仰の戦いがあるとはっきり言われます。

ヨブの場合も同じでした。サタンがヨブを、そのまま、ほっておくには行きません。ヨブ記1:9-11に、サタンのそしりが出てきます。「サタンは主に答えて言った」と。そして「神様がヨブに富と健康、子供やいろいろな祝福を与えたから神様に仕えるのであって、もし神様が祝福を与えないのであれば、神様をのろう。」とサタンはヨブの信仰を疑うのです。

しかし神様は「ヨブは絶対にそんな人ではない」と。「病気になってもわたしを愛し、失敗してもわたしを信頼する」と。「どんな状況の中でもヨブはわたしを裏切ったり、わたしの愛を疑ったりしない」と言われました。そしてヨブをサタンの手に渡し、試みるように許されたわけです。だからヨブはサタンから集中攻撃を受けます。

苦難はサタンの攻撃や誘惑であり、神様の訓練でもあります。だからこそ、苦難には意味があるし、目的があります。ヨブの苦難の目的は何ですか?サタンの攻撃を打ち壊す神の計画でもありました。そしてヨブの信仰が正しいことを現わすための試みでもあったのです。本当にヨブの信仰は世的なものではなく、神様から与えられた正しい信仰でした。どんな利益も求めず、最後の最後まで神様だけを求める純粋な信仰だったのです。

もし私たちが本物のクリスチャンであれば、私たちにもヨブと同じ苦難があり、その苦難には目的があります。だから、もし理解できない苦難があれば、戸惑うことなく、苦難の意味を探し出してください。そしてその苦難を通して神様が願っておられることが何か、深く祈りながら考えてみてください。その時、純粋な信仰に戻り、神様から希望を頂くのであれば、それで充分です。そうしたら、必ず苦難を乗り越えられるし、絶対に回復を体験するはずです。

もちろん御存じのように、ヨブはサタンから試みられ、財産全部を失いました。ヨブは東邦の金持ちだったのですが、何の対策もなく、完全にホームレスの状態になりました。なぜこんなことが起きるのか、ヨブは理由も分からず、やられたのです。財産にとどまらず、今度は10名の子供たちが一気に死にました。皆さん、私たちにとって子供より大切なものがあるのでしょうか?本当にそれはヨブにとってとんでもないこと、あり得ないことでした。こういうふうになったら、私たちは多分、神を恨み、神をひどくのろったかもしれません。しかしヨブは文句や恨みどころか、むしろ神様を賛美するわけです。ヨブ記1:21、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」だから、私たちはヨブの信仰が素晴らしいと言っているわけです。

更に、ヨブは健康を失いました。ヨブ記2:7-8では「サタンがヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打った。」だから「ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。」と出ます。こんな苦しみも大変なのに、それを見たヨブの妻は9節で「神をのろって死になさい。」と言っているのです。一番慰めになるはずの妻さえ、ヨブをのろって逃げました。本当に最悪の状況に追い込まれたヨブでした。

もちろん、ヨブの友たちが訪ねて来て慰めたのですが、全然慰めにならなかったのです。むしろ傷の上に塩をかけるような、きつい言葉ばかりでした。「お前に何か罪があるんじゃないの?お前が気づいてない問題のせいだ。お前の高慢のせいだ。」と。慰めどころか、罪に定めるばかりの厳しい言葉でした。全然慰めにならなかったし、むしろ苦しみを増し加えるような言葉でした。だから私たちも気をつけなければなりません。苦難の中で苦しみを受けている人々に慰めると言いながら罪を指摘したり、悔い改めるように勧めることは全然助けになりません。むしろそれは、苦しみを増し加えるようなバッシング(非難)に過ぎません。

その時には、ただ共感すること、同じ心をもって一緒にいること、一緒に泣いてあげることがとても大切です。その時、始めて天を見上げ、祈るようになるのです。祈りがすべての問題の答えですから、ただ祈ってあげてください。ヨブの素晴らしさは、まさにその信仰にありました。ただ祈りながら、神様に対する希望を失いませんでした。だから信仰と希望だけが苦しみを乗り越えられる真の力です。

韓国戦争の時、従軍記者として韓国に行ったマガレト・ヒギウスさんは、ある日アメリカ海兵隊に所属して、激しい戦闘の真ん中の塹壕の中で兵士たちと共に死にかけていました。兵士たちは死体が積もっている塹壕の中で体をブルブル震えながら、みんな緊張していたそうです。お互いにどの言葉でも慰めになれない、そういう状況の中で、マガレト記者は真剣に彼らに聞いたそうです。「もし私が神様であれば、今私が皆さんに何をしてあげれば良いでしょうか?その願いを聞かせてください。」と聞いてみたのです。その時、一人の兵士がこう答えたそうです。「just give me tomorrow(ただ明日を私にください)」と。確かに明日が保証されれば、今のどんな苦しみも耐えられると。明日を、希望を下さいということでした。そうです。希望があれば、目の前の苦難、苦しみは問題になりません。問題は希望があるかどうかです。神様だけを見上げたヨブは、この希望がありました。今日の本文25-27、「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。私の皮がこのように剝ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。私の思いは胸の内で絶え入るばかりだ。」これは、ヨブの偉大な信仰告白です。

皆さん、真っ暗の雲で覆われていても太陽がないわけではありません。雲の上に、なお太陽は輝いて光を放ています。同じです。今激しい苦難、苦しみを受けている中でも、ヨブの告白のように、「私を贖う方は生きておられる。」と私たちは確信するわけです。だから神様は必ず回復を、リバイバルを起こしてくださると。復活を体験させてくださると私たちは信じています。

そして、「ついには、土のちりの上に立たれることを私は知っている。」とヨブは言っているのですが、これは法廷の用語で神様が必ず裁きの時に、裁き主としてヨブ自身を弁護してくださることを信じたということです。引き続き、「私の皮がこのように剝ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。」とヨブは言っているのです。これは自分の体が病気になって死んだ後、腐った肉の外から神を見ると。つまり死んだ後、復活した聖い体で神様を見ると。復活の信仰を告白しています。この信仰告白が、まさに福音のキーポイントです。神の御国への希望です。今まで頼っていたお金、子供、家庭、健康、名誉、世のすべてのことを否定して、永遠のいのちを望む信仰告白、この信仰こそが正しい信仰であり、救われる本物の信仰です。

これは世の中で苦難を受けても、しばらく経ったら、聖い体で神様に出会える喜びと希望を現わしています。ヨブにこの希望があったからこそ、現在の苦難に打ち勝ったということです。この希望があれば、だれでも試練に打ち勝ちます。しかし反対に、この希望がなければ小さな試練にも耐えられません。明日が保証されていないから、もうこれ以上生きられません。

しかしヨブの信仰、ヨブの希望は確かなものでした。本文の27節に、「この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。ほかの者ではない。」必ず自分の目で神を見、神は自分を喜んで迎えられると確信しています。これは主の御名によって苦しめられる自分を喜んで受け入れてくださり、慰めてくださる神様への信仰告白です。パウロもコリント第二1:4-5で、「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」と苦しみの理由を明らかにした後、「私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれている。」と告白しています。

最後にヨブは、本文の29節で、「あなたがたは剣を恐れよ。憤りが剣による刑罰をもたらすからだ。こうして、あなたがたはさばきがあることを知るようになる。」と警告しています。

皆さん、終わりの日は希望のない信仰は憤りの剣の刑罰が待っている恐ろしい日です。しかしヨブのようにキリストにある希望の信仰は、その日が神様の慰めと報いが待っている栄光の日であることを、私たちは忘れてはなりません。

今もサタンは苦難の中にいる人々を、更に苦しめ、みことばを聞けないように邪魔をし、結局完全に絶望させて、神様から離れさせる存在です。だから目を覚まし、どんな苦しみの中でも神様から目を離さず、ヨブのように「私の皮がこのように剝ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る」と。こういう希望の信仰告白が私たちを勝利へ導くと私は確信しています。

今、多くの人々が不透明な、ぼやけた明日の事で心配し、恐れています。しかし神様を信じ、イエス・キリストの中で生まれ変わった私たちには明日の約束が保証されています。更に永遠のいのちが約束された、本当に祝福された神の御民が私たちです。だから私たちには、どんな苦しみも、試練も耐えられる力が与えられています。

イエス様も直接、言われました。ヨハネの福音書14:2-3に、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

今もイエス様は私たちのために、とりなしの祈りをしながら、私たちが永遠に生きられる場所を準備しておられます。そして、それが終わったら、直ちに私たちを迎えに来られると約束なさいました。その時、私たちは私たちの肉(の外)から神(イエス・キリスト)を見るはずです。他の者の目ではなく、私たちの目がはっきりそれを見ることでしょう。この希望をもって毎日を過ごしたいと思います。

・自分にあった苦難(十字架)を、回復(復活)の希望を持って乗り越えた経験があれば、分かち合いましょう。
合計 144
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
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ヨハネの黙示録14:14-20(愚かな人生を生きてはならない)
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ヨハネの福音書16:25-33(わたしはすでに世に勝ちました)
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ヨハネの福音書 14:1-5(変えられた言葉が新しい人生を造る)
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