イザヤ書61:1-3、ルカの福音書4:16-21(心の傷ついた者、嘆き悲しむ者のために)
イザヤ書61:1-3、「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。」
ルカの福音書4:16-21、それからイエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」イエスは巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。会堂にいた皆の目はイエスに注がれていた。イエスは人々に向かって話し始められた。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」
インド宣教とこの小さき者どもを、東京ベイ国際教会の皆様のお祈りとご支援によりお支えいただいておりますこと心から感謝いたしております。
そして今日は東京ベイ国際教会にお招きいただき、本当にありがとうございます。
私たちは今回、7月6日に日本からインドに出発させていただき、9月30日に日本に一時帰国させていただくことが出来ました。
*インドの現状と諸問題
インドでは、外国人によるキリスト教宣教がインド政府により禁止されています。
そのため私たちは、当初はYMCAにご協力いただき、YMCAの空手指導者としてインドに滞在するビザを取得し、YMCAで空手指導をさせていただきながら、宣教に携わらせていただいておりました。
しかしYMCAの空手指導者としてビザを得ることが出来なくなってからは、現地の大学や英会話学校に入学して学生としてビザを得て、インド滞在を続けておりました。しかし大学や英会話学校を卒業後は、学生ビザを得ることが難しくなりました。
そしてその後は、インドで友人を訪問することを目的にした一般の旅行者ビザを得て、インド滞在を続けさせていただいております。
さて今年5月上旬、インド北東部マニプール州(ミャンマーの西側)で、部族間の紛争が起こり、ヒンドゥー教の人々のグループにより、少数派部族(クリスチャン)が攻撃され、今までに140人以上が殺害され、360余りの教会堂が焼かれたり破壊されたりすると共に、非常に多くの人々の家々が焼かれ、6万人以上の避難民が生み出されているそうです。
これは単なる部族間の紛争ではなく、ヒンドゥー教徒のグループによるクリスチャンに対する迫害です。
そしてヒンドゥー教至上主義のインド首相(モディ氏)とマニプール州知事は、この問題に対し黙認同然であることが批判されています。
ところで今年6月、私はインドのビザについて調べておりますと、インドの旅行者ビザに新たな条件が規定されていることを知りました。
その新たな条件とは、年間1月から12月までに、インドに滞在することが出来る日数は合計180日(約6カ月)以内という条件です。
この条件が規定されたことにより、旅行者ビザでインドに長期間滞在することが益々難しくなっております。
なぜ、新たにこの条件が規定されたのか。その理由が、マニプール州でのクリスチャン迫害と何らかの関係があるならば(?)、私たちはインド政府との関係をさらに慎重に考えていかなければなりません。
インド入国審査・出国審査において、私たちが宣教活動をしていることを知られてしまえば、インドから国外追放にされてしまい、インドに戻ることが出来なくなってしまいますので、ただ主の憐みと守りを祈り求めるばかりです。
インドにおいて様々な難しさがありますが、私たちは、ただ主の憐みと皆様方のお祈りにお支えいただき、関係者の方々との関係を継続させていただくと共に、現地の教会との関係を継続させていただき心から感謝いたしております。
本 論 Ⅰ.インドの貧しい人々と私たちの宣教活動
1.貧しい人への良い知らせ(福音)
さて聖書の御言葉、ルカの福音書4章18-19節です。
主の霊がわたしの上にある。
貧しい人に良い知らせを伝えるため、
主はわたしに油を注ぎ、
わたしを遣わされた。
捕われ人には解放を、
目の見えない人には目の開かれることを告げ、
虐げられている人を自由の身とし、
主の恵みの年を告げるために。 (ルカの福音書4:18-19)
イエス様は、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、その後、荒野で40日間、悪魔から誘惑を受けました。その後、ガリラヤにお帰りになり会堂で教えました。
それからイエス様は、ご自分が育ったナザレの会堂で安息日に、イザヤ書のこの箇所(イザヤ書61章1節-3節)を朗読されました。
そして朗読された後、ルカ4章21節で、イエス様は人々に向かって話し始め、「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」とお語りになられました。
イエス様ご自身のこのお言葉により、天の父なる神様、主は、この世の苦難の中にある人々の救いのために、イエス様をこの世に遣わされたことが明らかにされています。
イエス様が救い主キリストとして、この世でどのような宣教のお働きをされていくかが、ルカの福音諸4章18-19節と、その元の御言葉であるイザヤ書61章1-3節に書かれています。
2.カーストによる階級差別制度
私はこの御言葉によってインドでの宣教の働きを導いていただいてきました。
インドには、ヒンドゥー教という宗教の中にカースト制度という規定があります。このカースト制度は階級差別であり、カーストの階級が低い人々は、階級が高い人々から差別され、虐げられ、抑圧され、人間としての尊厳を踏みにじられてきました。
このカーストの階級は世襲制であり、自分の家の階級は決して変えることが出来ません。先祖代々、子孫代々その家の階級は同じです。
このカースト制度は約3000年前から現在に至るまで続いています。
そして現在でも特に結婚する時に、このカースト階級による厳しい制約があり、自分の家の階級と違う階級の人との結婚は非常に困難です。
そのようなヒンドゥー教至上主義のインドでの宣教の働きを、私は、ルカの福音書4章18節-19節の御言葉によって導いていただいてきました。
*「貧しい人」とは、経済的に貧しい人、心の傷ついた人
この御言葉の元の聖書箇所であるイザヤ書61章1節には、
貧しい人に良い知らせを伝えるため、
心の傷ついた者を癒やすため、
主はわたしに油を注ぎ、
わたしを遣わされた。
――と書かれており、イエス様は、「貧しい人に良い知らせを伝えるため」、そして「心の傷ついた者を癒やすため」に、天の父なる神様、主に油を注がれ、遣わされてきたことが明確に述べられています。
3.インドでの私たちの宣教活動(何もできず後悔の連続)
1)貧しい人々との関係
私たちはキリストにつき従い、キリストに倣わせていただき、そしてルカ4章18-19節の御言葉から学ばせていただき、インドで、貧しい人々との関係を深めさせていただき、彼らに仕えさせていただくと共に、イエス・キリストの福音をお伝えさせていただきたく願っておりました。
私の空手クラスには、スラムで生活する貧しい人々が入会してきましたので、そのような人々と親しくさせていただけるようになり本当に感謝しております。
2)障碍・難病・重傷を抱える方々とその方々の死
また空手の生徒の家族・親戚の中に、また私たちが所属する教会の中に、また我が家の近くに、障碍や難病を抱える方々、また重傷を負った方々がおられ、それらの方々との親しい関係を与えていただけるようになりましたことを感謝しております。
しかし私たちはその方々に対して、まったく十分な事をさせていただくことが出来ず、その方々の中には、お亡くなりになられた方々が何人もおられ、本当に申し訳なく思っております。
3)死亡した関係者の人々と、残りの関係者の救いへの切望
また私たちが関わらせていただいた生徒たちや、近所の貧しい少年たちの中で、不慮の事故・病気で死亡した少年たち、喧嘩により死亡した少年たち、自殺した少年たちがおり、非常に心が痛むと共に、彼らに対し何もさせていただけなかったことが、誠に悔やまれるばかりです。彼らに対して本当に申し訳なく思っております。
一人の少年は、スラムの中で他の少年たちと喧嘩をして、相手からガソリンを掛けられて焼かれて死亡しました。彼はまだ15歳でした。
非常に問題が多いインドの社会でありますが、私たちが関わらせていただいてきた人々が、私たちの救いの神イエス・キリストを信じて、キリストの救いにあずかり、問題が渦巻くインド社会の中にあっても、イエス・キリストによって彼らの生涯が変えられ、主の祝福と恵みの中を生きていくことが出来るようになりますことを切望するばかりです。
本 論 Ⅱ.詐欺と脅迫による死ぬほどの苦しみ
――インドでの苦難(インターネット接続業者の詐欺と脅迫)――
前回お話しさせていただきましたように、インドで昨年、2カ月間だけ契約したインターネット業者の営業マンにだまされてしまいました。
そして2カ月後にその契約を解約していただくことが出来ず、その後も毎月続けて料金を請求されることになってしまいました。
今年になり、その業者からの不当な料金請求が、電話でしつこく繰り返されました。
暴力団が他人を脅迫するような非常に乱暴な話し方で、電話を繰り返されました。
日本ならば警察に相談しますが、インドで私たちが警察に相談するならば、私たちがインドに来る目的とインドでの活動を問い詰められ、宣教活動をしていることを知られるならば、国外追放に処せられますので警察に相談することが出来ませんでした。
私は、その業者への対応で多くの時間を費やすと共に、精神的に大きなストレスを受け続けました。
その業者との契約を解約できなければ、料金請求を繰り返されると共に、請求金額が益々大きくなりますので、私は非常に不安になり、その事への恐れが非常に大きくなりました。
私はその苦しみの中で、主の助けを祈り求めて、主に叫び、聖書の御言葉を繰り返し読み、繰り返し主に叫ぶ日々が続きました。
しかし、その業者からの脅迫電話とメッセージが繰り返されました。
私は精神的に非常に大きなストレスを受け続け、気持ちが沈み込み、非常なうつ状態になり、死にたい気持ちにまで陥ってしまうこともありました。
私は深刻なうつ病になっていたと思います。
その中で私は、自分自身の精神的な弱さと、信仰の弱さを、痛切に自覚させられるばかりでした。
「神様(主)は、なぜ私を助けてくださらないのか。この苦難から救い出してくださらないのか。」と、私はその苦しみの中で、苦しみに耐え続けることが出来ず、死にたい気持ちにまでなってしまい、主に対して疑問さえ抱いてしまいました。
私は本当に不信仰な者であり、宣教師としてインドに派遣していただくには、まったくふさわしくない者です。
この事を私は、神様に対して、そしてご支援くださる諸教会の皆様方に対して、本当に申し訳なく思うばかりです。
本 論 Ⅲ.神の望まれるままに(イエス・キリストのゲッセマネの祈り)
そして最終的に私は、イエス様のゲッセマネの祈りへと導かれました。
1.キリストの悲しみ
イエス様は、十字架につけられ処刑される前夜、弟子たちと一緒にゲッセマネに来て、「悲しみもだえ始められ」(マタイ26:37)、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」(マタイ26:38)とまで言われました。
この時イエス様が、どれほど深い悲しみの中に置かれていたかを知ることが出来ます。
多くの人々から見捨てられ、ご自分の弟子から裏切られ、見捨てられ、そして父なる神様からも見捨てられ、十字架で殺され、陰府に下らなければならない。
これはイエス様にとって、どれほど大きな悲しみであったことでしょうか。
神の独り子イエス・キリストご自身が、この深い悲しみにより、死ぬほどの精神状態に陥っておられます。
その死ぬほどの悲しみの中でイエス様は、天の父なる神様に、
「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」(マタイ26:39)と祈られました。
イエス様は、この悲しみと苦しみの杯である十字架での処刑を、出来ることなら過ぎ去らせてくださいと、父なる神様にお祈りしましたが、しかし、わたしが望むようにではなく、神様が望まれるままに、なさってくださいと、お祈りされました。
そしてイエス様は、父なる神様の望まれるままに、神様のご計画通りに、十字架での処刑に向かって進んで行かれました。
天の父なる神様は、天地宇宙すべての支配者であられ、全知全能であられると共に、真の愛の神様であられますから、神様のご計画こそが最善であります。
ですから神様の望まれる事、神様の御心、神様のご計画が成し遂げられることこそが最善であります。
2.神の計画(人間を救うための神の計画の成就)
それでは、神の子であられ何一つ罪のないイエス・キリストが、なぜこれほど大きな苦しみを受け、十字架で処刑されなければならなかったのでしょうか。
神様のそのご計画は、いったい何なのでしょうか。
それは、私たち罪深い人間が、罪の中で永遠の滅びに至ることがないように、神の子イエス・キリストが、罪深い私たち人間に代わって、神様の刑罰を受け、十字架で死んでくださいました。
そしてイエス様は、死を打ち破って復活してくださいました。
そのことにより、私たち人間にすべての罪の赦しが与えられ、天国への救いの道が開かれました。
これが、私たち人間に対する神様の愛であり、人間の救いのための神様ご自身の測り知れないご計画です。
本 論 Ⅳ.
「心の傷ついた者を癒やすため」「すべての嘆き悲しむ者を慰めるために」
1.私のためにも遣わされているキリスト
私はインターネット業者による詐欺と日々繰り返される脅迫電話により、死ぬほどの苦しみの中にある時、日々、主に叫び、祈り求め、日々読んでいた聖書の御言葉の中の一つがイザヤ書61章1節-3節でした。
この御言葉が私の心に深く迫り、心に留まりました。
神である主の霊がわたしの上にある。
貧しい人に良い知らせを伝えるため、
*そして、
心の傷ついた者を癒やすため、
主はわたしに油を注ぎ、
わたしを遣わされた。
*そして、
すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。
シオンの嘆き悲しむ者たちに、
灰の代わりに頭の飾りを、
嘆きの代わりに喜びの油を、
憂いの心の代わりに賛美の外套を
着けさせるために。
イエス・キリストは、「心の傷ついた者を癒やすため」主に油を注がれ、遣わされました。「すべての嘆き悲しむ者を慰めるために」です。
私は死ぬほどの苦しみの中にあり、私の心は非常に傷ついていました。そして深く嘆き悲しんでいました。
その私を癒やすため、その私を慰めるために、この私のためにもイエス・キリストが遣わされていることを改めて深く覚えさせていただくことが出来ました。
そして嘆き悲しむ私に、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために、この私のためにもイエス様が遣わされていることを改めて深く覚えさせていただくことが出来ました。
主イエス様は、この私のことも、すべてご存知であられ、私を顧みてくださっておられます。本当に感謝であります。
そして私自身も、主に感謝して、キリストにつき従い、「心の傷ついた者を癒やすため」、「すべての嘆き悲しむ者を慰めるために」働かせていただきたく願いました。
2.空手の元生徒ブイ君
そして今年3月、空手の元生徒ブイ君から、数年ぶりにお電話をいただきました。
ブイ君の家族はスラムの中で、掘っ立て小屋の一間に住んでいました。母親は早くしてお亡くなりになり、父親と彼のお兄さんと妹の4人家族でした。ブイ君は真面目そうな少年でした。
同じスラムの、彼の家のすぐ近くに他の3人の生徒たちの家があり、私たちはその4軒の生徒さんご家族への家庭訪問を続け、それぞれのご家族に伝道させていただき、教会にお誘いしてきました。そして彼らは時々教会に来てくださいました。
ブイ君と彼の妹、そしてお隣りの少女も時々教会に来てくださいました。
そしてブイ君は警察官になりました。
彼は私たちととても親しい関係にありましたが、もしも警察官の彼を通して、私たちが福音宣教をしていることを、警察に知られてしまうと、私たちは逮捕され、インドから国外追放にされてしまいます。
私はその事を恐れ、警察官になった彼に対して、積極的は関わることを止めてしまいました。
その後、彼は従妹の少女と結婚し、家族と別居しました。
私たちは彼のご家族への家庭訪問と伝道を続けさせていただきましたが、彼自身とは直接会う機会がありませんでした。
時々、彼とEメールのやり取りをし、電話で話すことはありましたが、私は警察官である彼を警戒し、積極的に彼と会おうとはしませんでした。
その彼から、今年3月に、数年ぶりにお電話をいただきました。
電話の中で彼は、「自分の父親を殺した。」と話してきましたので、私は大変驚きました。
彼の父親は数年前にご病気でお亡くなりになったと、ご家族から聞いておりましたが、彼が父親を殺したという事を初めて聞き、大変驚きました。
そして彼は警察官もしていないということでした。
その時の彼の話し方は、酒に酔っぱらっているような話し方であり、彼は最後に、運搬の仕事をしたいので、運搬車を買うためにお金を貸してほしいと、私に借金を願ってきました。
インドでは、貧しい人々が借金を願ってくることがよくありますが、貸したお金を返してもらえないことがほとんどですから、借金を願って来る人は要注意です。
私は、彼にイエス様のことを思い起こさせようとして、イエス様のお名前を出しますと、いきなり電話を切られてしまいました。
私はそのような彼をとても残念に思いましたが、その後、彼のことが気に掛かっておりました。
私たちは今年4月に日本に一時帰国させていただき、7月にインドに戻らせていただきましたが、私は続けて彼のことが気に掛かっておりました。
すると8月に彼から電話が掛かってきました。
私は彼に対して危険を感じましたが、彼が父親を殺したという事が、非常に気に掛かっておりましたので、彼から電話が掛かってきた事に神様の導きを感じ、彼と会う決心をしました。そして8月に彼を訪問しました。
彼は、別のスラムの中のとても小さな一部屋の家に住んでおり、奥さんとの間に3人の子供(小学生)がおりました。
そして彼は現在、鶏肉と魚を販売する小さなお店で働いていました。
私は彼と二人だけになった時、父親殺害の件を彼に尋ねました。
誰かが彼に対し、父親を殺すように話してくるので父親を殺したということでした。
実際には誰もいないのですが、彼にはその人が見え、彼に話し掛けてくるという事でした。そしてタオルで父親の首を絞めて殺したという事でした。
彼は精神病治療薬を服用しており、その薬により自殺未遂をしたこともあるそうです。
父親を殺した彼は、刑務所に3カ月間収容されましたが、刑務所から精神病院に送られ、精神病院に3カ月間入院していたそうです。
私はその時、彼に、罪の悔い改めとイエス・キリストの救いの福音を伝え、お祈りさせていただきました。
彼が警察官になったことで、私は彼に積極的に関わることを止めてしまった事を非常に後悔しております。
私が彼に積極的に関わり続けていたならば、彼が父親を殺すようなことにはならなかったかもしれないと思い、私は非常に後悔しております。
私は神様の前に、彼と彼の父親に対し、本当に申し訳ないことをしてしまいました。私は、宣教師としての資格など全くない者です。
このように私は、誠に欠けばかりの者でございますが、ただ主の憐みによって、その後、彼に対して積極的に関わらせていただいております。
彼への家庭訪問を続け、日本に来てからもメールと電話で彼に連絡を取り続けております。
彼は酒に酔っぱらっているような事もあり心配がありますが、積極的な関りを続けさせていただいております。
彼は父親を殺すという大変大きな罪を犯してしまいました。しかしそのような彼もまた、心の傷ついた者、嘆き悲しむ者なのではないでしょうか。
イエス様は、心の傷ついた彼を癒やすため、嘆き悲しむ彼を慰めるために、彼のところにも来てくださっておられるのではないでしょうか。
彼が、私たちの救いの神キリストを信じ、罪を悔い改めて、キリストにすがるならば、彼のすべての罪は赦され、彼にも天国での永遠のいのちと永遠の祝福が保証されます。そしてこの地上にあっても彼は、キリストと共に新しい人生を歩み始めることが出来ます。
そして彼も、
灰の代わりに頭の飾りを、
嘆きの代わりに喜びの油を、
憂いの心の代わりに賛美の外套を
着けていただくことが出来ます。
そして彼は、義の樫の木、
栄光を現す、主の植木と呼ばれるようになります。
イエス・キリストが、彼をそのように新しく造り変えてくださることを信じ、私たち夫婦は、彼との関係を続けさせていただいております。
3.ジョン・ピーターズ兄弟【クリスチャンの苦しみと悲しみ(神の計画)】
ところで前回お話しさせていただきましたように、私はインターネット業者から苦しめられ、主の憐みと主の助けを祈り求めながら、神様のご計画について考えさせられると共に、いつも私の心に浮かんでくる人がいました。
私たちがインドで所属する教会の、ジョン・ピーターズさんという現在75歳の方のことです。
それは彼が非常に大きな苦しみと深い悲しみを経験されていらっしゃるからです。
ジョンさんの奥さんモナさんは、教会の他の姉妹方と共に、数か所のスラムに貧しい子供たちへの伝道活動に毎週行かれていた、とても愛の深い信仰者でした。
しかしモナさんは腎臓にご病気を抱えておられ、2020年4月、天に召されました。
モナさんが天に召され、ジョンさんと娘のシャロンさん、お二人だけになってしまいました。
息子さんもおりましたが、息子さんは2001年に若くして天に召されました。
ジョンさんは数年前、心臓にペースメーカーの埋め込み手術を受けております。
そしてジョンさんは昨年11月、病院内で他人から右足の爪先を踏みつけられ負傷したことで、右脚を膝下から切断されてしまいました。
彼が糖尿病を持っていることが影響したのかもしれません。右脚の切断はジョンさんにとって、本当に大きな苦しみと深い悲しみであったことでしょう。
そしてジョンさんの娘シャロンさんは、まだ独身でしたが、転倒して頭を打ったことが原因で、今年1月、天に召されました。
私たちがインドに戻る直前の出来事でした。
娘さんが若くして天に召されたことは、ジョンさんにとって、どれほど深い悲しみであったことでしょうか。
そして、まだ右脚を切断されたばかりのジョンさんが、家族で、お一人となってしまいました。
良き信仰者のご家庭に、なぜそのような出来事が起こるのでしょうか。
人間の目で見るならば、それは不幸としか思えないことかもしれません。
ジョンさんご家族に対する神様のご計画は、いったい何なのでしょうか。
今年1月、私たちはインドに戻り、その後ジョンさんにお悔やみのお電話をしました。
するとジョンさんは、私の妻の健康を非常に心配してくださっており、インドに戻った私たちに大きな励ましを与えてくださいました。
非常に大きな苦しみと深い悲しみの中に置かれているジョンさんが、逆に私たちに大きな励ましを与えてくださいました。
そしてその後ジョンさんは、私たちの携帯電話に毎日朝夕、聖書のメッセージを送ってくださいます。私たちだけではなく150人にメッセージを送信していらっしゃるそうです。
彼が送ってくださる聖書のメッセージは、非常にすばらしい信仰のメッセージです。
そのメッセージを通して、私たちは大きな励ましを与えられ、それは私たちの信仰生活の糧となっています。
今、どれほど多くの人々が、彼のメッセージを信仰生活の糧としていることかわかりません。
非常に大きな苦しみと深い悲しみを経験されたジョンさんでありますが、イエス様は、「心の傷ついたジョンさんを癒やすため」、「嘆き悲しむジョンさんを慰めるために」ジョンさんのところに来てくださり、ジョンさんと共にいてくださいます。
そしてイエス様は、
嘆き悲しむジョンさんに、
灰の代わりに頭の飾りを、
嘆きの代わりに喜びの油を、
憂いの心の代わりに賛美の外套を
着けさせてくださいました。
そしてジョンさんは、義の樫の木、
栄光を現す、主の植木とされたのでしょう。
非常に大きな苦しみと深い悲しみを経験されたジョンさんでありますが、その大きな苦しみと深い悲しみの経験を通しても、ジョンさんは、神様の御栄光のために、神様から大いに用いられています。
ローマ人への手紙8章28節に、
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
と書かれています。
ヒンドゥー教の人々はジョンさんに対して、「あなたの人生は不幸の連続ではないか。あなたの神はいったい何だ。」と言ってくるそうです。
しかしジョンさんご自身は、まったく嘆き悲しんでおらず、日々喜んで主に仕え、日々、多くの人々に大きな励ましを与えております。
神様には、人間には測り知ることの出来ない、神様ご自身のご計画があります。
ジョンさんの妹さんのご主人が宣教団体の働きをされており、親のない子供たちのために孤児院を行なっているため、ジョンさんは9月29日、数百キロ離れた場所にある妹さん夫婦の所に転居されました。
私たちは同日9月29日、インドから日本に出発させていただきました。
そして私たちが日本に来てからも、ジョンさんは私たちにメッセージを送り続けてくださいます。
ジョンさんは転居される前に私たちにこのようにお語りくださいました。
「この地上では、私たちは再会出来ないかもしれない。しかし天国で再会することが出来ます。」彼は喜びながら、そのようにお語りくださいました。
彼の心は、いつも天の神様と神様の御国(天国)に向いていることを深く知らせていただき、信仰者としてのあり方を教えられています。
*結論
人生には様々な出来事があります。良き信仰者の人生にも様々な出来事があります。心が深く傷つき、どうにもならなくなってしまう事、そして深く嘆き悲しむ事もあるでしょう。
しかしイエス様は、そのすべてをご存知であられ、心の傷ついた者を癒やすため、嘆き悲しむ者を慰めるために、その人のところに来てくださっておられます。
そしてイエス様は、
嘆き悲しむ者たちに、
灰の代わりに頭の飾りを、
嘆きの代わりに喜びの油を、
憂いの心の代わりに賛美の外套を
着けさせてくださいます。
そしてその人は、義の樫の木、
栄光を現す、主の植木と呼ばれるようになります。
私たちに押し寄せるすべての問題も、そのすべてを、主は、ご存知であられ、その問題に主がご介入くださり、主がすべてのことをともに働かせて益としてくださり、最善なる解決を与えてくださいます。
そして主の御栄光を現してくださいます。
ですから私たちはたとえ何が起ころうとも、私たちを決して離れず、私たちと共にいてくださる主に信頼して、主と共に、私たちの生涯を全うさせていただきましょう。
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
121 |
ルカの福音書8:40-56 (恐れないで、ただ信じなさい)
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2023.12.03
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tbic | 2023.12.03 | 1 | 11 |
120 |
ルカの福音書18:15-27(人にはできないことが、神にはできる)
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2023.11.26
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tbic | 2023.11.26 | 1 | 24 |
119 |
コリント人への手紙第一11:26(聖餐式の目的)
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2023.11.20
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118 |
イザヤ書61:1-3、ルカの福音書4:16-21(心の傷ついた者、嘆き悲しむ者のために)
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2023.11.15
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117 |
ルカの福音書15:1-32(3つのたとえ話)
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2023.11.05
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116 |
ヨハネの福音書8:1-12(罪のない者が石を投げなさい)
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2023.10.22
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115 |
ルカの福音書19:1-10 (救いがこの家に来ました)
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2023.10.15
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114 |
ルカの福音書3:1-6(神様は荒野に注目される)
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2023.10.08
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113 |
ルカの福音書21:27-36(今の時代をどう生きるべきか?)
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2023.10.01
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112 |
レビ記19:1-4(自分の母と父を恐れなければならない)
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2023.09.24
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主の御名によって 歓迎いたします。
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