メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
マタイの福音書1:18-23(イエス・キリストについての様々な証言)
投稿者
tbic
投稿日
2023-12-24 22:38
閲覧数
327
イエス・キリストについての様々な証言、 マタイの福音書1章18-23節
『イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)』
本物と偽物を見分ける方法は色々ありますが、様々な証言や証拠によって見分けるのが一番確実です。イエスがメシヤ(救世主)であり、偉大な神であることは、生まれる前からの証言やその他の証言、証拠などで間違いないことがはっきりとしています。
今日はその部分を調べてみたいと思います。調べることもせずに勝手な思いや先入観で「メシヤではない」と決めつけるのは、知恵のないことです。
映画「ベン・ハー」は 1959年に初めて上映されましたが、何度もリメイク版が上映されました。アカデミー賞にて11部門を獲得した記録は、未だに破られていないようです。
その映画は小説「ベン・ハー」が原作です。「ベン・ハー」を書いた「ルー・ウォーレス」は無神論者で、キリスト教が大嫌いでした。
それで、彼は「キリスト教撲滅論」を書こうとイエス・キリストについて取材を始め、彼が実在の人物ではなく、救い主でもないことを証明しようと試みましたが、調べていくうちにだんだんイエス・キリストが実在の人物であることを信じざるを得ず、そのうち、彼自身がキリストを受け入れる決心をしました。そして、キリストが救い主であることを書いたのが「ベン・ハー」です。
主の使いの証言、マタイの福音書1章20節
『彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」』
皆さん、結婚が決まった婚約者に身に覚えのない妊娠が発覚された時に、正気でいられる人がいるでしょうか。それは今の時代でもショックを受けます。だったら、律法が厳しい時代のユダヤならば、女性はさらし者になり、律法によって殺されます。
ヨセフは知恵のある正しい人だったので、内密に去らせようとしました。マリヤを妻として迎えることは到底出来ませんでした。
とても辛い心でいる彼に、夢で主の使いが現れました。主の使いという特別な存在が、自分が抱えている問題に触れたこと自体が、彼にとっては驚きでした。
人の言葉なら受け入れられませんが、主の使いの証言ならば、誰が信じずにいられるでしょうか。ヨセフは主の使いの言葉を素直に受け入れました。もちろん、どこまで理解したかは分かりませんが、「偉大な人が生まれる」ということは信じました。
東方の博士たちの証言と証拠、マタイの福音書2章1-2節
『イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」』
彼らは星に導かれて遠い国からユダヤの地まで、わざわざ贈り物を携えて来ました。国から招待されたわけでもない人たちが、わざわざ他国をいきなり訪問することがあるでしょうか。
伝承によれば、彼らは王の地位にある人々だったと言われています。そういう身分の人たちならば、事前に様々な協議をして日程を決めて訪問すると思いますが、彼らは不思議な星の導きによって、ユダヤまで来ました。
ヘロデ王は彼らの訪問を受けて戸惑いました。それも自分たちは誰ひとり知らないユダヤの王としてお生まれになった方を拝みに来たと言われたので、みんな戸惑いました。
星はさらに博士たちを導いて幼子がいる所まで案内しました。もし、そこに何もなかったならば、彼らは自分たちの勘違いと思って失望して帰ったと思います。しかし、その場所で幼子を見つけたので、贈り物をささげ、大喜びで帰りました。
バプテスマのヨハネの証言、マタイの福音書3章11節
『私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。』
バプテスマのヨハネの存在と働きは、旧約聖書で預言されてありました。
イザヤ書40章3節
『荒野に呼ばわる者の声がする。主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。』
彼がその働きをした時に、人々がその働きを認め、彼から水のバプテスマを受けるためにユダヤの全地域の人々が集まりました。そして、そのバプテスマのヨハネに神は「メシヤを見分ける方法」 を教えて下さいました。
それが、ヨハネの福音書1章32-34節です。
またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」
人々から尊敬され、敬虔であるバプテスマのヨハネが嘘の証言はしないはずです。
神様とモーセとエリヤの証言、マタイの福音書17章1-5節
『それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。』
モーセとエリヤは旧約時代の実在人物で、モーセは律法の代表者、エリヤは預言者の代表者のような人物で、民から最も尊敬されていました。
すでに天に召された2人が、突然姿が変えられたイエス様と話していることは、イエス様が普通の人間ではなく、神が遣わしたメシヤであることの証拠になります。そして真の神ご自身が雲の中に現れてはっきりと証言して下さいました。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
歴史人物の中で誰がこのように証言されたでしょうか。自分で勝手に話を作る人は多いですが、このような証言はありません。しかし、目の前で不思議な光景を見た弟子たちが証言しました。
悪霊の証言、ルカの福音書4章41節
『また、悪霊どもも「あなたこそ神の子です」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。』
悪霊は霊の存在だから、私たち人間よりも霊的なことに対しては優れています。イエス様が現れると、悪霊どもは自分たちの存在がばれて、人々から追い出されることを知っていました。なぜならば、闇は光の前では消えるしかないからです。
だから、いつも悪魔は先に色々とイエス様に話しました。時には「追い出さないで下さい」と言ったり、抵抗したりもしましたが、いつもイエス様は悪霊を追い出して、人々を助けました。嘘つきの悪霊さえ、イエス様の前では嘘が言えませんでした。人々の前で、イエス様が「神の子です」とはっきり言いました。
主の言葉を聞いた群衆たちの証言、マタイの福音書7章28-29節
『イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。』
主は毎日、人々に教えました。その教えは素晴らしく、どこでも人々が集まり、その教えを喜んで聞いていました。その御言葉で人々のたましいを導き、慰め、励まし、いやし、奇跡などを行いました。今まで誰もやったことのない奇跡や、権威あることばを語るので、人々はイエス様を救い主として受け入れました。
同じことばを聞いても、妬みや宗教の霊に縛られた祭司や律法学者たちは心がかたくなになって、イエス様を拒否しました。しかし、一般の人々はイエスをメシヤであると証言しました。これらのことを見ても、イエス様が救い主であり、偉大な方であることの証明になったと思います。
これ以外に、誰の証言や証拠が必要になるでしょうか。もしイエス・キリストをメシヤとして認めないならば、その人はそのことを証明しなければなりません。
しかし、ユダヤ人の多くはメシヤとして認めず、未だにメシヤを待つ人が多いですが、最近はイエス様が多くの個人の前に直接現れて、多くのユダヤ人がその瞬間変えられて、イエス様をメシヤとして認めています。今、ありえない現象がイスラエルや中東で起きています。
皆さん、どんな神でも良いという人は多いです。道徳的には正しく生きられるとは思いますが、魂が死ぬか生きるかがかかっています。罪は善行では消えません。私たちの罪を贖って、天国に導きたいと願って地上に来られたイエス・キリストをその時代の人々が救い主であると証明しました。
目を開けて、耳を開いて、その証言をしっかりと聞いて下さい。信じるか信じないか、それは個人の自由ですが、選択の結果は自分が責任とらなければなりません。愛する皆さん、今度は信じる者が新たな証言をする番です。
イエス様は救い主であり、真のメシヤです。そして、再び再臨なさるお方です。私たちが日本で、その証人になりましょう。
『イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)』
本物と偽物を見分ける方法は色々ありますが、様々な証言や証拠によって見分けるのが一番確実です。イエスがメシヤ(救世主)であり、偉大な神であることは、生まれる前からの証言やその他の証言、証拠などで間違いないことがはっきりとしています。
今日はその部分を調べてみたいと思います。調べることもせずに勝手な思いや先入観で「メシヤではない」と決めつけるのは、知恵のないことです。
映画「ベン・ハー」は 1959年に初めて上映されましたが、何度もリメイク版が上映されました。アカデミー賞にて11部門を獲得した記録は、未だに破られていないようです。
その映画は小説「ベン・ハー」が原作です。「ベン・ハー」を書いた「ルー・ウォーレス」は無神論者で、キリスト教が大嫌いでした。
それで、彼は「キリスト教撲滅論」を書こうとイエス・キリストについて取材を始め、彼が実在の人物ではなく、救い主でもないことを証明しようと試みましたが、調べていくうちにだんだんイエス・キリストが実在の人物であることを信じざるを得ず、そのうち、彼自身がキリストを受け入れる決心をしました。そして、キリストが救い主であることを書いたのが「ベン・ハー」です。
主の使いの証言、マタイの福音書1章20節
『彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」』
皆さん、結婚が決まった婚約者に身に覚えのない妊娠が発覚された時に、正気でいられる人がいるでしょうか。それは今の時代でもショックを受けます。だったら、律法が厳しい時代のユダヤならば、女性はさらし者になり、律法によって殺されます。
ヨセフは知恵のある正しい人だったので、内密に去らせようとしました。マリヤを妻として迎えることは到底出来ませんでした。
とても辛い心でいる彼に、夢で主の使いが現れました。主の使いという特別な存在が、自分が抱えている問題に触れたこと自体が、彼にとっては驚きでした。
人の言葉なら受け入れられませんが、主の使いの証言ならば、誰が信じずにいられるでしょうか。ヨセフは主の使いの言葉を素直に受け入れました。もちろん、どこまで理解したかは分かりませんが、「偉大な人が生まれる」ということは信じました。
東方の博士たちの証言と証拠、マタイの福音書2章1-2節
『イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」』
彼らは星に導かれて遠い国からユダヤの地まで、わざわざ贈り物を携えて来ました。国から招待されたわけでもない人たちが、わざわざ他国をいきなり訪問することがあるでしょうか。
伝承によれば、彼らは王の地位にある人々だったと言われています。そういう身分の人たちならば、事前に様々な協議をして日程を決めて訪問すると思いますが、彼らは不思議な星の導きによって、ユダヤまで来ました。
ヘロデ王は彼らの訪問を受けて戸惑いました。それも自分たちは誰ひとり知らないユダヤの王としてお生まれになった方を拝みに来たと言われたので、みんな戸惑いました。
星はさらに博士たちを導いて幼子がいる所まで案内しました。もし、そこに何もなかったならば、彼らは自分たちの勘違いと思って失望して帰ったと思います。しかし、その場所で幼子を見つけたので、贈り物をささげ、大喜びで帰りました。
バプテスマのヨハネの証言、マタイの福音書3章11節
『私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。』
バプテスマのヨハネの存在と働きは、旧約聖書で預言されてありました。
イザヤ書40章3節
『荒野に呼ばわる者の声がする。主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。』
彼がその働きをした時に、人々がその働きを認め、彼から水のバプテスマを受けるためにユダヤの全地域の人々が集まりました。そして、そのバプテスマのヨハネに神は「メシヤを見分ける方法」 を教えて下さいました。
それが、ヨハネの福音書1章32-34節です。
またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』私はそれを見たのです。それで、この方が神の子であると証言しているのです。」
人々から尊敬され、敬虔であるバプテスマのヨハネが嘘の証言はしないはずです。
神様とモーセとエリヤの証言、マタイの福音書17章1-5節
『それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。』
モーセとエリヤは旧約時代の実在人物で、モーセは律法の代表者、エリヤは預言者の代表者のような人物で、民から最も尊敬されていました。
すでに天に召された2人が、突然姿が変えられたイエス様と話していることは、イエス様が普通の人間ではなく、神が遣わしたメシヤであることの証拠になります。そして真の神ご自身が雲の中に現れてはっきりと証言して下さいました。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
歴史人物の中で誰がこのように証言されたでしょうか。自分で勝手に話を作る人は多いですが、このような証言はありません。しかし、目の前で不思議な光景を見た弟子たちが証言しました。
悪霊の証言、ルカの福音書4章41節
『また、悪霊どもも「あなたこそ神の子です」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。』
悪霊は霊の存在だから、私たち人間よりも霊的なことに対しては優れています。イエス様が現れると、悪霊どもは自分たちの存在がばれて、人々から追い出されることを知っていました。なぜならば、闇は光の前では消えるしかないからです。
だから、いつも悪魔は先に色々とイエス様に話しました。時には「追い出さないで下さい」と言ったり、抵抗したりもしましたが、いつもイエス様は悪霊を追い出して、人々を助けました。嘘つきの悪霊さえ、イエス様の前では嘘が言えませんでした。人々の前で、イエス様が「神の子です」とはっきり言いました。
主の言葉を聞いた群衆たちの証言、マタイの福音書7章28-29節
『イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。というのは、イエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。』
主は毎日、人々に教えました。その教えは素晴らしく、どこでも人々が集まり、その教えを喜んで聞いていました。その御言葉で人々のたましいを導き、慰め、励まし、いやし、奇跡などを行いました。今まで誰もやったことのない奇跡や、権威あることばを語るので、人々はイエス様を救い主として受け入れました。
同じことばを聞いても、妬みや宗教の霊に縛られた祭司や律法学者たちは心がかたくなになって、イエス様を拒否しました。しかし、一般の人々はイエスをメシヤであると証言しました。これらのことを見ても、イエス様が救い主であり、偉大な方であることの証明になったと思います。
これ以外に、誰の証言や証拠が必要になるでしょうか。もしイエス・キリストをメシヤとして認めないならば、その人はそのことを証明しなければなりません。
しかし、ユダヤ人の多くはメシヤとして認めず、未だにメシヤを待つ人が多いですが、最近はイエス様が多くの個人の前に直接現れて、多くのユダヤ人がその瞬間変えられて、イエス様をメシヤとして認めています。今、ありえない現象がイスラエルや中東で起きています。
皆さん、どんな神でも良いという人は多いです。道徳的には正しく生きられるとは思いますが、魂が死ぬか生きるかがかかっています。罪は善行では消えません。私たちの罪を贖って、天国に導きたいと願って地上に来られたイエス・キリストをその時代の人々が救い主であると証明しました。
目を開けて、耳を開いて、その証言をしっかりと聞いて下さい。信じるか信じないか、それは個人の自由ですが、選択の結果は自分が責任とらなければなりません。愛する皆さん、今度は信じる者が新たな証言をする番です。
イエス様は救い主であり、真のメシヤです。そして、再び再臨なさるお方です。私たちが日本で、その証人になりましょう。
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