メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
使徒の働き20:24(ビジョンは使命と賜物)
投稿者
tbic
投稿日
2024-01-21 20:07
閲覧数
375
使徒の働き20:24、「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
(Vision=使命+賜物)
ビジョンは、使命です。ビジョンがあるということは、神様から与えられた使命があるということです。英語で使命は「Mission」です。これは「Missio」というラテン語から来たのです。「Missio」は「送る」という意味です。だから使命者は神様から送られた者です。使命というのは、私たちの生涯に対する神様の計画とみこころです。つまり、私たちに対する神様の聖い目的、目標です。
人間は誰でも使命を持って、この世に生まれます。偶然に生まれた人は一人もいないのです。私たちはみんな神様の計画の中でみこころを成し遂げるために、この世に送られた人々です。だから一人の人間が生まれてから、自分の使命に目覚めることより、もっと大切なことはありません。
世の中で素晴らしいものを残した人々は、一人も例外なく、みんな使命に目覚めた人々です。彼らは使命に目覚めた日を、人生の最高の日として受け入れたのです。だから私たちも使命の生涯を生きるために、自分の使命に目覚めなければなりません。この使命を所有した者は死を恐れないのです。そして使命を全うする前までは絶対に死にません。彼らは、人生を無駄にしないし、すべての障害物を乗り越えられます。
そうしたら、どうすれば自分の使命に目覚めることができるのでしょうか?それは他人の使命ではなく、自分に与えられた独特な使命です。一体、自分の使命は何でしょうか?
1.自分の才能と賜物が使命です。
才能と賜物は、自分にとって一番自然なものです。自分が一番効果的にできることです。最高の知恵は賜物を発見し、それを開発して使うことです。卓越した賜物があっても開発しないと意味がありません。だから賜物を発見し、開発するためには、いろいろなことを試みる必要があります。
2.自分にある尊い負担が使命です。
負担(十字架)は自分の心を感動させるものです。
例えば、ネヘミヤはエルサレムの城壁が崩れていると聞いたときに、数日間断食して泣きながら祈ったのです。エイブラハム・リンカーン大統領は苦しめられる奴隷を見て苦しみました。それが尊い負担となって、奴隷を解放したのです。
3.自分に与えられた祝福が使命です。
神様が私たちに祝福を与えるときは理由があります。祝福の究極的な目的は仕えるためです。
例えば、ヨセフは自分が受けた祝福を通して、家族と民族を救ったのです。エステルもモルデカイの言葉を、「あなたがこの国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。(エステル記4:14)」という言葉を聞いて、「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。(エステル記4:16)」と答えました。そして使命を全うしたのです。
4.自分の痛みと悲しみ、苦しみが使命です。
神様は私たちのすべての経験を通して働かれる方です。つまり私たちが経験した苦しみを通して同じ苦しみを受けている人々を助けることを願われるのです。だから自分の苦しみを使命につなげる人が真のクリスチャンです。自分の苦しみを使命として悟ったパウロの告白がこれです。「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(コリント第二1:4)」
例えば、障害児もちの親や兄弟は障害者のために働く場合が多いのです。
5.自分が受けた教育と経験が使命です。
自分の使命を発見する方法の中で一つは過去に自分を導いた神様の導きを思い出すことです。過去、或いは、今出会っている先生や本、YouTube、教育、人生の経験、仕事などが神様のみこころを成し遂げる立派な道具です。
例えば、イエス様の弟子たちは魚を取る漁師から人間を取る弟子になったのです。ルカは弟子として医師の役割も果たし、パウロは自分が受けた最高の教育を生かして、今の新約聖書となる手紙を書きました。
自分の使命を発見した人は神の助けを求め、人格を養うことも大切です。使命を発見しても、使命を全うすることは簡単ではありません。イエス様のように代価を払わなければならないのです。それは狭い門を通って十字架の道に進むことです。ぜひ、悔いのない使命の人生を全うしましょう。
しかし何よりも自分の有りのままで生きること自体が使命そのものであることを忘れてはなりません。自分の有りのままで生きながらイエス様を証しする人生であれば、最高の人生です。
(Vision=使命+賜物)
ビジョンは、使命です。ビジョンがあるということは、神様から与えられた使命があるということです。英語で使命は「Mission」です。これは「Missio」というラテン語から来たのです。「Missio」は「送る」という意味です。だから使命者は神様から送られた者です。使命というのは、私たちの生涯に対する神様の計画とみこころです。つまり、私たちに対する神様の聖い目的、目標です。
人間は誰でも使命を持って、この世に生まれます。偶然に生まれた人は一人もいないのです。私たちはみんな神様の計画の中でみこころを成し遂げるために、この世に送られた人々です。だから一人の人間が生まれてから、自分の使命に目覚めることより、もっと大切なことはありません。
世の中で素晴らしいものを残した人々は、一人も例外なく、みんな使命に目覚めた人々です。彼らは使命に目覚めた日を、人生の最高の日として受け入れたのです。だから私たちも使命の生涯を生きるために、自分の使命に目覚めなければなりません。この使命を所有した者は死を恐れないのです。そして使命を全うする前までは絶対に死にません。彼らは、人生を無駄にしないし、すべての障害物を乗り越えられます。
そうしたら、どうすれば自分の使命に目覚めることができるのでしょうか?それは他人の使命ではなく、自分に与えられた独特な使命です。一体、自分の使命は何でしょうか?
1.自分の才能と賜物が使命です。
才能と賜物は、自分にとって一番自然なものです。自分が一番効果的にできることです。最高の知恵は賜物を発見し、それを開発して使うことです。卓越した賜物があっても開発しないと意味がありません。だから賜物を発見し、開発するためには、いろいろなことを試みる必要があります。
2.自分にある尊い負担が使命です。
負担(十字架)は自分の心を感動させるものです。
例えば、ネヘミヤはエルサレムの城壁が崩れていると聞いたときに、数日間断食して泣きながら祈ったのです。エイブラハム・リンカーン大統領は苦しめられる奴隷を見て苦しみました。それが尊い負担となって、奴隷を解放したのです。
3.自分に与えられた祝福が使命です。
神様が私たちに祝福を与えるときは理由があります。祝福の究極的な目的は仕えるためです。
例えば、ヨセフは自分が受けた祝福を通して、家族と民族を救ったのです。エステルもモルデカイの言葉を、「あなたがこの国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。(エステル記4:14)」という言葉を聞いて、「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。(エステル記4:16)」と答えました。そして使命を全うしたのです。
4.自分の痛みと悲しみ、苦しみが使命です。
神様は私たちのすべての経験を通して働かれる方です。つまり私たちが経験した苦しみを通して同じ苦しみを受けている人々を助けることを願われるのです。だから自分の苦しみを使命につなげる人が真のクリスチャンです。自分の苦しみを使命として悟ったパウロの告白がこれです。「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(コリント第二1:4)」
例えば、障害児もちの親や兄弟は障害者のために働く場合が多いのです。
5.自分が受けた教育と経験が使命です。
自分の使命を発見する方法の中で一つは過去に自分を導いた神様の導きを思い出すことです。過去、或いは、今出会っている先生や本、YouTube、教育、人生の経験、仕事などが神様のみこころを成し遂げる立派な道具です。
例えば、イエス様の弟子たちは魚を取る漁師から人間を取る弟子になったのです。ルカは弟子として医師の役割も果たし、パウロは自分が受けた最高の教育を生かして、今の新約聖書となる手紙を書きました。
自分の使命を発見した人は神の助けを求め、人格を養うことも大切です。使命を発見しても、使命を全うすることは簡単ではありません。イエス様のように代価を払わなければならないのです。それは狭い門を通って十字架の道に進むことです。ぜひ、悔いのない使命の人生を全うしましょう。
しかし何よりも自分の有りのままで生きること自体が使命そのものであることを忘れてはなりません。自分の有りのままで生きながらイエス様を証しする人生であれば、最高の人生です。
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