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詩篇 119:105

ルカの福音書6:12-16(変えられない人は誰もいない)

投稿者
tbic
投稿日
2024-06-02 19:35
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ルカの福音書6:12-16「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。そして、夜が明けると弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をお与えになった。すなわち、ペテロという名を与えられたシモンとその兄弟アンデレ、そしてヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、熱心党員と呼ばれていたシモン、ヤコブの子ユダ、イスカリオテのユダで、このユダが裏切る者となった。」

イエス様を通して変えられない人は誰もいません。キリスト教は変化そのものです。今日の主人公である熱心党員シモンのような過激なゲリラも、福音によって変えられました。

このイエス様の11番目の弟子である熱心党員シモンは、小ヤコブ、タダイと共に、聖書の中に個人的な記録が全くありません。熱心党員であるということだけが唯一の手がかりです。

イエス様の時代、イスラエルには大きく四つの分派がありました。パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派、そして熱心党です。熱心党の由来を見ると、紀元前167年にシリヤのアンティオコス4世エピファネスという非常に残虐な王がユダヤに侵攻してきました。エルサレムを占領したアンティオコス王は神殿にまで乱入して、イスラエルの民が嫌う豚の血をまき散らし、神殿を汚しました。可能な限りの虐殺を行ない、安息日と割礼を廃止するなど、暴虐の限りを尽くしました。多くのイスラエル人が苦しむ中、祭司であったマタティアが、5人の息子たちとクーデターを起こしました。マタティアが世を去ると、今度はマタティアの三男が後を継ぎました。彼が有名なユダ・マカバイです。彼はついに勝利を収め、ローマがイスラエルを占領する時まで、輝かしい歴史を誇る王国を建てました。

ユダ・マカバイ王国の栄光はイエス様の時代のわずか50-100年前の出来事であって、まだ人々の記憶に残っていました。多くの人々はイスラエルの希望として、抑圧の鎖を解いてくれたユダ・マカバイを尊敬していました。そのユダ・マカバイの理念に付き従おうとする人々が熱心党員です。熱心党は愛国主義者たちの集いであり、過激なゲリラ組織でした。熱心党員シモンがイエス様の弟子となり、使徒の働き以降はイエス様の十字架の愛を伝える証人となりました。熱心党員シモンを通して、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

一番目、イエス・キリストを通して変えられない人は一人もいないということです。熱心党員シモンのような過激なゲリラも、福音によって変えられたのです。しかし、悪魔は違います。悪魔は私たちに「変えられる必要がない。変えられることもできない。」という思いを抱かせます。悪魔は私たちに、間違った神観を植え付けようとします。その中で最も歴史が長く、広い範囲に影響を及ぼしているのが汎神論(多元主義)です。

汎神論の神は、キリスト教の神とは違い、善と悪の区分を超えている存在です。汎神論者たちは、「人間が悟りを得れば得るほど、善と悪を区別できないようになる」という前提を持っています。「良いものの中にも悪いものがあり、悪いものにも良いものが入っている。」と主張するのです。

現代人はこのような話に大きな興味を示します。非常に寛容な話に聞こえて、客観的なアプローチのように見えるからです。汎神論者たちは、「癌は本当に悪なのか」と疑問を抱きます。普通、「癌は人を殺すから悪だ」と思いますが、彼らはそれを、「なぜ悪なの」と言い返します。それなら、「癌を殺す医者も悪いのではないか」と言います。人間の観点から見ると、癌は悪ですが、「癌の立場から見れば、癌を殺す人間も悪いのではないか」と言います。

すべてのことを観点の問題とするため、見方によって悪になることもあれば、善になることもあると言うのです。「良いものと悪いものを区分することはできない」というのが彼らの主張です。説得力のある主張に聞こえます。

汎神論者たちはまた、「世にあるすべてのものが、神様になることができる。」と言います。「宇宙が神様だ」と言います。「人間は神様になることもできるし、悪い存在になることもできる。」と主張します。しかしこの汎神論を通して悪魔が言おうとしていることは、「変わる必要がない」ということです。「そのままでいい」と主張して、人を滅ぼそうとするのです。

キリスト教で最も強調されることは「悔い改め」です。「悔い改めとは、自分が罪人であることを認め、自分が変えられなければならないことを知ることです。」「悔い改めを強調するということは、変化を強調する。」ということです。「このままでは滅びてしまう運命であり、このままでは地獄に落ちる運命だ。」と認めることです。

ローマ人への手紙1章から3章までを読んでみたら、初めに出る内容は私たちの罪を指摘し、暴露します。読んでいるすべての人々の口から、「私たちはどうしたら良いのでしょうか」という嘆きと、うめきが出るようになります。

ローマ人への手紙3:10-12「それは、次のように書いてあるとおりです。『義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。

ここにあるとおり、人はみな罪人であり、悔い改めが必要です。私たちが救われるためには、神様が提示された神の義、十字架を受け入れなければなりません。悔い改めること、変えられることを強調しています。「今のままでは駄目だ」ということです。これが、真のキリスト教です。

神様は、私たちに悔い改めを命じられました。聖霊が働くと、人々の心が柔らかく変えられます。反対に悪霊が働くと、非常に排他的になり、うなじのこわい民になってしまいます。

聖書の多くの箇所で、人間を「」と表現しています。ローマ人への手紙9章に神様を「陶器師」、私たちを「」と表現しているところがあります。人間を「」と表現するのは、なぜでしょうか。器の本質は受容性にあります。器は直接、何かをするものではありません。器は何をそこに入れるかによって、その用途が異なってきます。「行ないというのは、積極的であり、能動的なものだ。しかし私たちが信仰によって救われたのであれば、イエス様が既にすべて成し遂げられたということを、そのまま器のように受け入れればいいのだ。」と言うことができます。

ヨハネの福音書1:12、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

受け入れた人々」と「その名を信じた人々」は同じ意味の言葉です。つまり「信仰とは受け入れること」です。「信仰がない」ということは、「受け入れることができない」ということです。イエス様が非常に憎んだ人たちはパリサイ派の人たちでした。それはなぜでしょうか。

パリサイ派の人たちは受容性がなく、自分自身が変わらなければならないことを、全く認めなかったからです。イエス様は、彼らを悪魔の子たちと呼びました。反面、取税人や罪人たちは罪を犯し、問題だらけだったにもかかわらず、彼らには受容性がありました。「自分が罪人であり、変えられなければならない存在だ。」ということを認めたのです。変えていただくために進み出て、ひれ伏しました。それが尊い姿勢です。

悪魔は今も私たちが受容性を捨て、自己中心的で自己満足的な自我によって、縛られるように導きます。一見、寛容な教えに聞こえる汎神論の中には「変えられる必要はない」という高慢が溢れています。

皆さん、熱心党員シモンを通して学ぶことができることは何でしょうか。彼のような人も変えられるということです。だからこそ、私たちも変えられることができます。自分自身が変えられること、それが悔い改めです。自ら悔い改めることが変化であり、その変化が成長です。ぜひ自分の変化を通して成長する、神の人となることを切に願います。

二番目、聖霊が臨まれると、反対者までも受け入れる力が生まれます。イエス様の弟子たちの中で最も対極にいた二人の人物として、取税人マタイと熱心党員シモンが挙げられます。

当時イスラエルの人々にとって、取税人マタイはローマの手先であり、外国の支配者にこびを売る売国奴と呼ばれていた人物でした。しかしイエス様はその取税人を弟子とされたのです。マタイと正反対だったのが熱心党員シモンです。シモンは愛国主義者でした。マタイとシモンは当然、敵同士だったはずです。しかし彼らは福音に出会うことによって、一つになったのです。これが福音の力、愛の力であり、神様ご自身がそれを願っておられます。

違いを探し出すことに特別な才能は要りません。しかし一つとなるための共通点を探し出すには、特別な努力が必要です。知恵と忍耐が必要です。神様が私たちに求めておられることは何でしょうか。神様は私たちに、自分とは異なる者であっても、彼らと一つになることを願っておられます。

元々ヨーロッパは国々が一つになるのが難しい地域です。先祖代々互いに戦い、覇権を争ってきたからです。ドイツとフランスは戦争を繰り返してきました。イギリスとフランスが犬猿の仲だということは良く知られています。イタリアは内部で深刻な分裂を経験しました。しかし第二次世界大戦後、彼らの中に共通点を探し出す運動が起こりました。みんなが「ヨーロッパ市民であり、互いに味方である」という考えが広がり、「ヨーロッパ人には共通の遺産がある」という点が強調された結果、欧州連合(EU)という共同体が誕生したわけです。こういう風に、ヨーロッパを一つに導いたのはクリスチャンリーダーたちでした。

東アジアも同じです。日本と韓国、中国、台湾は、共通点が多い国々です。その共通点を引っ張り出すことができるリーダーが必要です。私はこれから立派なリーダーがクリスチャンの中から出ると確信しています。極端な主義を持っている人々は、その国では愛国主義者だと尊ばれるかもしれませんが、外国の国々にとっては本当に面倒な存在です。

例えば、パレスチナにおけるイスラム原理主義の組織、ハマスを見ても分かります。アラブ人たちにとって、ハマスは英雄であり、愛国主義者です。しかしイスラム以外の人々はハマスのゆえに中東の平和が維持できないと考えます。また国際テロ組織であるアルカイダのメンバーたちもアラブでは愛国者であり、英雄ですが、外部から見ると全く異なり、非常に面倒な存在です。

熱心党も同じです。歴史家たちは「ローマ帝国が寛容な統治を行なった」と口をそろえて言います。しかし熱心党はそのローマを相手に、武装革命とテロをやめませんでした。その結果、私たちがよく知っている通り、紀元73年マサダ要塞において、ローマ軍に完敗し、イスラエルの民は全世界に散らされてしまったのです。

歴史の流れから考えて見ると、イスラエルの民が苦しみを受けた原因は、熱心党にあります。熱心党がいなければ、ここまで大変なことにはならなかったかもしれません。極端というのは恐ろしいものです。

19世紀中ごろまでを見ると、私は韓国が日本に劣っていたとは思いません。日本より弱かったとも思いません。しかし韓国と日本の間で大きな違いが起こり始めたのは、その時、韓国には 外国に対して閉鎖的な政策を取った興宣大院君(李氏朝鮮26代国王の父)が、日本には坂本竜馬がそれぞれ現われたためだと思います。もし当時、坂本竜馬が韓国にいて、興宣大院君が日本にいたとしたら、歴史は逆転していたと思います。

日本人が、歴史上で最も尊敬する人物は誰でしょうか。戦国時代の三大将軍である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の中の一人ではないかと思うかもしれません。しかしこの予想をくつがえして、坂本竜馬を挙げる人がもっと多いのです。

坂本竜馬はイエス様と同じく、33歳でこの世を去った人物です。決して長く生きた人ではありません。しかし彼は自分自身の限界を悟ると、古いものを振り捨てるようにして新しい世界に飛躍する、柔軟な発想力と改革精神を示しました。受容性があったのです。

1853年、アメリカのペリー提督が軍艦四隻を率いて日本にやって来て、大砲を撃ち、開港を要求しました。その時まで、坂本竜馬は刀の力、つまり軍事力を信じていた人でした。しかし、「日本刀では到底大砲に対抗できない」という現実を悟った坂本竜馬は、刀の時代は終わり、大砲の時代が来なければならないことを認めました。彼はその後、33歳の短い人生の中で、たび重なる大きな変革を強行しました。まず彼は海洋強国の日本を建設するために、海運商社である海援隊を設立しました。徳川幕府を打倒して、大政奉還を成功させ、明治維新の貴重な土台を立てる働きを担ったのです。

日本のある牧師先生から聞いた話ですが、坂本竜馬の甥は明治維新後、立派な牧師になって、北海道で素晴らしい宣教の働きをしたと言います。ひょっとしたら、坂本竜馬もキリスト教の思想的影響を断片的に受けていたかもしれないということでした。いずれにせよ、キリスト教的な意味で解釈するなら、坂本竜馬は受容性が、ずば抜けていた人物でした。彼は変化を受け入れ、敵対していた人たちをみんな受け入れることができる器の大きな人でした。だから自分が変わり、さらには日本全体を変えることができたのです。

私は今韓国人として韓国人たちを見ながら、心配になることがあります。あまりにも極端で、自分の味方でなければ敵だと考える、それは非常に危険な発想です。さらには国をも危険にさらす考え方だと思います。この時代に本当に必要な人は、坂本竜馬のように反対者までも受け入れることができる人です。そのような広い視野が本当に重要です。

私が深い悟りを得た話があります。ある大きな教会に副牧師が新しく赴任してきました。それで主任牧師が彼に、「将来の夢は何か」と聞いたところ、「私は貧民街での伝道を目指しています。貧しい人々のために献身するのが目標です。」と答えました。すると主任牧師はその副牧師に金持ちの人々がたくさん住んでいる町の教区を担当させました。その決定について副牧師が戸惑っていたら、主任牧師はこのように言ったそうです。

貧しい人々のことを理解して、それを助けてあげるのは大切なことだ。けれども、金持ちも理解することができなければならない。金持ちを受け入れることができずに、どうして貧しい者たちを福音で変えようとするのか。金持ちを理解できないまま、貧民街に行くなら、金持ちに対する憎しみだけを植え付けるミニストリーをするようになる。

私はその主任牧師の言葉は正しいと思います。福音の力を知らない時、私たちは人を金という観点で区別してしまいます。すべての人間は、たとえ金持ちであっても、苦悩があり、虚しさがあり、痛みがあります。そんな人々を対象に伝道する時、「金が人生の全部ではないのだ。彼らもかわいそうな罪人だ。福音が必要なのだ。」と悟るようになります。すべての人に福音が必要なのだと理解してこそ、貧しい人々に近づいて行って、まことの福音を伝えることができるのです。

三番目、十字架の愛が心の広い人をつくり上げます。シモンは好戦的な刀を捨てて、十字架の道を歩みました。彼の強い愛国心は全世界へ向かう情熱に変えられました。なぜでしょうか。イエス・キリストの十字架の愛を知ったからです。イエス・キリストの十字架の愛を受け入れる人は、排他的な心を捨て、反対する人々までも受け入れる広い心を持って進み出ることができます。

私たちは、自分の心の中から憎しみを除かなければなりません。なぜ憎しみが悪いのでしょうか。怒りと憎しみをもって働く人は絶対に大きく成長できません。憎しみをもって人を動かす人は真のリーダーではありません。いつも自分の味方か敵かで人を分けるから、自分のスケールが小さくなってしまいます。福音からのみ、真のリーダーが出ます。その理由は憎しみではなく、愛の論理で進むからです。

熱心党のシモンはその状態にとどまらず、福音によって変えられました。彼はその情熱をもって、敵までも受け入れる大いなる人へと変えられたのです。十字架の力によって、憎しみではなく愛によって働く時、私たちはシモンのように、すべての人を受け入れることができます。

私たちは、イエス・キリストによって変えられることができます。イエス・キリストの福音によって悔い改めるなら、その悔い改めは変化を起こしてその人を変え、社会を変えます。悪魔は今も、「変わる必要がない」と言って、悔い改めのない救いを言いふらしています。しかしそれは大きな間違いです。悔い改めることなく、救われることはありません。

だから変化を追い求める人となり、反対者をも受け入れる、愛の心を持った人となることを切に祈ります。そして人を変化させるキリストの力が私たちの人生にずっと現われることを切に願います。

結論、シモンを通して学んだ神様に用いられるための原則。

1.福音によって変えられない人は誰もいません。

熱心党のシモンも変えられたように、誰でも変えられます。自分自身が変えられること、それが真の悔い改めです。

2.聖霊により、反対者まで受け入れる力が生まれます。

取税人マタイと、熱心な愛国者シモン、両極端の二人が福音によって一つになりました。これが福音の力、愛の力であり、神様が私たちに願っておられる姿です。

3.十字架の愛が心の広い人をつくり上げます。

シモンは刀を捨てて、十字架の道を歩みました。強い愛国心が、全世界を愛する情熱へと変えられたのです。イエス・キリストの愛を受け入れたからです。憎しみは私たちを狭くしますが、十字架の愛は私たちの器を広げます。
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