メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
使徒の働き20:23-24(使命に命をかけなさい)
投稿者
tbic
投稿日
2024-06-09 22:17
閲覧数
187
使徒の働き20:23-24「23. ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。24. けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
スポーツで一番記憶に残る場面は、やはり逆転勝利です。スポーツと言えば、やはりオリンピックですが、オリンピックのハイライトは何でしょうか。マラソンです。しかしマラソンは2時間以上かかる退屈の種目の競技です。それも単純過ぎます。ただ走るだけです。しかしマラソンが人気があるのは、やはり人生と似ている競技だからです。そしてマラソンはいつも同じ条件で走れないから、記録を表す時もマラソンはWorld Recordと言わず、World Bestという表現を使っています。理由は記録を比較できないということを強調するためです。
こういう風に、人生をマラソンのように考えた人が今日の本文に出るパウロでした。今日の本文でパウロの告白は、どんな苦しみ、試練、艱難があっても、それを乗り越え、必ず使命を全うするという決心です。
だから使命を全うするためには、どうすれば良いのでしょうか。
1.自分に与えられた道を歩まなければなりません。
24節に、「自分の走るべき行程」:これはMy way(自分の道)ではなく、 The way given to me(自分に与えられた道)です。恵み(プレゼント)と似ている概念が使命です。だから私たちは、それぞれ自分に与えられた道があります。
四つの法則を読みますと、「神様はあなたを愛し、あなたのための素晴らしい計画があります。」で始まります。神様の愛と計画は、私たちにとって力の源となります。
使徒パウロは足りない部分がいっぱいあったのですが、神様は彼に対する計画がありました。このように、神様は私たちに対しても計画があるということを忘れてはなりません。
だから人生をうまく生きるためには、何よりも自分に対する神様の計画を知り、その道に歩むことです。そして私たちクリスチャンは恵みの福音を伝えることが自分の使命の中に必ず含まれていることを忘れてはなりません。その本当の価値を知って、自分に与えられた道を走らなければなりません。この使命は形は違っても、一つのこと、つまり福音伝道に集中すべきです。その中で行政がうまい人、先頭に立って進むことがうまい人、仕上げの達人、隠れて働くことがうまい人など、いろんな人々が存在します。
ウサギとカメの話は、足の速いウサギと足の遅いカメが競走をし、最終的にはカメが勝利する話ですが、実はウサギが寝ない限り、カメは絶対にウサギに勝つことが出来ません。カメは自分の道を探し出し、その道に歩まなければなりません。カメが勝てる道は水中です。
(1)間違った考え方、「陸地が良い道で、海は悪い道」という先入観を捨ててください。
私たちは根拠もないのに、変な確信を持っていることが多いのです。「小さい顔がいい。大きい顔や四角の顔は良くない。痩せている体がいい。」これは先入観で根拠のない間違った考えです。
(2)間違った考えは人生を難しくします。
私たちは人生そのものが難しいのではなく、間違った考えをするから人生が難しくなります。つまりウサギが寝なければ勝てない、難しい状況を作ってはなりません。
(3)海の中で競走すれば、カメが100戦100勝です。
ウサギは海では競走できないのですが、カメは海の中で生きるようにデザインされているから、海の中で人生の花を咲かせて生きればいいのです。そうすれば、毎日勝利です。
結局、自分の海を発見しなければなりません。だから教育の目的は知識を入れるのではなく、自分を発見することが教育の目的です。つまり自分が誰なのかをまず発見してから、社会や他人を助けることが人生です。音楽が好きな人は、音楽をやるのが難しいことではありません。美術、スポーツ、牧師、教師、みんな恵みで受け取っているものです。それを生かせばいいのです。
2.人生の中での競走は、終わりがあることを覚えなければなりません。
24節に、「神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、」
競走には必ず終わりがあります。
良い旅の条件は何でしょうか。一般的には同行者(連れ合い)が大切だと言います。良い同行者があれば、旅は楽しいのです。しかし旅の条件としてもっと大切なのは、帰れる家が必要です。旅行中なのに帰れる家がなくなった瞬間、私たちは旅行ではなく、ホームレスのさすらいとなります。
だから帰れる家がなければ、旅の意味はありません。だからこそ、人生は旅であり、私たちは帰れる天の御国、天のお父さんの家があることを覚えましょう。
ヨハネの福音書14:2-4、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
私たちが忠実に働くことができる理由は終わりがあることを知っているからです。誰だって、人生が終わったら神の御前に立つわけです。だから今年が最後だと思って、悔いのない人生を歩まなければならないし、毎瞬間忠実に働かなければなりません。
黙示録21章は天国を描いています。
特に21:21に、「また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。」
しかしここで質問は、なぜ都の大通りは純金でできているのでしょうか。「GOLDとGOD」の比較が必要です。
この世の神はGOLD、金です。この世の価値は金であり、世の人々はこの世の価値と金の偶像に頭を下げながら生きていきます。こういう風に、世の神は金ですが、天の御国に行けば、価値はまったく変わります。金の価値は足裏で踏まれる道にすぎません。世の人々がそんなに追い求めた金は、天国では何の意味もないということを、ある意味で黙示録は語っているわけです。
「十二の門は十二の真珠であった。」
真珠は英語でPEARL、TEARS(涙)と苦しみを象徴します。石ころが貝の中に入ってできたものが、真珠です。苦しみを通過するとき、真珠ができるわけです。私たちが将来、この世を離れ、天の御国に入って十二の真珠の門を通るとき、イエス様は私たちにこういう風に慰めてくださると思います。「あなたの人生の中で、たくさんの涙があったでしょう。わたしも泣いたよ。しかしその涙によって、あなたは勝利したんだ。」と。
天の御国では涙で祈り、涙の人生を生き抜いた私たちのために、十二の真珠の門がイエス様と共に待っています。
今日の本文で、使命者の告白をした使徒パウロも涙の人生、涙の働きでした。使徒の働き20:31、「ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」そして33節に、「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。」まさに、使徒パウロは真珠のような働きをしたのです。
結局、私たちの人生にも終わりがあるから、私たちも金は道端のように取り扱い、真珠のような涙の働きをしなければなりません。
3.自分の使命に命をかけなければなりません。
本文24節に、「私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
過去のクリスチャンと今のクリスチャンを比較すれば、
表面的特徴としては、過去には外見的に、環境的に、条件として何もなかったのです。現在は条件として豊かになりました。内的特徴としては、過去には使命感しかなかったのです。現在は使命感だけありません。今のクリスチャンはとても衝動的で、献身は絶対にしません。
しかし使命感というのは、神様が自分に与えられた働きがきっとあると。小さな働きであっても、召された確信がする働き、そこに使命感が溢れて、献身と犠牲が伴うときに、始めてLeadershipが生じるわけです。
そしてその働きを成し遂げるためには、祈りが必要ですし、神様の恵みと祝福が必要です。それによって、働きを全うすれば、さらに大きな働きが与えられるはずです。
「働きはやるのではなく、なる」ということです。神様から恵みと祝福が臨むのであれば、「自分がやるのではなく、働きになる」ということです。その恵みと導きによって、さらに力を発揮し、使命感にとらえられる人生を生きるようになるわけです。これができなければ、死んだ状態のクリスチャンとなります。
結局、この恵みによって導かれる人生を生きるクリスチャンは小さな働きであっても、豊かな実を結び、その中で聖霊の働きと神体験をして、満足できる人生を全うするわけです。そうすれば、私たちの祝福はさらに広がり、想像を絶するもっと大きな祝福、たくさんの実を結ぶはずです。これが、この世の中で祝福の通路として呼ばれた私たちクリスチャンの人生です。
壬辰倭乱(文禄の役)は1592年(文禄元年)、豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争です。明の征服を目的に朝鮮に出兵しました。朝鮮では、イスンシンの活躍が目立ちます。民衆の思いはどうだったのでしょうか。
王様である宣祖は逃げっぱなしだから、ついて行けば死ぬと思ったのです。実際に、ついて行った多くの人々が死にました。しかしイスンシン将軍について行けば生きるとほとんどが思ったのです。実際にそうでした。だから王様について行った人々はイスンシンが反乱を計画していると思ったのです。結局、イスンシンは牢に入り、白衣従軍しました。しかし働きになるところに人々と影響力は集まります。民衆はイスンシンに集まりました。
イエス様のタラントのたとえで、マタイの福音書25:15から見ますと、
主人から、それぞれ五タラント、二タラント、一タラントを預かった者たちが出ます。
主人が旅から帰って来て清算するとき、ちゃんと商売して、さらにもうけた二人、五タラント、二タラントを預かった者たちに何と言われますか。25:21に、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」と言われるわけです。
これをユージンピタソンは、こういう風に解釈(理解)しました。
「You did your job well. From now, be my partner.」
私たちがわずかな物に忠実であれば、神様は私たちのパートナになってくださるのです。そして、永遠に共にいてくださり、同行なさると言われます。だからこそ、私たちは小さな働きでも、ちっぽけな人生でも、忠実に生きなければなりません。
皆さん、今週一週間も忠実なしもべとして生きることを切に願います。
スポーツで一番記憶に残る場面は、やはり逆転勝利です。スポーツと言えば、やはりオリンピックですが、オリンピックのハイライトは何でしょうか。マラソンです。しかしマラソンは2時間以上かかる退屈の種目の競技です。それも単純過ぎます。ただ走るだけです。しかしマラソンが人気があるのは、やはり人生と似ている競技だからです。そしてマラソンはいつも同じ条件で走れないから、記録を表す時もマラソンはWorld Recordと言わず、World Bestという表現を使っています。理由は記録を比較できないということを強調するためです。
こういう風に、人生をマラソンのように考えた人が今日の本文に出るパウロでした。今日の本文でパウロの告白は、どんな苦しみ、試練、艱難があっても、それを乗り越え、必ず使命を全うするという決心です。
だから使命を全うするためには、どうすれば良いのでしょうか。
1.自分に与えられた道を歩まなければなりません。
24節に、「自分の走るべき行程」:これはMy way(自分の道)ではなく、 The way given to me(自分に与えられた道)です。恵み(プレゼント)と似ている概念が使命です。だから私たちは、それぞれ自分に与えられた道があります。
四つの法則を読みますと、「神様はあなたを愛し、あなたのための素晴らしい計画があります。」で始まります。神様の愛と計画は、私たちにとって力の源となります。
使徒パウロは足りない部分がいっぱいあったのですが、神様は彼に対する計画がありました。このように、神様は私たちに対しても計画があるということを忘れてはなりません。
だから人生をうまく生きるためには、何よりも自分に対する神様の計画を知り、その道に歩むことです。そして私たちクリスチャンは恵みの福音を伝えることが自分の使命の中に必ず含まれていることを忘れてはなりません。その本当の価値を知って、自分に与えられた道を走らなければなりません。この使命は形は違っても、一つのこと、つまり福音伝道に集中すべきです。その中で行政がうまい人、先頭に立って進むことがうまい人、仕上げの達人、隠れて働くことがうまい人など、いろんな人々が存在します。
ウサギとカメの話は、足の速いウサギと足の遅いカメが競走をし、最終的にはカメが勝利する話ですが、実はウサギが寝ない限り、カメは絶対にウサギに勝つことが出来ません。カメは自分の道を探し出し、その道に歩まなければなりません。カメが勝てる道は水中です。
(1)間違った考え方、「陸地が良い道で、海は悪い道」という先入観を捨ててください。
私たちは根拠もないのに、変な確信を持っていることが多いのです。「小さい顔がいい。大きい顔や四角の顔は良くない。痩せている体がいい。」これは先入観で根拠のない間違った考えです。
(2)間違った考えは人生を難しくします。
私たちは人生そのものが難しいのではなく、間違った考えをするから人生が難しくなります。つまりウサギが寝なければ勝てない、難しい状況を作ってはなりません。
(3)海の中で競走すれば、カメが100戦100勝です。
ウサギは海では競走できないのですが、カメは海の中で生きるようにデザインされているから、海の中で人生の花を咲かせて生きればいいのです。そうすれば、毎日勝利です。
結局、自分の海を発見しなければなりません。だから教育の目的は知識を入れるのではなく、自分を発見することが教育の目的です。つまり自分が誰なのかをまず発見してから、社会や他人を助けることが人生です。音楽が好きな人は、音楽をやるのが難しいことではありません。美術、スポーツ、牧師、教師、みんな恵みで受け取っているものです。それを生かせばいいのです。
2.人生の中での競走は、終わりがあることを覚えなければなりません。
24節に、「神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、」
競走には必ず終わりがあります。
良い旅の条件は何でしょうか。一般的には同行者(連れ合い)が大切だと言います。良い同行者があれば、旅は楽しいのです。しかし旅の条件としてもっと大切なのは、帰れる家が必要です。旅行中なのに帰れる家がなくなった瞬間、私たちは旅行ではなく、ホームレスのさすらいとなります。
だから帰れる家がなければ、旅の意味はありません。だからこそ、人生は旅であり、私たちは帰れる天の御国、天のお父さんの家があることを覚えましょう。
ヨハネの福音書14:2-4、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。わたしの行く道はあなたがたも知っています。」
私たちが忠実に働くことができる理由は終わりがあることを知っているからです。誰だって、人生が終わったら神の御前に立つわけです。だから今年が最後だと思って、悔いのない人生を歩まなければならないし、毎瞬間忠実に働かなければなりません。
黙示録21章は天国を描いています。
特に21:21に、「また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。」
しかしここで質問は、なぜ都の大通りは純金でできているのでしょうか。「GOLDとGOD」の比較が必要です。
この世の神はGOLD、金です。この世の価値は金であり、世の人々はこの世の価値と金の偶像に頭を下げながら生きていきます。こういう風に、世の神は金ですが、天の御国に行けば、価値はまったく変わります。金の価値は足裏で踏まれる道にすぎません。世の人々がそんなに追い求めた金は、天国では何の意味もないということを、ある意味で黙示録は語っているわけです。
「十二の門は十二の真珠であった。」
真珠は英語でPEARL、TEARS(涙)と苦しみを象徴します。石ころが貝の中に入ってできたものが、真珠です。苦しみを通過するとき、真珠ができるわけです。私たちが将来、この世を離れ、天の御国に入って十二の真珠の門を通るとき、イエス様は私たちにこういう風に慰めてくださると思います。「あなたの人生の中で、たくさんの涙があったでしょう。わたしも泣いたよ。しかしその涙によって、あなたは勝利したんだ。」と。
天の御国では涙で祈り、涙の人生を生き抜いた私たちのために、十二の真珠の門がイエス様と共に待っています。
今日の本文で、使命者の告白をした使徒パウロも涙の人生、涙の働きでした。使徒の働き20:31、「ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」そして33節に、「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。」まさに、使徒パウロは真珠のような働きをしたのです。
結局、私たちの人生にも終わりがあるから、私たちも金は道端のように取り扱い、真珠のような涙の働きをしなければなりません。
3.自分の使命に命をかけなければなりません。
本文24節に、「私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
過去のクリスチャンと今のクリスチャンを比較すれば、
表面的特徴としては、過去には外見的に、環境的に、条件として何もなかったのです。現在は条件として豊かになりました。内的特徴としては、過去には使命感しかなかったのです。現在は使命感だけありません。今のクリスチャンはとても衝動的で、献身は絶対にしません。
しかし使命感というのは、神様が自分に与えられた働きがきっとあると。小さな働きであっても、召された確信がする働き、そこに使命感が溢れて、献身と犠牲が伴うときに、始めてLeadershipが生じるわけです。
そしてその働きを成し遂げるためには、祈りが必要ですし、神様の恵みと祝福が必要です。それによって、働きを全うすれば、さらに大きな働きが与えられるはずです。
「働きはやるのではなく、なる」ということです。神様から恵みと祝福が臨むのであれば、「自分がやるのではなく、働きになる」ということです。その恵みと導きによって、さらに力を発揮し、使命感にとらえられる人生を生きるようになるわけです。これができなければ、死んだ状態のクリスチャンとなります。
結局、この恵みによって導かれる人生を生きるクリスチャンは小さな働きであっても、豊かな実を結び、その中で聖霊の働きと神体験をして、満足できる人生を全うするわけです。そうすれば、私たちの祝福はさらに広がり、想像を絶するもっと大きな祝福、たくさんの実を結ぶはずです。これが、この世の中で祝福の通路として呼ばれた私たちクリスチャンの人生です。
壬辰倭乱(文禄の役)は1592年(文禄元年)、豊臣秀吉による朝鮮侵略戦争です。明の征服を目的に朝鮮に出兵しました。朝鮮では、イスンシンの活躍が目立ちます。民衆の思いはどうだったのでしょうか。
王様である宣祖は逃げっぱなしだから、ついて行けば死ぬと思ったのです。実際に、ついて行った多くの人々が死にました。しかしイスンシン将軍について行けば生きるとほとんどが思ったのです。実際にそうでした。だから王様について行った人々はイスンシンが反乱を計画していると思ったのです。結局、イスンシンは牢に入り、白衣従軍しました。しかし働きになるところに人々と影響力は集まります。民衆はイスンシンに集まりました。
イエス様のタラントのたとえで、マタイの福音書25:15から見ますと、
主人から、それぞれ五タラント、二タラント、一タラントを預かった者たちが出ます。
主人が旅から帰って来て清算するとき、ちゃんと商売して、さらにもうけた二人、五タラント、二タラントを預かった者たちに何と言われますか。25:21に、「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」と言われるわけです。
これをユージンピタソンは、こういう風に解釈(理解)しました。
「You did your job well. From now, be my partner.」
私たちがわずかな物に忠実であれば、神様は私たちのパートナになってくださるのです。そして、永遠に共にいてくださり、同行なさると言われます。だからこそ、私たちは小さな働きでも、ちっぽけな人生でも、忠実に生きなければなりません。
皆さん、今週一週間も忠実なしもべとして生きることを切に願います。
合計 171
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New 列王記第一19:13-18(うつ状態からの脱出)
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詩篇27:1-8(主の顔を慕い求めよ)
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主の御名によって 歓迎いたします。
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