メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
サムエル記第二15:12-23(苦難の問題)
投稿者
tbic
投稿日
2024-07-06 13:05
閲覧数
153
サムエル記第二15:12-23
世の中には二つの人生の生き方があります。自分の力を信じて生きる人と神様を信じて生きる人、この二つの種類の人生のパタンがあります。
しかし私たちが覚えなければならないことは、確かに力の源は自分(人間)ではなく、神様であること。だからその力の源をちゃんと知ることです。そうでなければ、むしろ悪魔の道具となる可能性が高いです。私たちは悪魔の道具ではなく、神様の道具(器)として用いられなければなりません。だから力の源が神様であることを、ちゃんと分かれば、自分のために生きる自己中心的な人も神の力によって人生の目標も変わるはずです。だからこそ、どんな力に頼るかはとても大切な問題となります。
今日の本文に出るアブシャロムは復讐を自分の人生の目標としたのです。そういう人を通してサタンが働きます。アブシャロムは4年間も裏切りの目標をもって生きてきたわけです。だから心の管理がとても大切です。不平不満は罪を引き起こし、殺人を生み出します。この不平不満の心、憎しみの心はサタンから与えられる心です。しかし同じ状況で別の決定を下し、最後の最後まで神様に頼った人生があります。サムエル記第一1章に出るハンナ(サムエルのお母さん)がその代表的な人です。ハンナはエルカナという人の妻だったのですが、彼のめかけであるペニンナにものすごくいじめられ、苦しめられました。しかし彼女は信仰をもって祈り、神様によって問題の解決を受けた恵みの人でした。(サムエル記第一1:1-18)
こういう風に、人間はハンナのように愛をもって働くこともできるし、アブシャロムのように不平不満をもって働くこともできます。しかし悪魔はいつも人々をそそのかし、不平不満を誘導して家庭や教会をつぶすわけです。だから神様はいつも、どんな状況の中でも「愛をもって働きなさい」と言われます。そのため、私たちはハンナのように絶えず祈らなければなりません。「神様、不平不満と憎しみによって働かないように、ただ愛によって、神様の力によって働くように、助けてください。」と常に祈りたいと思います。
私たちは愛によって働かなければ、何もない存在となります。詩篇42:3に、「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中『おまえの神はどこにいるのか』と私に言う間。」ダビデの告白です。周りからいじめられ、無視されながら、涙が昼も夜も自分の食べ物だったと言っています。それを憎しみと復讐へ変えることもできましたが、ダビデはどうしましたか。詩篇42:5に、「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」と告白します。
ゲリーコリンスの「エントロピーの兆候を点検しなさい」というを本があるのですが、そこでエントロピーの現象について説明するのです。エントロピーの現象とは、この地上のすべてのものは秩序から無秩序へ、悪い方向へ流れる傾向があるということです。つまり新しく物を買ったら、それを使えば使うほど古くなっていくように、私たちの信仰も時間が経ってば経つほどエントロピーの現象が起き、乱れて堕落していきます。
最初は情熱があり、燃えますが、後では全部燃えつき、炭の状態になって、力を失ってしまいます。これが普通の人間の姿です。
そうしたら、このエントロピーの現象を打ち破る方法は何でしょうか。いつも主を待ち望むことです。どんなことがあっても主を見上げ、主だけを待ち望み、主の助けを期待すること、これがクリスチャンにとって一番大切なことです。
皆さん、私たちが倒れるときはささいなことで倒れる場合がたくさんあります。つまり直接的な原因より、周りの間接的な影響で崩れるときがけっこうあります。だから私たちのエントロピーの現象が何か、ちゃんと確認して、事前に防ぎたいと思います。
そのエントロピーの現象、10項目を取り上げますと、
一番目、読書の時間がなくなります。あまり考えず、知識を満たそうとしません。
二番目、仕事の興味をなくし、やる気がなくなります。
三番目、あまり運動もしないし、旅行も楽しくありません。
四番目、日記を書くこともないし、祈りの課題もなくなります。
五番目、成長と学びに対する情熱がなくなります。
六番目、礼拝が中断になります。
七番目、祈りができなくなります。
八番目、聖書を読むのが、一番最後の優先順位となります。
九番目、神様が願われる働き、つまりみこころを行うことより、自分を批判する人と論争するようになります。
十番目、自分の目標と、与えられた賜物を開発しなくなります。
これらが私たちの崩れ始めたエントロピーの現象の10項目です。結局、私たちが倒れるときは直接的原因より、心と態度の問題が原因となります。
今日の本文のアブシャロムは本当に有能な人であり、ハンサムで背も高かったのです。しかしすべてのことを自分の力で処理しようとしました。だから失敗する人生となったということです。
だからこそ自分の力ではなく、全能なる神様の力によってすべての難関を通過できるように、毎日祈り、主により頼んで、自分の人生の小さな部分から回復を体験する尊い神の人になってください。
今日の本文で、ダビデの苦難の問題が何でしょうか。自分の息子、アブシャロムから追われる苦難でした。王様であった人が下に落ちたときの衝撃、ショックはどれほど大きいか、ご存知でしょうか。それは名分もない本当に情けない状況です。今日の本文でダビデが受けた苦難は想像を絶する最悪の苦難でした。だからその苦難に対する心と態度が以前とまったく違っていました。しかしそれにもかかわらず、ダビデはその時もただ神様だけに頼り、神様の力を求めました。私たちも同じです。自分の罪によって受ける苦難であっても、それを解釈せず、神様の力だけを求めなければなりません。神様だけに頼る人生、それが私たちクリスチャンの人生です。
それでは、むしろ苦難が私たちに与える祝福の意味を分かち合いと思います。
1.苦難の形でやって来る祝福があります。
苦難は偽装された祝福-ハンナもペニンナのいじめによって祈るようになり、神様に出会ってサムエルを得ました。苦しみですが、喜びの苦しみがあります。それは、神の子供たちが神の働きをするときです。もちろん神の働きをするときも難しいし、大変です。苦しみがあります。しかしそこには聖霊から与えられる喜び、たましいの満足があります。これが神の人の特徴です。神の働きをするとき、苦しみはありますが、満足があります。だから苦難が無条件に悪いことではありません。使徒パウロの告白を見てもよく分かります。コリント人への手紙第二1:8-10、「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」
皆さん、苦難は徹底に神様だけ頼るように、私たちを導く力があります。私たちに与えられる祝福の中では苦難を通してやって来る祝福がいっぱいあることを忘れてはなりません。だから人生の中でこういう祝福をちゃんと受け取る真のクリスチャンになってください。
2.苦難を通して、神様から愛を受け取る条件(環境)が整えられます。
もちろん神様は私たちの有りのままの姿を愛しておられます。しかし一旦私たちを愛した後には変化を求めておられます。なぜかというと、本当に私たちを愛しておられるからです。童話でも同じパターンです。童話に出る女性の主人公たちは最初に出るときは、ほとんどぼろをまとったみすぼらしい姿です。しかし王子様が現れたら、どうなります。もちろん有りのままで愛しますが、王宮につれて行って一番最初にシャワーを浴びせ、新しい服を着せます。これが本当の愛です。ぼろをまとったシンデレラーの姿から、本来のきれいな姿で神様の愛を受ける者として変化させること、だからこそ苦しみがあります。しかしその苦しみは期待溢れる愉快な苦しみです。
もう私たちは神様の王子、王女になりました。だからこそ、変化が求められています。神様が願っておられる姿に変わらなければなりません。それは簡単なことではありません。しかし神様から愛される人は必ずそのふさわしい姿に変わらなければなりません。その時、苦難を通過するのですが、その苦難を通して神様の子供、王子、王女らしい品格を整えられるわけです。そしてそれは表面(外側)ではなく、人格と存在の変化を意味します。
また苦難は堕落を防ぎます。ダビデはアブシャロムに追われながら、苦難の意味が分かりました。それは他人の苦難を理解する心の広い王様として生まれ変わるきっかけとなったのです。だから苦難は人々を、もっと高いレベルの人格者に変える力があります。
3.苦難のとき、神様は慰める人を送ってくださいます。
今日の本文を読みますと危機の時(苦難の時)、すべての人がダビデから離れました。裏切りの中で一番大きな裏切りは自分が信じた人が離れることです。本文の12節に出るアヒトフェルはダビデの一番信頼していた右手の忠臣でした。しかしアブシャロムの陣営に渡って行きました。ところが、そのとき思いもよらなかったイタイという人がダビデ王の側に立つわけです。そのときのダビデの人生は何を意味するのでしょうか。彼と共にいることはビジョンもないし、期待することも何もなく、未来が保証されてない最悪の状況でした。しかしみんな離れてもイタイはダビデの方に来ました。神様からの慰めです。こういう風に神様は気落ちしている中でも力を与えてくださいます。だから苦難が私たちに与える大切な意味は私たちの真の味方が誰なのか、そして敵が誰なのか、それを明確に見極める力が与えられます。だからこそ苦難は絶対に必要です。むしろ苦難を感謝しなければなりません。私たちの人生の中で、不純物を取り除く力あるものが、まさに苦難だからです。
4.ダビデは苦難によって謙遜になりました。
信頼していたアヒトフェルの裏切りと、思いもよらなかったイタイの忠誠を通して、ダビデは自分の判断力の足りなさと、自分の限界が分かりました。だから謙遜になったわけです。私たちも神の御前で、すべての苦難を通して、自分の足りなさを補い、病んでいるところを回復させる神の真実なしもべにならなければなりません。
詩篇42:11に、「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を」
皆さん、神様が私たちに強調されることは何でしょうか。「悟って、努力しなさい」とは言われません。ただすべての御民に「主を見上げなさい」と。「神に望みを置きなさい」と言われます。ただ一言だけです。「神を待ち望め。」
だから私たちがスラムプ(苦難の問題)を解決することは対策をもって来るのではなく、ただ主を待ち望むことです。今週も生きておられる主を待ち望み、苦難に打ち勝つ、勝利の一週間となりますようにお祈り申し上げます。
世の中には二つの人生の生き方があります。自分の力を信じて生きる人と神様を信じて生きる人、この二つの種類の人生のパタンがあります。
しかし私たちが覚えなければならないことは、確かに力の源は自分(人間)ではなく、神様であること。だからその力の源をちゃんと知ることです。そうでなければ、むしろ悪魔の道具となる可能性が高いです。私たちは悪魔の道具ではなく、神様の道具(器)として用いられなければなりません。だから力の源が神様であることを、ちゃんと分かれば、自分のために生きる自己中心的な人も神の力によって人生の目標も変わるはずです。だからこそ、どんな力に頼るかはとても大切な問題となります。
今日の本文に出るアブシャロムは復讐を自分の人生の目標としたのです。そういう人を通してサタンが働きます。アブシャロムは4年間も裏切りの目標をもって生きてきたわけです。だから心の管理がとても大切です。不平不満は罪を引き起こし、殺人を生み出します。この不平不満の心、憎しみの心はサタンから与えられる心です。しかし同じ状況で別の決定を下し、最後の最後まで神様に頼った人生があります。サムエル記第一1章に出るハンナ(サムエルのお母さん)がその代表的な人です。ハンナはエルカナという人の妻だったのですが、彼のめかけであるペニンナにものすごくいじめられ、苦しめられました。しかし彼女は信仰をもって祈り、神様によって問題の解決を受けた恵みの人でした。(サムエル記第一1:1-18)
こういう風に、人間はハンナのように愛をもって働くこともできるし、アブシャロムのように不平不満をもって働くこともできます。しかし悪魔はいつも人々をそそのかし、不平不満を誘導して家庭や教会をつぶすわけです。だから神様はいつも、どんな状況の中でも「愛をもって働きなさい」と言われます。そのため、私たちはハンナのように絶えず祈らなければなりません。「神様、不平不満と憎しみによって働かないように、ただ愛によって、神様の力によって働くように、助けてください。」と常に祈りたいと思います。
私たちは愛によって働かなければ、何もない存在となります。詩篇42:3に、「私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中『おまえの神はどこにいるのか』と私に言う間。」ダビデの告白です。周りからいじめられ、無視されながら、涙が昼も夜も自分の食べ物だったと言っています。それを憎しみと復讐へ変えることもできましたが、ダビデはどうしましたか。詩篇42:5に、「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」と告白します。
ゲリーコリンスの「エントロピーの兆候を点検しなさい」というを本があるのですが、そこでエントロピーの現象について説明するのです。エントロピーの現象とは、この地上のすべてのものは秩序から無秩序へ、悪い方向へ流れる傾向があるということです。つまり新しく物を買ったら、それを使えば使うほど古くなっていくように、私たちの信仰も時間が経ってば経つほどエントロピーの現象が起き、乱れて堕落していきます。
最初は情熱があり、燃えますが、後では全部燃えつき、炭の状態になって、力を失ってしまいます。これが普通の人間の姿です。
そうしたら、このエントロピーの現象を打ち破る方法は何でしょうか。いつも主を待ち望むことです。どんなことがあっても主を見上げ、主だけを待ち望み、主の助けを期待すること、これがクリスチャンにとって一番大切なことです。
皆さん、私たちが倒れるときはささいなことで倒れる場合がたくさんあります。つまり直接的な原因より、周りの間接的な影響で崩れるときがけっこうあります。だから私たちのエントロピーの現象が何か、ちゃんと確認して、事前に防ぎたいと思います。
そのエントロピーの現象、10項目を取り上げますと、
一番目、読書の時間がなくなります。あまり考えず、知識を満たそうとしません。
二番目、仕事の興味をなくし、やる気がなくなります。
三番目、あまり運動もしないし、旅行も楽しくありません。
四番目、日記を書くこともないし、祈りの課題もなくなります。
五番目、成長と学びに対する情熱がなくなります。
六番目、礼拝が中断になります。
七番目、祈りができなくなります。
八番目、聖書を読むのが、一番最後の優先順位となります。
九番目、神様が願われる働き、つまりみこころを行うことより、自分を批判する人と論争するようになります。
十番目、自分の目標と、与えられた賜物を開発しなくなります。
これらが私たちの崩れ始めたエントロピーの現象の10項目です。結局、私たちが倒れるときは直接的原因より、心と態度の問題が原因となります。
今日の本文のアブシャロムは本当に有能な人であり、ハンサムで背も高かったのです。しかしすべてのことを自分の力で処理しようとしました。だから失敗する人生となったということです。
だからこそ自分の力ではなく、全能なる神様の力によってすべての難関を通過できるように、毎日祈り、主により頼んで、自分の人生の小さな部分から回復を体験する尊い神の人になってください。
今日の本文で、ダビデの苦難の問題が何でしょうか。自分の息子、アブシャロムから追われる苦難でした。王様であった人が下に落ちたときの衝撃、ショックはどれほど大きいか、ご存知でしょうか。それは名分もない本当に情けない状況です。今日の本文でダビデが受けた苦難は想像を絶する最悪の苦難でした。だからその苦難に対する心と態度が以前とまったく違っていました。しかしそれにもかかわらず、ダビデはその時もただ神様だけに頼り、神様の力を求めました。私たちも同じです。自分の罪によって受ける苦難であっても、それを解釈せず、神様の力だけを求めなければなりません。神様だけに頼る人生、それが私たちクリスチャンの人生です。
それでは、むしろ苦難が私たちに与える祝福の意味を分かち合いと思います。
1.苦難の形でやって来る祝福があります。
苦難は偽装された祝福-ハンナもペニンナのいじめによって祈るようになり、神様に出会ってサムエルを得ました。苦しみですが、喜びの苦しみがあります。それは、神の子供たちが神の働きをするときです。もちろん神の働きをするときも難しいし、大変です。苦しみがあります。しかしそこには聖霊から与えられる喜び、たましいの満足があります。これが神の人の特徴です。神の働きをするとき、苦しみはありますが、満足があります。だから苦難が無条件に悪いことではありません。使徒パウロの告白を見てもよく分かります。コリント人への手紙第二1:8-10、「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」
皆さん、苦難は徹底に神様だけ頼るように、私たちを導く力があります。私たちに与えられる祝福の中では苦難を通してやって来る祝福がいっぱいあることを忘れてはなりません。だから人生の中でこういう祝福をちゃんと受け取る真のクリスチャンになってください。
2.苦難を通して、神様から愛を受け取る条件(環境)が整えられます。
もちろん神様は私たちの有りのままの姿を愛しておられます。しかし一旦私たちを愛した後には変化を求めておられます。なぜかというと、本当に私たちを愛しておられるからです。童話でも同じパターンです。童話に出る女性の主人公たちは最初に出るときは、ほとんどぼろをまとったみすぼらしい姿です。しかし王子様が現れたら、どうなります。もちろん有りのままで愛しますが、王宮につれて行って一番最初にシャワーを浴びせ、新しい服を着せます。これが本当の愛です。ぼろをまとったシンデレラーの姿から、本来のきれいな姿で神様の愛を受ける者として変化させること、だからこそ苦しみがあります。しかしその苦しみは期待溢れる愉快な苦しみです。
もう私たちは神様の王子、王女になりました。だからこそ、変化が求められています。神様が願っておられる姿に変わらなければなりません。それは簡単なことではありません。しかし神様から愛される人は必ずそのふさわしい姿に変わらなければなりません。その時、苦難を通過するのですが、その苦難を通して神様の子供、王子、王女らしい品格を整えられるわけです。そしてそれは表面(外側)ではなく、人格と存在の変化を意味します。
また苦難は堕落を防ぎます。ダビデはアブシャロムに追われながら、苦難の意味が分かりました。それは他人の苦難を理解する心の広い王様として生まれ変わるきっかけとなったのです。だから苦難は人々を、もっと高いレベルの人格者に変える力があります。
3.苦難のとき、神様は慰める人を送ってくださいます。
今日の本文を読みますと危機の時(苦難の時)、すべての人がダビデから離れました。裏切りの中で一番大きな裏切りは自分が信じた人が離れることです。本文の12節に出るアヒトフェルはダビデの一番信頼していた右手の忠臣でした。しかしアブシャロムの陣営に渡って行きました。ところが、そのとき思いもよらなかったイタイという人がダビデ王の側に立つわけです。そのときのダビデの人生は何を意味するのでしょうか。彼と共にいることはビジョンもないし、期待することも何もなく、未来が保証されてない最悪の状況でした。しかしみんな離れてもイタイはダビデの方に来ました。神様からの慰めです。こういう風に神様は気落ちしている中でも力を与えてくださいます。だから苦難が私たちに与える大切な意味は私たちの真の味方が誰なのか、そして敵が誰なのか、それを明確に見極める力が与えられます。だからこそ苦難は絶対に必要です。むしろ苦難を感謝しなければなりません。私たちの人生の中で、不純物を取り除く力あるものが、まさに苦難だからです。
4.ダビデは苦難によって謙遜になりました。
信頼していたアヒトフェルの裏切りと、思いもよらなかったイタイの忠誠を通して、ダビデは自分の判断力の足りなさと、自分の限界が分かりました。だから謙遜になったわけです。私たちも神の御前で、すべての苦難を通して、自分の足りなさを補い、病んでいるところを回復させる神の真実なしもべにならなければなりません。
詩篇42:11に、「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を」
皆さん、神様が私たちに強調されることは何でしょうか。「悟って、努力しなさい」とは言われません。ただすべての御民に「主を見上げなさい」と。「神に望みを置きなさい」と言われます。ただ一言だけです。「神を待ち望め。」
だから私たちがスラムプ(苦難の問題)を解決することは対策をもって来るのではなく、ただ主を待ち望むことです。今週も生きておられる主を待ち望み、苦難に打ち勝つ、勝利の一週間となりますようにお祈り申し上げます。
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