メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
列王記第一18:44-45(日本宣教)
投稿者
tbic
投稿日
2024-07-29 14:13
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145
列王記第一18:44-45、七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。
1.日本の宣教の最初の時は韓国より、もっとリバイバルをし、もっと拡散した。
日本は韓国より、先にキリスト教に接した国だ。1549年頃、イエス会のフランシスコ・ザビエル神父が日本に福音を伝えたのが、最初の福音伝道として知られている。当時韓国は女優カン・スヨンさんが主演として活躍した「女性天下」というドラマの文政王侯の時、つまり明宗王が母系の親戚によって改革が阻止された時だった。
日本で、イエス様を信じるキリスト教信者とキリスト教を「キリシタン」と言った。
初期の日本のキリスト教は織田信長が日本を統一した時で、その時キリスト教大名たちは日本の仏教勢力に抵抗した。その時、仏教勢力は織田政権に反対した。こういう状況にあってキリスト教は拡散した。
日本のクリスチャンの数は17世紀の初め頃は75万人まで達したが、江戸幕府の弾圧によって外国人宣教師たちが追放され、キリスト教は禁止された。明治時代に日本政府がアメリカとヨーロッパの各国と交流を始めながら、再び宣教師たちが入って来た。現在カトリック教会の信者は約95万人、プロテスタント教会の信者は約43万人である。
2.唯一の神、唯一の子キリストを信じるキリスト教、しかし日本は多元的、宗教的傾向が強い。
多重宗教性、例えば、日本の統一協会はむしろ韓国の統一協会より、もっと多くの信徒を保有している。日本の統一協会の信徒数が韓国より2倍多く、韓国を除いた外国の信徒は韓国に比べて10倍以上多い。さらに、韓国で活動する統一協会の信徒の半分以上が日本の女性であり、京畿道加平郡雪岳面一帯の家庭連合の聖地には韓国人より日本人がもっと多いのを見ても、これが分かる。
神道は日本の地域のアニミズム(精霊崇拝)の信仰を土台にした土着信仰である。日本人の一番基本となる宗教だとも言える。例えば、自然の物とか自然現象などを神として仕え、徐々にこれが人へと拡散し、実在の人物を神として拝むこともある。8万5千箇所以上の神社がある。
3.僭越で荒廃した町になった根深い二重性の国、高慢と恐れ。
福音が日本に入ってから、神の恵みによってたくさんのクリスチャンが与えられたが、キリスト教は西洋の宗教であり、植民地化のための政策という間違った誤解によってものすごい迫害と弾圧を受けた。キリスト教抹殺政策と言えるほどのレベルで進んだ国家主導の弾圧はキリスト教を大きく萎縮させた。
日本のキリスト教が花を咲かせた盛んな時、日本のキリスト教のリーダーたちが次世代を養成し、信仰を継承する努力が足りなかったのではないかと指摘することもできるが、その迫害を受ける側では信仰を守ることが本当に難しかったと思う。とにかく萎縮された福音は再び立ち上がることが難しくなった。日本の歴史は帝国主義とアジア覇権のための戦争へと発展したからである。
しかし神様は確かに日本を愛される。だから神の人々を通して福音を知らせた。しかし日本は聖霊を体験し、もっと祈って、もっとたくさんの御言葉で武装する必要があった。なぜかというと、日本という大きな家から出た悪霊が水のないこと(きれいに掃除された所)を見て、もっと悪い七つの悪霊を連れて日本に入り、キリスト教に対するもっと大きな無関心と根深い不信で武装させたからである。
マタイの福音書12:38から
律法学者とパリサイ人たちはイエス様が本当のメシアかどうかを試すために、しるしを求めた。彼らの要求は徹底的に現実的である。イエス様がローマを追い払い、ダビデの時のように統一王国を建設して、政治的、宗教的リーダーとして立派に立つことを願う心をもって試すことである。彼らの姿は、もしかしたら自分の周りの物事と自然を神として作り上げて仕え、自分の状況がうまく進むことを願う日本人とも似ている。一方進んで、これは私たちみんなの姿である。
しかしイエス様はヨナのしるしで答えられた。ヨナが大魚の腹の中から三日目に陸地に出たように、十字架にかけられて死んだイエス様は墓という死の腹の中から三日目に復活したことを言われた。律法学者とパリサイ人たちがローマの植民地であるユダヤを救い出すメシアを切望していることを知っていても、イエス様は神のみこころ、神の計画、そしてご自分がこの地に来られた理由を続けて証されたのである。
私たちが訪ねて来たこの地、日本も律法学者とパリサイ人のように自分たちを救い出すメシアを探し求めているかもしれない。雨と風、そして色々な物事を神として仕えるほど愚かであるが、反面純粋に見えるほど彼らの霊的状態は彼らが作り上げた経済成長と発展に比べて顕著に落ちている。だから韓国の統一協会が日本で成功を収めたかもしれない。平和の家庭、そして連合というのを前に立てて、聖書を勝手に解釈したこの宗教が日本で成功した理由は日本人が恐れと圧迫、不安を克服するのに、現実の中で存在する家庭を再解釈したことにあったということを見せる。
しかし救いはキリストの福音であり、これは必ず罪の赦しをもたらして、同時に聖霊様の内住を体験する。イエス様はヨハネの福音書7:37-38で、このように言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
人の渇きは悪霊が探し求める休める所、つまり水のない所と似ている。悪霊が出たその家は修理してきれいに掃除されたが、乾いて寂しい。救いに対する飢え渇きを解決するために渇いている人はイエス様に訪ねて行って聖霊の水を飲まなければならない。悪霊がもっと悪い七つの霊を連れて来る前に、聖霊によって修理された家の中には温かさと、しっとりした柔らかさがある。この生ける川、聖霊によって私たちは毎瞬間の人生を渇くことなく、潤いで私たちの家を満たすことができる。
私は日本と日本人がこの聖霊の雨がないので、もっと悪い霊たちで満たされたかもしれないという思いがする。景気低迷と階級間の差別、もっと下にもっと深く、現実の凄まじさを隠そうとする日本人が他人に被害を与えないようにする独特な情緒で合理化しているのではないか、分からない。それで彼らは自分たちの地ではなく、他人の地に対する渇望で回避しようとしたのではないかと思う。私は日本学とか、日本関連の分野を専攻したことはないが、日本が暗くて硬直していることは知っている。
4.しかし神様の慈悲と哀れみはニネベを見つめられたその視線で日本を見つめられる。エリヤが言ったように七回目でも再び行く忍耐が必要、忍耐を土台にした祈りと求め、そして正しい御言葉の宣言。
一回伝えられた福音が長い間蒔かれて、実を結ぶことを諦めたかもしれないが、神様は日本に対する愛をやめられなかったと確信する。なぜかというと、神様はヨナにニネベへ行って叫びなさいという使命を与え、エリヤになお偶像の前に膝をかがめなかった七千人がいることを教えて下さったことを見ても分かる。また私と私たちのような人に会ってくださり、イエス様を信じさせて、このように日本の地を踏ませてくださったことを見たら、もっとそうである。
だから私たちは日本を忍耐しなければならない。日本を祝福するべきである。そして日本の宣教師たちのために祈るべきである。もっと進んで、日本のクリスチャンのために祈らなければならない。正しい御言葉が宣言され、再び聖霊の雨がこの荒廃して不毛の荒野に降り注がれるように。神様は七回目でも雨を降らせてくださいと祈ったエリヤの祈りを聞いて下さった。このように、もしかしたら私たちが知らない小さな雨雲が用意されているかもしれない。私たちの祈りを通して、私たちのこの小さな仕えを通して。
その時、神様の臨在の雲と風が起き上がり、聖霊の大雨が降り注がれる。今日の本文の45節、
「しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。」
大雨を降らせる神様はエリヤを聖霊に満たせて、アハブの目に生きておられる主と主の働きを鮮明に見せて下さった。続けて、46節、
「主の手がエリヤの上に下ったので、彼は裾をたくし上げて、イズレエルの入り口までアハブの前を走って行った。」
ジョン・ウンジュチームリーダーの初期の日本宣教での働きは私に大きな力を与えた。単純に日本に来たことが空しいことではないことを飛び越えて、望みが深く私の心にうごめいていた。サミル教会の絶えず続く日本宣教は人の手のひらほどの小さな雲である。しかしこの雲は聖霊という大雨を含んで、神の時を待っている。悪い世代がいかに悪い霊を連れて来ても。忍耐をもって彼らに対する望みを諦めてはならない。そして慈悲と哀れみの心で彼らの心に共感しよう。もっと進んで、最後まで信仰を守っている日本のクリスチャンたちと教会のために祈ろう。私たちは日本の教会に、神様が今もなおこの地に対する熱い愛をもっておられることを知らせるべきである。
1.日本の宣教の最初の時は韓国より、もっとリバイバルをし、もっと拡散した。
日本は韓国より、先にキリスト教に接した国だ。1549年頃、イエス会のフランシスコ・ザビエル神父が日本に福音を伝えたのが、最初の福音伝道として知られている。当時韓国は女優カン・スヨンさんが主演として活躍した「女性天下」というドラマの文政王侯の時、つまり明宗王が母系の親戚によって改革が阻止された時だった。
日本で、イエス様を信じるキリスト教信者とキリスト教を「キリシタン」と言った。
初期の日本のキリスト教は織田信長が日本を統一した時で、その時キリスト教大名たちは日本の仏教勢力に抵抗した。その時、仏教勢力は織田政権に反対した。こういう状況にあってキリスト教は拡散した。
日本のクリスチャンの数は17世紀の初め頃は75万人まで達したが、江戸幕府の弾圧によって外国人宣教師たちが追放され、キリスト教は禁止された。明治時代に日本政府がアメリカとヨーロッパの各国と交流を始めながら、再び宣教師たちが入って来た。現在カトリック教会の信者は約95万人、プロテスタント教会の信者は約43万人である。
2.唯一の神、唯一の子キリストを信じるキリスト教、しかし日本は多元的、宗教的傾向が強い。
多重宗教性、例えば、日本の統一協会はむしろ韓国の統一協会より、もっと多くの信徒を保有している。日本の統一協会の信徒数が韓国より2倍多く、韓国を除いた外国の信徒は韓国に比べて10倍以上多い。さらに、韓国で活動する統一協会の信徒の半分以上が日本の女性であり、京畿道加平郡雪岳面一帯の家庭連合の聖地には韓国人より日本人がもっと多いのを見ても、これが分かる。
神道は日本の地域のアニミズム(精霊崇拝)の信仰を土台にした土着信仰である。日本人の一番基本となる宗教だとも言える。例えば、自然の物とか自然現象などを神として仕え、徐々にこれが人へと拡散し、実在の人物を神として拝むこともある。8万5千箇所以上の神社がある。
3.僭越で荒廃した町になった根深い二重性の国、高慢と恐れ。
福音が日本に入ってから、神の恵みによってたくさんのクリスチャンが与えられたが、キリスト教は西洋の宗教であり、植民地化のための政策という間違った誤解によってものすごい迫害と弾圧を受けた。キリスト教抹殺政策と言えるほどのレベルで進んだ国家主導の弾圧はキリスト教を大きく萎縮させた。
日本のキリスト教が花を咲かせた盛んな時、日本のキリスト教のリーダーたちが次世代を養成し、信仰を継承する努力が足りなかったのではないかと指摘することもできるが、その迫害を受ける側では信仰を守ることが本当に難しかったと思う。とにかく萎縮された福音は再び立ち上がることが難しくなった。日本の歴史は帝国主義とアジア覇権のための戦争へと発展したからである。
しかし神様は確かに日本を愛される。だから神の人々を通して福音を知らせた。しかし日本は聖霊を体験し、もっと祈って、もっとたくさんの御言葉で武装する必要があった。なぜかというと、日本という大きな家から出た悪霊が水のないこと(きれいに掃除された所)を見て、もっと悪い七つの悪霊を連れて日本に入り、キリスト教に対するもっと大きな無関心と根深い不信で武装させたからである。
マタイの福音書12:38から
律法学者とパリサイ人たちはイエス様が本当のメシアかどうかを試すために、しるしを求めた。彼らの要求は徹底的に現実的である。イエス様がローマを追い払い、ダビデの時のように統一王国を建設して、政治的、宗教的リーダーとして立派に立つことを願う心をもって試すことである。彼らの姿は、もしかしたら自分の周りの物事と自然を神として作り上げて仕え、自分の状況がうまく進むことを願う日本人とも似ている。一方進んで、これは私たちみんなの姿である。
しかしイエス様はヨナのしるしで答えられた。ヨナが大魚の腹の中から三日目に陸地に出たように、十字架にかけられて死んだイエス様は墓という死の腹の中から三日目に復活したことを言われた。律法学者とパリサイ人たちがローマの植民地であるユダヤを救い出すメシアを切望していることを知っていても、イエス様は神のみこころ、神の計画、そしてご自分がこの地に来られた理由を続けて証されたのである。
私たちが訪ねて来たこの地、日本も律法学者とパリサイ人のように自分たちを救い出すメシアを探し求めているかもしれない。雨と風、そして色々な物事を神として仕えるほど愚かであるが、反面純粋に見えるほど彼らの霊的状態は彼らが作り上げた経済成長と発展に比べて顕著に落ちている。だから韓国の統一協会が日本で成功を収めたかもしれない。平和の家庭、そして連合というのを前に立てて、聖書を勝手に解釈したこの宗教が日本で成功した理由は日本人が恐れと圧迫、不安を克服するのに、現実の中で存在する家庭を再解釈したことにあったということを見せる。
しかし救いはキリストの福音であり、これは必ず罪の赦しをもたらして、同時に聖霊様の内住を体験する。イエス様はヨハネの福音書7:37-38で、このように言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
人の渇きは悪霊が探し求める休める所、つまり水のない所と似ている。悪霊が出たその家は修理してきれいに掃除されたが、乾いて寂しい。救いに対する飢え渇きを解決するために渇いている人はイエス様に訪ねて行って聖霊の水を飲まなければならない。悪霊がもっと悪い七つの霊を連れて来る前に、聖霊によって修理された家の中には温かさと、しっとりした柔らかさがある。この生ける川、聖霊によって私たちは毎瞬間の人生を渇くことなく、潤いで私たちの家を満たすことができる。
私は日本と日本人がこの聖霊の雨がないので、もっと悪い霊たちで満たされたかもしれないという思いがする。景気低迷と階級間の差別、もっと下にもっと深く、現実の凄まじさを隠そうとする日本人が他人に被害を与えないようにする独特な情緒で合理化しているのではないか、分からない。それで彼らは自分たちの地ではなく、他人の地に対する渇望で回避しようとしたのではないかと思う。私は日本学とか、日本関連の分野を専攻したことはないが、日本が暗くて硬直していることは知っている。
4.しかし神様の慈悲と哀れみはニネベを見つめられたその視線で日本を見つめられる。エリヤが言ったように七回目でも再び行く忍耐が必要、忍耐を土台にした祈りと求め、そして正しい御言葉の宣言。
一回伝えられた福音が長い間蒔かれて、実を結ぶことを諦めたかもしれないが、神様は日本に対する愛をやめられなかったと確信する。なぜかというと、神様はヨナにニネベへ行って叫びなさいという使命を与え、エリヤになお偶像の前に膝をかがめなかった七千人がいることを教えて下さったことを見ても分かる。また私と私たちのような人に会ってくださり、イエス様を信じさせて、このように日本の地を踏ませてくださったことを見たら、もっとそうである。
だから私たちは日本を忍耐しなければならない。日本を祝福するべきである。そして日本の宣教師たちのために祈るべきである。もっと進んで、日本のクリスチャンのために祈らなければならない。正しい御言葉が宣言され、再び聖霊の雨がこの荒廃して不毛の荒野に降り注がれるように。神様は七回目でも雨を降らせてくださいと祈ったエリヤの祈りを聞いて下さった。このように、もしかしたら私たちが知らない小さな雨雲が用意されているかもしれない。私たちの祈りを通して、私たちのこの小さな仕えを通して。
その時、神様の臨在の雲と風が起き上がり、聖霊の大雨が降り注がれる。今日の本文の45節、
「しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。」
大雨を降らせる神様はエリヤを聖霊に満たせて、アハブの目に生きておられる主と主の働きを鮮明に見せて下さった。続けて、46節、
「主の手がエリヤの上に下ったので、彼は裾をたくし上げて、イズレエルの入り口までアハブの前を走って行った。」
ジョン・ウンジュチームリーダーの初期の日本宣教での働きは私に大きな力を与えた。単純に日本に来たことが空しいことではないことを飛び越えて、望みが深く私の心にうごめいていた。サミル教会の絶えず続く日本宣教は人の手のひらほどの小さな雲である。しかしこの雲は聖霊という大雨を含んで、神の時を待っている。悪い世代がいかに悪い霊を連れて来ても。忍耐をもって彼らに対する望みを諦めてはならない。そして慈悲と哀れみの心で彼らの心に共感しよう。もっと進んで、最後まで信仰を守っている日本のクリスチャンたちと教会のために祈ろう。私たちは日本の教会に、神様が今もなおこの地に対する熱い愛をもっておられることを知らせるべきである。
合計 171
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New 列王記第一19:13-18(うつ状態からの脱出)
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創世記14:17-24(聖書から学ぶ金銭管理)
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ヨブ記1:6-12(試練と試みに打ち勝つ方法)
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2024.10.20
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詩篇55:22(心配は要らない)
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ヘブル人への手紙11:8(信仰とは)
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2024.10.06
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詩篇27:1-8(主の顔を慕い求めよ)
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士師記10:6-13(偶像礼拝の区別方法)
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申命記32:10-12(荒野の学校)
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2024.09.15
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箴言31:30-31(人生の選択をどう決めるべきか)
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2024.09.08
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主の御名によって 歓迎いたします。
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