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詩篇 119:105

士師記10:6-13(偶像礼拝の区別方法)

投稿者
tbic
投稿日
2024-09-22 22:25
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士師記10:6-13『6.イスラエルの子らは再び、主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。7.主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に売り渡された。8.彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、十八年の間、ヨルダンの川向こう、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げた。9.アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変な苦境に立たされた。10.そのとき、イスラエルの子らは主に叫んだ。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」11.主はイスラエルの子らに言われた。「わたしは、かつてエジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人から、12.また、シドン人、アマレク人、マオン人があなたがたを虐げてあなたがたがわたしに叫んだとき、あなたがたを彼らの手から救ったではないか。13.しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。」』

イスラエルは創世記からヨシュア記まで、ゆっくり休める暇がありませんでした。イスラエル民族の歴史は創世記12章のアブラハムから始まります。彼がカルデヤ人のウルを離れて、カナンに移住して来るのですが、そこで旅人としてイサクとヤコブの時まで、テントを張ったり、片づけたりを繰り返しながら定着できず、ずっとさまよいました。それが創世記の歴史です。

その中でヨセフがきっかけとなって、イスラエルはまた、エジプトへ移るわけです。そこで400年を過ごすのですが、後にそこで大きな虐待を受けます。そしてやっと、モーセの導きによって、大脱出をするわけです。それが出エジプト記の歴史です。本当にイスラエルはゆっくり休める、人生の余裕がありませんでした。

続いて、レビ記、民数記、申命記は出エジプトの後、荒野での40年間に渡るさまよいの歴史です。その時もなお、ゆっくり休める余裕がなかったわけです。荒野という環境は一日でも神様からの恵みがなければ生きられない、本当に酷い状況です。だから緊張を緩めてゆっくり休める、心の余裕が全くありませんでした。

続いて、ヨシュア記は荒野でさまよいの40年を終え、カナンの征服の戦いを描いた歴史です。カナンの31部族を次々と征服して行く過程の中で、寝て起きたら征服の戦いが繰り広げられる状況でした。その中で、やはりゆっくり休める余裕はありませんでした。やっと士師記の時代に入ってゆっくり休めるのですが、全然予想もしなかった伏兵が現れました。

ヨシュアが征服の戦いをほとんど終えて、イスラエルの次の世代はカナンに新しい主人として定着をするわけです。今までのさまよう生活を終え、奴隷ではなく、主人としてカナンの地が12部族にまんべんなく均等に分配されました。

まるでアメリカの新大陸の西部を開拓した開拓者たちのように、彼らは「あの青い草原の上に絵のような家を建てて幸せに生きる」夢を見たはずです。飽き飽きする放浪、うんざりの戦いが終わり、もうゆっくり休みながら楽に生活し、安心して暮らすようになりました。しかし、ちょうどその時、以前にはなかった新しい形の敵が現れました。それがまさに、バアルの偶像です。イスラエルはその以前にはバアルと何の交わりもありませんでした。いろいろな理由があって、バアルとは触れるチャンスもなかったし、もし触れるチャンスがあったとしても、心の余裕が全くなかったと思います。

聖書にバアルの偶像が一番最初に登場する所は荒野の生活の40年がほとんど終わり、カナンに入る直前、イスラエルがモアブ人の女たちと姦淫を行った事件があったのですが、聖書はそれを「バアル・ペオルに従った」と申命記4:3で記しています。「バアル・ペオル」はペオル地方のバアルの神という意味です。「バアル」は、その言語的な意味が「主、Lord」という意味ですが、普通カナンの地域の農業の神、富の神を意味します。その中で士師記では、バアルの偶像礼拝が本格化されるのですが、それはその後、1千年間も続いて、結局イスラエルの滅亡とバベロン捕囚を招くわけです。

つまり今日のメッセージのテーマですが、バアルの神(偶像)に仕え始めたら、敵が侵入し始めました。父の世代であるヨシュアの時までは、イスラエルが周辺の異邦の民族たちに恐ろしい存在として君臨する、不敗の強い民族でした。当時、一番強大の国エジプトまで勝ったわけです。しかしバアルの偶像に仕え始めたら、イスラエルが周辺の異邦の民族、ペリシテ人、ミデヤン人、アンモン人にむしろ攻撃され、彼らの支配下に入るわけです。これが士師記のメッセージです。

今日の本文、士師記10:6-9、「イスラエルの子らは再び、主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に売り渡された。彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、十八年の間、ヨルダンの川向こう、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げた。アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変な苦境に立たされた。

士師記時代にずっとイスラエルは、悲惨な姿で周辺の異邦の民族から苦しめられました。その理由は偶像礼拝、バアルへの礼拝のためでした。それが主な理由です。バアルは、その意味が「 Lord」だと話しました。つまり、イスラエルは口先では主を呼び求めましたが、その心や行いはバアルを主として呼び求め、従ったのです。バアルが約束することは、いつも富と快楽でした。食べるのに良く、目に慕わしく、すべてが好ましかったのです。だから従いました。良くなければ、従うはずがありません。とにかく、ゆっくり休み、楽に過ごせるようになったとたん、バアルに仕えたら、イスラエルが四方八方から餌食になったということです。

今、日本も韓国も、ゆっくり休み、楽に過ごせるようになりました。過去戦後の間もないごろは、食べていけることだけが地上の目標であり、経済的に安定することが大きな課題でした。 日本も韓国も、今が歴史上一番安定して豊かな時代になったのですが、ここで私たちはバアルという伏兵に出会って、どうしようもない状態にあります。

聖書が教える「歴史の教訓」はとても簡単です。バアルを主として仕え、従うのであれば、富と快楽を得るかもしれませんが、その富と快楽と共に神の怒りによって、敵がやって来ます。その敵によって、私たちの家庭はめちゃくちゃに敗北し、敵の奴隷になってしまいます。

皆さん、私たちの共同体(TBIC)がバアルの神に仕えているかどうかは、何を見て分かりますか?東西南北から敵が起こり、その敵によって私たちが虐待され、負けてしまうのであれば、それは私たちがバアルに仕えているということです。しかし反対に東西南北から敵が起こり、私たちに対抗しても、私たちがその敵を制圧し、彼らが私たちに仕えるのであれば、それは私たちが神様にちゃんと仕えている証拠となります。

しかし残念ながら悲観的になってしまうのは、未来がそんなに明るくはないということです。なぜかというと、バアルの神を捨てることは、なかなか難しいからです。過去の大変な時期、食べて生きることさえ、難しかった時は、主だけを見上げ、主に従うことがやりやすかったのですが、今は楽に過ごせるようになったら、続けてバアルの約束が魅力的に見え始めます。

士師記の次の時代、サムエルの時代とか、ダビデの時代には、「バアル」という言葉が聖書にほとんど出ません。つまり主に熱心に仕えれば、バアルの誘惑を追い払えるということです。

士師記には「主に叫んだ」という言葉がたくさん出て来ます。今日の本文、士師記10:10、『(アンモン人の攻撃の時)そのとき、イスラエルの子らは主に叫んだ。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」』士師記3:7-9、「こうして、イスラエル人は、主の目の前にを行い、彼らの神、主を忘れて、バアルやアシェラに仕えた。それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラムナハライムの王クシャンリシュアタイムの手にり渡された。こうして、イスラエル人は八年の間、クシャンリシュアタイムに仕えた。イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた」 それ以外にも、士師記3:15、「(アンモン人とアマレク人が攻めて来た時)イスラエル人が主に叫び求めたとき、エフデを通して救われました。」士師記6:6-7、「..ミデヤン人が攻めて来た時、イスラエル人は主に叫び求めて救われました。」士師記10:12、「..シドン人、アマレク人、ママオン人があなたがたを虐げてあなたがたがわたしに叫んだときあなたがたを彼らの手から救ったではないか」士師記15:18、「..サムソンがのどが渇いて死にそうで主に叫び求めた時、水が出て救われました。」士師記16:28、「..サムソンが最後に主に叫んで、宮を倒してペリシテ人をたくさん殺しました。

皆さん、福音書と新約聖書には「イエス様を信じて、福音と共に苦難を受けなさい。」と出るのに、私たちは旧約聖書のモーセ5書をたくさん読んだのか、「イエス様を信じて、福音と共に祝福を受けなさい。」と。こういう風に理解しています。これは他の宗教と同じです。

本当にイスラエルは繰り返す歴史でした。バアルの偶像を礼拝して、異邦の敵から攻撃されます。それで主に叫び求めたら、主が士師を立てて(士師はイエス様を象徴します)、士師を通して救われます。そして楽な生活をする時、再び偶像礼拝に陥り、また異邦の敵の攻撃を受け、再び叫び求めたら、主が別の士師(イエス様に似たリーダー)を立てて救われます。こういう風にイスラエルの繰り返す歴史を見たら、バアルの偶像礼拝がどれほど強く、やめられない問題なのか、よく分かります。

しかし後には、「叫び求める力もない時」が来ます。士師記16章には団体ではなく、サムソンが一人で叫んだ後、士師記17-21章まで「叫び求めた」という御言葉が出ません。ただ士師記21:25に、「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」と。サムエル記第一3:1には、「主のことばはまれにしかなかった」と出ます。しかし不幸中の幸いですか、サムエルが現れて、民族的危機が解消されます。

まとめると、今日もサタンは決して死んでないし、今も生きて活発に活動しています。だからサタンの攻撃があるのは当然で、それを認めなければなりません。問題はサタンの攻撃がある時、私たちが勝つか、負けるかの差です。

今まで創世記から士師記までの、旧約聖書の歴史をちらっと見ましたが、残りの歴史も同じです。彼らが主だけ仕え、偶像を捨てた時はイスラエルはいつも異邦の敵の攻撃に勝ちました。しかし彼らが主に仕えながら、バアルの神(富と快楽の偶像)を共に仕えた時、彼らは異邦の敵の攻撃に負けて、苦しみと圧制を受けました。

そうしたら今日も私たちが偶像に仕えているかどうかは、その証拠は明確に現れます。サタンの攻撃はいつもあるし、それは避けられません。つまりサタンの攻撃に対して、私たちが勝つか、負けるかによって、偶像に仕えているかどうかの区別ができるということです。言い換えれば、神様が自分の味方になって勝つのであれば、ちゃんと主に仕えていることで、負ければ、偶像に仕えているということになります。

だから皆さん、今まで負けて来た人生でしょうか。これからは負けないように、悔い改めて、偶像を捨て、主を叫び求めながら、主にだけ仕える知恵ある人になってください。この道だけが私たちTBICが生きる唯一の道です。もうこれ以上、負けてはなりません。これからはぜひ、勝利の道、主にだけ仕える道に進み、完全な勝利を勝ち取りたいと思います。
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