メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
ルカの福音書10:1-9 (さあ、リバイバルの町へ出よう)
投稿者
tbic
投稿日
2024-12-08 23:29
閲覧数
77
ルカの福音書10:1-9
その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。どんないえにはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。
ルカの福音書10:17-19
『さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンがいなずまのように天から落ちました。」確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』
今日読んで頂いた本文の中に非常に不思議な言葉が書かれています。17節から『さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」』
七十人が出て行って伝道したら、「悪霊が服従する。悪魔が足の下で踏みつけられ、悪霊は服従する。」というのです。その時イエス様は、18節に「わたしが見ていると、サタンがいなずまのように天から落ちました。」と言われました。イエス様は落ちたサタンを見たわけです。そして落ちたサタンを弟子たちが踏みつけました。それでサタンは弟子たちに服従したのです。
その理由が19節に出ます。「確かに、わたしはあなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」と言われたからです。
皆さん、今の日本では様々なサタンの働きがあり、日本の教会では時々サタンに負けることもあります。問題の背後には、いつもサタンが働いています。しかしもし私たちが一つの真理を知るなら、サタンを踏みにじることができます。サタンは悪魔のことで、親分です。その下に悪霊がいます。親分が悪魔です。それが天から稲妻のように落ちたというのです。
私たちはサタンが落ちることによってリバイバルが起こり、日本のあちこちの村中、町中がクリスチャンになって、この地域も全部クリスチャンになる夢を持つべきです。今恵みによって私たちは救われていますが、私たちだけでなく、私たちが住む地域のすべての人々が全部クリスチャンになる夢は、どのようにするべきでしょうか。それはサタンが稲妻のように落ちて、下敷きにされたら、この地域でもリバイバルが起きて、全部クリスチャンになることができるのです。
信仰の目で見れば、そんなに難しいことではありません。サタンから人々が解放されたら、町中がクリスチャンになるというのです。だからその信仰を持たなくてはなりません。そのための原則を聖書はちゃんと教えています。
今日の本文、ルカの福音書10:1-3をもう一度読みます。『その後、主は別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。』
皆さん、常識的に考えれば、小羊よりも狼の方が強いのです。しかしここでは小羊がどのようにしたら、狼であるサタンの策略を打ち砕くことができるかについて、具体的な真理を教えています。そこでイエス様が言われたのは、4節に、「財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。」と書かれています。これは「イエス様だけに信頼して行きなさい」ということです。金や物に頼らず、神だけに信頼して行きなさいということです。小羊は神様の守りなしには、狼に勝つことができません。神の守りを、あなたがたは必要としているから、「神の守りの中に入りなさい」ということです。
そして、また5節に、『どんないえにはいっても、まず、「この家に平安があるように。」と言いなさい。』と書かれています。
小羊が狼の中に入って、「この家に平安があるように、と言いなさい。」です。中に入って行くことは食べられるかもしれないという恐れがあります。恐れがあると同時に、小羊には狼に対する怒りがあります。しかしイエス様ご自身がこれに勝つ方法について、小羊であるクリスチャンに向かって、狼の中に入ったら、「どんな家に入っても、まずこの家に平安があるようにと言いなさい。」というのです。これが勝利の鍵です。
「平安があるように」ということは、「平和があるように」と同じ意味です。イエス様はどこの家に入っても、「平安があるように」と言われました。「それを祈りなさい」と言われました。その事が、実は霊的な壁を打ち砕く、天にいる悪魔を稲妻のように落とすものだというのです。ということは、反対に「怒りはサタンに対して機会を与えるものだ」ということです。
エペソ人への手紙4:26-27には、こう書いてあります。『怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤っていてはなりません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。』怒っても罪を犯してはいけないのです。怒りは悪魔の通り道だということです。
私も時々、悪口を言われ、色々、噂をされましたが、イエス様が私に教えて下さったことは、「赦しなさい、悪口を言う人たちを祝福しなさい」ということでした。これは一つの真理です。平和を祈ることです。悪魔との戦いに勝つことは「怒ってはいけない、赦さなくてはいけない」ということです。これが鍵です。「怒る」ということは対人的問題(人間関係の問題)です。私たちの間では、どんなに悪口を言われても「赦します」と。むしろ祝福すべきです。そして小羊は社会に対しても「憤り」を持ってはいけません。政治に対しても同じです。「憤り」を持つことはサタンへの足がかりを置くことです。だからクリスチャンが勝利を受ける秘訣は、どこまでも祝福して平安を祈ってあげることです。弟子たちも70人が二人ずつ出て行き、一軒一軒「平安がこの家庭にありますように」と言いました。弟子たちは「平安があなたの家庭にありますように」と祈ったら、平安が臨みました。
しかし「その平安を受け入れなかったら、平安はあなたの上に帰ってきます」と言われたので、弟子たちは一軒一軒、平安のために祈りました。そうしたら、サタンが稲妻のように落ちました。サタンは憤りや、憎しみの中にいます。だからイエス様が言われた「平安を祈りなさい」ということの中には「鍵」があります。同じように、この浦安をはじめ、どの地域も歩きながら、散歩しながらもマンションや家々の前を通ったら、お祈りして下さい。「この家に平安がありますように。この家を神様が祝福してください。」と祈ることです。
聖書にはエペソ人への手紙6:10-11「主にあって、大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」そして14-15、「腰には真理の帯、胸には正義の胸当て、足には平和の福音の備えをはきなさい。」と書かれています。だから今日私たちが歩く足に平和の福音の備えをはくべきです。クリスチャンが歩くときは祝福を与えることができます。
ある国ではクリスチャンたちがその町中に一斉に出て、地域の家庭の平安を祈りました。それによって霊的な壁が破られ、素晴らしいリバイバルが起き、たくさんの人々がクリスチャンになったというのです。簡単な方法です。「平安がありますように。」これだけです。皆さん、今日それを実行すると同時に、今週一週間やってみてください。お隣、二、三軒の家に、マンションごとに朝起きて散歩しながらも「主よ。この家に祝福があるようにお願いします。」と祈ってください。祝福することです。
これを知った私は、一つ考えました。ある時、私をいじめ、私に反対していた人の夢を見たのです。その人は反対者で、その人が末期癌になり、やせ衰えて死ぬ間際になって、「先生、悪かったです。赦してください。」と告白した夢を見たのです。私は起き上がって考えました。きっと彼は病気になって、やせ衰えてから「悪かった、赦してくださいと悔い改めるだろう」と考えました。
皆さん、反対していた人が私のところに来て悔い改めることは、私にとって良いことかも知れません。しかしこの夢がどこから来たのか、私は分かります。きっとサタンからです。「反対した人が病気になって、悔い改めればいい。」という考えは間違っていることです。「イエス様、早くあの人が病気になって死にそうになり、悔い改めますように。」という考えは悪魔的です。どのような敵であっても、病気になったり、悪くなることは、みこころではありません。私たちはそれを願ってはいけません。
それで私は悔い改めて、「主よ。あの人が病気になりませんように。たとえ、反対し、悪口を言ったとしても、病気になることはありませんように。心から祝福します。」と祈りました。夢は、夢ですが、クリスチャンの考えの中で、「誰かが不幸になったら良い」という考えは、聖書的ではありません。クリスチャンの仕事は、どんな人にも「平安があるように祝福します」と祈るべきです。
もし、皆さんの家にひどく反対する人がいても、「主よ。あれだけ反対するのですから、早くあの人をやっつけてください。」と祈ってはいけません。「祝福します。赦します。」と祈るのが小羊(神の子どもたち)の仕事です。呪ってはいけないし、憤ってはいけません。もちろん怒りがあっても、サタンの要塞を築くことがないように、常に赦す準備が必要です。たとい、どのような人でも病気にならないで祝福された生活ができるように祈るべきです。だから私たちは、常に「平安がありますように。祝福がありますように。」と祈るべきです。
皆さん、今日から町を歩く時、「キリスト教は嫌い」と言った人の前に行って、「こんな家、つぶれてしまえ。」と祈るのではなく、「この家が祝福されますように」と祈るべきです。皆さんの近所を散歩しながら、やってみて下さい。近所の家に祝福があるように祈って下さい。その時に、「平和の神はすみやかにあなたの足を持ってサタンを踏み砕きます。」と書かれています。クリスチャンが人々を祝福するとき、天にある憤りや憎しみの中に存在する、サタンの要塞がなくなり、サタンが稲妻のように天から落ち、クリスチャンの下に踏まれてしまうのです。
今日の本文、ルカの福音書10:17でも、弟子たちが「主よ。あなたの御名を使うと、サタンでさえも私たちの言うことを聞きます。」と言いました。
皆さん、平和そのものが勝利を与えます。リバイバルはとにかく私たちが聖くあるべきです。心の中で人々を呪ったりすることなく、祝福しなければ本当の勝利を得ることができません。だからよく考えて、心から悔い改めていきたいと思います。
黙示録12:11、『兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。』
小羊は狼の中に入った時には、命がけで、恐ろしいのです。今日から、あるいは宣教チームが来た時、もし皆さんの中で、伝道やお祈りに出かけて歩いたら、「ちょっと恥ずかしい。町の人が知っていて、私の顔を見たら何と言うか。」と思ってはいけません。小羊は恐れないで狼の中に入って行き、証しなくてはなりません。小羊の血、証の言葉によって打ち勝ったと書かれていますから、「小羊の血で守ってください」と祈り、証するべきです。
今日の本文、ルカの福音書の10:19、 『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』
この御言葉を、今日皆さんに与えられた神からの御言葉として、ちゃんと握りしめてください。敵に勝つ道は「赦すこと」です。「平安を祈ること」です。これが敵のあらゆる力に打ち勝つ権威です。サタンは常に私たちを高ぶらせようとします。しかし「悪魔に打ち勝つ道はへりくだることです。」どのように悪口を言われても、ののしられても、へりくだって「赦します。平和が来ますように。」と思い切って、祝福してください。
皆さん、「あの人だけは顔を見たくない」あの人は「苦手だ」と思う人がいるのでしょうか。しかしその人を覚えて、お祈りしてみてください。「イエス様。あの人を祝福します。平和が来ますように。」とお祈りしたら、きっと彼は変わり、自分の所にも、リバイバルが起きると思います。そしてやがては、この地域にもリバイバルが起きると私は信じます。それは平和の祈り、赦しの祈りですが、そのように祈ったら私たち一人ひとりも、またTBIC教会にも、必ずリバイバルが起きると私は確信しています。
その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。どんないえにはいっても、まず、『この家に平安があるように。』と言いなさい。もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。どの町にはいっても、あなたがたを受け入れてくれたら、出される物を食べなさい。そして、その町の病人を直し、彼らに、『神の国が、あなたがたに近づいた。』と言いなさい。
ルカの福音書10:17-19
『さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンがいなずまのように天から落ちました。」確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』
今日読んで頂いた本文の中に非常に不思議な言葉が書かれています。17節から『さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」』
七十人が出て行って伝道したら、「悪霊が服従する。悪魔が足の下で踏みつけられ、悪霊は服従する。」というのです。その時イエス様は、18節に「わたしが見ていると、サタンがいなずまのように天から落ちました。」と言われました。イエス様は落ちたサタンを見たわけです。そして落ちたサタンを弟子たちが踏みつけました。それでサタンは弟子たちに服従したのです。
その理由が19節に出ます。「確かに、わたしはあなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」と言われたからです。
皆さん、今の日本では様々なサタンの働きがあり、日本の教会では時々サタンに負けることもあります。問題の背後には、いつもサタンが働いています。しかしもし私たちが一つの真理を知るなら、サタンを踏みにじることができます。サタンは悪魔のことで、親分です。その下に悪霊がいます。親分が悪魔です。それが天から稲妻のように落ちたというのです。
私たちはサタンが落ちることによってリバイバルが起こり、日本のあちこちの村中、町中がクリスチャンになって、この地域も全部クリスチャンになる夢を持つべきです。今恵みによって私たちは救われていますが、私たちだけでなく、私たちが住む地域のすべての人々が全部クリスチャンになる夢は、どのようにするべきでしょうか。それはサタンが稲妻のように落ちて、下敷きにされたら、この地域でもリバイバルが起きて、全部クリスチャンになることができるのです。
信仰の目で見れば、そんなに難しいことではありません。サタンから人々が解放されたら、町中がクリスチャンになるというのです。だからその信仰を持たなくてはなりません。そのための原則を聖書はちゃんと教えています。
今日の本文、ルカの福音書10:1-3をもう一度読みます。『その後、主は別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい。いいですか。わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に小羊を送り出すようなものです。』
皆さん、常識的に考えれば、小羊よりも狼の方が強いのです。しかしここでは小羊がどのようにしたら、狼であるサタンの策略を打ち砕くことができるかについて、具体的な真理を教えています。そこでイエス様が言われたのは、4節に、「財布も旅行袋も持たず、くつもはかずに行きなさい。だれにも、道であいさつしてはいけません。」と書かれています。これは「イエス様だけに信頼して行きなさい」ということです。金や物に頼らず、神だけに信頼して行きなさいということです。小羊は神様の守りなしには、狼に勝つことができません。神の守りを、あなたがたは必要としているから、「神の守りの中に入りなさい」ということです。
そして、また5節に、『どんないえにはいっても、まず、「この家に平安があるように。」と言いなさい。』と書かれています。
小羊が狼の中に入って、「この家に平安があるように、と言いなさい。」です。中に入って行くことは食べられるかもしれないという恐れがあります。恐れがあると同時に、小羊には狼に対する怒りがあります。しかしイエス様ご自身がこれに勝つ方法について、小羊であるクリスチャンに向かって、狼の中に入ったら、「どんな家に入っても、まずこの家に平安があるようにと言いなさい。」というのです。これが勝利の鍵です。
「平安があるように」ということは、「平和があるように」と同じ意味です。イエス様はどこの家に入っても、「平安があるように」と言われました。「それを祈りなさい」と言われました。その事が、実は霊的な壁を打ち砕く、天にいる悪魔を稲妻のように落とすものだというのです。ということは、反対に「怒りはサタンに対して機会を与えるものだ」ということです。
エペソ人への手紙4:26-27には、こう書いてあります。『怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤っていてはなりません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。』怒っても罪を犯してはいけないのです。怒りは悪魔の通り道だということです。
私も時々、悪口を言われ、色々、噂をされましたが、イエス様が私に教えて下さったことは、「赦しなさい、悪口を言う人たちを祝福しなさい」ということでした。これは一つの真理です。平和を祈ることです。悪魔との戦いに勝つことは「怒ってはいけない、赦さなくてはいけない」ということです。これが鍵です。「怒る」ということは対人的問題(人間関係の問題)です。私たちの間では、どんなに悪口を言われても「赦します」と。むしろ祝福すべきです。そして小羊は社会に対しても「憤り」を持ってはいけません。政治に対しても同じです。「憤り」を持つことはサタンへの足がかりを置くことです。だからクリスチャンが勝利を受ける秘訣は、どこまでも祝福して平安を祈ってあげることです。弟子たちも70人が二人ずつ出て行き、一軒一軒「平安がこの家庭にありますように」と言いました。弟子たちは「平安があなたの家庭にありますように」と祈ったら、平安が臨みました。
しかし「その平安を受け入れなかったら、平安はあなたの上に帰ってきます」と言われたので、弟子たちは一軒一軒、平安のために祈りました。そうしたら、サタンが稲妻のように落ちました。サタンは憤りや、憎しみの中にいます。だからイエス様が言われた「平安を祈りなさい」ということの中には「鍵」があります。同じように、この浦安をはじめ、どの地域も歩きながら、散歩しながらもマンションや家々の前を通ったら、お祈りして下さい。「この家に平安がありますように。この家を神様が祝福してください。」と祈ることです。
聖書にはエペソ人への手紙6:10-11「主にあって、大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」そして14-15、「腰には真理の帯、胸には正義の胸当て、足には平和の福音の備えをはきなさい。」と書かれています。だから今日私たちが歩く足に平和の福音の備えをはくべきです。クリスチャンが歩くときは祝福を与えることができます。
ある国ではクリスチャンたちがその町中に一斉に出て、地域の家庭の平安を祈りました。それによって霊的な壁が破られ、素晴らしいリバイバルが起き、たくさんの人々がクリスチャンになったというのです。簡単な方法です。「平安がありますように。」これだけです。皆さん、今日それを実行すると同時に、今週一週間やってみてください。お隣、二、三軒の家に、マンションごとに朝起きて散歩しながらも「主よ。この家に祝福があるようにお願いします。」と祈ってください。祝福することです。
これを知った私は、一つ考えました。ある時、私をいじめ、私に反対していた人の夢を見たのです。その人は反対者で、その人が末期癌になり、やせ衰えて死ぬ間際になって、「先生、悪かったです。赦してください。」と告白した夢を見たのです。私は起き上がって考えました。きっと彼は病気になって、やせ衰えてから「悪かった、赦してくださいと悔い改めるだろう」と考えました。
皆さん、反対していた人が私のところに来て悔い改めることは、私にとって良いことかも知れません。しかしこの夢がどこから来たのか、私は分かります。きっとサタンからです。「反対した人が病気になって、悔い改めればいい。」という考えは間違っていることです。「イエス様、早くあの人が病気になって死にそうになり、悔い改めますように。」という考えは悪魔的です。どのような敵であっても、病気になったり、悪くなることは、みこころではありません。私たちはそれを願ってはいけません。
それで私は悔い改めて、「主よ。あの人が病気になりませんように。たとえ、反対し、悪口を言ったとしても、病気になることはありませんように。心から祝福します。」と祈りました。夢は、夢ですが、クリスチャンの考えの中で、「誰かが不幸になったら良い」という考えは、聖書的ではありません。クリスチャンの仕事は、どんな人にも「平安があるように祝福します」と祈るべきです。
もし、皆さんの家にひどく反対する人がいても、「主よ。あれだけ反対するのですから、早くあの人をやっつけてください。」と祈ってはいけません。「祝福します。赦します。」と祈るのが小羊(神の子どもたち)の仕事です。呪ってはいけないし、憤ってはいけません。もちろん怒りがあっても、サタンの要塞を築くことがないように、常に赦す準備が必要です。たとい、どのような人でも病気にならないで祝福された生活ができるように祈るべきです。だから私たちは、常に「平安がありますように。祝福がありますように。」と祈るべきです。
皆さん、今日から町を歩く時、「キリスト教は嫌い」と言った人の前に行って、「こんな家、つぶれてしまえ。」と祈るのではなく、「この家が祝福されますように」と祈るべきです。皆さんの近所を散歩しながら、やってみて下さい。近所の家に祝福があるように祈って下さい。その時に、「平和の神はすみやかにあなたの足を持ってサタンを踏み砕きます。」と書かれています。クリスチャンが人々を祝福するとき、天にある憤りや憎しみの中に存在する、サタンの要塞がなくなり、サタンが稲妻のように天から落ち、クリスチャンの下に踏まれてしまうのです。
今日の本文、ルカの福音書10:17でも、弟子たちが「主よ。あなたの御名を使うと、サタンでさえも私たちの言うことを聞きます。」と言いました。
皆さん、平和そのものが勝利を与えます。リバイバルはとにかく私たちが聖くあるべきです。心の中で人々を呪ったりすることなく、祝福しなければ本当の勝利を得ることができません。だからよく考えて、心から悔い改めていきたいと思います。
黙示録12:11、『兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。』
小羊は狼の中に入った時には、命がけで、恐ろしいのです。今日から、あるいは宣教チームが来た時、もし皆さんの中で、伝道やお祈りに出かけて歩いたら、「ちょっと恥ずかしい。町の人が知っていて、私の顔を見たら何と言うか。」と思ってはいけません。小羊は恐れないで狼の中に入って行き、証しなくてはなりません。小羊の血、証の言葉によって打ち勝ったと書かれていますから、「小羊の血で守ってください」と祈り、証するべきです。
今日の本文、ルカの福音書の10:19、 『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』
この御言葉を、今日皆さんに与えられた神からの御言葉として、ちゃんと握りしめてください。敵に勝つ道は「赦すこと」です。「平安を祈ること」です。これが敵のあらゆる力に打ち勝つ権威です。サタンは常に私たちを高ぶらせようとします。しかし「悪魔に打ち勝つ道はへりくだることです。」どのように悪口を言われても、ののしられても、へりくだって「赦します。平和が来ますように。」と思い切って、祝福してください。
皆さん、「あの人だけは顔を見たくない」あの人は「苦手だ」と思う人がいるのでしょうか。しかしその人を覚えて、お祈りしてみてください。「イエス様。あの人を祝福します。平和が来ますように。」とお祈りしたら、きっと彼は変わり、自分の所にも、リバイバルが起きると思います。そしてやがては、この地域にもリバイバルが起きると私は信じます。それは平和の祈り、赦しの祈りですが、そのように祈ったら私たち一人ひとりも、またTBIC教会にも、必ずリバイバルが起きると私は確信しています。
合計 182
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New サムエル記第二15:1-37、(アブサロムとダビデ)
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ルカの福音書10:1-9 (さあ、リバイバルの町へ出よう)
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