メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
マタイの福音書22:35-40(イエス様の誕生、十字架の愛)
投稿者
tbic
投稿日
2024-12-24 12:35
閲覧数
58
マタイの福音書22:35-40、35.そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。36.「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」37.イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』38.これが、重要な第一の戒めです。39.『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。40.この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」
オーストリアのビエンナーで1500名の乗客を乗せた汽車が東北の方に走っていました。1500名の乗客の中、自分が今どこへ向かうのか知っている人は一人もいなかったのです。ビクター・プランクルが乗った車両には80名が乗っていました。その汽車の車両にはとても混んでいて、持っていた荷物の上で寝なければなりませんでした。汽車は夜も昼も何日間も走り続けました。そしてある日早朝、汽車が速度を緩めながら駅に着いたのです。乗客たちはそこがどこかを知ったとたん、絶望に落ちいてしまいました。むせび泣く人もいたのです。そこはアウシュビッツ捕虜収容所、悪名の高いナチドイツの死の収容所でした。鉄条網と監視塔がプランクルの目に入りました。連なる絞首台に死体がぶら下がっている光景、プランクルは恐怖にとらわれました。1942年、600万人のユダヤ人の命を奪った、恐怖の殺人鬼の世界にプランクルが引っ張られて行く瞬間でした。
汽車の扉が開き、乗客たちはプラットホームに出るように命じられ、また荒っぽい口で男女別に並ぶように命令されました。長い捕虜たちの行列、ナチドイツの隊員の前を通る時、その隊員は捕虜の一人ひとりをちらっと見てから、指先で右左、右左、、躊躇せずに決めるわけです。ますます列は短くなって、ほとんどの人が左側に送られたことが分かりました。いよいよプランクルの順番が来ました。ナチ親衛隊員はかなり長くプランクルを見つめていたのです。そしてプランクルの左肩に手を置き、ゆっくりと彼を右のほうに送りました。右のほうに200名、左のほうに1300名、9割近くの人々が左側に送られました。
その日の夜、高い煙突から噴出される黒い煙と共に左側に立てられた1300名が消え去ったことを、プランクルは知っていました。彼らはもう既にガス室で処刑され、焼かれてしまったのです。こんな悲惨な悲劇の中で、プランクルは生と死を選ばなければなりませんでした。
その時、彼に与えられた一人の死んだ囚人の服から一枚の小さな紙きれが発見されましたが、そこには聖書のみことばが書かれていました。それが今日読んだみことば、マタイの福音書22:37でした。「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
「すさまじい苦難と苦しみの中でも、さらに死の瀬戸際に立っていても神様を愛することができるんであれば、生きる価値がある」と。そこでプランクルは悟りました。だから彼は生きることを決めたのです。そして神様に希望を置きました。彼はほとんど毎日、みぞを掘り、鉄道を作りながら地面の中まで凍り付いた寒さの中で薄い服一枚で耐えなければなりませんでした。とんでもないぼろをまとった命以外には失うことが何もない悲惨なアウシュビッツでプランクルは希望を失いませんでした。彼は割れたガラスの破片を拾って、毎日ひげをそり、きれいに自分の姿を保ち、いつも笑顔でした。当時、誰も理解できなかったのです。
今は学者であり、精神科の医師でもあるビクター・プランクル、彼は1942年から1945年までアウシュビッツの捕虜ナンバー119番という名前で、その死の収容所から生還した数少ない人々の中の一人でした。
神様に出会った人々はどんな環境、どんな状況の中でも、それが最悪の状況の中でも絶対に生きられます。なぜでしょうか。いのちの御霊が彼を覆い、生ける水の川がその人の心の奥底から流れ出るからです。ヨハネの福音書7:38、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
罪人であるすべての人生が同じですが、特にイエス様を信じるクリスチャンは一生涯、たくさんの試練と苦難を通過します。イエス様の生涯がまさに、その試練と苦難の連続でした。小さな村、ベツレヘムの馬小屋で赤ちゃんとしてお生まれになり、片隅の田舎のガリラヤでほとんどの人生を過ごされたイエス様はみすぼらしい人生そのものでした。しかしそこにいのちがあるから、彼の人生(十字架の人生:主を愛し、隣人を愛すること。そして愛と共に正義を行うこと。この愛と正義のバランスがちゃんと取れた人生。まさに十字架がそれを現わしている。)を生きる人々は必ず勝利の人生を生きるはずです。
勝利の人生はいつも十字架を抱いて信仰と従順の生き方をするのですが、十字架はまさにプラス(足す)のしるしでもあります。この十字架を抱いて、すべてを十字架を通して考え、しゃべり出し、行動するのであれば、私たちの人生は加わる人生、黒字の人生となるということです。
そうしたら、この十字架を抱いて信仰の人生を生きるのであれば、具体的にどんなプラスの人生、黒字の人生となるのか、それを分かち合いたいと思います。
1.十字架を抱いて生きるのであれば、清められ、聖霊充満が加わります。
先ほど読んで頂いたヨハネの福音書7:38、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」本当に十字架を抱いて生きれば、清められ、聖霊充満になるから、私たちの心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。だから心の平安と喜び、真の幸せが自分のものとなります。しかし今まで私たちはこの世の中でお金があっても、なくても不安と心配、恐怖の中で生きてきました。いつ病気になるか、事故に会うか、いつも不安で心配でした。結局、心がうつになり、不幸な人生を生きてきたわけです。しかし十字架を抱いて、イエス様と共に歩むのであれば、イエス様は私たちに平安を与えてくださり、さらに喜びと幸せをプラスして下さいます。だから必ず黒字の人生となります。本当に聖霊充満によって与えられる平安と喜びは、十字架を抱いて歩む人生に与えられる神様からのプレゼントです。これをぜひ、受け取ってください。
2.十字架を抱いて生きるのであれば、病気の癒しと健康が加わります。
私たちはいつも心身ともに病んでいるまま、過ごしています。また、いつも病気の恐れや死の脅威に脅かされています。しかし十字架を通して必ず癒されるから、私たちが祈り続ければ癒しの力がそそがれ、結局、病気が私たちの体から絶えられず、離れ去っていきます。必ず癒されます。それをぜひ体験してみてください。ペテロの手紙第一2:24、「、、キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
十字架の血潮は、昨日も今日もいつまでも平安と癒しをもたらします。だからこの十字架を抱いて歩むのであれば、癒しの働きが起こされ、癒しの川の水によって病気が完全に流されます。ぜひ、この恵みを体験してみてください。
3.十字架を抱いて生きるのであれば、生活の繁栄と祝福、御国で永遠の命が加わります。
だから十字架を抱いて生きる人、それに頼る人々は自分の心をいつもプラスのほうに置かなければなりません。へブル人への手紙11:1、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」だからどんなことがあっても、いつも希望を夢見て、希望を見つめなければなりません。私たちが見るには嫌で悪いことであっても、また私たちにとって一番苦しいことさえ、逆転させる神様を信じなければなりません。悪を善に変えられる神様は結局、すべてのことを働かせて益として下さるから、私たちはいつも肯定的で明るい所を見続けることができるのです。
だから私たちがやるべきことは他にありません。テサロニケ第一5:16-18のみことば、それを実行するだけです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
皆さん、どうやっていつも喜ぶことができるのでしょうか。イエス・キリストの十字架が私たちにプラスの人生を与えるから、私たちはいつも喜ぶことができます。倒れてもプラスになり、奪われてもプラスになり、失ってもプラスになる人生、それが私たちクリスチャンの人生です。結局、イエス・キリストの中で神の力によって、いつもプラスの人生を生きるから、私たちは心の中で真の喜びを持ち続け、毎日祈り、感謝することができるわけです。
皆さん、イエス様の誕生日、クリスマスを迎えながら、ぜひこの十字架の愛を心の中に深く刻み込んで、2024年を締めくくり、新しい年(2025年)を迎えたいと思います。
オーストリアのビエンナーで1500名の乗客を乗せた汽車が東北の方に走っていました。1500名の乗客の中、自分が今どこへ向かうのか知っている人は一人もいなかったのです。ビクター・プランクルが乗った車両には80名が乗っていました。その汽車の車両にはとても混んでいて、持っていた荷物の上で寝なければなりませんでした。汽車は夜も昼も何日間も走り続けました。そしてある日早朝、汽車が速度を緩めながら駅に着いたのです。乗客たちはそこがどこかを知ったとたん、絶望に落ちいてしまいました。むせび泣く人もいたのです。そこはアウシュビッツ捕虜収容所、悪名の高いナチドイツの死の収容所でした。鉄条網と監視塔がプランクルの目に入りました。連なる絞首台に死体がぶら下がっている光景、プランクルは恐怖にとらわれました。1942年、600万人のユダヤ人の命を奪った、恐怖の殺人鬼の世界にプランクルが引っ張られて行く瞬間でした。
汽車の扉が開き、乗客たちはプラットホームに出るように命じられ、また荒っぽい口で男女別に並ぶように命令されました。長い捕虜たちの行列、ナチドイツの隊員の前を通る時、その隊員は捕虜の一人ひとりをちらっと見てから、指先で右左、右左、、躊躇せずに決めるわけです。ますます列は短くなって、ほとんどの人が左側に送られたことが分かりました。いよいよプランクルの順番が来ました。ナチ親衛隊員はかなり長くプランクルを見つめていたのです。そしてプランクルの左肩に手を置き、ゆっくりと彼を右のほうに送りました。右のほうに200名、左のほうに1300名、9割近くの人々が左側に送られました。
その日の夜、高い煙突から噴出される黒い煙と共に左側に立てられた1300名が消え去ったことを、プランクルは知っていました。彼らはもう既にガス室で処刑され、焼かれてしまったのです。こんな悲惨な悲劇の中で、プランクルは生と死を選ばなければなりませんでした。
その時、彼に与えられた一人の死んだ囚人の服から一枚の小さな紙きれが発見されましたが、そこには聖書のみことばが書かれていました。それが今日読んだみことば、マタイの福音書22:37でした。「心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
「すさまじい苦難と苦しみの中でも、さらに死の瀬戸際に立っていても神様を愛することができるんであれば、生きる価値がある」と。そこでプランクルは悟りました。だから彼は生きることを決めたのです。そして神様に希望を置きました。彼はほとんど毎日、みぞを掘り、鉄道を作りながら地面の中まで凍り付いた寒さの中で薄い服一枚で耐えなければなりませんでした。とんでもないぼろをまとった命以外には失うことが何もない悲惨なアウシュビッツでプランクルは希望を失いませんでした。彼は割れたガラスの破片を拾って、毎日ひげをそり、きれいに自分の姿を保ち、いつも笑顔でした。当時、誰も理解できなかったのです。
今は学者であり、精神科の医師でもあるビクター・プランクル、彼は1942年から1945年までアウシュビッツの捕虜ナンバー119番という名前で、その死の収容所から生還した数少ない人々の中の一人でした。
神様に出会った人々はどんな環境、どんな状況の中でも、それが最悪の状況の中でも絶対に生きられます。なぜでしょうか。いのちの御霊が彼を覆い、生ける水の川がその人の心の奥底から流れ出るからです。ヨハネの福音書7:38、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
罪人であるすべての人生が同じですが、特にイエス様を信じるクリスチャンは一生涯、たくさんの試練と苦難を通過します。イエス様の生涯がまさに、その試練と苦難の連続でした。小さな村、ベツレヘムの馬小屋で赤ちゃんとしてお生まれになり、片隅の田舎のガリラヤでほとんどの人生を過ごされたイエス様はみすぼらしい人生そのものでした。しかしそこにいのちがあるから、彼の人生(十字架の人生:主を愛し、隣人を愛すること。そして愛と共に正義を行うこと。この愛と正義のバランスがちゃんと取れた人生。まさに十字架がそれを現わしている。)を生きる人々は必ず勝利の人生を生きるはずです。
勝利の人生はいつも十字架を抱いて信仰と従順の生き方をするのですが、十字架はまさにプラス(足す)のしるしでもあります。この十字架を抱いて、すべてを十字架を通して考え、しゃべり出し、行動するのであれば、私たちの人生は加わる人生、黒字の人生となるということです。
そうしたら、この十字架を抱いて信仰の人生を生きるのであれば、具体的にどんなプラスの人生、黒字の人生となるのか、それを分かち合いたいと思います。
1.十字架を抱いて生きるのであれば、清められ、聖霊充満が加わります。
先ほど読んで頂いたヨハネの福音書7:38、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」本当に十字架を抱いて生きれば、清められ、聖霊充満になるから、私たちの心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。だから心の平安と喜び、真の幸せが自分のものとなります。しかし今まで私たちはこの世の中でお金があっても、なくても不安と心配、恐怖の中で生きてきました。いつ病気になるか、事故に会うか、いつも不安で心配でした。結局、心がうつになり、不幸な人生を生きてきたわけです。しかし十字架を抱いて、イエス様と共に歩むのであれば、イエス様は私たちに平安を与えてくださり、さらに喜びと幸せをプラスして下さいます。だから必ず黒字の人生となります。本当に聖霊充満によって与えられる平安と喜びは、十字架を抱いて歩む人生に与えられる神様からのプレゼントです。これをぜひ、受け取ってください。
2.十字架を抱いて生きるのであれば、病気の癒しと健康が加わります。
私たちはいつも心身ともに病んでいるまま、過ごしています。また、いつも病気の恐れや死の脅威に脅かされています。しかし十字架を通して必ず癒されるから、私たちが祈り続ければ癒しの力がそそがれ、結局、病気が私たちの体から絶えられず、離れ去っていきます。必ず癒されます。それをぜひ体験してみてください。ペテロの手紙第一2:24、「、、キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
十字架の血潮は、昨日も今日もいつまでも平安と癒しをもたらします。だからこの十字架を抱いて歩むのであれば、癒しの働きが起こされ、癒しの川の水によって病気が完全に流されます。ぜひ、この恵みを体験してみてください。
3.十字架を抱いて生きるのであれば、生活の繁栄と祝福、御国で永遠の命が加わります。
だから十字架を抱いて生きる人、それに頼る人々は自分の心をいつもプラスのほうに置かなければなりません。へブル人への手紙11:1、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」だからどんなことがあっても、いつも希望を夢見て、希望を見つめなければなりません。私たちが見るには嫌で悪いことであっても、また私たちにとって一番苦しいことさえ、逆転させる神様を信じなければなりません。悪を善に変えられる神様は結局、すべてのことを働かせて益として下さるから、私たちはいつも肯定的で明るい所を見続けることができるのです。
だから私たちがやるべきことは他にありません。テサロニケ第一5:16-18のみことば、それを実行するだけです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
皆さん、どうやっていつも喜ぶことができるのでしょうか。イエス・キリストの十字架が私たちにプラスの人生を与えるから、私たちはいつも喜ぶことができます。倒れてもプラスになり、奪われてもプラスになり、失ってもプラスになる人生、それが私たちクリスチャンの人生です。結局、イエス・キリストの中で神の力によって、いつもプラスの人生を生きるから、私たちは心の中で真の喜びを持ち続け、毎日祈り、感謝することができるわけです。
皆さん、イエス様の誕生日、クリスマスを迎えながら、ぜひこの十字架の愛を心の中に深く刻み込んで、2024年を締めくくり、新しい年(2025年)を迎えたいと思います。
合計 182
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
182 |
New サムエル記第二15:1-37、(アブサロムとダビデ)
tbic
|
2025.01.20
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推薦 1
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閲覧数 12
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tbic | 2025.01.20 | 1 | 12 |
181 |
ローマ人への手紙8:18-23(今の時のいろいろの苦しみは)
tbic
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2025.01.12
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推薦 0
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閲覧数 19
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tbic | 2025.01.12 | 0 | 19 |
180 |
ルカの福音書10:38-42(必要なことは一つだけです)
tbic
|
2025.01.06
|
推薦 1
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閲覧数 40
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tbic | 2025.01.06 | 1 | 40 |
179 |
へブル人への手紙4:10(神の安息に入った者)
tbic
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2024.12.29
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推薦 1
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閲覧数 41
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tbic | 2024.12.29 | 1 | 41 |
178 |
マタイの福音書22:35-40(イエス様の誕生、十字架の愛)
tbic
|
2024.12.24
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推薦 1
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閲覧数 58
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tbic | 2024.12.24 | 1 | 58 |
177 |
ルカの福音書6:20-21(貧しい人々のクリスマス)
tbic
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2024.12.24
|
推薦 1
|
閲覧数 58
|
tbic | 2024.12.24 | 1 | 58 |
176 |
マラキ書4:1-3(義の太陽であるイエス様)
tbic
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2024.12.15
|
推薦 2
|
閲覧数 63
|
tbic | 2024.12.15 | 2 | 63 |
175 |
ルカの福音書10:1-9 (さあ、リバイバルの町へ出よう)
tbic
|
2024.12.08
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推薦 1
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閲覧数 77
|
tbic | 2024.12.08 | 1 | 77 |
174 |
マタイの福音書6:20-24(自分のために、天に宝をたくわえなさい)
tbic
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2024.12.01
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推薦 1
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閲覧数 85
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tbic | 2024.12.01 | 1 | 85 |
173 |
ルカの福音書10:25-28(あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ)
tbic
|
2024.11.24
|
推薦 2
|
閲覧数 95
|
tbic | 2024.11.24 | 2 | 95 |