メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ピリピ人への手紙4:6 (何も思い煩うな)

投稿者
tbic
投稿日
2025-01-27 09:17
閲覧数
32
ピリピ人への手紙4:6 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
  1. はじめ
今日の本文を英語で言うと、「Don't worry about anything!」です。すばらしいです。「どんなことにも」です。健康のこと、経済のこと、老後のこと、仕事のこと、家庭のこと、社会のこと、世界のこと、どんなことにも思い煩うな! これは神さまが私たちに語っている言葉ですから、とてつもなくすばらしいと思います。

聖書は決して、「ケセラセラ(どうでもいい・なるようになれ)」という無責任主義を語っているわけではありません。「どんな問題も神さまに感謝して、これを受け止め、その問題を神さまにゆだね、その解決を神さまに求めなさい。」ということです。

私は本当のところ、名前も心配、性格も心配なのです。生まれつき体が弱く、ケガもたくさんして、いつも心配で外に出られず、引きこもっていました。「こんな自分が社会に出て、まともに生活していけるのだろうか?」とても心配でした。

仕方がない、じゃあ勉強でも一生懸命やろう」と。勉強した結果、最初大学もうまくいかず、教会の先生からのお勧めで神学大学を経て、神学大学院に入ったのですが、自分は将来一体、どんな仕事をしたらいいのか、大学院の卒業の学期まで分からなかったのです。最後まで決断がつきませんでした。

そこである日、あるテレビ番組を見て、「とりあえず宣教師の道に進もう」と思い、宣教師になりました。非常に消極的な選択をしたのです。

たましいの救い、神の国の実現」。宣教師にはこういう立派な使命があるのですが、正直私の場合は使命感など、ほとんどありませんでした。ずっと宣教師、牧師は腰掛けだけで、アルバイトのような働きでした。一体、自分は本当は何をすべきなのだろう、ずっと迷ってきました。

あまり好きでもない聖書をかじって、「自分では解決できない、もう他の牧師に持っていく他ない。」そういう問題ばかりを抱えていたわけです。自分の問題だけでも大変なのに、他人の難問を引き受けて祈り、お金をもらわなければ、気が楽なのですが、お金をもらったら、責任が出るわけです。

そういう仕事を、なんとアルバイト気分で24年もやってきたのです。でもその間、いろいろな悩み・苦しみの連続でした。ますます「思い煩う人間」になって、もうどうしたらいいか分からず、「生きるか死ぬか!」というところも何度かくぐりました。

2. 問題に関する3つの真理

今回は、3つのことをお話します。私の24年の宣教師生活のまとめです。13歳で人格的にイエスさまを救い主として受け入れたので、44年間の信仰生活の結論でもあります。問題に関する3つの真理です。

まず第1番目は、「どんな問題もたいしたことはない!

問題はたいしたことないのです、本当は。「大変だ、大変だ!」とつい大騒ぎしますが。

私は毎週日曜日に、こういうメッセージをやっているのですが、よくメッセージの前に大問題が起きるのです。先日もすごい問題が起きまして、3時間も相手の方とラインのやりとりをしました。へたをすると、私の宣教師の人生全体が崩壊するような重大問題です。「心配だ。明日、メッセージができるのだろうか」と。夜もよく眠れませんでした。

当日もベッドの上で、「いやあ、こんな状態では、心配するな!なんて、とても語れない」、「自分がこんなに心配しているのに、どうして人々に『どんなことにも思い煩うな!』なんてお話できるんだ!」。とにかく「大変だ、大変だ」という思いで、朝ご飯も食べずに教会にたどり着きました。

でも、皆さんの前に立つと不思議に元気になるのです。だから、これは神さまが私のために、「お前、いつも心配しているから『思い煩うな!』のメッセージでもやって元気になれ!」とおっしゃっているのだと思いました。たいしたことはないのです、本当は。つい深刻に悩んでしまいますが。

第2番目は、「どんな問題もなんとかなる!

どんな問題もたいしたことないから、なんとかなるのです。皆さんもそうです。いろいろ問題があったと思いますが、今このメッセージを聞いていらっしゃるということは、まあ、なんとかなってきたのです。すばらしいことです。

最後の第3番目がとてもいいです。「どんな問題も益(えき)になる!

皆さん、問題は益になるのです、益。すなわちプラスになります。「今は苦しい、とても苦しい、なんと嫌な問題だ!」と。皆さんもたくさん抱えていらっしゃると思います。私なんか、非常にたくさんあります。

先日の問題は、まさに最悪でした。でも、「そんな最悪の問題が益になるんだ!」。これも、私が言っているのではなく、聖書の御言葉です。神さまがそうおっしゃっているのです。だから実際、そうなるのです。私もいろいろな問題を体験しましたが、やはりことごとくプラスになってきました。

問題のない人はお墓の中にいる人だ!」こう言った先生がいます。アメリカの有名なノーマン・ビンセント・ピール牧師先生です。これを聞いて、私は安心しました。「そうだ。問題があるということは、生きているということだ。

だから皆さん、安心してください。生きている限り、問題を抱えざるをえないのです。問題があって当然なのです。でも神さまを信じて死んだら、天国へ行けますから、もう問題は何一つありません。この世においても、神さまを信じれば、「問題を問題としないで生きる」ことができます。

私たちの生活はとにかく思い煩いに満ち満ちています。今の日本は、「思い煩いの時代」です。昨年の自殺者が2万2千人、すごい数です。私だって時々、自殺したくなってしまいます。本当に苦しいです。だから1億2千万人のうち、たった2万2千人ということは、逆の意味で、すごいことだと思うのです。

でも、2万2千人の方が自殺するということは、その10倍の未遂者がいると思います。22万人の方が、ガス管をくわえた、手首を切った、屋根から飛び降りた、走る電車に飛び込んだ、でも死ねなかったのです。

そして、おそらくその10倍の、いやもっとじゃないですかね、少なくとも220万人は自殺願望を持っていると思います。「いつか機会があったら死にたい。もうこれ以上難しい問題がのしかかってきたら、いっそのこと死んでしまおう!」と。そういう自殺願望を持っている人が、220万人はいるのではないでしょうか。あるいは、大人の3人に1人くらいはそうかもしれません。そういう「思い煩いの時代」に私たちは生きているのです。

マタイの福音書 6:33-34、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。だから明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

皆さん、長い間行き詰まって、思い煩っている状況がある時に、どうすればいいのでしょうか?

その状況と問題と戦わずに、神さまと自分の間を塞いでいるものを探さなければなりません。 誹謗と妨害を受けて行き詰まっている時は悔しがらずに、自分が神の御前で完全なのかを省み、悔い改めの機会にするのが一番良いのです。

神さまと私の間に塞がれている関係さえ解決すれば、問題は問題でなくなります。最も重要で先行すべきことは、神さまに対する信頼の回復と崩れた関係の再建です。神さまとの関係回復がすべての解決の鍵なので、神さまと自分の間に詰まったことを突き抜けて崩すことが重要です。

私に向けた神さまの大きくて壮大な夢と私の微弱な夢が衝突する時、私たちは神さまに不平を言って絶望します。 しかし飢饉と苦難は私が滅びて死ぬ時ではありません。私が想像することもできない神さまの驚くべき計画が成就する貴重な時が、まさに飢饉と苦難の時です。

人生の飢饉に会った時、「神さま、なぜですか? 私に一体どうしたんですか?」と不平を言う代わりに、「私はどんな状況にも、私の羊飼いである主を信じます!」という信頼と感謝の告白をする人がクリスチャンです。

祈りの人、ジョージ·ミューラーは、「本当に神さまを信頼するということは状況と環境を跳び越えること。」と話しました。

神さまに本当に信頼することは状況と環境を超えています。 望まない飢饉に会って苦難に直面した時、どんな状況でも神さまを喜び、信頼して歩むのが、真の信頼です。

簡単に理解できる状況、誰が見てもよく解けて、うまくいく人生の真ん中で、神さまを信じて喜ぶことは誰でもできます。しかし理解できず、信じられない環境と状況でも、神さまを信頼して不平を言わないことが、まさに真の信頼なのです。

神さまは私たちに、「すべての勝利」ではなく、「最後の勝利」を約束してくださいました。イエスさまを信じて教会に通っても、痛みと困難があり、失敗したりもします。 時には倒れても、神さまは私たちに最後の勝利を与えようと、待っておられることを信じなければなりません。その神さまを信頼して黙々と歩いていく時、ついにトンネルのような私たちの人生、その暗くて大変な人生は終わり、光が見えると信じます。
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