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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ダニエル書2:14-24 (誰でも揺れる時がある)

投稿者
tbic
投稿日
2022-05-23 00:15
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296
ダニエル書2:14-24『そのとき、ダニエルは、バビロンの知者たちを殺すためにやって来た王の親衛隊長アルヨクに、知恵と思慮深さをもって応対した。彼は王の全権を受けたアルヨクにこう言った。「どうしてこんなに急な命令が王から出たのでしょうか。」すると、アルヨクは事の次第をダニエルに知らせた。そこでダニエルは王のところに行き、王にその夢の意味を示すため、しばらくの時を与えてくれるよう願った。それからダニエルは自分の家に帰り、自分の同僚のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。それは、ダニエルとその同僚たちがほかのバビロンの知者たちと一緒に滅ぼされることがないように、この秘密について天の神にあわれみを乞うためであった。そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに明らかにされた。ダニエルは天の神をほめたたえた。ダニエルはこう言った。「神の御名はほむべきかな。とこしえからとこしえまで。知恵と力は神のもの。神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。知恵を授けて賢者とし、知識を授けて悟りのある者とされる。神は、深遠なこと、隠されていることを明らかにし、闇の中に何があるかを知り、ご自分の内に光を宿される。私の父祖の神よ。私はあなたに感謝し、あなたを賛美します。あなたは私に知恵と力を授け、今、私たちが尋ねたことを私に明かし、王の心の内を私たちに明かしてくださいました。」それでダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすために任じたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に夢の意味をお示しします。」』

今日のみことば、本文ではとんでもないことが起きています。ネブカドネツァル王は夢を見たのですが、そのため、心が騒ぎ、眠れなかったのです。それで呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人の知者たちを呼び寄せ、その夢を解き明かすように命じました。しかし、王は見た夢を忘れたのか、その夢と解き明かしを同時に知らせるように、とんでもない命令を下したわけです。そして、それができなかったら、手足を切り落とし、みんな家ごとに滅ぼすという厳しい警告を下したのです。

突然、ダニエルと3人の友達を含め、バビロン全土の知者たちが死ぬ危機に追い込まれました。当時、バビロンのネブカドネツァル王は若くて有能な王で知られ、戦略と戦術も素晴らしい王様だと知られていました。失敗を知らない王、自分自身の力を信じていた王でしたが、今の本文では心が騒ぎ、ストレスで眠れなかったと記しています。どれほどうまく行っている王様でも、問題に直面したら、ストレスを受け、揺れる存在となります。

ネブカドネツァル王が見た夢は、実は自分自身とバビロンの国のことを神様が見せてくださった夢だったのです。その夢が頭の中で整理できず、頭の中から離れなかったので、ストレスになり、不眠症になりました。その背後には神のご計画、神の導きがあったわけです。それで、王はバビロンの知者たちに、その夢と解き明かしを知らせるように命令し、もしそれができなかったら、みんな殺すと命じたわけです。だから、バビロンの知者の中の一人であったダニエルも、死ぬ危機に直面していました。

そうしたら、皆さん、人生の中で揺れる時、どんな態度を取るべきか、それが今問われるのですが、それに対してまず、状況と条件に頼る態度があり、また神様に頼る態度があるのです。本文の15節に「彼は王の全権を受けたアルヨクにこう言った。『どうしてこんなに急な命令が王から出たのでしょうか。』すると、アルヨクは事の次第をダニエルに知らせた。

これはダニエルにとって、危機の状況です。私たちは一般的に難しい状況の中では、その状況から早く逃れることを考えるのです。だから、その知者の名簿から抜け出る努力をします。つまり状況が難しいほど、そこから逃げようと、その状況に合わせて反応しやすいのです。だからたくさんの時間を、状況や条件を改善するために費やしてしまいます。例えば、勉強する理由も状況と条件を、自分の方に有利に導こうとする考え方から生まれたものです。つまり、自分の状況と条件に直面して乗り越えるより、その状況と条件を簡単に改善しようとするのが私たちの本能です。

結局、どうなりますか?戦う前にすべての力とエネルギを失って、実際に戦いが必要な時には力がなくなっています。だから条件は良いですが、私たちは負ける人生を生きるしかありません。過去より今が条件は良いのですが、若者たちがもっと挫折して、倒れる理由がまさに、これです。あまり意味のないところに、エネルギを費やしすぎているからです。だからこそ、私たちは実戦で勝利するのが、状況に対応するよりもっと大切だということを覚えなければなりません。

私たちクリスチャンは状況と条件が絶望的でも、全然大丈夫です。むしろ、喜んでください。なぜでしょうか?もう結果を知っているし、私たちが信頼している神様がどういう方なのかを知っているからです。だから、ハバクク書3:17節のみことばが私たちの告白でもあります。ハバクク書3:17「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。

本当に、私たちの人生が荒野のような厳しい状況と条件でも神様につながっていれば、このような歌ができるわけです。その最悪の状況で、みすぼらしい条件でも救いの神によって、毎日毎日勝利できると、この告白が真のクリスチャンの真実な告白だと思います。だから彼らの生き方、そういう人々の特徴は何々のふりをしません。偉そうにふるまったり、自分は大丈夫だとか、何かふりをしないのです。本当にI amとして、ありのままの自分で生きるし、自由なのです。本当に他人の話を気にせず、自分のありのままの姿で、自分自身を生き抜くわけです。ただ神の御前でI amとして、自分として堂々と生きるということです。

しかしお金によって生きる現代人の問題は何ですか?お金に頼って生きるのであれば、実は未来も希望も喜びも命もありません。お金はただ楽な生活、便利さだけを提供するものです。本当の幸せはお金と関係ありません。お金があれば、ただ楽なんです。歩き(自転車)が車に変わり、普通の電車が新幹線に変わるだけです。結婚もお金がないからできないと言う若者がいるのですが、それは結婚の価値を愛ではなく、楽な生活、便利さに引き下げる、レベルの低い考え方です。しかしながらも「お金がなければどうする?」と言いながら、みんな不安になるのが、今の現状です。でも、私たちクリスチャンはお金ではなく、信仰によって生きる人生であることを、死ぬまで忘れてはなりません。

イスラエルにはヨベルの年の制度があります。安息年の安息年です。七年が七回重なる安息の年がヨベルの年です。レビ記25:11「この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木の実を集めてはならない。」つまり、ヨベルの年が重なれば、2年連続休まなければならないし、さらに働いて実を得るまでは3年間も待たなければなりません。なぜかというと、7年目が安息年で、それが49年目だったらヨベルの年として、次の50年目も休まなければなりません。そして次の収穫まで1年間待たなければならないから、合わせて3年間も収穫(収入)がないわけです。それにもかかわらず、彼らは神様が豊かに満たしてくださることを信じたわけです。しかし残念ながら、私たちは週の一日の安息日も、その日の1時間の礼拝も守れない本当に弱い存在です。だから人生の中で祝福もないし、何もできない愚かなクリスチャンになってしまいました。

皆さん、忘れないでください。神様は既に、私たちに数えきれない豊かな恵みを与えてくださいました。状況と条件は関係なく、信仰によって生きる人々には誰よりも豊かな実が得られるはずです。それを信仰によって体験し、喜んで受け取ってください。

ヨーロッパのキリスト教を見ますと、ヨーロッパは一時、人口の100%がキリスト教だった時期があります。その中、スペインとポルトガルだけがイスラムの支配権に入った時期がありました。だからその時、スペインとポルトガルではクリスチャンとイスラム教徒が混ざって生活していました。しかし、問題はクリスチャンだけに宗教税(2%)が課せられ、徴収されたのです。そのとき、多くのクリスチャンたちがイスラム教に改宗したそうです。何の迫害もなく、ただ宗教税2%だけ払われたのですが、多くの人々がキリスト教からイスラム教に変わったということは、結局、彼らの信仰の本質はお金だったということです。

そうしたら、今私たちの状況はどうでしょうか?もしその当時の状況だったら、クリスチャンをやり続ける人はどのくらいいるのでしょうか?私たちもその状況だったら、自由ではないかもしれません。私たちは本当に弱い存在です。特に今の時代、お金にものすごく弱いのです。だから聖霊の助けによって、信仰が守られるように祈らなければなりません。

ローマ8:26、「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」聖霊様は弱い私たちを助けてくださるのですが、特に祈りを助けてくださると約束してくださいます。つまり聖霊に満たされれば、正しい祈りができるということです。

その聖霊の働きを体験するためには、みことばと祈り、また礼拝を慕い求める生き方ですが、その中で聖霊を体験すれば現れる現象は何ですか?まず言葉の数が少なくなり、謙遜になります。悔い改めの祈りも自然に出るし、また涙もしょっちゅう出ます。そして、ささいなことでもよく笑うのです。感情が豊かになります。そのとき、愛に満たされたたましいが生き返るのを、自分で分かります。この聖霊の体験を、ぜひ味わって見てください。人生が素晴らしく変わります。

そういう人々は神様に頼る人生を生きるのですが、ダニエルの人生がまさに、その人生でした。今日の本文の、2:17、18に、「それからダニエルは自分の家に帰り、自分の同僚のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。それは、ダニエルとその同僚 たちがほかのバビロンの知者たちと一緒に 滅ぼされることがないように、この秘密について天の神にあわれみを乞うためであった。

聖霊に満たされ、聖霊に導かれる人生は祈りの友を作ります。肉の友も大切ですが、霊の友はもっと大切です。霊は霊を通して生まれるからです。ヨハネ3:6に「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」と言われます。

霊に燃え霊に導かれる本物と、肉に燃え肉に導かれる偽物は全然違います。ちゃんと区別してほしいのですが、偽物は揺れる時、人々を集めて大騒ぎになります。うるさいのです。しかし本物は揺れる時、静かに黙って、そして人々を集め、祈ります。この差です。この差は大きいのです。

祈りは他にありません。自分の問題を神様に申し上げることですが、たいてい順番を決めれば、1、賛美。2、告白。3、感謝。4、求め、、こういう流れで祈ればいいと思います。まず賛美は神様を高く上げ、褒めたたえることですが、神様を黙想すれば賛美と告白は自然に出て来ると思います。詩篇はほとんど神様を黙想し、賛美するダビデの祈りです。それを参考にしてください。しかし、もし祈りができないときには、ただ神様を黙想してください。黙想自体が祈りだからです。私は黙想しかしなかったのに、すべての問題が解決される経験を何度もしました。つまり、神様を黙想すれば素晴らしいことが起こされます。それが、さらに賛美と感謝につながるのです。結局、自分の人生の証を歌うのが、祈りそのものだということです。

ダニエルも知恵と力の根源であられる神様を賛美しました。それは、彼の祈りでもありました。本文の2:19,20に、「そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに明らかにされた。ダニエルは天の神をほめたたえた。ダニエルはこう言った。『神の御名はほむべきかな。とこしえからとこしえまで。知恵と力は神のもの。

問題が発生すれば、その解決の道を作られる方は神様です。最初、私たちは解決の道が分かりません。しかし、必ずその道を作られ、教えてくださる神様を信じなければなりません。そして、その時を決められる方も神様です。本文の21節、「神は季節と時を変え、王を廃し、王を立てる。知恵を授けて賢者とし、知識を授けて悟りのある者とされる。

伝道者の書3:1,2にも「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

そして神様に導かれる人は祝福の通路となって、人々(たましい)を生かす者になります。本文の24に、「それでダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすために任じたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。『バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に夢の意味をお示しします。』

結局、ダニエルは死ぬ危機にあったすべての人々を生かしました。私たちもダニエルのように、周りの人々を生かす祝福の通路となって、神の願われる人生を歩み続けたいと思います。
合計 143
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