メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

イザヤ書61:1-3(良い知らせがあります)

投稿者
tbic
投稿日
2023-12-17 16:17
閲覧数
97
イザヤ書61:1-3「 神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。」

今日もこうして、皆さんと共に、主に礼拝を捧げることができる恵みを心から感謝します。今日のメッセージのタイトルは、「良い知らせがあります」です。教会とは、良い知らせを聞く場所ですが、この頃はあまり良い知らせがありません。色々と事件があり、世界的に災難のニュースで溢れています。本当に人類に危機が迫っています。

皆さん、ご存じでしょうか。第一次世界大戦が終結した理由は何かというと、勝ち負けというよりスペイン風邪の大流行で終結したとも言われます。スペイン風邪とは、当時の新型インフルエンザだったそうで、1918年から19年にかけて、世界人口の20-30%が、このインフルエンザにかかったそうです。実に4千万人も死んだそうです。スペイン風邪にかからなくても人は皆死ぬのですが、しかしそんな風邪で死ぬのは嫌です。日本では2300万人がかかって、39万人が死んだそうです。そして今日疫学者が言うのには、新型インフルエンザは近い将来、また必ず出るそうです。これはとても危ないです。WHOの発表によれば、この新型が出れば、世界で1億5千万人くらいの人たちが死ぬと言われています。そして日本では大体、人口の四分の一、3200万人くらいが感染するだろうと言われています。皆さん、覚悟して下さい。64万人くらいが死ぬと政府は発表しています。本当に悪い知らせばかりです。目前に危機が迫っているわけです。車でしたら新型は良いですが、風邪の新型は大変です。人類に危機が迫っているわけです。

しかし私たちを造って下さった神を知る時に、危機が迫ったとしても、恐れる事はありません。聖書は語っています。詩篇23:4、「たとえ死の影の谷を歩く事があっても、災いを恐れません」と。時には「死の影の谷」というような、死が迫っている場所を歩く事があっても、災いを恐れないのです。なぜなら神が共にいて下されば、そのような危機の谷も乗り越えることができるからです。

聖書は私たちに希望のメッセージを伝えています。教会に来たら、希望のメッセージを聞く事ができます。イエス・キリストは今から2000年も前にこの地上を歩まれた方ですが、実はお生まれになる700年も前にすでに預言されていたのです。私たちは間違って生まれてきたとか、偶然生まれてきたなどとよく言われますが、イエス様はそうではありません。旧約聖書の中には「イエス・キリストが誕生する」という預言が沢山あります。神は天地万物を創られた、あまりにも大きいお方ですから、人間の目で見えたらおかしいのです。神が天地宇宙をご自分で作られたとしたら、体があったとしたら、相当大きいと思います。そんな方を人間が知ろうとしても難しいのです。しかしご自分を紹介するために人類の歴史の中にただ一度だけ、人の姿をとって生まれて下さったのです。神様でも人となって下されば、人間とコミュニケーションができるはずです。私のように外国人でいくら言葉が違っても、人ならコミュニケーション可能です。イエス様は神様として人となって下さったので、その方の話を聞いたら、神様がどんな方であるか、どんな考えを持っておられるかがよく分かるはずです。

特に、このイエス・キリストがこの地に来られた目的が預言されているのが、先ほど読んで頂いたイザヤ書61章です。先ほどは新改訳聖書で読みましたが、今度はリビング・バイブルという大変わかりやすい訳で読みますと、61:1-4「神様である主の霊が私の上にあります。苦しんでいる人や悩んでいる人にすばらしい知らせを伝えるために、神様は私に油を注ぎました。心の傷ついた人を慰め、捕虜になった人に自由を、捕らわれていた人に釈放を告げるために、神様は私を送り出しました。嘆き悲しんでいる人に、神様の恵みの時と敵が滅びる日のきたことを知らせるために、神様は私を送り出しました。嘆き悲しむすべてのイスラエル人に、神様は次のものをお与えになります。灰の代わりに美しさを。悲しみの代わりに喜びを。重い心の代わりに賛美を。神様はご自分の栄光のために、優雅で強い樫の木のように彼らを植えたのです。彼らは廃墟を建て直し、ずっと前にこわされた町々に手を加え、長いあいだ荒れほうだいだった所を、にぎやかな町にします。

ここで「」と記されているのはイエス様の事です。神様がイエス様に油を注ぎ、この地上に送って下さったのです。イエス様は神様ですが、人となって来て下さったので、油注ぎ、すなわち、「神様の力」を帯びる必要があったわけです。そしてその目的は「心の傷ついた人を慰め、捕虜になった人に自由を、捕らわれていた人に解放を告げるために」と告げられています。

普通科学が進み、時代が進めば、良い時代が来るはずですが、時代はどんどん混迷を深めています。この時代を背景として多くの人が傷ついています。「心の傷」というのは目に見えない領域ですが、大きな問題です。ある心理学者は人の心の中にはブレーカーのような「スイッチ」がついているのではないかと言います。時々電気を使いすぎると、ブレーカーが落ちます。私も古い家に住んでいた頃はよくブレーカーが落ちていました。一度ブレーカーが落ちると、どんなに優れた電化製品があっても、使い物にはなりません。もう一度、スイッチの所に行き、ブレーカーを元通りにしないと、新品の冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、何もかも止まってしまいます。もう一度、「ブレーカーを元に戻す」ことをしなければいけません。

人間は神の作品だと聖書は告げています。それも良いものとして造られたというのです。エペソ人への手紙2:10、「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えて下さったのです。」私たちは神の作品です。「作品」と「製品」とは全然違います。同じものが沢山、どんどんできるのが「製品」です。皆さんが座っている椅子は製品ですから、同じ物が右にも左にも並んでいるわけです。しかし私たち一人ひとりは製品ではなく作品ですから、お隣の人とは違った顔をしているわけです。不思議です。皆顔も形も違うし、性格も違います。これは神様の作品である証拠です。何と、私たちは神の作品で、良い行いをするためにイエス・キリストによって造られたというのです。そして「神は私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださった。」とありますから、基本的に将来を心配しなくても良いのです。なぜなら、神様が私たちのために良いものを、すでに創造済みですから。

しかし実際の生活はわけが違うのです。どうして違うかと言うと、先ほど言ったように心のブレーカーが落ちてしまっているからです。一旦心のブレーカーが落ちてしまうと、簡単には元に戻らないようです。どうも、そのスイッチは人間の手の届かない、深いところにあるからです。精神医学者や科学者が人間を研究し、何とかスイッチを元通りにしようと思っていますが、一度ブレーカーが落ちてしまうと、優れた人間も全く機能ができない存在になってしまうのです。

神様は人間をとても自由度の高い存在として創造されました。人が神から離れる事も知っておられたのです。だからブレーカーが落ちたり、心傷ついたときの修理方法を定めておられました。ではどうしたら良いかというと、人間の手ではどうにもならないのですが、神様のところに持っていけば修理できるのです。何千年も前から人間のために、その方法を用意して下さっていたのです。

教会では「福音」と、よく言いますが、この福音の中に「心の傷の癒し」が含まれているのです。時々私たちは心の癒しというのは高度な手法によらなければ癒されないと思います。カウンセリングを受けたり、また長い時間をかけて、やっと癒されるものだと思うかもしれません。しかし心の傷の癒しは福音の中に啓示されています。福音とは恵みの領域です。恵みとは神様から与えられる一方的なものですから、瞬間的に癒しを与えて下さるのです。イエス様は私たちの心の傷を瞬間的に癒す事が出来るお方です。それも聖霊の油注ぎによって実現します。

今日皆さんの中で、「心のブレーカーは落ちてしまっているかもしれない」という方がおられるなら、イエス様に頼んで下さい。「イエス様、私の心のブレーカーを元に戻して下さい」と。実に、イエス様はこの地上に来て下さったばかりでなく、十字架にかかって死に、地のどん底、人が一番行きたくない滅びの場所にまで降りて下さいました。地の最も深い所まで降りて下さったのがイエス様です。だからイエス様はどんなに深いところにある傷も癒す事ができるのです。だから「心の癒しを必要としています」という方がおられたら、イエス様に頼んでみて下さい。理屈はともかくとして、教会に来て礼拝するうちに神の霊が注がれて、知らないうちに心が元気になり、強くなります。私たちの神様はバチを与える神ではなく、良いお方です。日本の神概念は「よく拝めば神にもなるけど、放っておけば鬼になる神」を信じています。これではいけません。案外クリスチャンでも「イエス様をよく拝めば神になるけど、放っておくと怖くなる神」を信じる人が多いです。これは間違いです。とことん良いお方、それがイエス様です。

先ほどもお話ししましたが、この世界は年をとればとるほど、どんどん悪くなっていきます。科学も進み知識も進んで、全てが充実しているにも関わらず、何でこんなに悪くなるのかと、時々考えてしまいます。その原因は人の心にある罪の性質が関わっています。初めの人間のアダムとエバが罪を犯したことによって、人は罪の性質を遺伝してしまうようになったのです。だから赤ちゃんとして生まれた時は可愛くて、罪も汚れもない顔をしていますが、それもつかの間です。だんだんと変わってきます。うちの子どもたちもそうでしたが、人間というのは本当に罪人です。罪の性質は癌のように人々を蝕んでいきます。でも、イエス・キリストがこの地上に来て下さった目的は罪を消し去るためです。人間の犯した罪をその身に負って、イエス様は十字架にかかり、死んで下さいました。その結果、人間の罪を取り去って下さったのです。罪が赦されるとは、なんと素晴らしいことでしょうか。イエス・キリストを信じるなら、過去の罪の責めに、あわなくても済むのです。今日イエス様を信じた方は、過去のことに捕らわれなくても良いのです。罪の赦しがありますから、心の傷が癒されるのです。

しかしもう一つ考えなければならないことがあります。それが何かというと、もちろん人間の罪も関わっているのですが、神に反逆する「目に見えない敵」が存在すると聖書は告げています。先ほどもイエス様がこの地上に来て下さったのは、「心傷ついた人を慰め、捕虜になった人に自由を、捕らわれている人に解放を告げるために来た。」と学びました。もちろん罪に捕らわれているということもありますが、実は人格的な存在というか、霊的な存在である悪魔にとらわれてしまった人を解放するためにイエス様はこの地上に来て下さったのです。人類はやがて、はっきりとなぜこれほど悪い事が連続して起きるか、その原因を知る日が来るのです。イザヤ書14章は人類の敵であるサタンについて記されている箇所です。16-17節に、このように書かれています。「あなたを見る者は、あなたを見つめ、あなたを見きわめる。『この者が、地を震わせ、王国を震え上がらせ、世界を荒野のようにし、町々を絶滅し、捕虜たちを家に帰さなかった者なのか。』

お前が犯人だったのか」と知る日が来るというのです。犯人は誰かというと、実はサタンです。家庭が壊れているような問題が多くあります。牧師はそんな相談をよく受けますが、特に家庭の中に色々な問題があることに唖然とします。「私の育て方が悪かった」とか「私が我慢仕切れなかった。もう少し忍耐すれば、こんなことにならなかったのに」とか、涙される方も多くおられます。もちろん出来る限りの忍耐と努力は必要ですが、皆一生懸命忍耐し、努力しているのです。にもかかわらず、崩れていく原因は何でしょうか。実は家族の中に透明人間のような敵が働いているからです。皆さん、家族を壊すことを目的にして、家族の中に入り込んでいる透明人間がいたら、いくら夫婦が一生懸命努力しても、その仲を引き裂く者がいたら、どうでしょうか。子供たちが一生懸命がんばっても、その者は子供たちの人生にも関わるのではないでしょうか。透明人間がいたら、透明人間が特定できなかったら、壊されていくはずです。

皆さん、聖書の光が人生の中に来る時、闇の中に隠れていた存在があらわにされるのです。実に、イエス様がこの地上に来て下さったのは、人類の不幸の原因として座していた悪魔が暴かれたのです。そして「お前だったのか、犯人は!」と。もし皆さんの中で色々な問題で悩んでおられたら、一度視点を変えて頂きたいのですが、何で私の人生はこんなに惨めなのか、またある家系を見ると、同じような問題が次から次へと起こり、「何でこんなに同じような問題が家族の中で起きるのか。」同じテーマの問題が家族の中に繰り返して起きる事が多いのです。どこに原因があるのかというと、透明人間が潜んでいるからです。それを見つけないと、人は勝利できません。

聖書にはこんな素晴らしい御言葉があります。出エジプト記22:7です。「人が金銭あるいは物品を隣人に預けて保管してもらい、それがその人の家から盗まれた場合、もしその盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。」実はこれはモーセの十戒の「盗んではならない」という事に関する教えです。泥棒が逮捕されたら、「泥棒が盗んだ物を被害者に倍にして返せ」ということです。もしも盗まれても、倍にして返してもらえたら、嬉しいことです。例えば、百万円盗まれても、泥棒が捕まったら、盗まれた金が二百万円になって戻ってくれば、盗まれたのも良かったと言えるのではないでしょうか。「泥棒が発見されれば、倍になって返ってくる。」これが神様が決めた法則です。

旧約聖書の盗人というのは物を盗む泥棒のことです。しかし新約聖書になると、この泥棒というのが霊的意味合いをもち、最も深いところに座している真の「泥棒」になっているわけです。イエス様は悪魔のことを「盗み、殺し、滅ぼす者」と呼ばれました。「良き作品として造られた人から良いものを盗んでいく真犯人は敵である悪魔です。」殺し、滅ぼすために、24時間寝ないで働いている敵がいるのです。しかしイエス・キリストがこの地上に来て下さった事により、人類は真の泥棒であり、強盗である悪魔を見つける事が出来たのです。人生に起こる問題は、ただ自分の努力や周りが悪かっただけでなく、「犯人はお前だったのか。お前が私の人生を壊していたのか。」と犯人が特定できたら、奪われたものを「二倍にして取り戻す」というのです。

神様はもともと私たちを良いものとして造って下さったのですが、それを悪魔によって盗まれたのです。それは神の物が盗まれている事ですから、取り戻して当然です。教会に来てイエス様のことが分かると、その光によって闇の中に隠れていた存在がはっきり分かるのです。そして敵を特定したら、倍にして取り戻して下さると言っているのです。本当に主の御名をあがめましょう。

時々「私は何でこんなに問題があるのだろうか、私は弱い」と考えて、苦しんでおられる方々がおられますが、弱さを覚えているなら、その人は決して弱い人ではありません。重要な人です。「神の視点と悪魔の視点は常に同じです。」神が重要な人としている人に対して、悪魔も同じ視点を持って目をつけています。「この人は重要だから、早めにこの人を束縛して、動く事が出来ないようにしよう。」と罪を足がかりとして、その人が身動きできないようにするのです。というのは、社会で大きな問題をもって苦しんでおられる方は社会が変えられるための重要な人です。色々な問題に満ちていたとしたら、その人は弱い人ではなく、実際は重要な人であり、強い人です。だから悪魔も総力をあげて、その人を苦しめようとしているのです。しかしイエス様は、「悪魔の束縛から解放し、自由にしてあげますよ。」と告げています。皆さん、「悪魔の束縛を見つけて、その綱を切ったら、すごい事が起きますよ。」と聖書は語っています。

最後に一つの御言葉を皆さんに紹介して終わりにしたいと思います。イザヤ書33:23-24、『あなたの帆の綱は解け、帆柱の基は、結びつけることができず、帆は、張ることもできない。そのとき、おびただしい分捕り物や獲物は分け取られ、足のなえた者も獲物をかすめる。そこに住む者は、だれも「私は病気だ」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される。』悪魔はどこかに帆柱を立てて、人を縛るのです。しかし帆柱を発見して綱を切ったら、何が起きるのでしょうか。帆柱が倒されて綱が解かれたら、「そこに住むものは誰も私は病気だとは言わず、そこに住む民の罪は赦される」と告げています。諸問題も悪魔が立てた帆柱に縛り付けられたことに原因があるのです。

私たちがイエス・キリストを信じる時、「灰の代わりに美しさを、悲しみの代わりに喜びを、重い心の代わりに賛美を与えて下さいます。」イエス様は私たちに良い知らせを伝えたいと願っておられます。心傷ついた人は癒してあげたい、過去の罪に苦しんでいる人には赦しを与えたいと願っておられます。そして根源であるサタンの力から解放して自由にしてあげたいと願っておられます。

透明人間のような悪魔が暗躍していても、イエス様が来られたら、もはや透明人間は透明人間ではなくなります。なぜなら、正体が暴かれるからです。そして奪われたものは二倍にして取り戻して下さいます。だから「この大変な時代にイエス様こそ希望です。」どんな時代が来ようとも、恐れることはありません。天地万物を造られた神の計画に生きたら、必ず私たちの人生は「死の影の谷を歩くようなことがあっても、災いを恐れることはない。」のです。「敵の前で油を注いで下さり、食事を整えて下さる。」とありますから。現代のノアの箱船、それはイエス・キリストです。そしてその情報を提供するのが聖書です。この困難な時代を、ぜひ皆さん、御言葉と祈りをもって乗り越えていきましょう。主が共におられます。お祈りします。

お祈り、

ハレルヤ、天の父なる神様、み名を崇めます。このメッセージを聞いている一人一人の心に触れて下さり、心の傷も癒して下さいますように。聖書の約束が実現しますように。救いは告白と共に来ますから、イエス様、私たちが叫んだら、耳を傾けて下さい。「イエス様、今私たちはイエス様を私たちの人生の救い主として受け入れます。心の傷を全て癒して下さい。罪と汚れを清めて下さい。心を洗って下さい。敵の力から解放して下さい。私たちの人生の中に、うごめいている、透明人間のような悪魔の力を打ち破り、帆柱を倒して下さい。綱を断ち切って下さい。今日から私たちを自由にし、灰の代わりに美しさを、悲しみの代わりに喜びを、重い心の代わりに賛美をお与え下さい。」主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。アーメン!
合計 143
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
133
ヨハネの福音書1:47-51(正直なら、天が開く)
tbic | 2024.02.25 | 推薦 1 | 閲覧数 53
tbic 2024.02.25 1 53
132
ヨハネの福音書15:15(最後の瞬間まで主を求めなさい)
tbic | 2024.02.18 | 推薦 2 | 閲覧数 55
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131
ヨハネの福音書1:43-46(美しいウソより、ありのままの真実が強い)
tbic | 2024.02.11 | 推薦 1 | 閲覧数 69
tbic 2024.02.11 1 69
130
ヤコブの手紙5:16(クリスチャンが祈らない理由)
tbic | 2024.02.04 | 推薦 2 | 閲覧数 68
tbic 2024.02.04 2 68
129
エレミヤ書2:21-25(欲情に打ち勝つ力)
tbic | 2024.01.28 | 推薦 2 | 閲覧数 149
tbic 2024.01.28 2 149
128
使徒の働き20:24(ビジョンは使命と賜物)
tbic | 2024.01.21 | 推薦 1 | 閲覧数 99
tbic 2024.01.21 1 99
127
エレミヤ書29:10-11(将来と希望を与える主)
tbic | 2024.01.15 | 推薦 1 | 閲覧数 119
tbic 2024.01.15 1 119
126
イザヤ書60:1-7(起きよ、光を放て。)
tbic | 2024.01.08 | 推薦 1 | 閲覧数 91
tbic 2024.01.08 1 91
125
ルカの福音書9:23(日々自分の十字架を負う)
tbic | 2023.12.31 | 推薦 1 | 閲覧数 97
tbic 2023.12.31 1 97
124
マタイの福音書1:18-23(イエス・キリストについての様々な証言)
tbic | 2023.12.24 | 推薦 1 | 閲覧数 91
tbic 2023.12.24 1 91

主の御名によって 歓迎いたします。

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