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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ルカの福音書21:27-36(今の時代をどう生きるべきか?)

投稿者
tbic
投稿日
2023-10-01 17:27
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ルカの福音書21:27-36『そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。」それからイエスは、人々にたとえを話された。「いちじくの木や、すべての木を見なさい。木の芽が出ると、それを見て、すでに夏が近いことが、おのずから分かります。同じように、これらのことが起こるのを見たら、あなたがたは神の国が近いことを知りなさい。まことに、あなたがたに言います。すべてのことが起こるまで、この時代が過ぎ去ることは決してありません。天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」』

皆さん、こういう話があります。「木とか草のような植物は地に属するから地に向かって根を下ろし、自由に動き回る動物は人に属するから頭を横に向かう。しかし人間は神に属するから頭を上に向かう。

だから、昔の中世時代の教父たちの中では人間の肉体自体が神の形だと言った人もいました。もちろんこれはそのまま受け入れることはできませんが、人間が頭を上に向かって垂直に立っていることは、本当に特別な存在として、すべての生き物の頭であることを表しています。

今日の御言葉の本文は主が終末の時のこと、つまりこの世の終わりの時に対処すべき警告を、私たちに与えて下さった御言葉です。

今日の本文の27-28節、「そのとき(終わりのとき)人々は、人の子(イエス様)が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたなら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。

ここで「 身を起こし」という御言葉はどういう意味でしょうか?私たちの人格(神の形)を、つまり神様から与えられた人間の固有の人格をちゃんと守りなさいということです。

皆さん、考えてみて下さい。人間がどれほど優れていても、その肉体的条件は他の動物たちと比べれば、その力は比べられないほど全然弱いのがすぐ分かります。

例えば、人間がどれほど力があっても、ライオンとか、トラや牛の力には及びません。また、人間がどれほど速く走っても、馬とか鳥のようには速くありません。そして、人間がどれほど元気いっぱいに長生きしても、つるとか、亀のようには長く生きられません。

しかし人間は身を起こし、頭を上に上げてまっすぐに立っていることができるのです。つまり人間は動物たちと違って、尊い人格を持っているということです。この人格というのは、別の言葉で表現すれば「自分の決定能力」です。あるいは「その決定したことを守る意志」と表現することができます。

だから人格をラテン語では「ペルゾナ」と言うのですが、つまり「仮面、マスク」という意味です。昔の演劇に出てくる役者(俳優)たちを考えてみてください。彼らは芝居(演技)をするときに、仮面をかぶって演技をするのです。彼らは自分の意志がその役に入ってはいけません。ただ与えられた脚本通りに芝居をしなければならないのです。

すなわち人間の固有の人格というのは、わがままの自分の欲求とか、感情に従うのではなく、自分に与えられた自分の尊い使命を発見し、それを忠実に全うすることを意味します。

そして引き続き、本文の28節に「頭を上げなさい」と言われたのですが、これは行動の決断を促す御言葉です。つまり終わりの日に再臨なさるイエス様をお迎えするためには信仰の決断が必要であることを表しています。

ルカの福音書15章には放蕩息子の話が出てきます。彼は父を離れ、遠い国に行って、父からもらったお金をゆみずのように全部使い果たし、一文無しになって、結局豚の餌を食べながら、しのぐ人生となりました。そういう苦しみの中で結局悟ってから立ち上がり、父の所に帰っていく物語が放蕩息子の話です。

皆さん、もしその時放蕩息子が決断せず、そのままとどまって自分の身を見ながら、ただ嘆き悲しんでいたのなら、その放蕩息子は永遠に変わらず、回復できなかったと思います。しかし彼は身を起こして頭を上げ、父のもとに戻りました。それで再び赦しを受け、回復し、新しい人生を再出発できたわけです。だから行動の決断が大切です。

しかしどれほど決断が素晴らしくても、その決断には時があります。その適切な時をのがしてしまえば、決して良い決断ではありません。だからこそ、決断もチャンスがあるということ、このチャンスを絶対に逃してはなりません。

結局、「頭を上げなさい」という御言葉は、主が再臨なさる時、立ち上がって主をお迎えする「信仰の決断」が常に必要だということです。それは日々の生活の中でイエス・キリストを救い主として受け入れ、主の御心、つまり善を行うことを常に決断し、身を起こして頭を上げ、神の国と義を求める人生を意味します。言い換えれば、信仰と希望と愛をもって善を行おうとする心が与えられたら、あとまわしにしないで直ちにしなければならないということです。

列王記第一18章には預言者エリヤがカルメル山でバアルの預言者たち850人と対決する場面が出て来ます。その時エリヤが、すべての民に向かって、こう叫びます。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。」これは信仰の決断を促す言葉です。

私たちは本当に主が再臨なさる時、頭を上に上げ、時代と時を、また前兆をよく見極めて、時にかなった正しい決断をし、主をお迎えする準備をしなければなりません。もしかしたら、今の時代がその時かもしれません。今世界のあちこちで、とんでもない事件と事故、猟奇的な出来事が多発しています。地震や気象異変、戦争やテロなど、まさに今主の再臨が本当に近いと思います。今の時代はどうでしょうか?善悪の木の実を取って食べた人間は、もう禁止されている命の木の実を取ろうとしています。例えば、社会的に見てください。今は同性愛を超えてトランスジェンダーと言って男女の入れ替わりを試みています。また政治的に台湾の問題で、今アメリカと中国が全面戦争をしようとするのです。それが起きたら、それは核戦争であり、世の終わりを意味します。今イエス様の再臨の時の前ぶれが、あちこちで起きているのです。

だから私たちは常に、いや今こそ神の御前で清い生き方をし、純潔な生活をしなければなりません。人が病気になる時も、いつ病気になるか、予告があって病気になるのではありません。風邪をひく時も、自分が知らないうちに風邪をひくように、何の前ぶれもなく突然、診察して見たら、癌だと宣告されるわけです。しかし選ばれた私たちクリスチャンには、あらかじめそれがちゃんと知らされています。皆さん、聖書を読みますと、主の再臨には二つの前提条件があります。

一番目はマタイの福音書24:14、「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。」こういう風に、終末は福音が地の果てにまで宣べ伝えられることが一番目の前提条件で、二番目の条件はルカの福音書13:35、「見よ、おまえたちの家は見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。おまえたちが『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』と言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」イスラエルが回復しない限り、つまり彼らがイエス様を受け入れない限り、主の再臨は来ないのです。このようにイスラエルの信仰の回復が主の再臨の二番目の前提条件です。

しかしこの二つが全部満たされて父なる神の時となれば、私たちの主イエス・キリストは裁き主として雲とともに、あっという間にこの地上に来られるわけです。その時、イエス様を信じない人々は胸をたたいて悲しみ(黙示録1:7)、信じる神の子どもたちは空中で主と会うのです。そして新しい天と新しい地が天から降りて来て、永遠の神の国が始まります。テサロニケ第一4:16-17、「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

これが天地万物を創造なさった神様の宇宙的計画ですが、皆さん、ぜひその日を楽しみにしておいて下さい。しかしその日を期待し、望んでいる者たちは、今やらなければならないことがあります。それはイエス様の遺言のような地上命令の実行です。

マタイの福音書28:18-20、イエス様が復活し、昇天なさった時、弟子たちにおっしゃった有名な御言葉です。『イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

まさに世界宣教の命令です。この伝道命令はイエス様の地上の命令であり、主の再臨のための必須条件です。だから真のクリスチャンであれば、人生の目標が世界宣教、つまりたましいを生かすこと(伝道)になっているはずです。もし皆さんが真のクリスチャンであれば、そこに命をかけようではありませんか!絶対に天からの報いは漏れないと思います。

皆さん、この世には願っても願っても、叶えられないことがたくさんあります。その時、私たちはどうすれば良いのでしょうか?その時は、ただ神の御前で祈りながら純潔な生き方をするのみです。つまり「頭を上げなさい」という御言葉を覚えて、主を見上げ、信仰と希望と愛をもって伝道の人生を歩み続けることです。

だからこそ、神様から与えられた人格をもって、時代をよく見極め、正しい決断をすること、つまり一番大切なことは神様にすべての希望を置いて、与えられた使命を全うし、主の救いを待ち続けることです。

皆さん、世の中には成功したことがむしろ失敗に終わり、失敗に終わったことがむしろ成功に終わることがたくさんあります。だから人生のいろんなガラクタにとらわれず、心を込めて、最終的に主の救いを受け取ることが一番大切であり、それが成功した人生です。

マタイの福音書24章には、主が再臨なさる時「畑に二人がいると、一人はとられ、一人は残される。また二人の女が臼を引いていると、一人はとられ、一人は残される。」と言われます。表面的には、この二人の人生は同じ生き方でした。しかし結果は救いと滅び、天国と地獄に分かれたということです。

この差は一体何でしょうか?心の頭を上げ、主を待ち望んだのかどうかの差です。だからどんなことがあっても信仰をもって、心をきれいにし、最善を尽くして、主を待ち望んでいてください。それは他にありません。祈りの人生、御言葉の人生、信仰の生涯を意味します。

皆さん、ぜひ覚えていただきたいことは、主の再臨を、あるいは自分の命が最後の時を感じた時、静かに頭を上げ、主を見上げながら神の国を待ち望んでください。それは突然やって来ます。だから常に日常生活の中で、次の二つをちゃんと覚えてください。

一つは、私たちは必ずこの世を去る人生だということです。皆さん、私たちの人生は必ず最後がやって来ます。自分の死ぬ日は誰でも定まった日があるということです。もう一つは、主の再臨の日です。その日も必ずやって来ます。この二つは変わらない真理です。だから心を込めて主を信頼し、清い生き方で頭を上げ、祈りながら主のお迎えを準備する人生が一番賢い人生だと思います。

今心を開き、「主よ!今でも大丈夫です。ぜひ、いらしてください。私は頭を上げ、あなたを喜んでお迎えします。」と皆さんが、もしそういう風に告白できれば、皆さんは永遠の祝福と恵みを受け取った最高の人生となります。

祈り、

愛する天のお父様、私たちの人生には最後があることを覚えます。だから「身を起こし、頭を上げなさい。」と言われた主の御言葉を、一生忘れません。

ぜひ私たちが自分の人格をもって、自分に与えられた使命を発見し、それを全うできるように主よ!お導き、助けてください。

主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン!
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