メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ローマ人への手紙1:20-25(偶像崇拝)

投稿者
tbic
投稿日
2023-08-13 22:23
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119
ローマ人への手紙1:20-25『神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。』

罪人は偶像を作って偶像礼拝をします。本文の23節に、「 朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。」とあります。

罪人たちは偶像を作ります。その理由は、偶像はコントロールが可能だからです。理解も簡単だし、自分でコントロールも可能です。偶像は人間が作った物だから、一応分かりやすくて、簡単です。偶像の中で理解しがたい偶像を見たことがありません。

偶像は大体人間の中にある欲望の現れです。ギリシャやローマ神話を見ますと、理解できない神は存在しません。ゼウスはとても分かりやすいのです。私たちとあまりにも似ているからです。彼の判断と私たちの判断が同じです。ビーナスも私たちと本当に似ています。女性たちはみんなビーナスのようになりたいのです。愛と美の女神、ビーナスはセクシーな女性です。だからビーナスに仕えると言いながら、実は淫乱な欲望を満たしています。

男たちはバッカスが大好きです。バッカスはお酒の神です。だからバッカスに仕える儀式としてお酒を飲みます。本当に楽です。占い師たちに行って、彼らに聞いてみて下さい。占い師たちが願っていることは自分が願っていることと一致しています。自分が殺したい人があれば、「わら人形を作って針(錐)で刺しなさい」と言います。刺しながら「死ね、死ね」と叫ぶと必ず死ぬと。本当にすっきりします。このように全ての偶像は人間の心と一致しています。理由はとても簡単です。人間が作った物だから。人間は常に、偶像を作ります。

反対に、真の神様に仕えることはとても不便です。聖書を読みながら感じることは何ですか?本当に理解できない話でいっぱいです。例えば、もし聖書が人間が作った物であれば、削除すべきものがたくさんあります。もしキリスト教が宗教的営業の目的があるのであれば、営業の助けにならない内容が聖書にはあまりにも多いです。

その一つが父、子、聖霊の三位一体の内容です。三位一体の神様を、人々は納得できません。説明が不可能です。これは神秘の領域です。天国に行ってみないと分からない内容です。どういう話なのか、聞けば聞くほど、もっと理解できません。キリスト教が宗教的商売であれば、どうしてそういう内容を入れたのでしょうか?人間が努力して献身すれば、何かになるとか、一千回のお辞儀(参拝)をしたり、レンガや瓦に名前でも書きこんだら、祝福されると言ったら、とても楽です。宗教の施設に行ってお金を出せば、その金額によって人生が変わると言ったら、とても簡単です。そうすれば、人間の考えと宗教が正確に一致して本当に楽です。

しかし聖書は神様の選びと計画、恵みの摂理を語ります。人間の努力は何もないと語ります。神様が主権的に、一方的に私たちを選び、救い出してくださったと語ります。これは、宗教的営業には全然役に立ちません。説明も難しいし、疑問や質問ばかりを受けることになります。こういう風に理解できない内容が聖書にはいっぱい出て来ます。

もし見える偶像を作ったら、とても楽です。しかし神様は形や、偶像を作ってはならないと言われます。でもキリスト教の象徴だと言いながら、礼拝堂の真ん中に何かを作っておいて、教会に来るたびに、そこに一回ずつお辞儀をし、一回ずつ触らなければならないと言ったら、とても楽です。そうすれば牧師は説教の準備も要らないし、聖餐式や礼拝の準備も要らないわけです。イエス様の像を作って、それを触るたびに罪が赦され、救われるのであれば、とても楽です。むしろそうすれば、心の感動も、もっと大きいと思います。しかしキリスト教には、そんなものは全然ありません。むしろそういうものはすべてが罪で、とんでもない話だと言うのです。だから私が聖書のみことばを通して感じるのは、聖書には人間のにおいが全然しないのです。人間が好きな内容(要素)がほとんどありません。だからこそ、聖書は真理です。

私たち人間が偶像を作ろうとする本能はまさにこれです。神様を知ることは簡単ではありません。だからこそ、もし皆さんが神様を知ることができなければ、その場でとどまって主を待ち続けること、とても大切です。しかし人間は「もうだめだったら、別のものを探せばいい。」と簡単に偶像を作ってしまいます。

しかし私たちは偶像を作ってはなりません。祈りながら神様に出会うこと、とても大切です。そして礼拝を通して神様の臨在を感じなければなりません。しかしそれはなかなか難しいことです。それにもかかわらず、私たちのやるべきことは、もっと謙遜にひれ伏し、神の臨在を求め、「神様!神様に出会わせて下さい。私を導いてください。」と主に出会う時まで、戦わなければなりません。神様に出会う時まで待ち続けなければならないのです。それが信仰です。

しかし途中で諦めて、「もう神様に出会うことができなければ、自分で作ればいい。」と金で子牛を作って、「これが神だ。」とすれば、これが偶像崇拝です。神を簡単に作ることです。しかしもし神の御前で真実に生きることを願っているのであれば、最後の最後まで真実に生きるために戦わなければなりません。

皆さん、私たちは神の御前でみことばの教えを全部守ることができるのでしょうか?聖書は「神を愛し、隣人を自分自身のように愛せよ。」と言われますが、愛は簡単にできることではありません。愛に完成がないからです。だからこの神の戒めの前に立っている人々は、みんな「私は足りない者です。主よ。私は愛を成し遂げることができません。信仰が何か、分かりません。」と正直に告白するしかありません。

イエス様をちゃんと信じて、信仰が深くなっていくと、むしろ自分自身が足りない者だと言います。まだまだ遠いと。神の恵みもいっぱい受け取ったが、本当に恥ずかしいし、罪人のかしらだと言います。なぜでしょうか?自分の足りなさを、そのまま受け入れるからです。だからこそ、神の約束と信仰を握りしめて歩むわけです。それが本物の信仰です。

しかしそれができなければ、人々は大体どうしますか?自分ができることで縮小します。パリサイ人たちがそういう人々でした。神のみことばを全部守ることができないから、守ることができるいくつかの戒めを作って、それを守りながら、プライドを持って生きて行きました。しかしそれも偶像礼拝です。

今日イエス様を信じるクリスチャンも同じです。韓国のキリスト教の伝統の中で、イエス様を良く信じる敬虔なクリスチャンの基準があります。什一献金をささげ、聖日(主日)をちゃんと守り、お酒やタバコをしないことです。いくつかの概念を、つまり偶像を作りました。これらのいくつかをちゃんと守れば、敬虔なクリスチャンとしてイエス様を良く信じることにしたのです。

しかし誰がそう決めたのですか?私はそういうものを全部守りながらも、十字架の敵として生きる多くの人々を見ました。高慢が天にまでとどき、教会を分裂させ、憎しみを持って人々を攻撃する、いわゆる敬虔で熱心なクリスチャンたちをたくさん見ました。結局、彼らは世の中でも詐欺を働きます。基本的な信仰は全部守ると言いながら、人格的には0点です。誰がそういうものを信仰の基準だと言いましたか?それは人間が作り出した偶像です。

もちろん、自分の心の中でイエス様を愛し、献身する心があって、それらを守るのであれば、それはとても良い信仰です。私たちも同じです。愛し合う男女、相手のために愛の表しとして花をプレゼントすれば、本当に美しいことです。しかし愛の心が毛の先ほどもないのに、その人によって利得を得ようとダイアモンドをプレゼントすれば、そのダイアモンドはどういう意味があるのでしょうか?心がないのであれば、それは何の意味もありません。しかし残念ながら、私たちはそういう風に信仰生活をしています。

だからもし、それがなかなかできなければ、しばらく待たなければなりません。信仰生活をしながら、簡単に答えを求めないでください。私たちは聖書を全部、理解できません。それは無理です。だから理解できない部分は、そのまま置いといてください。簡単に答えを探し出すことは偶像につながります。ヨセフの苦難を考えて見てください。苦難の時、彼は答えを求めず、それを探し出しませんでした。「神様、今すぐ答えて下さい。」と求めなかったのです。皆さん、もし知らなければ、そのまま置いといてください。それでいいのです。ヨセフは納得できませんでしたが、従順に従うことを決めました。しかし後で、振りかえて見たら、神様がなぜそういう風に導いたのか、悟るようになりました。

私は信仰の父と呼ばれるアブラハムも偶像礼拝をした人だと思います。神様がアブラハムに、「あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。」と約束を与えてくださいました。そうしたら、その約束を握りしめ、最後まで行かなければなりません。しかしそれが不可能だと思ったら、彼が取った簡単な方法は何でしたか?ハガルという女奴隷を通してイシュマエルを得ることでした。待つことができず、簡単な方法を選びました。

まさに、それが偶像礼拝でした。神様がそんな方法で子孫を数多く増し加えようとおっしゃったのではありません。100歳のアブラハムと90歳のサラ、つまり死んだ者と同じような体を通して、息子を与えると約束なさったのであれば、それだけが神様の方法であれば、待たなければなりません。しかし、なぜ待つことができなかったのでしょうか?

私たち人間には偶像礼拝をしようとする心があります。いつもやさしく、簡単に行こうとすることが偶像礼拝をする心です。人間ができる合理的な方法を選ぼうとする心です。これが偶像礼拝であり、罪の性質です。

しかし私たちが神の御前で正しく生きる方法は何ですか?足りないのであれば、足りないまま生きることです。だから私は宗教改革者マルティン・ルターがしたことが正解だと思います。マルティン・ルターは本当にみことばに従って生きようとしました。しかしそういう風に生きることは簡単ではないことが分かったのです。どれほど一生懸命に善行を行っても、心に満足がありませんでした。結局、ルターは罪の中で苦しみながら、行くべきところまで行ったのです。あまりにも苦しかったので、彼が最後に悟ったことは、ローマ人への手紙1:17でした。「義人は信仰によって生きる」。人間の善行と功労、努力によって救われないことが分かたのです。だからルターはイエス・キリストの十字架が大事であり、イエス様を信じることが一番大切であること、それだけが自分を生かすことができるということを悟って、立ち上がりました。これこそが真の救い、本物の信仰です。

私たちは偶像崇拝に絶対に落ちいてはなりません。しかし今日にも教会の中で偶像礼拝をする人々がたくさんいます。すべてをやさしく、簡単に作ってしまいます。世の中でいいものであれば、すぐ教会に取り入れて適用します。誰がそういう風に教えたのですか?私たちは死ぬ時まで改革しなければならない存在です。いつも足りない存在です。神様の恵みなしには生きられない存在が私たちです。だからいつも「私は無益なしもべです。」と告白しなければなりません。それが本物の信仰です。

結論を出します。

罪人の人間が偶像を作る理由は、偶像はコントロールしやすいからです。偶像は理解が簡単であり、コントロールが可能です。偶像は人間が作り出したものだから、とても簡単です。偶像の中で理解しがたい偶像はありません。しかしまことの神様を知ることはとても難しいことです。だから神様に出ていくことは簡単ではありません。

だからこそ、私たちは「祈り」を通して神様に出会わなければならないし、「礼拝」を通して神の臨在を体験しなければなりません。しかし、それはとても難しいことです。それにもかかわらず、私たちが生きる唯一の道は、もっと謙遜にひれ伏し、まことの神様を求めることです。これが真の救いであり、本物の信仰です。

・自分の中にある偶像を分かち合い、徹底的に悔い改めましょう。
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