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詩篇 119:105

マタイの福音書1:18-25(人間になった神様)

投稿者
tbic
投稿日
2022-12-25 17:23
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414
マタイの福音書1:18-25

18.イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。19.夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。20.彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。21.マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」22.このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。23.「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。24.ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、25.子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

イエス・キリストの誕生は超自然的な誕生です。自然法則ではなく、男を知らない処女の体を通してお生まれになったということです。これはイエス様がお生まれになる前の700年前にイザヤ預言者を通して預言されたことです。それが今日の本文の23節です。『 見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。』これは本当に理解しがたいメッセージでもあります。しかし、イザヤ預言者は明確に、イエス様が来られる数百年前から、その方は処女の体から誕生すると教えてくれたのです。

本文を読みますと、ヨセフとマリヤが婚約の関係(まだ結婚ではない)にありながら、まだ同居していない、同居の前に妊娠したことが分かります。当時イスラエルの男女の関係は15-16歳が過ぎたら、いつでも両親の許可の下で同居できるし、結婚できる自由がありました。だからマリヤとヨセフは10代の後半になった成人として、彼らを結婚させようとした両親の許可の下でいつでも同居できたわけです。しかし彼らはまだ結婚式も挙げなかったし、同居もしませんでした。

ところが、ある日マリヤがヨセフに訪ねて来て「私は妊娠しました」と言った瞬間、ヨセフが受けたショックは言うまでもありません。きっと戸惑ったに違いありません。ヨセフは本当に悩んだと思います。多分マリヤが姦淫の罪を犯したと思って、律法通りに彼女は石打にされ、殺されるに違いないと思ったのです。だから、静かにマリヤとの関係を切ってしまおうと考えたその日の夜、神様がヨセフに天使を送って、マリヤと同じメッセージ(聖霊によってみごもった)を送り、ヨセフを安心させたわけです。そして「躊躇せず、マリヤを連れて来て同居しなさい」と指示しました。ヨセフは正しい人で信仰ある人だったので、その指示を受け、直ちにマリヤを連れて来て同居しました。それが本文の24-25節です。「ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。

ヨセフもそうですが、マリヤは本当に信仰ある偉大な女性です。聖霊によってイエス・キリストが自分の身体から生まれたら、その後、自分が払うべき代価はどれほどひどいものなのか、知っていたし、それは言うまでもありません。しかし彼女は、ルカの福音書1:38、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」神のみこころに従って、自分を献身し、明け渡しました。

私はイエス様が処女マリヤからお生まれになったことを黙想しながら、二つの事実で恵みを受けました。一番目は、インマヌエルの恵みです。本文23節、もう一度読みます。「 見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。」遠く離れているように見えた神様が私たちの近くに来られたのです。自由に交わりできなかった神様が、友達のように交わることができるようになったわけです。私たちの目に見えるし、耳に聞こえ、手で触れる神様として来られました。つまり、私たちの心の中で感じられる神様として来られたということです。その方がまさに、イエス・キリスト、インマヌエルの神様です。

実際に、イエス様が多くの人々の前に現れたとき、どんな姿だったのでしょうか?友達のように会話できる普通で平凡な人でした。そして苦しんでいる貧しい人々、疎外されて、また圧迫されている人々を、一番最初に関心をもっておられたのです。そして彼らに希望を与えてくださいました。マタイの福音書11:28、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」主の約束です。たとえ世の中で苦しみ、圧迫され、身もだえしていても神様は彼らを愛し、ご自分の子どもとして受け入れてくださると。さらにイエス様を信じれば永遠のいのちをプレゼントしてくださると。彼らに真の希望を与えてくださいました。

イエス様はそういう神様です。私が涙を流すとき、私のそばで一緒に泣いてくださる神様、私が挫折して座り込み、起き上がることができないとき、私の手を握って起き上がらせてくださる神様です。昔は、そんな神様を想像もできませんでした。ところが、今はイエス様によって真の神様に誰でも会えるのです。インマヌエルの神様、私の中に私のそばで共におられる神様を、イエス様が自ら教えてくださったということです。

もう一つ、イエス様の誕生を通して私たちが受けられる恵みは罪が取り除かれ、救われる恵みです。イエス・キリストは、この世に来られた神の小羊でした。罪のためにささげられる全焼のいけにえとして来られたのです。ヨハネの福音書1:29、「その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊。』」今日の本文でもマタイの福音書1:21、「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」とおっしゃいます。

イエス様がこの世に来られた一番大切な目的は十字架につけられ、死なれ、私たちを罪から救われるためでした。この小羊なるイエス様を通して私たちは神様を見るわけです。これがクリスマス、イエス様の誕生の恵みです。

結局、私たちの罪が赦され、神の子どもとして生きられるように、神様が人間になりました。そして自ら十字架を通して全焼のいけにえになったわけです。この十字架こそ、神の愛と正義がちゃんと表される素晴らしい出来事です。罪は確かに代価を払わなければならないし、責任を取らなければなりません。それを赦される唯一の方法は、罪のない神様が人間になって解決しなければなりませんでした。だから神の御子イエス・キリストがこの世に来られ、私たちの罪のために死ぬべき人間の身代わりとなって、全焼のいけにえの羊として、罪の代価を完全に支払いました。その恵みです。

それをイザヤ預言者はイザヤ書53章で、こう預言しています。イザヤ書53:1-6、「私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。

これがまさに、罪から救われる恵みです。イエス様によって私たちの罪が赦され、神の子ども(御民)となった恵みの人生はどれほど祝福された人生でしょうか。これからさらに、神様を賛美し、感謝しながら、イエス様の愛を体験していきたいと思います。

お祈り、

愛する天のお父様、本当にありがとうございます。イエス様を私たちに与えてくださり、処女のマリヤから生まれたイエス様を通して、インマヌエルの神様を教えてくださいました。その神様と共にこの世を生きられる幸せを、真にありがとうございます。またイエス様がこの世に来られ、私たちの罪のために小羊となってくださり、私たちのすべての罪を解決し、栄光ある神の子どもとしてくださったことを、心から感謝いたします。今年もクリスマスを通して、もう一度この大きな恵みを心から感謝し、救い主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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