信仰の証
主の恵みを交わし。
私がイエス様に出会ったのは23歳の時でした(K.S)
投稿者
tbic
投稿日
2023-05-02 14:11
閲覧数
492
私はクリスチャン家庭で生まれたのですが、実際にイエス様に出会ったのは23歳の時でした。看護大学を通っていた時、自分に合わなかったので、とても大変でした。死にたいという思いがたくさんあって、両親に対する恨みもあり、教会に行きたいという思いはあったのですが、勇気がありませんでした。以前は大変なことがあった時だけ、たまに教会に行ったのですが、続けることはありませんでした。その時の心の状態は、めちゃくちゃでした。恐れによって、私の人生に与えられたチャンスも逃してしまいました。そんな中で親しかった学校の先輩が、「一緒に教会に行こう」と誘ってくれて、現在通っている教会に私を導いてくれました。教会に行って共同体を体験したいという祈りをささげてから、数年経って答えられました。こういうふうに主は生きておられ、信仰生活の細かいところまで責任取って下さいました。教会に通いながら、先輩の助けによって聖書の学び会にも参加し、心の中で解決されていなかった人生の疑問が聖書を通して解決され、毎週教会に行くようになりました。24歳の時、初の職場を大学病院に通ったときはとても大変でした。当時何でもできるという高慢で職場を辞めました。そして私ができると思った公務員になる勉強を2年間一生懸命にしました。26歳の2年後に私は公務員の試験に落ち、一週間後には図書館で泣いている私に聖霊様が平安の中で臨み、「わたしはいつもあなたと共にいる。」とおっしゃいました。その時は、「何故だろう?私は益々狂っていく。」と思い、それを受け入れられず、そんな体験を見極めることができませんでした。その中で、今まで私を支えてくれた家族に疎かにしていた過去を、主が悟らせてくださいました。今考えてみたら、その時、信仰を持って主に行っていたら、多くの問題が解決されたはずです。日常生活の中でも主を愛し、主に近づくことが優先だという気がします。私は主を信じなかったので、大切な選択の時、不従順の場合が多かったのです。選択の瞬間に私が考えたことと違った決断を、主が要求されることが度々ありました。主が教えてくださったことと従順が必要な状況でも、躊躇しながら悩む自分に必要だと思った通りに決めて不従順でした。その後には、なぜ従順に従わなかったのかと後悔し、挫折もたくさんしました。主と共に対話し、主をもっと頼って決断する過程と時間が必要だと思います。その過程をよく耐える者に、主は驚くべき恵みを用意してくださいます。今、辛い思いをし、大変なことを経験している方がいらっしゃるならば、主に向かって希望を抱き、現在をよく乗り越えられることを切に願います。
主の助けによって計画した職場生活を満たし、初めてスペインに海外旅行をしました。主が本当に楽しくて幸せな旅行ができるように助けてくださいました。その後、新しく入った職場で「心によっては自分が目標にしたことのすべてができる」という自信満々で充満でした。その時が30歳でした。しかし、あまりにも簡単に罪に陥って、主に従わなかったのです。また自分の心が願うことをしたくても他の人の意見を聞いて、その通りに決める問題がありました。当時、付き合っていた彼氏との結婚についても、勉強していた試験についても、何が主の御心であるか、長い間祈りながらも決めることができませんでした。問題は私の心と罪の性質がそのままで、間違った選択をしてきた自分を恐れながら、「主よ、正しい選択を教えてください。」という態度でした。主は、主に求めたとき答えを教えてくださいました。しばらくの間、聖書を読みながら私の魂にみことばを入れる時間を持ち、罪にぶつかった瞬間には祈り続けました。時間が経つにつれ、主の助けによって徐々に罪から遠ざかり、教会に近づいて行きました。日常生活での変化、罪から遠ざかる自分の姿があった後に、主が与えられる答えを悟ることができました。そして私のために祈ってくれた人々を考え、教会のプログラムである「とりなし祈りの学校」に登録しました。毎週一時間ずつ祈りながら、信仰の良い習慣を築き、教会の礼拝にもよく参加しました。
半面、私の不従順によって職場で大変なことを経験し、職場をやめた後、なお自分の思いを貫こうとする自分を見ました。それと同時に、もうこれからは主が私の人生を導かれる気がしました。その後、国内宣教に行って従順を学び、教会に戻ってからはチームリーダーとなって、計画通り職場をやめてから公務員の試験準備をしました。公務員の試験準備をしながら聖書を読み、祈ったのですが、勉強する過程は大変でした。また聖書の答えとして結婚を考えていた彼氏と別れを選択しました。試験の合格のために切実になっていたときはイエス様を考えていなかったし、私の霊的状態はもっと悪かったのです。イエス様を選択した後、やっとイエス様が私の罪を気づかせてくださって、祈りの中で私を苦しめた悪霊が出ていく声も聞きました。ある時は、祈りの中でずっと「申し訳ございません。」という悔い改めの祈りをささげました。今考えてみたら、その当時、私は私を大変なところまで追い込みました。イエス様と遠くなっていた私はとても弱かったし、主を受け入れるまで時間がたくさん必要な人でした。考えが複雑になった時は、主が私の考えと心を導いてくださるように祈ってからは安定になりました。
教会のリーダーとなって毎週土日を忙しく過ごし、私の人生をイエス様中心に満たして霊の力を引き上げることができました。今考えてみたら、「とりなし祈りの学校」をしながら主に出ていった姿が教会のリーダーになる力を得たと思います。毎週聞くメッセージと教育によって信仰の知識を積み、信仰の力も大きく引き上げてチームのトップリーダーとなりました。私がやったことはただ誠実に教会に出席し、教育訓練に参加しただけです。これはコロナ禍の中で私を教会にもっと密着させてくれました。トップリーダーをしながら教会の絆を感じることができ、私の魂も明るくなって予想してないところで恵みも受けました。しかし反面、イエス様の心をもって人々を導くことを難しく感じる自分の姿を発見して、早くトップリーダーを辞めたいと考えた時もありました。今考えれば、私は熱心だったのですが、忙しい日常生活の中でも主に祈り、主の御前に出ていく必要があったと思います。主から与えられる使命とみことばを守ろうとする努力があるとき、もっと正しく働きもでき、力が与えられる気がします。主の中にいるとき主から与えられる恵みもあり、また主の中にいない私の罪の性質があって、いつもそれが共存するのを発見します。信仰の中に正しく立っていることが本当に必要ですが、これを自分の力でやるのではなく、イエス様に頼って進む時ちゃんとできると思います。信仰生活の熱心が大切ではなく、一日一日イエス様を考えながらイエス様に頼って、祈る心をもって歩むことが大切であると悟りました。私たちが大変な時に頼ることができ、祈ることができる対象があることだけで、ただ感謝です。すべてを収める真理の王であられるイエス様が、御自分の考えとみことば通りに行われることを見れるだけでも祝福だし、主から与えられる力によって変えられ、折に適って助けを受けることで感謝です。みんながそれを、喜びをもって受け取ってほしいのです。
マタイの福音書11:29-30、「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」というみことばのように、主と共に生きる人生の中で、この軽い心の重さを経験してほしいのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」という使徒の働き16:31のみことばのように、主イエスを信じることによって主が導き、助けられる人生をみんなが体験してほしいのです。私たちの人生の道は、結局死に向かって走り主に帰るのですが、与えられた時間の中で最大に主を愛し、主と共に交わりながら生きることが恵みであり、その恵みを喜んで楽しんでほしいのです。結局、私たちの終着点は天国で主に会えることなので、いつも主を見上げ、天の御国を見つめながらそれを選択して生きることを切に願います。
主の助けによって計画した職場生活を満たし、初めてスペインに海外旅行をしました。主が本当に楽しくて幸せな旅行ができるように助けてくださいました。その後、新しく入った職場で「心によっては自分が目標にしたことのすべてができる」という自信満々で充満でした。その時が30歳でした。しかし、あまりにも簡単に罪に陥って、主に従わなかったのです。また自分の心が願うことをしたくても他の人の意見を聞いて、その通りに決める問題がありました。当時、付き合っていた彼氏との結婚についても、勉強していた試験についても、何が主の御心であるか、長い間祈りながらも決めることができませんでした。問題は私の心と罪の性質がそのままで、間違った選択をしてきた自分を恐れながら、「主よ、正しい選択を教えてください。」という態度でした。主は、主に求めたとき答えを教えてくださいました。しばらくの間、聖書を読みながら私の魂にみことばを入れる時間を持ち、罪にぶつかった瞬間には祈り続けました。時間が経つにつれ、主の助けによって徐々に罪から遠ざかり、教会に近づいて行きました。日常生活での変化、罪から遠ざかる自分の姿があった後に、主が与えられる答えを悟ることができました。そして私のために祈ってくれた人々を考え、教会のプログラムである「とりなし祈りの学校」に登録しました。毎週一時間ずつ祈りながら、信仰の良い習慣を築き、教会の礼拝にもよく参加しました。
半面、私の不従順によって職場で大変なことを経験し、職場をやめた後、なお自分の思いを貫こうとする自分を見ました。それと同時に、もうこれからは主が私の人生を導かれる気がしました。その後、国内宣教に行って従順を学び、教会に戻ってからはチームリーダーとなって、計画通り職場をやめてから公務員の試験準備をしました。公務員の試験準備をしながら聖書を読み、祈ったのですが、勉強する過程は大変でした。また聖書の答えとして結婚を考えていた彼氏と別れを選択しました。試験の合格のために切実になっていたときはイエス様を考えていなかったし、私の霊的状態はもっと悪かったのです。イエス様を選択した後、やっとイエス様が私の罪を気づかせてくださって、祈りの中で私を苦しめた悪霊が出ていく声も聞きました。ある時は、祈りの中でずっと「申し訳ございません。」という悔い改めの祈りをささげました。今考えてみたら、その当時、私は私を大変なところまで追い込みました。イエス様と遠くなっていた私はとても弱かったし、主を受け入れるまで時間がたくさん必要な人でした。考えが複雑になった時は、主が私の考えと心を導いてくださるように祈ってからは安定になりました。
教会のリーダーとなって毎週土日を忙しく過ごし、私の人生をイエス様中心に満たして霊の力を引き上げることができました。今考えてみたら、「とりなし祈りの学校」をしながら主に出ていった姿が教会のリーダーになる力を得たと思います。毎週聞くメッセージと教育によって信仰の知識を積み、信仰の力も大きく引き上げてチームのトップリーダーとなりました。私がやったことはただ誠実に教会に出席し、教育訓練に参加しただけです。これはコロナ禍の中で私を教会にもっと密着させてくれました。トップリーダーをしながら教会の絆を感じることができ、私の魂も明るくなって予想してないところで恵みも受けました。しかし反面、イエス様の心をもって人々を導くことを難しく感じる自分の姿を発見して、早くトップリーダーを辞めたいと考えた時もありました。今考えれば、私は熱心だったのですが、忙しい日常生活の中でも主に祈り、主の御前に出ていく必要があったと思います。主から与えられる使命とみことばを守ろうとする努力があるとき、もっと正しく働きもでき、力が与えられる気がします。主の中にいるとき主から与えられる恵みもあり、また主の中にいない私の罪の性質があって、いつもそれが共存するのを発見します。信仰の中に正しく立っていることが本当に必要ですが、これを自分の力でやるのではなく、イエス様に頼って進む時ちゃんとできると思います。信仰生活の熱心が大切ではなく、一日一日イエス様を考えながらイエス様に頼って、祈る心をもって歩むことが大切であると悟りました。私たちが大変な時に頼ることができ、祈ることができる対象があることだけで、ただ感謝です。すべてを収める真理の王であられるイエス様が、御自分の考えとみことば通りに行われることを見れるだけでも祝福だし、主から与えられる力によって変えられ、折に適って助けを受けることで感謝です。みんながそれを、喜びをもって受け取ってほしいのです。
マタイの福音書11:29-30、「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」というみことばのように、主と共に生きる人生の中で、この軽い心の重さを経験してほしいのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」という使徒の働き16:31のみことばのように、主イエスを信じることによって主が導き、助けられる人生をみんなが体験してほしいのです。私たちの人生の道は、結局死に向かって走り主に帰るのですが、与えられた時間の中で最大に主を愛し、主と共に交わりながら生きることが恵みであり、その恵みを喜んで楽しんでほしいのです。結局、私たちの終着点は天国で主に会えることなので、いつも主を見上げ、天の御国を見つめながらそれを選択して生きることを切に願います。
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私がイエス様に出会ったのは23歳の時でした(K.S)
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