メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
創世記22:1-8「苦しみ(十字架)を受け入れれば、素晴らしい逆転(復活)がある。」
投稿者
tbic
投稿日
2024-04-07 20:44
閲覧数
278
創世記22:1-8『これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。三日目に、アブラハムが目を上げると、遠くの方にその場所が見えた。それで、アブラハムは若い者たちに、「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と言った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を取り、それを息子イサクに背負わせ、火と刃物を手に取った。二人は一緒に進んで行った。イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。』
創世記22章は、イサクを「全焼のささげ物」としてささげる状況です。アブラハムにとって、息子イサクは自分の期待の偶像になっていたから、「それを手放しなさい」という主の命令でした。アブラハムはものすごい苦しみの中にあったのですが、本文の3節以下を見ますと、むしろ平常心を保っています。もう揺れない信仰の決断があったからです。信仰は決断です。前もって決断することが信仰です。これは苦しみをも受け入れ、黙想(祈り)を通して逆転が起きる、「復活の信仰」を意味します。
1.信仰の決断の大切さ。
決定は既に下されています。前もって決定を下すことが信仰です。今日の本文の3節に、決断したアブラハムの平常心が見られます。平気です。ダニエルも同じです。ダニエル書1:8、「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。」こういうふうに前もって信仰の決断があったわけです。
本文の3節に、アブラハムは「翌朝早く、、息子イサクを連れて行った。」と出ます。躊躇せず、ためらわない姿です。優柔不断は状況を見ながら決定しようとすることですが、こういう生き方はいつも揺れます。未来が見えません。試み、誘惑が絶え間ない人生となります。
ヘブル人への手紙12:2、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
もちろん信仰の人生は簡単ではありません。損害をこうむることもあります。しかし、どんなことがあってもイエス様について行こうとする決断の人生がクリスチャンの人生です。信仰を持ったとしても、すべてがうまく行くとはかぎりません。むしろ信仰を持っているからこそ、損害を受け、敗北もするし、死ぬことさえあります。しかし信仰とは、最後の最後まで従順できる力です。
信仰の目標はみことばとイエス様に従うことです。真の信仰と、ウソの信仰があります。本当の信仰は悪魔の誘惑と騙し取る詐欺、あらゆる試練に揺れません。しかし決断しない人は試みに会うたびに、揺れる人生となります。これは偽物の信者であり、ウソの信仰です。だから、信仰の決断が大切です。
2.黙想(祈り)は苦しみも受け入れられる力を与えます。
今日の本文の4節に、三日間歩いたら、イサクをささげる場所であるモリヤの地が見えました。三日というのはアブラハムにとって苦しみの時間です。息子の死を黙想する時間です。これは、またイエス・キリストの十字架の死を表わしています。三日間葬られたイエス様は、その後、復活されました。
しかし問題は、恵みのない人は他人の苦しみを共感できません。だからこそ、クリスチャンは人を見て、苦しみが感じられなければなりません。人間はみんな苦しみを経験します。苦しみを経験するとき、言葉の数が多ければダメです。それはウソの苦しみかもしれません。
アブラハムは沈黙して、神様の命令を受け入れます。その命令に神のみこころがあると信じたからです。理解ではなく、信頼であったということです。苦しみがあれば、祈ってください。黙想を通して必ず悟りを得ます。苦しみの意味をちゃんと知るようになります。アブラハムの三日間の苦しみは決して長くはありませんでした。その苦しみは必ず復活につながります。
3.復活の信仰。
今日の本文の5節に、「私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る。」信仰は必ず戻って来ることです。信者は死んでも生き返り、必ず復活します。
「跡継ぎはイサクによって。イサクを全焼のささげ物としてささげなさい。」
この二つの命令がすべて神のみことばです。お互いに矛盾であり、到底理解できません。しかしこれは、「死んでも生き返ることを信じた」ということです。アブラハムの「復活の信仰」を表しています。
ヘブル人への手紙11:17-19、『信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。』
まさに、「復活の信仰」です。死んでも生き返ります。苦難を通過して、信仰の深さがさらに深まり、もっと強くなります。
本文の6節に出る「全焼のささげ物」は殺すことです。これは「礼拝」のことですが、礼拝は死んで生き返ることです。まさに、「復活」そのものです。真の礼拝を通して死んだ者は生き返り、眠っている者は起き上がり、病んでいる者は必ず回復します。だから、日曜日の礼拝は復活をお祝う特別な時間です。
そして、アブラハムの徹底した従順が今日の本文の22:7-8に出ます。『イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」』
アブラハムには生きた信仰、真の信仰がありました。だから私たちも自分ができることをやればいいのです。それが私たちの従順です。そして神様がなさることは回復と生かすこと、復活です。この「復活の信仰」を持って、今日も楽しみ、また一週間を過ごしたいと思います。
創世記22章は、イサクを「全焼のささげ物」としてささげる状況です。アブラハムにとって、息子イサクは自分の期待の偶像になっていたから、「それを手放しなさい」という主の命令でした。アブラハムはものすごい苦しみの中にあったのですが、本文の3節以下を見ますと、むしろ平常心を保っています。もう揺れない信仰の決断があったからです。信仰は決断です。前もって決断することが信仰です。これは苦しみをも受け入れ、黙想(祈り)を通して逆転が起きる、「復活の信仰」を意味します。
1.信仰の決断の大切さ。
決定は既に下されています。前もって決定を下すことが信仰です。今日の本文の3節に、決断したアブラハムの平常心が見られます。平気です。ダニエルも同じです。ダニエル書1:8、「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。」こういうふうに前もって信仰の決断があったわけです。
本文の3節に、アブラハムは「翌朝早く、、息子イサクを連れて行った。」と出ます。躊躇せず、ためらわない姿です。優柔不断は状況を見ながら決定しようとすることですが、こういう生き方はいつも揺れます。未来が見えません。試み、誘惑が絶え間ない人生となります。
ヘブル人への手紙12:2、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
もちろん信仰の人生は簡単ではありません。損害をこうむることもあります。しかし、どんなことがあってもイエス様について行こうとする決断の人生がクリスチャンの人生です。信仰を持ったとしても、すべてがうまく行くとはかぎりません。むしろ信仰を持っているからこそ、損害を受け、敗北もするし、死ぬことさえあります。しかし信仰とは、最後の最後まで従順できる力です。
信仰の目標はみことばとイエス様に従うことです。真の信仰と、ウソの信仰があります。本当の信仰は悪魔の誘惑と騙し取る詐欺、あらゆる試練に揺れません。しかし決断しない人は試みに会うたびに、揺れる人生となります。これは偽物の信者であり、ウソの信仰です。だから、信仰の決断が大切です。
2.黙想(祈り)は苦しみも受け入れられる力を与えます。
今日の本文の4節に、三日間歩いたら、イサクをささげる場所であるモリヤの地が見えました。三日というのはアブラハムにとって苦しみの時間です。息子の死を黙想する時間です。これは、またイエス・キリストの十字架の死を表わしています。三日間葬られたイエス様は、その後、復活されました。
しかし問題は、恵みのない人は他人の苦しみを共感できません。だからこそ、クリスチャンは人を見て、苦しみが感じられなければなりません。人間はみんな苦しみを経験します。苦しみを経験するとき、言葉の数が多ければダメです。それはウソの苦しみかもしれません。
アブラハムは沈黙して、神様の命令を受け入れます。その命令に神のみこころがあると信じたからです。理解ではなく、信頼であったということです。苦しみがあれば、祈ってください。黙想を通して必ず悟りを得ます。苦しみの意味をちゃんと知るようになります。アブラハムの三日間の苦しみは決して長くはありませんでした。その苦しみは必ず復活につながります。
3.復活の信仰。
今日の本文の5節に、「私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る。」信仰は必ず戻って来ることです。信者は死んでも生き返り、必ず復活します。
「跡継ぎはイサクによって。イサクを全焼のささげ物としてささげなさい。」
この二つの命令がすべて神のみことばです。お互いに矛盾であり、到底理解できません。しかしこれは、「死んでも生き返ることを信じた」ということです。アブラハムの「復活の信仰」を表しています。
ヘブル人への手紙11:17-19、『信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。』
まさに、「復活の信仰」です。死んでも生き返ります。苦難を通過して、信仰の深さがさらに深まり、もっと強くなります。
本文の6節に出る「全焼のささげ物」は殺すことです。これは「礼拝」のことですが、礼拝は死んで生き返ることです。まさに、「復活」そのものです。真の礼拝を通して死んだ者は生き返り、眠っている者は起き上がり、病んでいる者は必ず回復します。だから、日曜日の礼拝は復活をお祝う特別な時間です。
そして、アブラハムの徹底した従順が今日の本文の22:7-8に出ます。『イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」』
アブラハムには生きた信仰、真の信仰がありました。だから私たちも自分ができることをやればいいのです。それが私たちの従順です。そして神様がなさることは回復と生かすこと、復活です。この「復活の信仰」を持って、今日も楽しみ、また一週間を過ごしたいと思います。
合計 178
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