メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

マタイの福音書11:28-30、イザヤ書61:1-3(疲れた人、重荷を負っている人への招き)

投稿者
tbic
投稿日
2024-07-08 18:28
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254
マタイの福音書11章28-30節、イザヤ書61章1-3節

ご挨拶(教会の皆様への感謝と近況報告

インド宣教とこの小さき者どもを東京ベイ国際教会の皆様のお祈りとご支援によりお支えいただいておりますこと心から感謝いたしております。

私たちはこのたび4月25日に日本に一時帰国させていただきました。そして4月29日から私に発熱が始まりました。そして病院に行きました。

実はインドで4月、私たちの関係者(空手の元生徒)の一人がデング熱とチフス両方に感染して苦しんでいました。彼はスラムの中のとても小さな一部屋の家に、奥さんと3人の子供と共に住んでおります。

彼を一日おき位に続けて訪問させていただき、インドからの出発の前日(4月22日)まで訪問を続けておりましたので、その事を医師に話しました。

そしてチフスと共に、その他の感染症や病気の検査を受けましたが陰性でした。しかし発熱(おもに37度前半でしたが時々37度後半)が毎日続いておりました。

6月中旬頃から体温が37度以下になり感謝でしたが、時々37度以上になっておりました

しかし6月末頃から体温がおもに平熱となり本当に感謝です。

現 況.インド総選挙(2024年)インド社会の表と裏

 インドでは4月から6月初めにかけて国会議員の選挙が行われました。

ヒンドゥー教を最高とするヒンドゥー教至上主義インド人民党のモディ首相によるモディ政権が2014年から既に10年間続いてきました。

昨年5月、インド北東部マニプール州で、部族間の紛争が起こり、ヒンドゥー教の人々のグループにより、少数派部族クリスチャンが攻撃され、140人以上が殺害され、360余りの教会堂が焼かれたり破壊されたりすると共に、非常に多くの人々の家々が焼かれ、6万人以上の避難民が生み出されたそうです。

しかしヒンドゥー教至上主義のモディ首相とマニプール州知事は、この問題に対し黙認同然の状態でした。

今後もモディ政権が続くことは非常に危険であるため、インドの私たちの教会でも今回の選挙のために真剣にお祈りしていました。

選挙結果は、今回もまたヒンドゥー教至上主義のインド人民党の勝利でした。しかし彼らの議席数は今回大幅に減りました。今後は、彼らが全ての事を思い通りに行うことは出来なくなっていくことが期待されています。

 今回のインドの選挙に重ね合わせ、インドについて日本でも多くの報道がありました。しかしその多くは、インドの経済成長に関係する表側の部分の報道であり、社会の裏側・陰の部分はあまり報道されませんでした

近年インド大きく経済成長していることは事実です。

しかし貧富の格差と貧困問題は依然として続いています。トイレも水も電気もない掘っ立て小屋で暮らしている人々、小学校にもあまり通わず読み書きが出来ない人々も沢山おります。

そしてヒンドゥー教のカースト制度による差別、また花嫁の家族が新郎側に莫大なお金を与えなければならない花嫁持参金、また多くの不正、賄賂、暴力など、多くの悪弊が存続しています。

そして社会の底辺に置かれた人々の、人間としての尊厳が踏みにじられていることが事実です。

最も小さい人たちの一人を心に留めておられ、自分自身を最も小さい者たちの一人と同じ立場におかれているキリスト

主イエス・キリストはマタイの福音書25章の中で、「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

そして、「最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。」(マタイ25:31-46)とお語りになっておられます。

主イエス様は、最も小さい者たちの一人を心に留めておられ、自分自身を最も小さい者たちの一人と同じ立場におかれております。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)の御言葉の通り、イエス様は最も小さい者たちの一人を愛しておられます。

この世にあって、たとえ最も小さい者たちの一人であっても、その人の人間としての尊厳が踏みにじられるようなことは決してあってはなりません。

序 論 空手指導者という職業により見下げられ蔑まれる

さて、ヒンドゥー教徒が人口の約8割を占めるインドに、私たちが派遣していただきましたのは2001年です。

しかしインドでは外国人によるキリスト教の伝道が禁止されており、宣教師としてはインドに滞在するビザを得ることが出来ないため、私たちはYMCAのご協力を得て、YMCAの空手の指導者としてビザを得ることが出来、空手指導をさせていただきながらインドに滞在することが出来ました。

ところで、ヒンドゥー教のカースト制度では、その家族が所属するカーストにより職業が固定化されてきました。日本の江戸時代の身分制度(士農工商)も、それに似たところがあります。

私の本来の職業は伝道者です。しかしインドでは、その事は他人に話すことが出来ません。警察や入国管理局に知られてしまえば、私たちは逮捕され、国外追放にされてしまいます。

ですから私の職業を空手指導者としてきました。現在は空手指導をしていませんので、引退した空手指導者としています。

しかしの職業が空手指導者であるという事で、私たち夫婦は、多くの人々から見下げられ、蔑まれてきました。なぜならインドでは空手指導者の多くは、社会の底辺の比較的貧しい人々であります。

インドでは相手がどのような階級社会階層に属するかによって、その相手に対する態度・接し方が変わります

これはヒンドゥー教のカースト制度に基づく階級差別社会の特徴の一つです。

序 論 .階級差別が続くインドでの、貧しい人々との関係の持ち方の難しさ

 このようなインド社会にあって私たちは、人々から差別されている貧しい人々に仕えさせていただこうとしました。

 ところが貧しい人々に謙遜な態度で仕えさせていただこうとすると、その貧しい人々から、非常に見下されてしまいました。

 彼らは通常は、中間層以上の人々に対しては、召使いのように非常に従順です。

しかし彼らに謙遜に仕えさせていただこうとする私たちに対しては、非常に横柄な態度を取り、私たちを見下してきました。

社会内で差別を受けている貧しい人々も、自分たちよりもさらに低い階層の人々や弱い立場の人々に対しては、相手を見下し差別することがわかりました。

(私たちが誰に対しても頭を下げてお辞儀し、謙遜に振舞おうとしたことは、彼らから見下される原因にもなりました。)

 私たちは近所のスラムエリヤの子供たちとも親しくしようとして、その子供たちに接近しましたが、その子供たちからも非常に馬鹿にされてしまいました。

 私のことを「クマイ、クマイ」と言って嘲ってくる子供もいました。

スラムの子供たちは我が家の前を通って小学校に通っていますので、学校帰りの子供たちのグループに、私が自動車の窓越しに挨拶していると、私の目の前に立っていた低学年の子供から突然、私の目に砂を投げつけられ、目に激痛を起こした事もありました。

 しかし忍耐を重ね、ようやく貧しい人々と親しくなることが出来ると、その人々の中には私たちにお金を求めてくる人々が何人も現れました。

 

数千年に渡りカーストという階級差別が続いているインドという異文化社会の中での、貧しい人々との関係の持ち方には非常に難しさを感じました。

序 論 .隣に建設された豪勢な邸宅のご家族から受けた蔑視と虐待

また2004年には、我が家の隣りの空地に、あるご家族が豪勢な邸宅の建設工事を始めました。そして、その建設現場から砂とセメントの大量の埃、そして大量のコンクリートの固まりと生コンクリートまで我が家に飛んで来ました。

そのため、我が家ではほとんど窓を開けることが出来ず、台所でプロパンガスを使用する時にも換気をすることが出来ず、熱気の籠った暑さの中で、妻に激しい頭痛が起こりました。

また我が家に飛んで来る大量の生コンクリートは、我が家の外壁・窓ガラス・地面に付着して、我が家はコンクリートだらけになってしまいました。

 

 彼らに対して苦情を申し立てても、彼らは私たちを見下げて、蔑む態度を取り続け、ほとんど対応していただくことが出来ませんでした。

約1年半を費やし2006年に、その豪勢な邸宅が完成し、そのご家族が住み始めました。

すると過激なリズムの音楽を、大音量で日中から深夜まで毎日かけ続け、あまりにも騒々しく、我が家では窓を開けることが出来ませんでした。

またヒンドゥー教のお祭りの時に、彼らはダイナマイトのような大きな爆竹を行ない、その凄まじい爆発音により、妻の耳に異常が生じてしまい、難聴になりかけていることを耳鼻科医に診断されました。

妻の心臓にも不調が始まり、時々不整脈が起こるようになってしまいました。

そして数年後には、心臓に発作が起こるようになり、狭心症と診断されるようになりました。

 彼らはタバコの吸殻とマッチ棒、ゴミ類も我が家に投げ込んできました。火事を起こす心配もあり本当に困りました。

 彼らに苦情を申し立てても、彼らは私たちを見下げて、蔑む態度を取り続けるだけで、私たちの苦情を一切聞き入れてくれませんでした。

本 論 1.人々から蔑まれ、のけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていたキリスト。(人間の代わりに多くの苦しみを受け、ご自分のいのちを捨てたキリスト)

 そのようにインドで私たちは、人々から見下げられ、蔑まれ、苦しめられる時に、イエス様のことを思いました。

イザヤ書53章には、イエス・キリストのことが預言され、このように書かれております。(イザヤ書53章3節)

彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、

悲しみの人で、病を知っていた。

人が顔を背けるほど蔑まれ、

私たちも彼を尊ばなかった。(イザヤ書53:3)

 この預言の通りイエス・キリストは、人々から蔑まれ、のけ者にされ、捨てられ、深い悲しみを受けながら、人々の病、痛み、苦しみ、悲しみを担ってくださいました。

そして私たち人間の全ての罪を背負い、人間の罪の身代りになられ十字架で死んでくださいました。

 それによって、私たち人間の全ての罪は赦され、天国での永遠のいのちと祝福が私たちに約束されました。

そして天の神様による人類への救いの御業が完了しました。

本 論 2.すべて疲れた人、重荷を負っている人へのキリストからの招き

 私たち人間を罪による滅びから救うために、私たちに代わって多くの苦しみを受けて、ご自分のいのちを捨ててくださったイエス・キリストは、私たち一人ひとりが抱えている罪、苦しみ、悲しみ、悩み、病、全ての重荷と、私たち一人ひとりの境遇を全てご存知でいてくださいます。

 そして、すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と、私たち一人ひとりに語り掛けてくださっておられます。

イエス様は、続けて語り掛けてくださいます。

「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

(マタイ11:29-30)

 これは、「すべて疲れた人、重荷を負っている人」へのキリストからの招きです。

私たちは、この世にあって、様々な問題を抱え、苦しみ、悲しみ、悩まされ、立ち上がることが出来なくなってしまい、疲れ果ててしまうことがあるのではないでしょうか。

私たち人間は、人間の創造主(つくりぬし)であられる天の神様から、肉体と心を与えていただくと共に、『たましい』を与えていただいております。

たとえ頑丈な肉体を持っている人であっても、心が疲れ果て、『たましい』が疲れ果ててしまうならば、生きていくことが難しくなってしまうのではないでしょうか。

しかし、人間に『たましい』を与えてくださった神様、私たちの救い主イエス・キリストのもとに行き、キリストにすがるならば、キリストが私たちの罪も、苦しみ、悲しみ、悩みも、病も、全ての重荷を担ってくださいます。そして私たちを休ませてくださいます。

詩篇68篇19節には、このように書かれています。

ほむべきかな 主。

日々 私たちの重荷を担われる方。

この神こそ 私たちの救い。    セラ 詩篇68:19

キリストは、私たちの全ての重荷を担ってくださり、私たちを休ませてくださいます。

そして私たちがキリストの弟子となり、キリストから学んでいくならば、私たちは『たましい』に安らぎを得ることが出来ます。

多くの悩みと重荷を負い、その重荷に押し潰されそうになっている方が、どこの国にも沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

そして自分の人生と生きることに、疲れ果ててしまっている方が沢山いらっしゃるのではないでしょうか。

私自身が、まさにそのような状態になっておりました。

 キリストは、私たちのこと全てをご存知でいてくださり、

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と、私たち一人ひとりに語り掛けてくださっておられます。

本 論 3.私たちの重荷を担われ、最善を成してくださったキリスト

我が家の隣の豪勢な邸宅のご家族から、私たちは見下げられ、蔑まれ、嘲られ、多くの苦しみを受け、私の妻は健康を害してしまい、私は彼らのことを憎み続けておりました。

しかし私は、彼らからされ事を忍耐して耐え忍ぶだけではなく、インドに派遣されている宣教師として、いかにして彼らを赦すことが出来るのか・・・。またさらには彼らを愛していくことが出来るのか・・・。

これは罪深き私にとって非常に大きな課題でありました。

私たちは彼らに親しみを込めて挨拶を続け、彼らに接近させていただきました。

そしてそのご家族の長男夫婦の子供たちの誕生日やクリスマスに、プレゼントを持参して彼らへの訪問を繰り返しました。そして彼らとのお交わりを少しずつ深めさせていただくことが出来ました。

すると彼らの子供が我が家に来たがり、親が子供を連れて我が家に来ることもありました。

その後、そのご家族の次男スリカーンツさんがオートバイで交通事故に遭い、骨折して手術を受け、数カ月間自宅で静養していましたので、何度かお見舞させていただき、お祈りさせていただくことが出来ました。

そのご家族の中で、私たちに対して、特に侮辱的態度を取り続けていたのは彼でした。しかしそのスリカーンツさんと共に、お祈りさせていただくことが出来ましたことは本当に感謝でした。

 ただ主の憐れみにより、主イエス様が私たちの重荷を担ってくださり、彼らの心を動かしてくださり、彼らと親しくさせていただけるようになりました。

彼らは2015年、その邸宅を売却して、別の場所に転居されました。

その時、手土産を持参して我が家にご挨拶にお越しくださった奥様は、涙を流して私の妻と抱き合いました。

その後、次男のスリカーンツさんが結婚され、私たちも結婚披露宴に出席させていただき、ご家族の皆様と親しいお交わりを持たせていただくことが出来て本当に感謝でした。

真に憐れみ深い私たちの主イエス様は、私たちの重荷を担ってくださり、そのご家族との関係を導いてくださいました。

そして彼らにキリストを証しさせていただくことが出来ましたこと、そして私たちのたましいに安らぎを与えていただけましたことを、キリストに心から感謝しております。

彼らがイエス・キリストを信じ、キリストの救いに与ることを願うばかりです。

本論4.「心の傷ついた者を癒やすため、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために」

1.詐欺と脅迫により大きな苦しみの中にあった私に遣わされたキリスト

ところで、昨年私が礼拝説教をさせていただいた時にお話しさせていただきましたが、昨年インドで私は、インターネット業者による詐欺と日々繰り返される脅迫電話により、精神的に大きな苦しみを受け、深刻なうつ状態に陥ってしまいました。うつ病です。

その苦しみの中にある時、日々、主に叫び、祈り求め、聖書の御言葉を通して主からの導きを受けることが出来ました。

その御言葉の中の一つがイザヤ書61章1節-3節であり、この御言葉が改めて私の心に強く迫り心に留まりましたことを昨年お話しさせていただきました。

神である主の霊がわたしの上にある。

貧しい人に良い知らせを伝えるため、

心の傷ついた者を癒やすため、

主はわたしに油を注ぎ、

わたしを遣わされた。

捕らわれ人には解放を、

囚人には釈放を告げ、

主の恵みの年、

われらの神の復讐の日を告げ、

すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。

シオンの嘆き悲しむ者たちに、

灰の代わりに頭の飾りを、

嘆きの代わりに喜びの油を、

憂いの心の代わりに賛美の外套を

着けさせるために。

彼らは、義の樫の木、

栄光を現す、主の植木と呼ばれる。(イザヤ61:1-3)

この聖書箇所は、キリストのこの世における福音宣教について預言されており、キリストがこの世で宣教を開始されたことで実現しました。

 

1節に書かれている通り、キリストは「貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため」に、父なる神様、主に油を注がれ、この世に遣わされました。

この貧しい人とは、単に経済的に貧しい人を指すのではなく、打ち砕かれ絶望している人、悲しんでいる人、苦しむ人など、様々な苦難の中に置かれている人々のことです

*聖書協会共同訳聖書では、「苦しむ人に良い知らせを伝えるため」と訳されています。

そしてこの「良い知らせ」とは福音です。福音とは、キリストが私たち人間の全ての罪を背負い、人間の身代りになられ、ご自分のいのちを捨て、人間に救いを与えてくださることです。

そして、「心の傷ついた者を癒やすため」とあります。

この「癒やす」という言葉の直訳は、「包む」であるそうですが、そうすると「心の傷ついた者を包むため」となります。

*聖書協会共同訳聖書では、心の打ち砕かれた人を包みと訳されています。

キリストは心の傷ついた者(心の打ち砕かれた人)を包んでくださいます

詩篇147篇3節には、

「主は心の打ち砕かれた者を癒やし 彼らの傷を包まれる。」とあります。

イエス・キリストは、「貧しい人(苦しむ人)に良い知らせ(福音)を伝えるため」、そして「心の傷ついた者心の打ち砕かれた人)を癒やすため(包むため)」に、天の父なる神様、主に油を注がれ、この世に遣わされました。

私は、詐欺と日々繰り返される脅迫電話により、死ぬほどの苦しみの中にあり、私の心は非常に傷つき、打ち砕かれていましたが、キリストは、「心の傷ついた者心の打ち砕かれた人)を癒やすため(包むため)」私のためにも遣わされています。

そしてキリストは、「捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰め」てくださいます。

私は、詐欺と脅迫により大きな不安と恐れに捕らわれており、私はまさに不安と恐れに捕らわれた囚人のようになっていました

しかしキリストは、その悲惨な状態から、私を解放し、釈放してくださり、嘆き悲しむ私を慰めてくださいました。

キリストは「シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせ」てくださいます。

そして「彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれるようになります。

貧しい人、心の傷ついた者、捕らわれ人、囚人、すべての嘆き悲しむ者が、キリストによって、そのように新しく変えられ、主の栄光を現す、義の樫の木、主のしもべとされていきます。

これは何とすばらしい恵みでしょうか。

私たちが、たとえ死ぬほどの苦しみ、悲しみ、悲惨な状況の中に置かれていても、すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。」というキリストの招きに応じて、キリストのもとに行くならば、キリストが私たちを休ませてくださり、このすばらしい恵みを私たちに与えてくださいます。

この恵みを受けた私は、キリストに感謝して、キリストにつき従い、「心の傷ついた者を癒やすため」、「すべての嘆き悲しむ者を慰めるために」、この私も、キリストのお働きのお手伝いをさせていただきたく改めて願いました

2.父親を殺してしまった元生徒

疲れた人、重荷を負っている人へのキリストの招き)

 

そして昨年3月、かつて私が空手を教えた一人の生徒から、数年ぶりにお電話をいただきました。

(彼の事も、昨年私が礼拝説教をさせていただいた時に、お話しさせていただきました。)

 彼が私の空手クラスに集っていたのは2005年頃、彼が高校生の時であったと思います。

 彼の家族はスラムの中で、掘っ立て小屋の一間に住んでいました。母親は早くにお亡くなりになり、父親と彼の兄、妹の4人家族でした。

彼は真面目そうな少年でした。

同じスラムの、彼の家の近くに他の3人の生徒たちの家があり、私たちはその4軒の生徒さんご家族への家庭訪問を続けて、伝道させていただき、教会にお誘いしてきました。そして彼らは時々教会に来てくださいました。

彼の妹とお隣りの少女も、教会のクリスマス集会には来てくださいました。

 そして彼は警察官になりました。

 彼は私たちととても親しい関係にありましたが、もしも警察官の彼を通して、私たちが福音宣教をしていることを、警察に知られてしまうと、私たちは逮捕され、インドから国外追放にされてしまいます。

 私はその事を恐れ、警察官である彼に対し警戒心を持ちながら、彼と関わるようになりました。

 その後、彼は従妹の少女と結婚し、家族と別居し、別の地域に転居しました。

私たちは彼のご家族への家庭訪問と伝道を続けさせていただきましたが、別の地域に転居した彼自身とは直接会う機会がありませんでした。

 時々、彼と電話で話したり、Eメールのやり取りをすることはありましたが、私は警察官である彼に警戒心を持ち、積極的に彼に会おうとはしませんでした。

 その彼から、昨年3月に、数年ぶりにお電話をいただきました。

 その電話で彼は、「自分の父親を殺した。」と話してきましたので、私は大変驚きました。

 彼の父親は数年前にご病気でお亡くなりになったと、ご家族から聞いておりましたが、彼が父親を殺したという事を初めて聞き、大変驚きました。

 そして彼は警察官もしていないということでした。

その時、彼の話し方は、お酒に酔っぱらっているような話し方でした。そして最後に彼は、(運搬の仕事をしたいので、運搬車を買うためにお金を貸してほしいと)、私に借金を願ってきました。

インドでは、そのような人物は要注意です。私は彼に対して危険を感じました。

 

私は、彼にイエス様のことを思い起こさせようとして、イエス様のお名前を出しますと、いきなり電話を切られてしまいました。

 私はそのような彼をとても残念に思いましたが、その後、彼のことが気に掛かっておりました。

 私たちは昨年4月に日本に一時帰国させていただき、7月にインドに戻らせていただきましたが、私は続けて彼のことが気に掛かっておりました。

 すると昨年8月、彼から再び電話が掛かってきました。

私は彼に対して危険を感じましたが、彼が父親を殺したという事が、非常に気に掛かっておりましたので、彼から電話が掛かってきた事に神様の導きを感じ、彼と会う決心をしました。そして昨年8月、彼を訪問しました。

 彼は、別の地域のスラムの中の、とても小さな一部屋の家に住んでおり、奥さんとの間に3人の小学生の子供がいました。

 そして彼は、鶏肉と魚を販売する小さなお店で働いていました。

 私は彼と二人だけになった時、父親殺害の件を彼に尋ねました。

誰かが彼に対して、父親を殺すように話し掛けてくるので父親を殺したということでした。

 実際には誰もいないのですが、彼にはその人の姿が見えて、彼に話し掛けてくるという事でした。そしてタオルで父親の首を絞めて殺したという事でした。

 彼は精神病治療薬を服用しており、その薬により自殺を図り未遂に終わったこともあるそうです。

 父親を殺した彼は、刑務所に3カ月間収容されましたが、刑務所から精神病院に送られ、精神病院に3カ月間入院していたそうです。

 私はその時、彼に、罪の悔い改めとイエス・キリストの救いの福音を伝え、お祈りさせていただきました。

 彼が警察官になったことで、私は彼に積極的に関わることを止めてしまった事を非常に後悔しております。

 私が彼に積極的に関わり続けていたならば、彼が父親を殺すようなことにはならなかったかもしれないと思い、私は非常に後悔しております。

私は神様の前に、彼と父親に対し、本当に申し訳ないことをしてしまいました。私は宣教師としての資格など全くない人間です。

 

宣教師としての資格など全くない私でありますが、ただ主の憐みにすがり、その後、彼に対して積極的に関わらせていただいております。

彼への家庭訪問を続け、日本に来ている時も、電話とメールで彼に連絡を取り続けております。

彼はお酒に酔っぱらっていたこともあり、心配なこともありますが、積極的な関わりを続けさせていただいてきました。

その彼が今年4月、デング熱とチフス両方に感染してしまい苦しんでおりましたので、訪問を続けさせていただきました。

4月下旬に、彼は5日間ほど入院しましたが、回復することが出来本当に感謝でした。

 彼は父親を殺すという大変大きな罪を犯してしまいました。彼はまさしく罪人です。

しかし、そのような彼も、心の傷ついた者、嘆き悲しむ者であろうと思います。

キリストは、心の傷ついた彼を癒やすため、嘆き悲しむ彼を慰めるために、彼のところに来てくださっておられます。

そして、「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」彼を招いてくださっておられます。

の招きに応じて、彼がキリストのもとに行き、罪を悔い改め、キリストを信じ、キリストにすがるならば、彼のすべての罪は赦され、彼にも天国での永遠のいのちと永遠の祝福が与えられます。

そしてこの地上にあっても彼は、キリストと共に新しい人生を歩み始めることが出来ます

キリストは彼に、

灰の代わりに頭の飾りを、

嘆きの代わりに喜びの油を、

憂いの心の代わりに賛美の外套を

着けさせてくださいます

そして彼は、義の樫の木、

栄光を現す、主の植木と呼ばれるようになります

コリント人への手紙第2、5章17節に

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と書かれています

結論(キリストのもとに行き、キリストの救いを受け、キリストと共に新しい人生を歩む

キリストは、私たち一人ひとりが抱えている罪、苦しみ・悲しみ・悩み、病、全ての重荷と、私たち一人ひとりの境遇を全てご存知でいてくださり、

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と、私たち一人ひとりに語り掛けてくださり、私たちを招いてくださっておられます。

皆様方の中にも、疲れた人、重荷を負っている人は、いらっしゃらないでしょうか。

キリストの招きに応じて、キリストのもとに行くならば、キリストが私たちの全ての重荷を担ってくださり、全ての罪と苦悩から私たちを救い出してくださいます。そして私たちを休ませてくださいます。

 そして私たちの『たましい』に安らぎを与えてくださいます。

キリストの救いは、すべての罪の赦しと天国での永遠の生命と永遠の祝福です。そして新しい人生のスタートです。

永遠の愛によって私たちを愛し続けてくださり、いついかなる時にも私たちを決して見捨てることなく、私たちと共にいてくださるイエス・キリストと共に、新しい人生を歩んでいきましょう。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

合計 178
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
178
New マタイの福音書22:35-40(イエス様の誕生、十字架の愛)
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New ルカの福音書6:20-21(貧しい人々のクリスマス)
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176
マラキ書4:1-3(義の太陽であるイエス様)
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175
ルカの福音書10:1-9 (さあ、リバイバルの町へ出よう)
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マタイの福音書6:20-24(自分のために、天に宝をたくわえなさい)
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ルカの福音書10:25-28(あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ)
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詩篇32:1-11(私にとって一番大きな感謝とは)
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列王記第一19:13-18(うつ状態からの脱出)
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創世記14:17-24(聖書から学ぶ金銭管理)
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詩篇 121:1-2(ゆるがない平安を持つ秘訣)
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