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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ヨハネの福音書14:27(不安からの解放)

投稿者
tbic
投稿日
2024-07-15 12:17
閲覧数
468
ヨハネの福音書14:27「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

1. はじめに

私たちの生活は不安に満ち溢れています。そして不安から来る思いわずらいや恐れに満ち溢れています。日本の政治・経済は、これからどうなってしまうのか?教会は?自分の仕事や家計は、どうなるのだろう?夫婦の関係は?親子の関係は?病気になったら、どうしよう?試験に落ちたら?交通事故にあったら、どうしよう?年をとったら、どうなるのか?地震が起きたら?日本でも戦争が起きたら?少しでも先のことを考えると、不安になってしまいます。

それはいったいどうしてでしょうか。その理由は私たちのこれから先のことはまったく分からないからです。3.11(東日本大震災)が突然起こったように、私たちは誰一人として予知しないことが起こりうる世界に生きているからです。

2. 漠然とした不安の中で

私も真のクリスチャンになる前までは、長い間不安の中で生活してきました。少しでも確かな平安を得ようとして、一生懸命に勉強したり、努力しながら、真面目に生活した覚えがあります。そして神学校に入って伝道師になったら、少しは平安になるかなと思っていましたが、実はその逆で、数々の難しい問題の解決に取り組んでいるうちに、ますます不安になっていきました。「私はこんな膨大な神学の勉強ができるだろうか。こんな難しい教会の問題を解決できるだろうか。」と日夜思い悩むことがたくさんありました。

そこで、「これはおかしい。これではどこまで行っても、牧師になっても、不安から解放されないでないか。もう一度自分の人生を根本的に考え直してみよう。」と思い、もちろん宣教師としての召しもあったのですが、大体そう思って家の奨学金をもらって、この日本に留学しました。留学といっても、主な目的は勉強ではなかったので、授業にもほとんど出席せず、毎日アルバイトをしたり、教会の伝道活動(ホームレスの働き)をしたりしながら、大変な生活を送っていました。

私は当時(1998年)、数人のホームレスたちと、親しく交わっていましたが、彼らを教会に連れて行こうと思って連れて行ったら、牧師先生や教会の信徒たちから猛反発を受けました。強く反対され(原因は彼らのにおいがとても臭かった)、結局彼らを教会に連れて来ることはあきらめざるを得なかったのです。仕方がなく彼らを連れて、公園(高田馬場)に行き、そこで彼らと礼拝をし、ほとんど彼らと共同生活をしました。何よりも彼らのにおいをなくそうと思って、彼らを銭湯に連れて行きました。

そうしたら、銭湯の管理人からも猛反発でした。強く反対され、「出て行きなさい」と言われましたが、彼らはにおいだけで、入れ墨もないし、銭湯はホームレスの禁止規定もないので、最後の最後まで耐え忍びました。そういう風に毎週銭湯の管理人と戦うことによって、その銭湯は自然にホームレスたちが利用できる銭湯になっていきました。驚くべきことは、数年前に私がその銭湯に行って見たら、その銭湯はホームレス専用の銭湯となっていました。ハレルヤ!それは、私にとって最高の喜びであり、神様からの大きな慰め、励ましとなりました。

そういう風に彼らと交わりながら、彼らを回復させる神の御わざと恵みをたくさん体験しましたが、私はビザの延長が出来なかったので、韓国に戻らなければなりませんでした。ビザ更新がダメになったのはおかしいと思いましたが、神のみこころであると信じ、一旦帰国しました。やはりそこには完璧な神の計画がありました。私はいつも神様の私に対する完璧な計画を信じているから、どんな最悪の状況の中でも慌てず、むしろ感謝をしています。そうすれば、必ず感謝をした通りになるのを、何度も体験しました。

3. 妻との出会い

私は神様に感謝をして帰国したら、韓国で何が待っていたかというと、結婚です。私は世界一幸せな人です。喜びいっぱいの人です。最愛の妻と巡り会い、結婚することができたからです。私は妻を心から愛しています。妻も私を心から愛しています。しかし私には妻以上に愛している方がいます。妻も私以上に愛している方がいます。その方はイエス・キリストです。だからイエス・キリストの限りない愛によって結ばれている私たちは世界一幸せな夫婦です。

4. イエス・キリストの平安

私はイエス・キリストを信じて、キリストとの間に生きた関係が生まれた時に、「ああ、私はようやく帰るべきところに帰った。もうがんばらなくてもいい。あるがままの自分でいい。」と。生まれて初めて、神の大きな平安に包まれたような気がしました。そして心の一番深い所が「神の平安」によって満たされ、それが徐々に広がってくるのを体験するようになったのです。その平安はこの世が与えるような一時的なものではなく、永遠に続くような、しかも確実に深くかつ強くなっていくような「神の平安」です。

まことの神(天地万物の創造者)を信じていない人々の心の奥底には大きな不安があります。その不安を解消しようとして、一生懸命に勉強したり、仕事をしたり、レジャーに打ち込んだりしているのです。でもそれらは、決して私たちの人生の根底にある大きな不安を解消してはくれません。

目先の目標が達成したり、自分の計画が挫折したり、大きな興奮がさめたりすれば、必ず不安に襲われるのです。その不安は、「平安の君」であられるイエス・キリストを心の中にお迎えする以外には絶対に解消されない、ということが分かりました。私たちに、いや世界のすべての人々に最も必要なことは、生ける神イエス・キリストを心の中にお迎えすることです。

5. 重荷を神にゆだねる

イエス・キリストを信じることによって、人生のいっさいの重荷を神にゆだねることができます。イエス様は、こう言われます。

マタイの福音書 11:28-30、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしはあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

最も多くの人々がこの聖句によって、キリスト信仰へ導かれてきたと言われています。私もそのひとりです。まことの神を持たない人々は真面目に生きようとすればするほど、例外なく人生の重荷に押し潰されようとしているのです。私たちにとって生きることは、なぜ重荷なのでしょうか。それは「自分の力」で、がんばって生きようとするからです。自分の体力、知力、能力、財力、人間関係による力などに頼って生きようとしているのが私たちです。でも、これらのものはすべて有限であり、とるに足りないものです。

私も長い間、「自分の力」によって生きてきました。その結果、生きることがますます重荷になってきました。明日のことは誰にも分からないのに、明日のことを考えては漠然とした不安や想いにとらわれてきました。しかしこのキリストの言葉に深く触れた時、「自分のすべての重荷を全知全能の神にゆだねることができる」ということが分かりました。それ以来、私の生活は本当に軽くなりました。自由になりました。私が取り扱ういろいろな問題は、ますます増えてきていますが、心に不安がないので、それが重くないのです。これは本当に不思議なことです。

どんなに難しい問題を抱え込んでも、私が自分の力でがんばって解決するのではなく、「きっと神様が解決して下さる」と信じることができるからです。私はイエス様と一緒に重荷を負っていますが、私の負うべき分(なすべき事)は非常に軽いのです。キリストを信じる前の私は問題の重圧に押し潰されそうになるのを避けて、いつも逃げていました。スポーツであったり、ゲームであったり、映画やテレビであったり、いろいろな逃げ道を見つけては、避けようとしてきました。しかしいくら逃げ回っても、問題は追いかけて来るから、いつかは対処しなければなりません。結局どこまで行っても、重荷を負って「フーフー」と言いながら、歩き続けなければならないのです。

ところが、イエス・キリストを心にお迎えすることによって、イエス様が私の重荷を負ってくださっていますから、あまり負担がないのです。キリストを信じてから、私の日々扱う問題は10倍以上になっていると思いますが、その負担はかつて感じていた10分の1以下になっていると思います。もう問題から逃げ回る必要がないから、必然的に逃げ道であった、いっさいの娯楽から退いてしまいました。

テレビはほとんど良くないので、見ないことにしています。新聞もあまり役に立たないので、定期購読をしません。でもスマホがあるから、仕事や生活に全く支障はありません。かえってその分、心配やストレスから解放されて、妻と有意義な時を過ごすことができます。また聖書を読んだり、祈ったりすることができます。今私の唯一のレジャーは妻と一緒に近所を歩いて散歩をしたり、将来のことを分かち合いながら、おしゃべりをすることです。いつも心に平安があるということは、本当にすばらしいことです。

6. 明日を思いわずらわない

私たちの不安のほとんどは、明日、5年後、10年後、どうなるか、分からないことから生じています。誰でも、「今日一日のことなら、なんとかなる」と思っているのです。若いうちから老後のことまで心配して、高額の保険を買ったりしますが、自分が年老いた時に、その保険をもらえるかどうかは、誰にも分かりません。つまり老後に対する不安を、今解消しようとしているにすぎません。でも本当は保険に入っているからといって、老後は絶対に安心だとは言い切れないのです。この問題に対して、聖書には単純明快に解決法が示されています。

マタイの福音書6:31-34、「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

イザヤ書46:4、「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。

詩篇118:24、「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。

つまり神様は私たちに、「明日のことを心配するな。あなたの老後も大丈夫だ。だから今日という日を喜んで、楽しんで生きなさい。」と言っておられます。

天地万物を創られて、これを完璧に支配し、所有しておられる神様が「大丈夫」と言っておられるわけですから、「絶対に大丈夫」なのです。「絶対に安心」です。キリストを信じることによって、このような「揺るがない平安」が与えられるわけです。これはお金で買うことができない「平安」です。この世の何ものをもって来ても得ることのできない「平安」です。イエス・キリストを心の中にお迎えして、イエス様と一緒に生きることによってしか得られない「神の平安」です。キリストの平安があるからこそ、私たちは神様が私たちのために創ってくださった「今日という貴重な一日」を喜んで、楽しんで生きることができるようになります。

そうすると、明日を思いわずらわないだけでなく、今日の今をも思いわずらっていない自分を発見するのです。イエス様はいつも、「どんなことも思いわずらってはいけない。不安になってはいけない。ただわたしを信じなさい。そうすれば、あなたはいつも安心していられる。」と言っておられます。キリストを信じることによって、誰でも、人知を越える「神の平安」に満たされて、「私は世界一幸せです。」と言うことができます。

ヨハネの福音書14:1、「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

またピリピ人への手紙4:6-7、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
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