メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
ルカの福音書10:25-28(私たちはどうすればよいのでしょう)
投稿者
tbic
投稿日
2024-08-26 19:19
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127
ルカの福音書10:25-28、さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
皆さん、災害の多い今の時、私たちクリスチャンは、「何をしたら良いのか?どうしたらいいのか?」ということを今日のみことばから学んでいきたいと思います。
被災地の爪痕をテレビで見る時、本当に辛い思いがします。私たちはこんなに恵まれていていいのかと思わされる時があります。同じ日本の中で苦しんでいる方々がいらっしゃる現実の中、私たちクリスチャンは今何をしなければいけないのでしょうか。まず私たちが出来ることは「祈り」ですが、しかしそれはみんながしていることです。それは当然していくのですが、今神様が私たちクリスチャンに「何をしなさい」と言っておられるのか、「私たちはどうしたらよいのか」ということです。
ルカの福音書3:9-11、『斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」』
ここはバプテスマのヨハネが皆に洗礼を授けている所です。彼の所に様々な人々が、バプテスマを受けるために集まって来ました。群衆はヨハネに「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」と問いました。またその後を読むと取税人が出てきて、「先生、私はどうすればよいのでしょうか。」また兵士も出て来て、「先生、私はどうすればいいんですか。」とバプテスマのヨハネに問いています。「斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、皆切り倒されて、火に投げ込まれます。」とヨハネが語った後です。何か大きな出来事のあと、彼らがヨハネに質問している言葉、『それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。』という問いは、今の私たちの問いのような気がします。今日本がいろんな意味で痛み、苦しんでいるこの時、『それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。』と主に質問して、答えを頂いて動かなくてはと考えさせられます。
それで、今日の本文のルカの福音書10:26-28、すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
ここはクリスチャンなら、よく知っている御言葉です。私たちクリスチャンがまずしなければならないことは、第一番目に「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」神様をまずしっかり愛していくということが、今の私たちに求められている、一番大事な事だと教えられました。私たちはすぐに行動したい、すぐに何かやってあげたいと思います。これはとっても大切なことです。誰もが思うことです。しかし主が言われているのはそれではなく、まず第一番目には「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」このことが今行わなくてはいけない事です。まず「神を第一にしなさい。」私たち一人ひとりのクリスチャンが心を尽くして主を愛することが大切です。今それをしなくてはいけないことだというのです。
被災の時の雨の量を見たら、「ノアの洪水」のようです。ノアの洪水は創世記7:11-12です。「ノアの生涯の600年目の第二の月の17日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして、大雨は、40日40夜、地の上に降った。」とありますが、水の源、水の水門が張り裂けた、開かれたとあります。まさに被災地のような情景だったと思います。高い堤防も乗り越え、家や、車などをのみ込んでいきます。
そして創世記8:15-22には、『そこで、神はノアに告げて仰せられた。「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」』
全てが水でのみこまれた後、神様がノアに「箱船から出なさい。」と言われました。それでノアは外に出て行き、その後、何を一番初めにしたかというと、今読んだ創世記8:20節です。「ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。」とあります。
ノアの家族は外に出た時、「さ、家を建てよう」とか、「水は?」とか、「食料は?」と言うように、復興を考えたのではありません。まず初めに主の祭壇を築いたのです。そしてきよい家畜、きよい鳥を選び、主に全焼のいけにえをささげました。心から最高の礼拝をささげたのです。
そうすると、21節で、『主はそのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。」』全焼のいけにえをささげ、主を心から礼拝した時、そのなだめのかおりをかぎ「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。」「わたしはこの地をほろぼすことはしない。」と言って下さったのです。
私たちはもうこのような災害は望みません。主がどのような目的で災害が起きるかはわかりませんが、もう二度と災害が起きて欲しくはありません。だからこそ、今日まず「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」です。
私たちが初めにすることは、主への全焼のいけにえ、最高の賛美と礼拝をささげることが最も重要だと知ることができます。御言葉を続けて読んでいくと、創世記9:12-17、『さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」こうして神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」』
「わたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである」と虹が出ました。これは今日私たちクリスチャンがまず一番始めに、主に立ち返り、主を礼拝する事なのです。心から主に礼拝しましょう。私たちの主は災いを与える方ではありません。守り、助け、祝福し、全てのことを益として下さる神様です。イザヤ書44:1-4には、『今、聞け、わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。彼らは、流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽ばえる。」』と書いてあります。
私たちが生まれる前から、私たち一人ひとりを計画し、愛し、豊かにして下さる、祝福して下さると約束をして下さっている神様です。一点一画も変わらない御言葉です。信じましょう。また詩篇121:5-8「主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」
ここでも主が守ってくださるとあります。災いから守り、いのちを守る神です。私たちは暗闇の支配者にごまかされ、「神様の手にしがみついていないと落とされてしまう」ような感覚を持たされてしまいます。しかし私たちの神は、私たちの手が神を握るのではなく、神の手が私たちの手を握って下さるのです。「あなたをしっかり握りしめ、主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」と語って下さっています。またイザヤ書58:11-12です。『主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。』
皆さん、『主は潤された園のようにして下さる。昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼んでくださる。』と語って下さっています。信じましょう。だからまずこういう時だからこそ、主を礼拝しましょう。主に期待しましょう。無駄な心配や恐れを捨てて、私たちは主の前に本当にへりくだって、心から礼拝しましょう。
そして次に「私たちはどうすればよいのでしょうか」それは「隣人を自分自身のように愛しなさい。」ということです。聖書は「私たちはどうすればよいのでしょうか。」とたずねる時、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」と語っています。
愛の反対語は憎しみではなく、無関心だと言われています。私たちは無関心であってはいけません。もし私たちが被災していたら、復興するために日夜働くと思います。生活全部が建て直そうと必死だと思います。私たちクリスチャンは隣人を自分と置きかえて愛しなければなりません。義援金や救援物資など様々な働きを積極的に行い、私たちの霊的な耳を開かせていただいて、今私たちが出来る事を主に聞いて、実行したいと思います。
皆さん、今日の本文の後には何が書かれているのでしょうか。それは「良きサマリヤ人の話」が書かれています。祭司もレビ人も、傷ついていた人を見ていながら、反対側を通って行ってしまったのです。しかしサマリヤ人は見て、かわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて、彼を宿屋に連れて行きました。またその宿屋でも介抱し、次の日、彼はデナリ二つを取り出して「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」と言いました。
その後、イエス様は律法の専門家に聞きました。ルカの福音書10:36-37、『この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』
皆さん、「同じようにしなさい」とイエス様はおっしゃいます。本当に隣人を自分自身のように愛していきましょう。私たちは今まで無関心で、愛を注げなかったところに関心を持たなくてはいけません。だから主の声をしっかり聞いて、無関心だったところも愛を持って実行していかなければならないと思います。私たちはイエス・キリストから無限大の犠牲的愛を頂きました。私たちTBICは頭がキリストであり、私たちは各器官です。それぞれ気づくところ、感じるところ、関心事はちがうのです。だからめいめいが主に声を聞いて、「私は今、何をしたらいいのか、どうしたらいいのか」と祈って下さい。そして主から声を聞いて、それを実行していきましょう。
隣人が苦しんでいるのであれば、自分が苦しんでいるかのように、愛し実行しなければなりません。災害ばかりではなく、「隣人を愛しなさい」という御言葉から、私たちが無関心になっているところに関心を持つ必要があります。それも良きサマリヤ人のように、敵に対しても、良い感情を持っていないところに関心を持ち、愛を実行していく必要があります。一番の隣人とは、いったい誰でしょう。私だったら、妻です。そして家族と兄弟、また親族や、地域の人たち、さらに世界の国々に対して愛を持たなければなりません。
皆さん、主から声を聞いて、「これをしなさい。この人を愛しなさい。」と言われた時、教えられた方々に愛を実践して下さい。主は私たちに必要なことを語ってくださいます。ある方は身内、また一番身近な人です。家族かもしれません。一人ひとりの賜物があり、一人ひとりが体の各器官です。教えられたことを実行しましょう。
まず主の前に静まって祈りたいと思います。行動する前に静まって、主の声を聞きましょう。私たちが祈って教えられたことを実行しましょう。
お祈り、
愛する天のお父様、私たちはどうすればいいのでしょうか。まずあなたを心から愛することを行わせて下さい。そして主の声を聞かせて下さい。無関心だったことを赦してください。主の声を聞いて実行できるように、また隣人を自分自身のように愛することができますように。今日この礼拝を全焼のいけにえとして受け取って下さい。そして主よ、霊的な耳を開いてください。そして語ってください。主よ、今霊的な耳が閉じてしまっています。無関心になってしまっています。赦して下さい。隣人を愛することができる愛を与えて下さい。そして実行できませんから、愛を実行できる器に作り変えてください。一歩、踏み出す勇気と力、信仰を注いでください。今日主の前にへりくだります。憐れんでください。ただただ、あなたに生かされて、イエス様が私のために十字架にかかって葬られ、3日目に甦ってくださったことを、心から感謝します。この犠牲の愛を分け与える勇気と信仰を与えて下さい。尊い主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
皆さん、災害の多い今の時、私たちクリスチャンは、「何をしたら良いのか?どうしたらいいのか?」ということを今日のみことばから学んでいきたいと思います。
被災地の爪痕をテレビで見る時、本当に辛い思いがします。私たちはこんなに恵まれていていいのかと思わされる時があります。同じ日本の中で苦しんでいる方々がいらっしゃる現実の中、私たちクリスチャンは今何をしなければいけないのでしょうか。まず私たちが出来ることは「祈り」ですが、しかしそれはみんながしていることです。それは当然していくのですが、今神様が私たちクリスチャンに「何をしなさい」と言っておられるのか、「私たちはどうしたらよいのか」ということです。
ルカの福音書3:9-11、『斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」』
ここはバプテスマのヨハネが皆に洗礼を授けている所です。彼の所に様々な人々が、バプテスマを受けるために集まって来ました。群衆はヨハネに「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」と問いました。またその後を読むと取税人が出てきて、「先生、私はどうすればよいのでしょうか。」また兵士も出て来て、「先生、私はどうすればいいんですか。」とバプテスマのヨハネに問いています。「斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、皆切り倒されて、火に投げ込まれます。」とヨハネが語った後です。何か大きな出来事のあと、彼らがヨハネに質問している言葉、『それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。』という問いは、今の私たちの問いのような気がします。今日本がいろんな意味で痛み、苦しんでいるこの時、『それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。』と主に質問して、答えを頂いて動かなくてはと考えさせられます。
それで、今日の本文のルカの福音書10:26-28、すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
ここはクリスチャンなら、よく知っている御言葉です。私たちクリスチャンがまずしなければならないことは、第一番目に「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」神様をまずしっかり愛していくということが、今の私たちに求められている、一番大事な事だと教えられました。私たちはすぐに行動したい、すぐに何かやってあげたいと思います。これはとっても大切なことです。誰もが思うことです。しかし主が言われているのはそれではなく、まず第一番目には「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」このことが今行わなくてはいけない事です。まず「神を第一にしなさい。」私たち一人ひとりのクリスチャンが心を尽くして主を愛することが大切です。今それをしなくてはいけないことだというのです。
被災の時の雨の量を見たら、「ノアの洪水」のようです。ノアの洪水は創世記7:11-12です。「ノアの生涯の600年目の第二の月の17日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして、大雨は、40日40夜、地の上に降った。」とありますが、水の源、水の水門が張り裂けた、開かれたとあります。まさに被災地のような情景だったと思います。高い堤防も乗り越え、家や、車などをのみ込んでいきます。
そして創世記8:15-22には、『そこで、神はノアに告げて仰せられた。「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。主は、そのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」』
全てが水でのみこまれた後、神様がノアに「箱船から出なさい。」と言われました。それでノアは外に出て行き、その後、何を一番初めにしたかというと、今読んだ創世記8:20節です。「ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。」とあります。
ノアの家族は外に出た時、「さ、家を建てよう」とか、「水は?」とか、「食料は?」と言うように、復興を考えたのではありません。まず初めに主の祭壇を築いたのです。そしてきよい家畜、きよい鳥を選び、主に全焼のいけにえをささげました。心から最高の礼拝をささげたのです。
そうすると、21節で、『主はそのなだめのかおりをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。」』全焼のいけにえをささげ、主を心から礼拝した時、そのなだめのかおりをかぎ「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。」「わたしはこの地をほろぼすことはしない。」と言って下さったのです。
私たちはもうこのような災害は望みません。主がどのような目的で災害が起きるかはわかりませんが、もう二度と災害が起きて欲しくはありません。だからこそ、今日まず「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」です。
私たちが初めにすることは、主への全焼のいけにえ、最高の賛美と礼拝をささげることが最も重要だと知ることができます。御言葉を続けて読んでいくと、創世記9:12-17、『さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」こうして神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」』
「わたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである」と虹が出ました。これは今日私たちクリスチャンがまず一番始めに、主に立ち返り、主を礼拝する事なのです。心から主に礼拝しましょう。私たちの主は災いを与える方ではありません。守り、助け、祝福し、全てのことを益として下さる神様です。イザヤ書44:1-4には、『今、聞け、わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。彼らは、流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽ばえる。」』と書いてあります。
私たちが生まれる前から、私たち一人ひとりを計画し、愛し、豊かにして下さる、祝福して下さると約束をして下さっている神様です。一点一画も変わらない御言葉です。信じましょう。また詩篇121:5-8「主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」
ここでも主が守ってくださるとあります。災いから守り、いのちを守る神です。私たちは暗闇の支配者にごまかされ、「神様の手にしがみついていないと落とされてしまう」ような感覚を持たされてしまいます。しかし私たちの神は、私たちの手が神を握るのではなく、神の手が私たちの手を握って下さるのです。「あなたをしっかり握りしめ、主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」と語って下さっています。またイザヤ書58:11-12です。『主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。』
皆さん、『主は潤された園のようにして下さる。昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼んでくださる。』と語って下さっています。信じましょう。だからまずこういう時だからこそ、主を礼拝しましょう。主に期待しましょう。無駄な心配や恐れを捨てて、私たちは主の前に本当にへりくだって、心から礼拝しましょう。
そして次に「私たちはどうすればよいのでしょうか」それは「隣人を自分自身のように愛しなさい。」ということです。聖書は「私たちはどうすればよいのでしょうか。」とたずねる時、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」と語っています。
愛の反対語は憎しみではなく、無関心だと言われています。私たちは無関心であってはいけません。もし私たちが被災していたら、復興するために日夜働くと思います。生活全部が建て直そうと必死だと思います。私たちクリスチャンは隣人を自分と置きかえて愛しなければなりません。義援金や救援物資など様々な働きを積極的に行い、私たちの霊的な耳を開かせていただいて、今私たちが出来る事を主に聞いて、実行したいと思います。
皆さん、今日の本文の後には何が書かれているのでしょうか。それは「良きサマリヤ人の話」が書かれています。祭司もレビ人も、傷ついていた人を見ていながら、反対側を通って行ってしまったのです。しかしサマリヤ人は見て、かわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注ぎ、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて、彼を宿屋に連れて行きました。またその宿屋でも介抱し、次の日、彼はデナリ二つを取り出して「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」と言いました。
その後、イエス様は律法の専門家に聞きました。ルカの福音書10:36-37、『この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』
皆さん、「同じようにしなさい」とイエス様はおっしゃいます。本当に隣人を自分自身のように愛していきましょう。私たちは今まで無関心で、愛を注げなかったところに関心を持たなくてはいけません。だから主の声をしっかり聞いて、無関心だったところも愛を持って実行していかなければならないと思います。私たちはイエス・キリストから無限大の犠牲的愛を頂きました。私たちTBICは頭がキリストであり、私たちは各器官です。それぞれ気づくところ、感じるところ、関心事はちがうのです。だからめいめいが主に声を聞いて、「私は今、何をしたらいいのか、どうしたらいいのか」と祈って下さい。そして主から声を聞いて、それを実行していきましょう。
隣人が苦しんでいるのであれば、自分が苦しんでいるかのように、愛し実行しなければなりません。災害ばかりではなく、「隣人を愛しなさい」という御言葉から、私たちが無関心になっているところに関心を持つ必要があります。それも良きサマリヤ人のように、敵に対しても、良い感情を持っていないところに関心を持ち、愛を実行していく必要があります。一番の隣人とは、いったい誰でしょう。私だったら、妻です。そして家族と兄弟、また親族や、地域の人たち、さらに世界の国々に対して愛を持たなければなりません。
皆さん、主から声を聞いて、「これをしなさい。この人を愛しなさい。」と言われた時、教えられた方々に愛を実践して下さい。主は私たちに必要なことを語ってくださいます。ある方は身内、また一番身近な人です。家族かもしれません。一人ひとりの賜物があり、一人ひとりが体の各器官です。教えられたことを実行しましょう。
まず主の前に静まって祈りたいと思います。行動する前に静まって、主の声を聞きましょう。私たちが祈って教えられたことを実行しましょう。
お祈り、
愛する天のお父様、私たちはどうすればいいのでしょうか。まずあなたを心から愛することを行わせて下さい。そして主の声を聞かせて下さい。無関心だったことを赦してください。主の声を聞いて実行できるように、また隣人を自分自身のように愛することができますように。今日この礼拝を全焼のいけにえとして受け取って下さい。そして主よ、霊的な耳を開いてください。そして語ってください。主よ、今霊的な耳が閉じてしまっています。無関心になってしまっています。赦して下さい。隣人を愛することができる愛を与えて下さい。そして実行できませんから、愛を実行できる器に作り変えてください。一歩、踏み出す勇気と力、信仰を注いでください。今日主の前にへりくだります。憐れんでください。ただただ、あなたに生かされて、イエス様が私のために十字架にかかって葬られ、3日目に甦ってくださったことを、心から感謝します。この犠牲の愛を分け与える勇気と信仰を与えて下さい。尊い主イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
合計 176
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マラキ書4:1-3(義の太陽であるイエス様)
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ルカの福音書10:1-9 (さあ、リバイバルの町へ出よう)
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マタイの福音書6:20-24(自分のために、天に宝をたくわえなさい)
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2024.12.01
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ルカの福音書10:25-28(あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ)
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