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詩篇 119:105

創世記14:17-24(聖書から学ぶ金銭管理)

投稿者
tbic
投稿日
2024-11-03 20:07
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創世記14:17-24『17.アブラムが、ケドルラオメルと彼に味方する王たちを打ち破って戻って来たとき、ソドムの王は、シャベの谷すなわち王の谷まで、彼を迎えに出て来た。18.また、サレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。19.彼はアブラムを祝福して言った。「アブラムに祝福あれ。いと高き神、天と地を造られた方より。20.いと高き神に誉れあれ。あなたの敵をあなたの手に渡された方に。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。21.ソドムの王はアブラムに言った。「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」22.アブラムはソドムの王に言った。「私は、いと高き神、天と地を造られた方、主に誓う。23.糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。24.ただ、若い者たちが食べた物と、私と一緒に行動した人たちの取り分は別だ。アネルとエシュコルとマムレには、彼らの取り分を取らせるように。」』

 

正しい金銭管理が出来ないと、信仰生活も失敗します。そのため、聖書を通して金銭に対する正しい教えを学ぶ必要があります。金銭に対する悪い部分は次の御言葉にあります。テモテ第一6:9-10「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

クリスチャンは正しい金銭管理をしなければなりません。聖書の中で模範的な金銭管理が出来た人はアブラムでした。今日の本文、創世記14章ではアブラムの名前がまだアブラハムに変わる前ですから、アブラムの名前をそのまま使います。アブラムは優れた金銭管理者でした。

一番目、神さまとの関係での金銭管理です。

今日の本文、18-20節にはアブラムが戦いに勝利して帰って来た時、サレムの王メルキゼデクがパンとぶどう酒を持って迎えました。メルキゼデクはいと高き神の祭司でした。彼がアブラムを祝福した後、アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えました。アブラムは一番最初に神さまに十分の一をささげた人物です。律法で十分の一のことが決まる前にすでに十分の一をささげました。命令されたわけでもないのに、なぜ十分の一をささげたのでしょうか。

まずは、神さまへの感謝でした。戦いでの勝利は自分の力だけではなく、神の助けと守りがあったからなので、彼は感謝の気持ちを、十分の一をささげることで表しました。また十分の一は「神のものとして聖別」して、ささげる意味があります。マラキ書3章には、十分の一は神のものである、とはっきり書かれています。マラキ書3:8-10、「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。―― 万軍の主は仰せられる ―― わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。

信仰の人ヤコブも、創世記28:22で十分の一にふれました。創世記28:22「石の柱として立てたこの石は神の家となります。私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに献げます。

アブラムがメルキゼデクに十分の一をささげたことは彼の祭司職を認めたことを意味します。私たちが神さまにささげる十分の一は、神さまがすべての主権者であることを認める意味があります。

二番目、隣人との関係での金銭管理です。

私たちの周りでは、隣人との金銭トラブルが原因で起こる事件も多いです。だから問題が起こらないような金銭管理が必要です。

今日の本文で、ソドムの王とアブラムの会話で、アブラムの金銭管理が見えます。今日の本文の創世記14:21-23の部分を読んで、自分なら、どうするのかも考えてみて下さい。

戦利品に対して、ソドムの王はアブラムに言いました。「々は私に返し、財産はあなたが取ってください。」と言われたときに、アブラムは「私は、いと高き神、天と地を造られた方、主に誓う。糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。」と言いました。

アブラムは自分が労苦して得ていない物は、受け取りませんでした。糸一本、履き物のひも一本ということばを使ったのは、取るに足りない些細なものを象徴しています。すなわち他人のものに対しては、常に潔白であることです。

今の時代は、金や物にルーズな人が多いです。人のものを平気に取る人や、借りても返さない人、他人の物も自分の物のように使う人等々、結構さまざまです。しかし金銭に対してルーズで他人に被害を与えることは、クリスチャンとして避けなければなりません。

アブラムは金銭に対して、きちんとしていました。妻サラが亡くなった時に、ヘテ人に墓地を売るように言ったところ、ヘテ人は墓地をアブラムに差し上げると言いました。それに対してアブラムは、タダでもらうことを喜んだのではなく、このように言いました。

創世記23:13、「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。私は畑地の代価をお払いします。どうか私から受け取って下さい。そうすれば、死んだ者をそこに葬ることができます。

もしアブラムがタダで受けたのであれば、後に色々な問題が出たと思います。差し上げた人が、後から惜しむ心が出て、「土地を返してほしい」と言われると、トラブルになります。

アブラムが買った墓地には、アブラムも息子イサク夫婦も、孫ヤコブとその妻レアも葬られました。お金を払ったからこそ、その後も墓地を自由に使うことが出来ました。

自分のものでない物に対しては欲を出さず、欲しがってはいけないのです。」十戒の10番目にある御言葉です。

出エジプト記20:17、「あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。

お金を愛した取税人ザアカイはイエス様に出会ってから金銭感覚が180度変わりました。騙して他人のものを取って金持ちになった人がイエス様に出会ってからは次のようになりました。

ルカの福音書19:8、「私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。

三番目、家族や親類との関係での金銭管理です。

最近、親子、兄弟、親戚の間で、お金や財産のトラブルはますます増えていきます。親子関係でも、介護は嫌がるのに、財産は欲しがる者がとても多いです。本当に醜い姿です。他人よりも、ひどい姿です。財産を一人占めしようと、たくらんでいる人もいます。

皆さんは、どのような金銭管理をしていますか?また、もしトラブルがあった時には、どうしますか?アブラムが取った行動から学びましょう。おいロトとの間に問題が生じました。アブラムも、ロトも祝福されて持ち物が多くなり、一緒に住むには場所が狭くなりました。だから家畜の牧者たちの間に争いが起きました。その解決策としてアブラムはおいロトに次のような提案をしたのです。

創世記13:8-9、「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。

アブラムは、相手に譲歩し、相手のことを優先しました。これは一見、損しているように見えますが、長い目で見ると、決して損することはありません。2人の結末を見ても分かります。先にソドムを選んで行ったロトは、ソドムが滅ぼされる時にすべての財産を失いました。アブラムはどのようになりましたか?アブラムのしもべの証言です。

創世記24:35、「主は私の主人を大いに祝福されましたので、主人は富んでおります。主は羊や牛、銀や金、男女の奴隷、らくだやろばをお与えになりました。

ロトには何も残らなかったのですが、アブラムは死ぬ時まで祝福されて豊かでした。欲張りは神からも人からも嫌われます。その結果、大切な人たちを失います。そして人生の結末も良くないのです。

お金をたくさん持っている人が幸せな人ではありません。お金は人を幸せにすることができません。ただ豊かな心を持っている人が幸せな人です。つまり人との関係を大切にする人が長く祝福されるし、他人の益になることを先に考える人が神さまから祝福されます。

だから目先の利益に目がくらむ人になってはいけません。神さまは金銭に対するテストもなさいます。箴言にもレビ記の中にも、金銭に対する教えが多いので、ぜひ読んでみてください。
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