メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
マタイの福音書6:20-24(自分のために、天に宝をたくわえなさい)
投稿者
tbic
投稿日
2024-12-01 18:45
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マタイの福音書6:20-24「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」
今日のメッセージはとっても難しいメッセージです。きっと、ほとんどの人が理解できないかも知れません。なぜなら、自分でもよく分からないからです。私の一番不得意な分野は何かと言うと、「経済」です。昔から貧乏だから、経済はずっと私には全く関係のない領域だと思っていました。今でもそうです。しかし経済がなかったら、私たちは生きることができません。毎月、給料をもらえなければ、生きることはできないからです。
皆さんは自分の貯金通帳に関して、関心があると思います。自分の貯金通帳に関心がない人は相当裕福な人か、バカな人か、どちらかです。普通は関心があります。私たちは経済のただ中で生きなければならないわけです。
イエス様がこの地上に存在されていた時代も、すでに同じような状況がありました。皆の関心事といったら、やはり経済に一番関心がありました。そんなただ中でイエス様が語られた言葉が、今日読んだ御言葉です。『自分のために、天に宝をたくわえなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。』
ここで『自分のために、天に宝をたくわえなさい。』とイエス様は語られました。クリスチャンになると、何が起こるのでしょうか。クリスチャンになると、一つ銀行口座が増えるのです。どこの銀行が増えるのかというと、天国銀行に口座ができるのです。私たちは地上の口座に関してはたいへん関心があるのですが、「天に宝をたくわえなさい。すなわち天の銀行口座に関心をもち、貯金しなさい。」と主は言われます。
皆さんの関心の中心はどこにあるのでしょうか。クリスチャンは、地上に生きていても、関心は天でなければなりません。天の口座にどのくらいの貯金が貯まったのか、ということです。神様は、私たちにただ働きをさせる方ではありません。働きに応じてちゃんと宝を天に積んでくださるお方です。困っている人に水一杯でも差し上げるだけでちゃんと天の口座に報酬を振り込んでくださるお方です。
私たちの地上の生活には限りがあり、やがて地上から出て行かなければならないのですが、永遠の世界に入った時、どのように生活するのでしょうか。それは、地上で行った神様に対する奉仕や、隣人に対する愛の行いにより、天に宝が積まれ、それが永遠の世界に反映されるわけです。だから私たちの関心事を、地上よりも天に移すべきです。天に宝を積んでいくことです。
教会とは、どういう場所かというと、霊的資産活用アドバイザーといってもいいかも知れません。クリスチャンになったら、一人ひとりにタラントが与えられます。神からの能力が与えら、それを使って、どう増やすかという霊的資産運用が必要となりますが、そのアドバイザー的な存在が教会であり、教会の役割だと思います。
しかし「TBIC教会で霊的資産活用のアドバイスをもらったのですが、天に行ったら何もなかった」と言われたら、神様から私の責任が問われるかもしれません。だから皆さんは何とか、与えられた霊的資産が増やされ、天に宝が積まれるように努力しなければなりません。今日の本文でイエス様が『だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。』と語られました。
「仕える」という言葉は、他に訳し直せば「支配される」という意味があります。「あなたは二人の主人に支配されることはできません」と。さらには、「奴隷になる」という意味もあります。「あなたは二人の主人の奴隷になることはできない」となります。つまり天地万物、私たちを造ってくださった神様の奴隷になって生きるか、富の奴隷となって生きるか、二つのはざまで揺れ動きながら、人は生きていきます。私たちは良い方を、選択しなければなりません。
しかし私たちの心は地上にあることが多く、天になかなか心が向かないのです。天に銀行口座があるなんて、初めて聞いたという人もいるかもしれません。もちろん私たちの考えているような口座とは違うと思うので、誤解しないでください。しかし「天に宝を積め」と言われるからには、宝の保管場所があるはずですから、天の銀行口座と言ってもいいと思います。多くの人の関心は、自分の富を増やすことです。それは富に支配されて、富の奴隷となっていることです。
今、世界のキリスト教会の中には様々な問題があります。その一つは何かというと、教会には背景となる神学、理論があって、いろいろな神学があります。今、世界で流行っているのが、「繁栄の神学」と呼ばれる、信仰によって富を得よう、儲けようという、神に目を向けるよりも、富に目を向けさせるような神学です。神さえも利用して儲けようという考えです。「教会に来たら、もうかります。」という考えが中心となっている神学が、今世界のキリスト教会の中に流行っています。それはある意味で魅力があります。
例えば「教会に来たら、あなたの資産が倍になります。」と言って、本当に倍になったら、みんなが教会に来ると思います。しかし聖書は祝福についても語っていますが、苦難の道、十字架の道についても教えています。主に仕える道は、時には苦しみも伴うわけです。私たちが富だけに目を向けてしまうと、失敗します。どんなに祝福されても、私たちの関心は、常に天にならなければなりません。二人の主人に、同時に仕えることはできないからです。
実は「富」と訳されている箇所は、アラム語で「マモン」です(英語はマンモン)。だから「神にも仕え、マモンにも仕えることはできない。」と訳すことができるのです。「マモン」の直訳は、古代のカナンの地方、フェニキア人、ペリシテ人の間で信仰されていた「富の神」です。分かりやすく言えば、日本の「えびす」とか、「いなり」とか、そのような種類です。
イエス様の時代、人々は何に仕えていたのかというと、真の神に仕える人もいたのですが、多くの人たちが、「マモン神」というカナンの原住民たちが祭っていた偶像を拝んでいました。「マモンさんを祭ったら儲かる」という、そういう文化の中で生活していたわけです。その時、イエス様が語られたのが「主人とは天地万物を造られた唯一の真の神か、マモンという霊的存在のどちらかを選択しなさい。」と語られたわけです。富というのは、普通は無機質なものです。しかしマモンとは存在であり、人類にとって真の神に対比される大きな存在です。
つまり「マモンと呼ばれる悪霊が働いているから気をつけなさい」と教えているのです。私たちが日々、身を置いている場所は、経済活動のただ中です。しかし富を支配しているのはこの世の神、マモンです。だからその事をよく理解しながら、信仰生活を送る必要があります。
マタイの福音書6章は、ルカの福音書16章と対比させて読むと、理解しやすくなります。逆に言えば、ルカの福音書16章は理解が難しい箇所であり、様々な解釈があります。しかしマタイの福音書6章と合わせて読むと、その意味が分かりやすくなります。
ルカの福音書16:13、『しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』9節では、『わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。』とあります。「不正の富で、友をつくりなさい」とは、どういう意味かというと、これはいろいろな理解があると思いますが、私たちが身を置いている経済の領域はマモン神が支配する領域です。
マモンという神様に対抗する最も強い暗闇の力が働いている領域だから気をつけなさいと警告しています。それは、私たちは「不正の富」のただ中にいるのですが、そこでも神の栄光が現されて、不正の富さえ勝ち取られ、神の国のために用いられ、神の国が広がっていくという意味です。
毎週、私たちは主の働きのために家庭や地域、また職場で頑張っているのですが、それらはこの世の不正の富と呼ばれるものかも知れません。しかしそのことによって、主の働きは進んでいます。このTBIC教会もマモンが支配している経済の世界から、不正の富を勝ち取った結果20年以上続いているわけです。だから私たちは天に宝を積むことを常に心がけていく必要があります。同時に神に対抗する強力な力、マモンという悪しき力が存在することを意識することも、とても重要です。
特別に皆さんの職場やアルバイト先、経済活動のただ中で主を賛美し、祈っていただきたいと思います。皆さんが糧を得ている場所で、主を賛美し、祈り、そこを支配するマモンが打ち砕かれますように、お祈りしたいと思います。
実は私たちは、理解しているようで、理解していない事柄がたくさんあります。毎日お金を使っていますが、お金って、何のために、誰がどうやって作ったのかと問われても、正しく答えることが出来る人は、ほとんどいないと思います。皆さんはどうでしょうか。お金はなくてはならないものですが、どうして出来たのか知っているのでしょうか。
経済の領域に悪魔が働いていることは誰でも分かります。以前、クリスチャンの弁護士の方に霊的戦いについて話したら、彼がこんな事を言いました。「私は弁護士をやっていて、不思議だと思うことがある。それは犯罪を犯す人のほぼ100パーセント、その背後に経済的問題が絡んでいる。」と。経済問題が絡まなくて犯罪を犯す人はほとんどいないというのです。「なぜ、経済問題が絡むのか不思議に思う。」と言われました。日々、報道される様々な事件の背後に、必ず経済的問題があるのです。これはやはり、聖書が語っているように、お金に強力な悪魔の巣があるからです。
共産主義を表したカール・マルクスが、共産党宣言の中で、こんなことを語っています。「歴史の流れを決める最大の要因は、お金である。」歴史が大きく変わる最大の要因はお金だというのです。それからアメリカの二代目大統領、ジョン・アダムスという人物がいるのですが、こんな事を語っています。「アメリカで起きているすべての混乱は憲法や、同盟の不備、名誉が欲しいとか、美徳からではない。それは硬貨、クレジット、通貨の性質について、人々が無知だからである。」つまり金について無知だから、多くの問題が起きているというのです。またヘンリー・フォードという自動車王がこんな言葉を残しています。「国民が銀行制度や貨幣制度を理解していないことは良いことだ。もしそれらを国民が理解したら、明日夜が明ける前に、革命が起こるだろう。」皆さん、どうでしょうか。金融関係で働いている人もいると思いますが、貨幣制度や金融制度を完全に知っている人は、ほとんどいないのです。しかし自動車王は気付いたのです。だから知ったら、革命が起きると言ったわけです。
イエス様が二人の主人に仕えることはできないと言われたのですが、これはまさに現代社会に対する預言的な警告です。イエス様の時代もそうだったのですが、今の時代はどうでしょうか。すべての営みはどこに集約されるのかというと、経済活動に集約されます。教育も政治も医療も、何もかもです。より良い経済活動のためです。しかし経済システムはほとんどの人に理解されていないのです。それについてはっきり知ったら、人々はびっくりして革命を起こすほどだということです。「皆さん、お金は危ないですよ。気をつけましょう。天に目を向け、神のために働きましょう。」と。ここまでは言えるのですが、ではどうして悪しき力が経済の世界を支配するようになったのかについては語りません。さらに一歩踏み込んでは話さないのです。
しかし調べてみたら、びっくりしました。こういうことは全員知らなくてはいけない、本当に主が言われた通りだなと思いました。箴言22:7、『富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。』というのです。人々が家を買う時、銀行からお金を借ります。そうしたら、返済期日まで何もかも、完全に銀行に支配されます。今、国が莫大な借金をしています。国民一人当たりに1085万円くらいの借金があると言われます。何で国があんなに多く借金をするのでしょうか。考えたことがありますでしょうか。あまり考えないのです。ただたくさんのお金を使うからでしょうと思うのですが、そこにも計略があります。
テモテ第一6:6-10で、パウロがこんな事を語りました。『しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。』
パウロもお金について気をつけろと警告しています。お金に関心があっても、扱いには気をつけろというのです。「金銭を愛することがあらゆる悪の根だ」からです。お金を追い求めると、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通すのです。なぜでしょうか。それは背後にマモン神が働いているからです。
ではなぜ経済界が悪霊どもに奪われたのでしょうか。その理由を知らなければならないわけです。お金って、知っているようで知らないと言いましたが、お金のシステムはどうして出来たのかというと、初めは物々交換だったそうです。例えば、私が魚をいっぱい取ったとします。それで、魚をおいしく食べるには塩がいります。そこで「あの人、塩をたくさん持っているから、私の魚を少しあげて塩を分けてもらおう。」と物々交換が成り立つわけです。つまり塩を持っている人は、「魚食べたいな」と。魚を持っている人は「塩欲しいな」と。お互いの思惑が一致して物々交換が行われたわけです。でも塩を持っている人が、「俺は魚は食べたくない。肉が食べたい」と言ったら、肉を得るために肉をどこかに行って調達しなければならないわけです。それでは自分の仕事はできないのです。
今日、それぞれの仕事を持てるのは、貨幣制度が発達したからです。お金のシステムがあるから、好きなことができるわけです。絵を描いていても食えるのです。絵を食べては生きられないのですが、それを売ってお金に交換できるから、好きな食べ物を買って食べられるのです。お金の世界がなかったら、私たちは生きることはできません。
しかしその根源に巧妙な悪魔の策略があるのです。銀行で働いている人もいますから、これは銀行を批判するとか、言うのではなく、全体のシステムについてですから、誤解しないで下さい。イギリスのイングランド銀行の総裁を務めたジョシュア・スランプという人物がこんな言葉を残しました。イングランド銀行とは、世界の中央銀行の始まりと言われる銀行業務の元祖です。
その総裁を1928年から41年まで務めたスランプがこんな事を語りました。「現代の銀行制度は貨幣を無から作り出す。その手口はおそらくこれまで発明された詐欺の技術の中で、最も驚くべきものである。銀行は不正によって作られ、罪のうちに生まれた。銀行家は地球を所有する。」
世界で多くの詐欺の方法が考え出されたのですが、銀行システム、お金のシステムほど、巧妙に作られた詐欺システムはないというのです。私たちは詐欺に引っかかっているのです。「ウソ!」という感じですが、世界中の人って、もしかしたら、一握りの人に支配されているかもしれません。
皆さん、お金は物々交換から始まったのですが、どうして今のような紙幣になったのでしょうか。実はこの辺から、私もあまりよく理解していないのですが、よく聞いてください。
中世においての流通貨幣は金貨でした。1971年までは、金本位制といって、一万円を持って行ったら、一万円分の金貨をくれたのです。しかし始まりは紙幣ではなく、金貨から始まったそうです。でも金貨をいっぱい持っていると盗まれるから危なかったのです。しかし金貨を製造する金細工人という職業の人たちがいました。その人たちは仕事上、金庫みたいのを持っていたのです。それで金貨をたくさん持っている人たち、つまりお金持ちたちは、金細工人に「お宅で預かってくれますか?」と頼んだら、「いいですよ」と言って、預かった証拠として「預かり証」を手渡したそうです。少し手数料を取って、預り証を渡したのです。
もしもテレビが買いたいと思ったら、預かり証を金細工人の所に持って行って、「あなたに預けてある、私の金貨を返して下さい」と言って、預り証を戻して、金貨10枚なら、10枚を受け取って電気屋さんに行って、「テレビください」と金貨を支払うわけです。
でもどうでしょうか。金貨を受け取った電気屋さんが「10枚も金貨が来てしまった。持っていたら危ないな、どうしよう。そうだ。金細工人の金庫に預けよう。」と言って、金貨を預けるわけです。そうすると、金細工人は先ほどは持ち出された金貨が、他から戻って来るわけです。ならば、預かり証が無記名なら、電気屋さんに行って、「これをあげますので、金細工人のところに持って行って、金貨を受け取ってください。」と。金貨の預かり証だけを渡した方が、ずっと楽ですし、安全です。金を引き出して来て相手に手渡すより、預かり証を渡したら、安全であり、金貨を渡したのと同じです。それで金貨の預かり証だけが、社会に流通しました。
そうすると、金細工人の所に預けられた金貨は、全く動かないわけです。社会で流通しているのは金細工人が発行した、預かり証だけです。その時、金細工人たちは考えたのです。ここにいっぱい金貨があるのだから、人のものでも「貸し出して、利息をとればいいじゃないか。」と金貨を貸し出したわけです。金貨を預けた人たちは金細工人たちが、自分が預けたものを他の人に貸したとは夢にも思いませんでした。
金貨を借りに来た人も、「金貨を持っていると危ないので、貸し出し証にしてもらえませんか?」ということで、現物ではなく、貸し出し証が渡されるようになったわけです。そもそも人から預かった金貨を、第三者に貸すなんて横領です。でも金貨を誰も引き出しに来ないから、秘密で貸していたのです。預けた人は、「私の金貨は金細工人の金庫に、しっかりと保管されている」と信じていました。そんなことが続くうちに、「預かり証や貸し出し証が紙幣となった」というのです。ということは、紙幣の発行された根源に「偽り」があるのです。人のものを、第三者に貸すなんて、やっちゃいけないことです。しかし時には、「金を引き出したい」と金貨の引き替えが集中する事もありました。そうすると、金細工人には金貨がないのです。そこで金細工人たちは秘密のネットワークを作りました。「ありません」とは言えませんから、他の金細工人が持っている金貨を融通して、あたかも常に保管してあるかのように装ったというのです。融通したのは絶対に、秘密にしていたのです。そこから貨幣経済が始まったということです。
私たちは一万円札には、一万円分の価値があると信じています。しかし、今の時代、金本位制度は完全に壊れていますから、それを担保する裏づけがないのです。紙幣はなんの裏づけもない、ただの紙っぺらです。一万円札は価値があると思っているかもしれませんが、その裏づけになる金すら全くないのです。さらに現代では、お金は商品となっています。毎日、為替市場で売り買いされているわけです。それはすごい額です。日本の一年の貿易額相当が、為替市場だと、たったの五日でクリアされるというのです。最も売り買いされている商品、それが何の裏付けもないのです。本当にお金は偽りを土台として作られたものです。
実は、このシステムを作ったのが、一部のユダヤ人たちです。ユダヤ人たちには悲しい歴史があります。特にヨーロッパでは、たいへん迫害されました。「ユダヤ人はキリスト殺しだ」と言われ、教会も迫害しました。カトリック教会は当時、「利息を取るな」という教えをしていました。お金とは、元々、交換の道具だから、お金自体は価値を生み出さないし、生み出させる行為は罪だいう立場でした。昔はそのような考えでした。しかしユダヤ人たちは旧約聖書の中から、罪だとは考えていませんでした。
申命記23:19-20、『金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。外国人から利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない。それは、あなたが、入って行って、所有しようとしている地で、あなたの神、主が、あなたの手のわざのすべてを祝福されるためである。』
長い間、ヨーロッパを支配していたカトリック教会は「利息を取っちゃいけない」と人々に教えていました。利息を取って金を貸す仕事は最も卑しく、罪深い仕事だと教えていました。しかしユダヤ人は同胞からは利息を取ってはいけないのですが、外国人からは取っていいと考えていました。教会はユダヤ人をさげすみ、迫害し、まともな職業もなかったのです。しかしどの時代にも、お金を借りたい人はいるものです。だから社会の隙間で、ユダヤ人たちは民衆から嫌われていた職業、金を貸し出して利息を取る仕事を始めました。それが今の銀行業務の始まりだというのです。その中で、今語ったような預かり証だけが一人歩きする社会が、徐々に出来上がっていきました。
やがて宗教改革によって、カトリック教会の力は失われ、一般民衆の権利が回復していきました。そして金融制度が社会に必要となってきました。しかし金融関係のノウハウを持っていたのは一般民衆ではなく、ユダヤ人だけでした。それが基となり、現代の経済活動となったわけです。
このように「偽りの父」は、紙幣経済が生まれる原点に偽りを置いたのです。経済界の原点に偽りがあるなら、サタンは強く働くことが出来るはずです。無から有を生じさせる活動を中心に据えている経済界はある意味、悪魔のやりたい放題です。私たちは不正の富のただ中に身を置いていますが、このような偽りベースの中でも、主の御名の勝利を宣言しなければなりません。今週も私たちは、新たにお金を生み出すために仕事をしますが、しかしその背後には偽りが隠されていることを理解し、富に支配されず、神の支配の中で働きたいと思います。
紙幣は日本だったら日本銀行が発行し、アメリカはドルですが、FRB(米連邦準備制度理事会)が発行しています。今、このFRBの議長がジェローム・パウエルですが、この人の一言で、世界経済が変わるのです。アメリカがくしゃみをすると、世界が風邪を引いて、アメリカが風邪を引いたら、世界は肺炎にかかると言われます。それも、この人物の一言で変わるのです。なぜなら、FRBがある面、世界経済を支配しているからです。実は、その背後に、巧妙に仕掛けられた罠があるのですが、世の中で一番いい職業って何かというと、実は銀行さんです。銀行で働いている人はどこまで理解されているか分かりませんが、銀行は無から有を生じさせる神のような存在です。
私が10万円持っていて、誰かに100万円を貸すことは出来ません。しかし銀行は出来るのです。私たちが100万円を銀行に預けたら、銀行は1000万円を貸すことも可能です。何と、無から有を作り出すことが出来るわけです。それを信用創造と呼ぶそうですが、多くの人はその矛盾に気づいていないのです。
実際、お金を提供しているのは、FRBだとか、日本銀行ではなく、普通の銀行です。国が銀行に、その働きを委託しているのです。そして国も、銀行からお金を借りるのです。そうすると、誰が国で一番偉いのかが分かります。このシステムがなかったら、世界は回らないのですが、その背後に人を支配するマモンが働いているのを、気付かなければなりません。
「借りる者は貸す者に支配される」つまり日本政府もアメリカ政府も、世界中、最終的には銀行に支配されているのです。その銀行とは中央銀行です。しかし中央銀行は誰の所有かというと、あるファミリーを中心とする会社組織が株を持っています。
経済の世界に、誰一人知らない秘密の力が働いています。そして悪魔は国を、世界を支配しようとしているのです。イエス様の御言葉は、実に、現代社会に対する預言でした。「あなたの関心事の中心は地上にあってはいけません。天に心を向けなさい。だれも二人の主人に仕えることは出来ない。神にも仕え、また富にも仕えることは出来ない。」と言われたわけです。
イエス様の時代もそうでしたが、今の時代はさらに強く、マモンが働いています。しかし経済活動のただ中でも、主を信じる者たちには、悪しき力に打ち勝つ権威が与えられています。
ルカの福音書10:19、『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』
あなたがたに害を加えることは出来ないと。不正の富のただ中にあっても、私たちはそれらを勝ち取る者です。この約束を握りしめ、主の栄光のために、世界の福音化のために、心から主を愛し、仕えていきたいと思います。
皆さん、無から有を生じさせるのは、真の神以外にはありません。だから、今週も地上の銀行ではなく、決して虫のつかない、さびのつかない天の銀行に貯金をしたいと思います。
お祈りしましょう。
愛する天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝します。私たちは経済活動のただ中におりますが、私たちに知恵を与え、霊的目を開いてください。宝を天に蓄えることができますように。兄弟姉妹の中で、経済的に苦しむ人が誰一人、いないようにお願いいたします。もしも今、マモンの力に噛み付かれている人がいるなら、今日は完全にその力が打ち破られますように。経済の領域のただ中で、害を受けることがないように。今日、私たちは神に従い、マモンに立ち向かいます。また完璧な守りの中で生きることができますように、導いてください。今週も経済活動の中に主の勝利がありますように。すべての罠から守ってください。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
今日のメッセージはとっても難しいメッセージです。きっと、ほとんどの人が理解できないかも知れません。なぜなら、自分でもよく分からないからです。私の一番不得意な分野は何かと言うと、「経済」です。昔から貧乏だから、経済はずっと私には全く関係のない領域だと思っていました。今でもそうです。しかし経済がなかったら、私たちは生きることができません。毎月、給料をもらえなければ、生きることはできないからです。
皆さんは自分の貯金通帳に関して、関心があると思います。自分の貯金通帳に関心がない人は相当裕福な人か、バカな人か、どちらかです。普通は関心があります。私たちは経済のただ中で生きなければならないわけです。
イエス様がこの地上に存在されていた時代も、すでに同じような状況がありました。皆の関心事といったら、やはり経済に一番関心がありました。そんなただ中でイエス様が語られた言葉が、今日読んだ御言葉です。『自分のために、天に宝をたくわえなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。』
ここで『自分のために、天に宝をたくわえなさい。』とイエス様は語られました。クリスチャンになると、何が起こるのでしょうか。クリスチャンになると、一つ銀行口座が増えるのです。どこの銀行が増えるのかというと、天国銀行に口座ができるのです。私たちは地上の口座に関してはたいへん関心があるのですが、「天に宝をたくわえなさい。すなわち天の銀行口座に関心をもち、貯金しなさい。」と主は言われます。
皆さんの関心の中心はどこにあるのでしょうか。クリスチャンは、地上に生きていても、関心は天でなければなりません。天の口座にどのくらいの貯金が貯まったのか、ということです。神様は、私たちにただ働きをさせる方ではありません。働きに応じてちゃんと宝を天に積んでくださるお方です。困っている人に水一杯でも差し上げるだけでちゃんと天の口座に報酬を振り込んでくださるお方です。
私たちの地上の生活には限りがあり、やがて地上から出て行かなければならないのですが、永遠の世界に入った時、どのように生活するのでしょうか。それは、地上で行った神様に対する奉仕や、隣人に対する愛の行いにより、天に宝が積まれ、それが永遠の世界に反映されるわけです。だから私たちの関心事を、地上よりも天に移すべきです。天に宝を積んでいくことです。
教会とは、どういう場所かというと、霊的資産活用アドバイザーといってもいいかも知れません。クリスチャンになったら、一人ひとりにタラントが与えられます。神からの能力が与えら、それを使って、どう増やすかという霊的資産運用が必要となりますが、そのアドバイザー的な存在が教会であり、教会の役割だと思います。
しかし「TBIC教会で霊的資産活用のアドバイスをもらったのですが、天に行ったら何もなかった」と言われたら、神様から私の責任が問われるかもしれません。だから皆さんは何とか、与えられた霊的資産が増やされ、天に宝が積まれるように努力しなければなりません。今日の本文でイエス様が『だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。』と語られました。
「仕える」という言葉は、他に訳し直せば「支配される」という意味があります。「あなたは二人の主人に支配されることはできません」と。さらには、「奴隷になる」という意味もあります。「あなたは二人の主人の奴隷になることはできない」となります。つまり天地万物、私たちを造ってくださった神様の奴隷になって生きるか、富の奴隷となって生きるか、二つのはざまで揺れ動きながら、人は生きていきます。私たちは良い方を、選択しなければなりません。
しかし私たちの心は地上にあることが多く、天になかなか心が向かないのです。天に銀行口座があるなんて、初めて聞いたという人もいるかもしれません。もちろん私たちの考えているような口座とは違うと思うので、誤解しないでください。しかし「天に宝を積め」と言われるからには、宝の保管場所があるはずですから、天の銀行口座と言ってもいいと思います。多くの人の関心は、自分の富を増やすことです。それは富に支配されて、富の奴隷となっていることです。
今、世界のキリスト教会の中には様々な問題があります。その一つは何かというと、教会には背景となる神学、理論があって、いろいろな神学があります。今、世界で流行っているのが、「繁栄の神学」と呼ばれる、信仰によって富を得よう、儲けようという、神に目を向けるよりも、富に目を向けさせるような神学です。神さえも利用して儲けようという考えです。「教会に来たら、もうかります。」という考えが中心となっている神学が、今世界のキリスト教会の中に流行っています。それはある意味で魅力があります。
例えば「教会に来たら、あなたの資産が倍になります。」と言って、本当に倍になったら、みんなが教会に来ると思います。しかし聖書は祝福についても語っていますが、苦難の道、十字架の道についても教えています。主に仕える道は、時には苦しみも伴うわけです。私たちが富だけに目を向けてしまうと、失敗します。どんなに祝福されても、私たちの関心は、常に天にならなければなりません。二人の主人に、同時に仕えることはできないからです。
実は「富」と訳されている箇所は、アラム語で「マモン」です(英語はマンモン)。だから「神にも仕え、マモンにも仕えることはできない。」と訳すことができるのです。「マモン」の直訳は、古代のカナンの地方、フェニキア人、ペリシテ人の間で信仰されていた「富の神」です。分かりやすく言えば、日本の「えびす」とか、「いなり」とか、そのような種類です。
イエス様の時代、人々は何に仕えていたのかというと、真の神に仕える人もいたのですが、多くの人たちが、「マモン神」というカナンの原住民たちが祭っていた偶像を拝んでいました。「マモンさんを祭ったら儲かる」という、そういう文化の中で生活していたわけです。その時、イエス様が語られたのが「主人とは天地万物を造られた唯一の真の神か、マモンという霊的存在のどちらかを選択しなさい。」と語られたわけです。富というのは、普通は無機質なものです。しかしマモンとは存在であり、人類にとって真の神に対比される大きな存在です。
つまり「マモンと呼ばれる悪霊が働いているから気をつけなさい」と教えているのです。私たちが日々、身を置いている場所は、経済活動のただ中です。しかし富を支配しているのはこの世の神、マモンです。だからその事をよく理解しながら、信仰生活を送る必要があります。
マタイの福音書6章は、ルカの福音書16章と対比させて読むと、理解しやすくなります。逆に言えば、ルカの福音書16章は理解が難しい箇所であり、様々な解釈があります。しかしマタイの福音書6章と合わせて読むと、その意味が分かりやすくなります。
ルカの福音書16:13、『しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』9節では、『わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。』とあります。「不正の富で、友をつくりなさい」とは、どういう意味かというと、これはいろいろな理解があると思いますが、私たちが身を置いている経済の領域はマモン神が支配する領域です。
マモンという神様に対抗する最も強い暗闇の力が働いている領域だから気をつけなさいと警告しています。それは、私たちは「不正の富」のただ中にいるのですが、そこでも神の栄光が現されて、不正の富さえ勝ち取られ、神の国のために用いられ、神の国が広がっていくという意味です。
毎週、私たちは主の働きのために家庭や地域、また職場で頑張っているのですが、それらはこの世の不正の富と呼ばれるものかも知れません。しかしそのことによって、主の働きは進んでいます。このTBIC教会もマモンが支配している経済の世界から、不正の富を勝ち取った結果20年以上続いているわけです。だから私たちは天に宝を積むことを常に心がけていく必要があります。同時に神に対抗する強力な力、マモンという悪しき力が存在することを意識することも、とても重要です。
特別に皆さんの職場やアルバイト先、経済活動のただ中で主を賛美し、祈っていただきたいと思います。皆さんが糧を得ている場所で、主を賛美し、祈り、そこを支配するマモンが打ち砕かれますように、お祈りしたいと思います。
実は私たちは、理解しているようで、理解していない事柄がたくさんあります。毎日お金を使っていますが、お金って、何のために、誰がどうやって作ったのかと問われても、正しく答えることが出来る人は、ほとんどいないと思います。皆さんはどうでしょうか。お金はなくてはならないものですが、どうして出来たのか知っているのでしょうか。
経済の領域に悪魔が働いていることは誰でも分かります。以前、クリスチャンの弁護士の方に霊的戦いについて話したら、彼がこんな事を言いました。「私は弁護士をやっていて、不思議だと思うことがある。それは犯罪を犯す人のほぼ100パーセント、その背後に経済的問題が絡んでいる。」と。経済問題が絡まなくて犯罪を犯す人はほとんどいないというのです。「なぜ、経済問題が絡むのか不思議に思う。」と言われました。日々、報道される様々な事件の背後に、必ず経済的問題があるのです。これはやはり、聖書が語っているように、お金に強力な悪魔の巣があるからです。
共産主義を表したカール・マルクスが、共産党宣言の中で、こんなことを語っています。「歴史の流れを決める最大の要因は、お金である。」歴史が大きく変わる最大の要因はお金だというのです。それからアメリカの二代目大統領、ジョン・アダムスという人物がいるのですが、こんな事を語っています。「アメリカで起きているすべての混乱は憲法や、同盟の不備、名誉が欲しいとか、美徳からではない。それは硬貨、クレジット、通貨の性質について、人々が無知だからである。」つまり金について無知だから、多くの問題が起きているというのです。またヘンリー・フォードという自動車王がこんな言葉を残しています。「国民が銀行制度や貨幣制度を理解していないことは良いことだ。もしそれらを国民が理解したら、明日夜が明ける前に、革命が起こるだろう。」皆さん、どうでしょうか。金融関係で働いている人もいると思いますが、貨幣制度や金融制度を完全に知っている人は、ほとんどいないのです。しかし自動車王は気付いたのです。だから知ったら、革命が起きると言ったわけです。
イエス様が二人の主人に仕えることはできないと言われたのですが、これはまさに現代社会に対する預言的な警告です。イエス様の時代もそうだったのですが、今の時代はどうでしょうか。すべての営みはどこに集約されるのかというと、経済活動に集約されます。教育も政治も医療も、何もかもです。より良い経済活動のためです。しかし経済システムはほとんどの人に理解されていないのです。それについてはっきり知ったら、人々はびっくりして革命を起こすほどだということです。「皆さん、お金は危ないですよ。気をつけましょう。天に目を向け、神のために働きましょう。」と。ここまでは言えるのですが、ではどうして悪しき力が経済の世界を支配するようになったのかについては語りません。さらに一歩踏み込んでは話さないのです。
しかし調べてみたら、びっくりしました。こういうことは全員知らなくてはいけない、本当に主が言われた通りだなと思いました。箴言22:7、『富む者は貧しい者を支配する。借りる者は貸す者のしもべとなる。』というのです。人々が家を買う時、銀行からお金を借ります。そうしたら、返済期日まで何もかも、完全に銀行に支配されます。今、国が莫大な借金をしています。国民一人当たりに1085万円くらいの借金があると言われます。何で国があんなに多く借金をするのでしょうか。考えたことがありますでしょうか。あまり考えないのです。ただたくさんのお金を使うからでしょうと思うのですが、そこにも計略があります。
テモテ第一6:6-10で、パウロがこんな事を語りました。『しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。』
パウロもお金について気をつけろと警告しています。お金に関心があっても、扱いには気をつけろというのです。「金銭を愛することがあらゆる悪の根だ」からです。お金を追い求めると、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通すのです。なぜでしょうか。それは背後にマモン神が働いているからです。
ではなぜ経済界が悪霊どもに奪われたのでしょうか。その理由を知らなければならないわけです。お金って、知っているようで知らないと言いましたが、お金のシステムはどうして出来たのかというと、初めは物々交換だったそうです。例えば、私が魚をいっぱい取ったとします。それで、魚をおいしく食べるには塩がいります。そこで「あの人、塩をたくさん持っているから、私の魚を少しあげて塩を分けてもらおう。」と物々交換が成り立つわけです。つまり塩を持っている人は、「魚食べたいな」と。魚を持っている人は「塩欲しいな」と。お互いの思惑が一致して物々交換が行われたわけです。でも塩を持っている人が、「俺は魚は食べたくない。肉が食べたい」と言ったら、肉を得るために肉をどこかに行って調達しなければならないわけです。それでは自分の仕事はできないのです。
今日、それぞれの仕事を持てるのは、貨幣制度が発達したからです。お金のシステムがあるから、好きなことができるわけです。絵を描いていても食えるのです。絵を食べては生きられないのですが、それを売ってお金に交換できるから、好きな食べ物を買って食べられるのです。お金の世界がなかったら、私たちは生きることはできません。
しかしその根源に巧妙な悪魔の策略があるのです。銀行で働いている人もいますから、これは銀行を批判するとか、言うのではなく、全体のシステムについてですから、誤解しないで下さい。イギリスのイングランド銀行の総裁を務めたジョシュア・スランプという人物がこんな言葉を残しました。イングランド銀行とは、世界の中央銀行の始まりと言われる銀行業務の元祖です。
その総裁を1928年から41年まで務めたスランプがこんな事を語りました。「現代の銀行制度は貨幣を無から作り出す。その手口はおそらくこれまで発明された詐欺の技術の中で、最も驚くべきものである。銀行は不正によって作られ、罪のうちに生まれた。銀行家は地球を所有する。」
世界で多くの詐欺の方法が考え出されたのですが、銀行システム、お金のシステムほど、巧妙に作られた詐欺システムはないというのです。私たちは詐欺に引っかかっているのです。「ウソ!」という感じですが、世界中の人って、もしかしたら、一握りの人に支配されているかもしれません。
皆さん、お金は物々交換から始まったのですが、どうして今のような紙幣になったのでしょうか。実はこの辺から、私もあまりよく理解していないのですが、よく聞いてください。
中世においての流通貨幣は金貨でした。1971年までは、金本位制といって、一万円を持って行ったら、一万円分の金貨をくれたのです。しかし始まりは紙幣ではなく、金貨から始まったそうです。でも金貨をいっぱい持っていると盗まれるから危なかったのです。しかし金貨を製造する金細工人という職業の人たちがいました。その人たちは仕事上、金庫みたいのを持っていたのです。それで金貨をたくさん持っている人たち、つまりお金持ちたちは、金細工人に「お宅で預かってくれますか?」と頼んだら、「いいですよ」と言って、預かった証拠として「預かり証」を手渡したそうです。少し手数料を取って、預り証を渡したのです。
もしもテレビが買いたいと思ったら、預かり証を金細工人の所に持って行って、「あなたに預けてある、私の金貨を返して下さい」と言って、預り証を戻して、金貨10枚なら、10枚を受け取って電気屋さんに行って、「テレビください」と金貨を支払うわけです。
でもどうでしょうか。金貨を受け取った電気屋さんが「10枚も金貨が来てしまった。持っていたら危ないな、どうしよう。そうだ。金細工人の金庫に預けよう。」と言って、金貨を預けるわけです。そうすると、金細工人は先ほどは持ち出された金貨が、他から戻って来るわけです。ならば、預かり証が無記名なら、電気屋さんに行って、「これをあげますので、金細工人のところに持って行って、金貨を受け取ってください。」と。金貨の預かり証だけを渡した方が、ずっと楽ですし、安全です。金を引き出して来て相手に手渡すより、預かり証を渡したら、安全であり、金貨を渡したのと同じです。それで金貨の預かり証だけが、社会に流通しました。
そうすると、金細工人の所に預けられた金貨は、全く動かないわけです。社会で流通しているのは金細工人が発行した、預かり証だけです。その時、金細工人たちは考えたのです。ここにいっぱい金貨があるのだから、人のものでも「貸し出して、利息をとればいいじゃないか。」と金貨を貸し出したわけです。金貨を預けた人たちは金細工人たちが、自分が預けたものを他の人に貸したとは夢にも思いませんでした。
金貨を借りに来た人も、「金貨を持っていると危ないので、貸し出し証にしてもらえませんか?」ということで、現物ではなく、貸し出し証が渡されるようになったわけです。そもそも人から預かった金貨を、第三者に貸すなんて横領です。でも金貨を誰も引き出しに来ないから、秘密で貸していたのです。預けた人は、「私の金貨は金細工人の金庫に、しっかりと保管されている」と信じていました。そんなことが続くうちに、「預かり証や貸し出し証が紙幣となった」というのです。ということは、紙幣の発行された根源に「偽り」があるのです。人のものを、第三者に貸すなんて、やっちゃいけないことです。しかし時には、「金を引き出したい」と金貨の引き替えが集中する事もありました。そうすると、金細工人には金貨がないのです。そこで金細工人たちは秘密のネットワークを作りました。「ありません」とは言えませんから、他の金細工人が持っている金貨を融通して、あたかも常に保管してあるかのように装ったというのです。融通したのは絶対に、秘密にしていたのです。そこから貨幣経済が始まったということです。
私たちは一万円札には、一万円分の価値があると信じています。しかし、今の時代、金本位制度は完全に壊れていますから、それを担保する裏づけがないのです。紙幣はなんの裏づけもない、ただの紙っぺらです。一万円札は価値があると思っているかもしれませんが、その裏づけになる金すら全くないのです。さらに現代では、お金は商品となっています。毎日、為替市場で売り買いされているわけです。それはすごい額です。日本の一年の貿易額相当が、為替市場だと、たったの五日でクリアされるというのです。最も売り買いされている商品、それが何の裏付けもないのです。本当にお金は偽りを土台として作られたものです。
実は、このシステムを作ったのが、一部のユダヤ人たちです。ユダヤ人たちには悲しい歴史があります。特にヨーロッパでは、たいへん迫害されました。「ユダヤ人はキリスト殺しだ」と言われ、教会も迫害しました。カトリック教会は当時、「利息を取るな」という教えをしていました。お金とは、元々、交換の道具だから、お金自体は価値を生み出さないし、生み出させる行為は罪だいう立場でした。昔はそのような考えでした。しかしユダヤ人たちは旧約聖書の中から、罪だとは考えていませんでした。
申命記23:19-20、『金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない。外国人から利息を取ってもよいが、あなたの同胞からは利息を取ってはならない。それは、あなたが、入って行って、所有しようとしている地で、あなたの神、主が、あなたの手のわざのすべてを祝福されるためである。』
長い間、ヨーロッパを支配していたカトリック教会は「利息を取っちゃいけない」と人々に教えていました。利息を取って金を貸す仕事は最も卑しく、罪深い仕事だと教えていました。しかしユダヤ人は同胞からは利息を取ってはいけないのですが、外国人からは取っていいと考えていました。教会はユダヤ人をさげすみ、迫害し、まともな職業もなかったのです。しかしどの時代にも、お金を借りたい人はいるものです。だから社会の隙間で、ユダヤ人たちは民衆から嫌われていた職業、金を貸し出して利息を取る仕事を始めました。それが今の銀行業務の始まりだというのです。その中で、今語ったような預かり証だけが一人歩きする社会が、徐々に出来上がっていきました。
やがて宗教改革によって、カトリック教会の力は失われ、一般民衆の権利が回復していきました。そして金融制度が社会に必要となってきました。しかし金融関係のノウハウを持っていたのは一般民衆ではなく、ユダヤ人だけでした。それが基となり、現代の経済活動となったわけです。
このように「偽りの父」は、紙幣経済が生まれる原点に偽りを置いたのです。経済界の原点に偽りがあるなら、サタンは強く働くことが出来るはずです。無から有を生じさせる活動を中心に据えている経済界はある意味、悪魔のやりたい放題です。私たちは不正の富のただ中に身を置いていますが、このような偽りベースの中でも、主の御名の勝利を宣言しなければなりません。今週も私たちは、新たにお金を生み出すために仕事をしますが、しかしその背後には偽りが隠されていることを理解し、富に支配されず、神の支配の中で働きたいと思います。
紙幣は日本だったら日本銀行が発行し、アメリカはドルですが、FRB(米連邦準備制度理事会)が発行しています。今、このFRBの議長がジェローム・パウエルですが、この人の一言で、世界経済が変わるのです。アメリカがくしゃみをすると、世界が風邪を引いて、アメリカが風邪を引いたら、世界は肺炎にかかると言われます。それも、この人物の一言で変わるのです。なぜなら、FRBがある面、世界経済を支配しているからです。実は、その背後に、巧妙に仕掛けられた罠があるのですが、世の中で一番いい職業って何かというと、実は銀行さんです。銀行で働いている人はどこまで理解されているか分かりませんが、銀行は無から有を生じさせる神のような存在です。
私が10万円持っていて、誰かに100万円を貸すことは出来ません。しかし銀行は出来るのです。私たちが100万円を銀行に預けたら、銀行は1000万円を貸すことも可能です。何と、無から有を作り出すことが出来るわけです。それを信用創造と呼ぶそうですが、多くの人はその矛盾に気づいていないのです。
実際、お金を提供しているのは、FRBだとか、日本銀行ではなく、普通の銀行です。国が銀行に、その働きを委託しているのです。そして国も、銀行からお金を借りるのです。そうすると、誰が国で一番偉いのかが分かります。このシステムがなかったら、世界は回らないのですが、その背後に人を支配するマモンが働いているのを、気付かなければなりません。
「借りる者は貸す者に支配される」つまり日本政府もアメリカ政府も、世界中、最終的には銀行に支配されているのです。その銀行とは中央銀行です。しかし中央銀行は誰の所有かというと、あるファミリーを中心とする会社組織が株を持っています。
経済の世界に、誰一人知らない秘密の力が働いています。そして悪魔は国を、世界を支配しようとしているのです。イエス様の御言葉は、実に、現代社会に対する預言でした。「あなたの関心事の中心は地上にあってはいけません。天に心を向けなさい。だれも二人の主人に仕えることは出来ない。神にも仕え、また富にも仕えることは出来ない。」と言われたわけです。
イエス様の時代もそうでしたが、今の時代はさらに強く、マモンが働いています。しかし経済活動のただ中でも、主を信じる者たちには、悪しき力に打ち勝つ権威が与えられています。
ルカの福音書10:19、『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』
あなたがたに害を加えることは出来ないと。不正の富のただ中にあっても、私たちはそれらを勝ち取る者です。この約束を握りしめ、主の栄光のために、世界の福音化のために、心から主を愛し、仕えていきたいと思います。
皆さん、無から有を生じさせるのは、真の神以外にはありません。だから、今週も地上の銀行ではなく、決して虫のつかない、さびのつかない天の銀行に貯金をしたいと思います。
お祈りしましょう。
愛する天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝します。私たちは経済活動のただ中におりますが、私たちに知恵を与え、霊的目を開いてください。宝を天に蓄えることができますように。兄弟姉妹の中で、経済的に苦しむ人が誰一人、いないようにお願いいたします。もしも今、マモンの力に噛み付かれている人がいるなら、今日は完全にその力が打ち破られますように。経済の領域のただ中で、害を受けることがないように。今日、私たちは神に従い、マモンに立ち向かいます。また完璧な守りの中で生きることができますように、導いてください。今週も経済活動の中に主の勝利がありますように。すべての罠から守ってください。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
合計 184
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
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New ピりピ人への手紙4: 13 (天路歴程)
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2025.02.02
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ピリピ人への手紙4:6 (何も思い煩うな)
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2025.01.27
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tbic | 2025.01.27 | 2 | 31 |
182 |
サムエル記第二15:1-37、(アブサロムとダビデ)
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2025.01.20
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181 |
ローマ人への手紙8:18-23(今の時のいろいろの苦しみは)
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2025.01.12
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180 |
ルカの福音書10:38-42(必要なことは一つだけです)
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2025.01.06
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179 |
へブル人への手紙4:10(神の安息に入った者)
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2024.12.29
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178 |
マタイの福音書22:35-40(イエス様の誕生、十字架の愛)
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tbic | 2024.12.24 | 1 | 83 |
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ルカの福音書6:20-21(貧しい人々のクリスマス)
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マラキ書4:1-3(義の太陽であるイエス様)
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ルカの福音書10:1-9 (さあ、リバイバルの町へ出よう)
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