メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
ルカの福音書6:20-21(貧しい人々のクリスマス)
投稿者
tbic
投稿日
2024-12-24 12:31
閲覧数
85
ルカの福音書6:20-21『イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。」』
クリスマス(Christmas)の名称 :クリスマスは英語で Christ + mas です。masという単語は、もともと初代教会の時に「パンを裂く」という意味から始まり、様々な意味を含む単語に発展したのですが、最も核心的な意味は「礼拝」を意味する単語として定着しました。 つまりクリスマスはキリストを礼拝する(Christ+mas)日です。だからクリスマスの主人公は当然「イエス・キリスト」です。クリスマスは、神である方が人間の体を着て赤ちゃんとして生まれた日です。
今日の本文には貧しい人たち、飢えている人たち、泣いている人たちが出ます。世の中では、これが好きな人は一人もいません。特に貧しさ、貧乏などを罪だと言っている人もいるのです。誠実に、一生懸命に働かないから、その結果、貧乏になったと信じています。
しかし聖書は貧しさを全然違う観点で、別の意味でとらえています。つまりそれらがむしろ、幸いだと言われます。本文20節に、「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。」
言い換えれば、貧しい人たちは(飢えている人たち、泣いている人たちも同じです。)御国の祝福で豊かに満たされる一番良い条件が整えているということです。何でも、うまく行けば、求めがありません。だから一番最初のクリスマスに参加した人々が貧しい人々だったことは、大きな意味があります。その意味を分かち合いたいと思います。
1.イエス様が貧しい人、泣いている人としてお生まれになったということです。
ヨセフとマリヤは住民登録をするためにベツレヘムに行ったのですが、泊まる場所がありませんでした。だからある家の馬小屋に入って、そこでイエス様を産んだのです。そしてそこにあった、かいばおけにイエス様を寝かせました。かいばおけに寝ているみどりご、乳飲み子のイエス様の姿は想像だけしても、不幸そのものです。イエス様は最初から最後まで惨めな生涯、不幸な33年半の人生でした。まさに、十字架の人生そのものでした。
しかしそんな惨めな姿、かいばおけの姿が救い主、キリストのしるしだったのです。ルカの福音書2:12、「あなたがたは布にくるまってかいばおけにねておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。」
もちろんイエス様は豊かな神様であり、この世の万物の主人だから、誰よりも富んでおられるお方です。しかし、私たちのために貧しい人、飢える人、泣く人になったわけです。これをコリント人への手紙第二8:9では、こう表現します。
「あなたがたは私たちの主イエスキリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それはあなたがたがキリストの貧しさによって富む者となるためです。」
だから私たちはイエス・キリストの貧しさによって富む者、喜ぶ人となったということを忘れてはなりません。
2.イエス様の両親、ヨセフとマリヤも貧しい人たちだったということです。
当時ヨセフの仕事は大工です。当時の大工は卑しい仕事の代名詞でした。そんな人を自分の夫として迎え入れたマリヤも確かに卑しい人、貧しい人だったのです。しかしその家庭からイエス様が生まれたということです。
だから受胎告知を聞いたマリヤの賛美がこれです。ルカの福音書1:46-48、「マリヤは言った。わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」
神様は卑しい田舎の娘に女の人の中で一番幸せな女として選んでくださいました。まさに貧しい人、泣く人が神の御国の主人公です。
3.最初のクリスマスをお祝った羊飼いたちも貧しい人たちだったということです。
イエス様がお生まれになったその日の夜、ベツレヘムの近くにある野原で夜番をしながら羊の群れを見守っていた羊飼いたちがいました。彼らは野獣から羊の群れを守るためにいつも夜通し、羊の群れを守っていたのです。だから、彼らがそんな大変な羊飼いとなった理由は、彼らも卑しい人であり、貧しかったからです。しかしその日の夜、思いもよらなかった訪れがあったのです。主の御使いが現れ、メシヤである救い主がお生まれになったというお知らせでした。だから彼らは直ちにベツレヘムに駆けつけて、お生まれになったイエス様を見ることができました。そんな貧しい人々、疎外された人々に神様は最初のクリスマスの喜びを与えてくださったのです。
確かにイエス様は貧しい人、泣いている人のために同じ貧しい人、泣いている人として、この世に来られました。そしてヨセフもマリヤも羊飼いたちもみんな貧しい人だったから、この初めのクリスマスに呼ばれたのです。だから初めのクリスマスは貧しい人たちのお祭りでした。しかしこの貧しさをただ物質的に考えないでください。霊的な見る目が必要です。つまり自分の罪と弱さを切実に感じて、貧しい心をもって神の恵みを求める人、その霊的貧しさを神様は願っておられます。だから同じ聖書箇所をマタイの福音書5:3では、こう表現します。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」こういう貧しい心をもって今年を締めくくり、新年を迎えたいと思います。
クリスマス(Christmas)の名称 :クリスマスは英語で Christ + mas です。masという単語は、もともと初代教会の時に「パンを裂く」という意味から始まり、様々な意味を含む単語に発展したのですが、最も核心的な意味は「礼拝」を意味する単語として定着しました。 つまりクリスマスはキリストを礼拝する(Christ+mas)日です。だからクリスマスの主人公は当然「イエス・キリスト」です。クリスマスは、神である方が人間の体を着て赤ちゃんとして生まれた日です。
今日の本文には貧しい人たち、飢えている人たち、泣いている人たちが出ます。世の中では、これが好きな人は一人もいません。特に貧しさ、貧乏などを罪だと言っている人もいるのです。誠実に、一生懸命に働かないから、その結果、貧乏になったと信じています。
しかし聖書は貧しさを全然違う観点で、別の意味でとらえています。つまりそれらがむしろ、幸いだと言われます。本文20節に、「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。」
言い換えれば、貧しい人たちは(飢えている人たち、泣いている人たちも同じです。)御国の祝福で豊かに満たされる一番良い条件が整えているということです。何でも、うまく行けば、求めがありません。だから一番最初のクリスマスに参加した人々が貧しい人々だったことは、大きな意味があります。その意味を分かち合いたいと思います。
1.イエス様が貧しい人、泣いている人としてお生まれになったということです。
ヨセフとマリヤは住民登録をするためにベツレヘムに行ったのですが、泊まる場所がありませんでした。だからある家の馬小屋に入って、そこでイエス様を産んだのです。そしてそこにあった、かいばおけにイエス様を寝かせました。かいばおけに寝ているみどりご、乳飲み子のイエス様の姿は想像だけしても、不幸そのものです。イエス様は最初から最後まで惨めな生涯、不幸な33年半の人生でした。まさに、十字架の人生そのものでした。
しかしそんな惨めな姿、かいばおけの姿が救い主、キリストのしるしだったのです。ルカの福音書2:12、「あなたがたは布にくるまってかいばおけにねておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。」
もちろんイエス様は豊かな神様であり、この世の万物の主人だから、誰よりも富んでおられるお方です。しかし、私たちのために貧しい人、飢える人、泣く人になったわけです。これをコリント人への手紙第二8:9では、こう表現します。
「あなたがたは私たちの主イエスキリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それはあなたがたがキリストの貧しさによって富む者となるためです。」
だから私たちはイエス・キリストの貧しさによって富む者、喜ぶ人となったということを忘れてはなりません。
2.イエス様の両親、ヨセフとマリヤも貧しい人たちだったということです。
当時ヨセフの仕事は大工です。当時の大工は卑しい仕事の代名詞でした。そんな人を自分の夫として迎え入れたマリヤも確かに卑しい人、貧しい人だったのです。しかしその家庭からイエス様が生まれたということです。
だから受胎告知を聞いたマリヤの賛美がこれです。ルカの福音書1:46-48、「マリヤは言った。わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。」
神様は卑しい田舎の娘に女の人の中で一番幸せな女として選んでくださいました。まさに貧しい人、泣く人が神の御国の主人公です。
3.最初のクリスマスをお祝った羊飼いたちも貧しい人たちだったということです。
イエス様がお生まれになったその日の夜、ベツレヘムの近くにある野原で夜番をしながら羊の群れを見守っていた羊飼いたちがいました。彼らは野獣から羊の群れを守るためにいつも夜通し、羊の群れを守っていたのです。だから、彼らがそんな大変な羊飼いとなった理由は、彼らも卑しい人であり、貧しかったからです。しかしその日の夜、思いもよらなかった訪れがあったのです。主の御使いが現れ、メシヤである救い主がお生まれになったというお知らせでした。だから彼らは直ちにベツレヘムに駆けつけて、お生まれになったイエス様を見ることができました。そんな貧しい人々、疎外された人々に神様は最初のクリスマスの喜びを与えてくださったのです。
確かにイエス様は貧しい人、泣いている人のために同じ貧しい人、泣いている人として、この世に来られました。そしてヨセフもマリヤも羊飼いたちもみんな貧しい人だったから、この初めのクリスマスに呼ばれたのです。だから初めのクリスマスは貧しい人たちのお祭りでした。しかしこの貧しさをただ物質的に考えないでください。霊的な見る目が必要です。つまり自分の罪と弱さを切実に感じて、貧しい心をもって神の恵みを求める人、その霊的貧しさを神様は願っておられます。だから同じ聖書箇所をマタイの福音書5:3では、こう表現します。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」こういう貧しい心をもって今年を締めくくり、新年を迎えたいと思います。
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