メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
創世記12:1-9 (主が示す所へ行きなさい)
投稿者
tbic
投稿日
2025-04-27 18:35
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創世記12:1-9 『1.主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。2.そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。3.わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」4.アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。5.アブラムは、妻のサライと甥のロト、また自分たちが蓄えたすべての財産と、ハランで得た人たちを伴って、カナンの地に向かって出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。6.アブラムはその地を通って、シェケムの場所、モレの樫の木のところまで行った。当時、その地にはカナン人がいた。7.主はアブラムに現れて言われた。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」アブラムは、自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。8.彼は、そこからベテルの東にある山の方に移動して、天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は、そこに主のための祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。9.アブラムはなおも進んで、ネゲブの方へと旅を続けた。』
今日の本文はアブラハムが一番最初に主から呼ばれ、そのみことば通りに従って、ハランを離れ、カナンの地へ出発する内容です。その時、アブラハムの年は75歳でした。今までは彼の父テラと一緒だったのですが、テラの死によってもうこれからはアブラハムが家長として家族を導かなければなりません。アブラハムは恐れもあり、心配、悩みもあったと思います。しかしアブラハムはただ神のみことばだけを信じて、従順に従い、主が示す地へ行きました。
アブラハムが主から呼ばれ、ハランの地を離れてカナンに向かって出発したように、今日も私たちは去年の2024年を送り、もう2025年を走っています。だからアブラハムのように、2025年度にはただ主が示す所だけに歩む素晴らしい年となることを切に願います。私たちが歩むべき2025年にも神の豊かな恵みと祝福を期待しながら、今日の本文を通して、その祝福の知恵を学びたいと思います。
1.主はアブラハムを呼んで、使命を与えてくださいました。
そうしたら、アブラハムが受け取った使命の内容は何でしょうか。
(1) 「離れなさい」という命令です。
主はアブラハムが過ごしていた所から、彼を呼び出しました。偶像と世俗の町、カルデヤ人のウルとハランから呼び出してくださったのです。今日の本文の1節に、『主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」』と命令するわけです。アブラハムが離れる所は彼の生まれ故郷、彼の父の家で歩むべき(目指すべき)所でただ主が示す地、あまり知らない未知の所です。生まれ故郷、父の家は今見える現実であり、主が示すカナンの地は見えない希望、約束の地です。結局これは見えない約束の地に向かって、「罪と偶像の現実から立ち上がりなさい」という命令です。
私たちの信仰もアブラハムのように、離れる信仰とならなければなりません。私たちは見える現実に安住せず、見えない神の約束の地、永遠の神の国、カナンの天国に向かって歩み出し、罪と偶像、不義と淫乱が溢れている、この世から一つも未練なく離れなければなりません。今私たちが過ごしているここが、どれほど素晴らしい所であっても、罪と偶像がある所であれば、主が命令するときに、直ちに離れなければなりません。
その時の約束の内容は、(2)「あなたを祝福する」という約束でした。
アブラハムに与えられた約束は祝福ですが、その具体的な内容はアブラハムを大いなる国民とし、大いなるものとするという約束でした。今日の本文の12:2-3、「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」この約束通り、アブラハムはすべての信じる者の父(先祖)となったわけです。そして主はアブラハムに「わたしの友」と呼ばれました。ヤコブの手紙2:23、「そして、アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされたという聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。」
このアブラハムが受けた祝福はアブラハム個人だけの祝福ではありません。結局アブラハムに与えられた祝福はアブラハムの家系を通してお生まれになる「女の子孫」、つまりメシヤ(Messiah)のイエスさまを通して完全に成し遂げられる約束のみことばであり、その救い主イエス・キリストの中でアブラハムの信仰の子孫である私たちクリスチャンにも与えられる祝福です。皆さん、みことば通り生まれ故郷、父の家を離れる苦しみ、試練は大きいと思いますが、それに対する報いはもっと大きいと思うので、全然心配しないで下さい。是非、一時的なこの世の快楽をあきらめ、永遠に輝く神の祝福で毎日毎日満たされることを切に願います。
2.主は、なぜアブラハムに離れなさいと言われたのでしょうか。
(1) 主はアブラハムを通して成し遂げようとされる神の計画と救いの摂理があったからです。
初めにエデンの園で人類の祖先アダムとエバが罪を犯したとき、神さまは彼らを呪いながらも「女の子孫」という(創世記3:15)希望の約束、メシヤの約束を与えてくださいました。その約束を主は歴史の中で成就するために、人類の多くの種族の中でノアを選び、ノアの3人の息子の中でセムを、そしてセムの3番目の息子アルパクシャデの流れから7代に渡って、特別にテラの家庭を区別し、ついにテラの3人の息子の中でアブラハムを選んだわけです。
結局神の時になって、主はアブラハムに「その約束が実現するカナンに行きなさい」と命令し、アブラハムはただ信仰によって従順に従い、この地上で選民の歴史が始まったわけです。だからアダムの堕落からアブラハムが使命を受けるときまでに、約2,100年という年月が流れていったのです。つまりアブラハムが生まれるときまで神さまは 2,100年も待っておられたということです。神の働きは決して偶然ではありません。神さまは既に創造の前から計画なさったことを、時になって成し遂げて行かれるお方です。だからエレミヤ預言者はこう語ります。
エレミヤ書1:4-5、「次のような主のことばが私にあった。わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」
皆さん、祈りに答えがないのでしょうか。計画通り、うまくいかないのでしょうか。待っていてください。神の時になれば、早いです。必ず成し遂げられるわけです。ガラテヤ人への手紙6:9、「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」
イスラエルの民はエジプトで、あらゆる苦しみと虐待を受けながら主を呼び求めたのですが、それは1年2年、10年20年ではありません。430年間主を呼び求めたわけです。430年の時が満ちて、主はミデヤンの荒野で羊を飼っていた80歳のモーセに使命を与え、エジプトに送り、イスラエルの民を救い出したということです。
(2)主はアブラハムを訓練させ、信仰の父とならせるために「離れなさい」と言われました。
聖書を読みますと、主から大きく用いられる人はみんな大きく訓練を受けました。世の中でも大きく用いられる人は他の人々より、特別な訓練を受けます。空を飛ぶ飛行機を操縦するパイロットになるためには地獄のような特別訓練を受けるそうです。また医者になるためには他の人々より、どれほど多くの日々を苦しみながら努力しなければならないのか、よくご存知だと思います。まして私たちが神の子どもとなって、将来神の国を受け継ぐ者になるためには簡単ではないと思います。もっと難しいかもしれません。
神さまはアブラハムを信仰の父とするために、カルデヤ人のウルとハランから約1,500Kmの距離を行かせたのです。1,500Kmというのは近い距離ではありません。日本列島の距離が約3,000kmだと言われるのですが、その半分くらいです。今のように交通機関が発達しているわけでもないし、まさに訓練です。神の訓練です。
イエスさまもヨルダン川で洗礼を受けられてからすぐ荒野へ行かれ、40日間断食しながら訓練を受けられたのです。使徒パウロもダマスコに行く途中、イエスさまに出会い、悔い改めてからアラビアの荒野に行って、3年間も信仰の訓練を受けたと言われています。ヨセフもただエジプトの総理大臣になったわけではありません。兄たちのいじめを通してエジプトへ売られ、そしてポティパルの家であらゆる苦しみ、混乱、誘惑を受け、また数年間くやしい思いのまま牢屋に監禁されてから、ついにエジプトの総理大臣となったわけです。
皆さん、今その苦しみの中にいるのでしょうか。ヤコブの手紙5:13、「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。」と言われます。神さまが私たち一人ひとりを愛し、用いようとして訓練させているということです。ローマ人への手紙5:3-4、「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」
(3)ハランの地はアブラハムにとって住めない所だから、主はアブラハムに「そこを離れなさい」と言われました。
神さまが創造なさった天地万物は住める所があり、住めない所があります。まるで魚は山の中で住めないし、山の獣は海の中で住めないことと同じです。また植物も生きられる所がそれぞれ違います。熱帯植物は寒帯地域では生きられないし、また反対に寒帯植物は熱帯地域では生きられません。同じです。人間は特にクリスチャンは生きられる所があり、生きられない所があります。どこでもいいことではありません。全てを信仰によって考えなければなりません。
アブラハムは創世記12:10の以下の内容を見ますと、みことば通りカナンまで来たのですが、そこの飢饉によってエジプトへ下って行くわけです。そこで大変な目に会い、辱められる苦難を受けます。飢饉があってもカナンはカナンです。主が示す所が安全です。
主はアブラハムを信仰の父として選び、彼をハランから呼び出して、カナンに導かれました。 世俗文明が華やかで楽ですが、偶像崇拝によって罪が溢れている、そのハランの地にはアブラハムのような信仰者が住める所ではなかったのです。だから私たちも罪が溢れている所には絶対に行ってはなりません。詩篇1:1-2、「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
3.カナンに入ったアブラハムの生活はどうだったのでしょうか。
(1)アブラハムの生活は旅人の人生そのものでした。
カルデヤ人のウルを離れ、ハランまでが約1000km、ハランからカナンまでが約 500kmの遠い道をただ「みことばに従って」アブラハムは行ったわけです。しかしカナンの地は荒地で水もないし、芝生、牧草地もなかったのです。ただ石と砂、荒野だけでした。それにもかかわらず、アブラハムは神の約束を信じたのです。そして南の方に行って定着しました。
どれほど大変でつらくても、主が共におられるなら、荒野も天国になり、主が共におられないなら、そこがどれほど良い所であっても、そこは地獄です。皆さん、アブラハムのおいロトは良い所を探して行ったのですが、そこは神のいない地獄のような所で、結局硫黄と火によって滅ぼされたということを、是非覚えてください。
(2)アブラハムの生活は苦しみの中でも、いつも祭壇を築く礼拝の生活でした。
アブラハムはただ主の呼びかけを聞いて、信仰によってカナンの地に入りました。たとい肉体的には楽ではないし、豊かさはなかったのですが、カナンの地には神の約束と平安、慰めがありました。だからアブラハムは神の約束を信じて、大変な現実であっても祭壇を築き、行く所ごと一番最初に祭壇を築いて礼拝をささげました。
皆さん、私たちもアブラハムのように祭壇を築き、礼拝をささげるのに怠ってはなりません。特に今年は祭壇を築くこと、礼拝をささげることに最善を尽くしてみてください。そしてどれほど神の祝福があるか、試してみてください。神さまはいつも真の礼拝の祭壇に火を降ろし、答えてくださったのです。だから私たちは熱心に集まって、喜びと感謝のいけにえを、真の礼拝をささげなければなりません。
皆さん、今年は日曜日の礼拝だけでなく、毎日毎日祈りとみことばをもって、朝ごとに礼拝の祭壇を築いてみてください。素晴らしい神の働きを体験すると思います。終わりの時代になると、悪魔(サタン)は集中的に礼拝を妨げます。祈りも妨害します。 だから可能であれば、私たちクリスチャンが神さまに礼拝をささげられないように、あらゆる方法で邪魔をすると思います。これに気付いてほしいのです。だからこそ、私たちは熱心に礼拝をささげ、祈らなければなりません。ヘブル人への手紙10:25、「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」
結論
主はアブラハムに、「あなたは、あなたの土地、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」と言われました。そのとき、アブラハムは何も言わずに、神のみことばに従って、示す地へ行ったわけです。
私たちも神さまから、使命が与えられた時、直ちに従わなければなりません。その時、神さまはアブラハムに与えられた祝福を私たちにも同じく与えてくださると信じます。アブラハムは神さまが「イサクをささげなさい」と言われた時にも、躊躇せず、直ちに従いました。私たちも神の御心であれば、躊躇せず、直ちに従わなければなりません。今日も神さまは私たちに、みことばに従って、「離れなさい」と言われます。
どこから離れるべきでしょうか。
①罪から離れなければなりません。
私たちに罪があれば、聖霊が働きません。テサロニケ第一5:22、「悪はどんな悪でも避けなさい。」と言われます。罪はどんな言葉でも合理化できません。まねしてもだめですし、近くにも行ってはなりません。詩篇1:1-2、「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
②不信仰から離れなければなりません。
不信仰は何でしょうか。信仰によってしない、すべてが不信仰です。みことば通りしないことが不信仰です。うらみ、不平不満も不信仰です。ローマ人への手紙14:23、「信仰から出ていないことは、みな罪です。」
③怠けているところから離れなければなりません。
ローマ人への手紙12:11、「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」
箴言24:33-34、「少し眠り、少しまどろみ、少し腕を組んで横になる。すると、付きまとう者のように貧しさが、武装した者のように乏しさがやって来る。」
私たちクリスチャンにとって一番大きな敵は怠けることです。サタンは常に私たちを攻撃し、誘惑をしますが、それは他にありません。私たちを怠けさせることであり、後回しにさせることです。だから今、主のみこころであれば、直ちに従わなければなりません。
④ 悪い習慣から離れなければなりません。
信仰生活だけでなく、普通の生活でも悪い習慣を捨てなければなりません。あらゆる悪い習慣は私たちを縛りつけ、私たちのつまずきになります。離れなければなりません。
こういう風に神さまが「離れなさい」と言われたとき、さっそく離れれば、どんな祝福が待っているのでしょうか。アブラハムのように、
①神さまが、直接導いてくださる人生となります。
②アブラハムの信仰の子孫として、祝福をいっぱい受けます。
③もちろんこれは苦難が伴う人生ですが、その時ごとに祭壇を築き、みことばと祈りによって勝利を収める素晴らしいクリスチャンとなってください。
アブラハムがみことばに従ってカルデヤ人のウルとハランを離れたように、私たちは2024年を離れ、今2025年を歩んでいます。私たちが歩んでいる、この2025年の道は誰も知りません。その道を経験した人は一人もいません。まさに2025年は未知の世界です。
イスラエルの民が出エジプトしてカナンに向かった時、カナンは誰も行ったことがありませんでした。しかし主が火の柱と雲の柱で導いてくださったように、私たちもきっと、みことばによって守られ、導かれると確信します。それによって、2025年にも勝利を収めることができると信じます。ただ主が示す所だけに歩んで行ってください。それだけが勝利の保証となります。
今日の本文はアブラハムが一番最初に主から呼ばれ、そのみことば通りに従って、ハランを離れ、カナンの地へ出発する内容です。その時、アブラハムの年は75歳でした。今までは彼の父テラと一緒だったのですが、テラの死によってもうこれからはアブラハムが家長として家族を導かなければなりません。アブラハムは恐れもあり、心配、悩みもあったと思います。しかしアブラハムはただ神のみことばだけを信じて、従順に従い、主が示す地へ行きました。
アブラハムが主から呼ばれ、ハランの地を離れてカナンに向かって出発したように、今日も私たちは去年の2024年を送り、もう2025年を走っています。だからアブラハムのように、2025年度にはただ主が示す所だけに歩む素晴らしい年となることを切に願います。私たちが歩むべき2025年にも神の豊かな恵みと祝福を期待しながら、今日の本文を通して、その祝福の知恵を学びたいと思います。
1.主はアブラハムを呼んで、使命を与えてくださいました。
そうしたら、アブラハムが受け取った使命の内容は何でしょうか。
(1) 「離れなさい」という命令です。
主はアブラハムが過ごしていた所から、彼を呼び出しました。偶像と世俗の町、カルデヤ人のウルとハランから呼び出してくださったのです。今日の本文の1節に、『主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」』と命令するわけです。アブラハムが離れる所は彼の生まれ故郷、彼の父の家で歩むべき(目指すべき)所でただ主が示す地、あまり知らない未知の所です。生まれ故郷、父の家は今見える現実であり、主が示すカナンの地は見えない希望、約束の地です。結局これは見えない約束の地に向かって、「罪と偶像の現実から立ち上がりなさい」という命令です。
私たちの信仰もアブラハムのように、離れる信仰とならなければなりません。私たちは見える現実に安住せず、見えない神の約束の地、永遠の神の国、カナンの天国に向かって歩み出し、罪と偶像、不義と淫乱が溢れている、この世から一つも未練なく離れなければなりません。今私たちが過ごしているここが、どれほど素晴らしい所であっても、罪と偶像がある所であれば、主が命令するときに、直ちに離れなければなりません。
その時の約束の内容は、(2)「あなたを祝福する」という約束でした。
アブラハムに与えられた約束は祝福ですが、その具体的な内容はアブラハムを大いなる国民とし、大いなるものとするという約束でした。今日の本文の12:2-3、「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」この約束通り、アブラハムはすべての信じる者の父(先祖)となったわけです。そして主はアブラハムに「わたしの友」と呼ばれました。ヤコブの手紙2:23、「そして、アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされたという聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。」
このアブラハムが受けた祝福はアブラハム個人だけの祝福ではありません。結局アブラハムに与えられた祝福はアブラハムの家系を通してお生まれになる「女の子孫」、つまりメシヤ(Messiah)のイエスさまを通して完全に成し遂げられる約束のみことばであり、その救い主イエス・キリストの中でアブラハムの信仰の子孫である私たちクリスチャンにも与えられる祝福です。皆さん、みことば通り生まれ故郷、父の家を離れる苦しみ、試練は大きいと思いますが、それに対する報いはもっと大きいと思うので、全然心配しないで下さい。是非、一時的なこの世の快楽をあきらめ、永遠に輝く神の祝福で毎日毎日満たされることを切に願います。
2.主は、なぜアブラハムに離れなさいと言われたのでしょうか。
(1) 主はアブラハムを通して成し遂げようとされる神の計画と救いの摂理があったからです。
初めにエデンの園で人類の祖先アダムとエバが罪を犯したとき、神さまは彼らを呪いながらも「女の子孫」という(創世記3:15)希望の約束、メシヤの約束を与えてくださいました。その約束を主は歴史の中で成就するために、人類の多くの種族の中でノアを選び、ノアの3人の息子の中でセムを、そしてセムの3番目の息子アルパクシャデの流れから7代に渡って、特別にテラの家庭を区別し、ついにテラの3人の息子の中でアブラハムを選んだわけです。
結局神の時になって、主はアブラハムに「その約束が実現するカナンに行きなさい」と命令し、アブラハムはただ信仰によって従順に従い、この地上で選民の歴史が始まったわけです。だからアダムの堕落からアブラハムが使命を受けるときまでに、約2,100年という年月が流れていったのです。つまりアブラハムが生まれるときまで神さまは 2,100年も待っておられたということです。神の働きは決して偶然ではありません。神さまは既に創造の前から計画なさったことを、時になって成し遂げて行かれるお方です。だからエレミヤ預言者はこう語ります。
エレミヤ書1:4-5、「次のような主のことばが私にあった。わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」
皆さん、祈りに答えがないのでしょうか。計画通り、うまくいかないのでしょうか。待っていてください。神の時になれば、早いです。必ず成し遂げられるわけです。ガラテヤ人への手紙6:9、「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」
イスラエルの民はエジプトで、あらゆる苦しみと虐待を受けながら主を呼び求めたのですが、それは1年2年、10年20年ではありません。430年間主を呼び求めたわけです。430年の時が満ちて、主はミデヤンの荒野で羊を飼っていた80歳のモーセに使命を与え、エジプトに送り、イスラエルの民を救い出したということです。
(2)主はアブラハムを訓練させ、信仰の父とならせるために「離れなさい」と言われました。
聖書を読みますと、主から大きく用いられる人はみんな大きく訓練を受けました。世の中でも大きく用いられる人は他の人々より、特別な訓練を受けます。空を飛ぶ飛行機を操縦するパイロットになるためには地獄のような特別訓練を受けるそうです。また医者になるためには他の人々より、どれほど多くの日々を苦しみながら努力しなければならないのか、よくご存知だと思います。まして私たちが神の子どもとなって、将来神の国を受け継ぐ者になるためには簡単ではないと思います。もっと難しいかもしれません。
神さまはアブラハムを信仰の父とするために、カルデヤ人のウルとハランから約1,500Kmの距離を行かせたのです。1,500Kmというのは近い距離ではありません。日本列島の距離が約3,000kmだと言われるのですが、その半分くらいです。今のように交通機関が発達しているわけでもないし、まさに訓練です。神の訓練です。
イエスさまもヨルダン川で洗礼を受けられてからすぐ荒野へ行かれ、40日間断食しながら訓練を受けられたのです。使徒パウロもダマスコに行く途中、イエスさまに出会い、悔い改めてからアラビアの荒野に行って、3年間も信仰の訓練を受けたと言われています。ヨセフもただエジプトの総理大臣になったわけではありません。兄たちのいじめを通してエジプトへ売られ、そしてポティパルの家であらゆる苦しみ、混乱、誘惑を受け、また数年間くやしい思いのまま牢屋に監禁されてから、ついにエジプトの総理大臣となったわけです。
皆さん、今その苦しみの中にいるのでしょうか。ヤコブの手紙5:13、「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。」と言われます。神さまが私たち一人ひとりを愛し、用いようとして訓練させているということです。ローマ人への手紙5:3-4、「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」
(3)ハランの地はアブラハムにとって住めない所だから、主はアブラハムに「そこを離れなさい」と言われました。
神さまが創造なさった天地万物は住める所があり、住めない所があります。まるで魚は山の中で住めないし、山の獣は海の中で住めないことと同じです。また植物も生きられる所がそれぞれ違います。熱帯植物は寒帯地域では生きられないし、また反対に寒帯植物は熱帯地域では生きられません。同じです。人間は特にクリスチャンは生きられる所があり、生きられない所があります。どこでもいいことではありません。全てを信仰によって考えなければなりません。
アブラハムは創世記12:10の以下の内容を見ますと、みことば通りカナンまで来たのですが、そこの飢饉によってエジプトへ下って行くわけです。そこで大変な目に会い、辱められる苦難を受けます。飢饉があってもカナンはカナンです。主が示す所が安全です。
主はアブラハムを信仰の父として選び、彼をハランから呼び出して、カナンに導かれました。 世俗文明が華やかで楽ですが、偶像崇拝によって罪が溢れている、そのハランの地にはアブラハムのような信仰者が住める所ではなかったのです。だから私たちも罪が溢れている所には絶対に行ってはなりません。詩篇1:1-2、「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
3.カナンに入ったアブラハムの生活はどうだったのでしょうか。
(1)アブラハムの生活は旅人の人生そのものでした。
カルデヤ人のウルを離れ、ハランまでが約1000km、ハランからカナンまでが約 500kmの遠い道をただ「みことばに従って」アブラハムは行ったわけです。しかしカナンの地は荒地で水もないし、芝生、牧草地もなかったのです。ただ石と砂、荒野だけでした。それにもかかわらず、アブラハムは神の約束を信じたのです。そして南の方に行って定着しました。
どれほど大変でつらくても、主が共におられるなら、荒野も天国になり、主が共におられないなら、そこがどれほど良い所であっても、そこは地獄です。皆さん、アブラハムのおいロトは良い所を探して行ったのですが、そこは神のいない地獄のような所で、結局硫黄と火によって滅ぼされたということを、是非覚えてください。
(2)アブラハムの生活は苦しみの中でも、いつも祭壇を築く礼拝の生活でした。
アブラハムはただ主の呼びかけを聞いて、信仰によってカナンの地に入りました。たとい肉体的には楽ではないし、豊かさはなかったのですが、カナンの地には神の約束と平安、慰めがありました。だからアブラハムは神の約束を信じて、大変な現実であっても祭壇を築き、行く所ごと一番最初に祭壇を築いて礼拝をささげました。
皆さん、私たちもアブラハムのように祭壇を築き、礼拝をささげるのに怠ってはなりません。特に今年は祭壇を築くこと、礼拝をささげることに最善を尽くしてみてください。そしてどれほど神の祝福があるか、試してみてください。神さまはいつも真の礼拝の祭壇に火を降ろし、答えてくださったのです。だから私たちは熱心に集まって、喜びと感謝のいけにえを、真の礼拝をささげなければなりません。
皆さん、今年は日曜日の礼拝だけでなく、毎日毎日祈りとみことばをもって、朝ごとに礼拝の祭壇を築いてみてください。素晴らしい神の働きを体験すると思います。終わりの時代になると、悪魔(サタン)は集中的に礼拝を妨げます。祈りも妨害します。 だから可能であれば、私たちクリスチャンが神さまに礼拝をささげられないように、あらゆる方法で邪魔をすると思います。これに気付いてほしいのです。だからこそ、私たちは熱心に礼拝をささげ、祈らなければなりません。ヘブル人への手紙10:25、「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」
結論
主はアブラハムに、「あなたは、あなたの土地、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。」と言われました。そのとき、アブラハムは何も言わずに、神のみことばに従って、示す地へ行ったわけです。
私たちも神さまから、使命が与えられた時、直ちに従わなければなりません。その時、神さまはアブラハムに与えられた祝福を私たちにも同じく与えてくださると信じます。アブラハムは神さまが「イサクをささげなさい」と言われた時にも、躊躇せず、直ちに従いました。私たちも神の御心であれば、躊躇せず、直ちに従わなければなりません。今日も神さまは私たちに、みことばに従って、「離れなさい」と言われます。
どこから離れるべきでしょうか。
①罪から離れなければなりません。
私たちに罪があれば、聖霊が働きません。テサロニケ第一5:22、「悪はどんな悪でも避けなさい。」と言われます。罪はどんな言葉でも合理化できません。まねしてもだめですし、近くにも行ってはなりません。詩篇1:1-2、「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
②不信仰から離れなければなりません。
不信仰は何でしょうか。信仰によってしない、すべてが不信仰です。みことば通りしないことが不信仰です。うらみ、不平不満も不信仰です。ローマ人への手紙14:23、「信仰から出ていないことは、みな罪です。」
③怠けているところから離れなければなりません。
ローマ人への手紙12:11、「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」
箴言24:33-34、「少し眠り、少しまどろみ、少し腕を組んで横になる。すると、付きまとう者のように貧しさが、武装した者のように乏しさがやって来る。」
私たちクリスチャンにとって一番大きな敵は怠けることです。サタンは常に私たちを攻撃し、誘惑をしますが、それは他にありません。私たちを怠けさせることであり、後回しにさせることです。だから今、主のみこころであれば、直ちに従わなければなりません。
④ 悪い習慣から離れなければなりません。
信仰生活だけでなく、普通の生活でも悪い習慣を捨てなければなりません。あらゆる悪い習慣は私たちを縛りつけ、私たちのつまずきになります。離れなければなりません。
こういう風に神さまが「離れなさい」と言われたとき、さっそく離れれば、どんな祝福が待っているのでしょうか。アブラハムのように、
①神さまが、直接導いてくださる人生となります。
②アブラハムの信仰の子孫として、祝福をいっぱい受けます。
③もちろんこれは苦難が伴う人生ですが、その時ごとに祭壇を築き、みことばと祈りによって勝利を収める素晴らしいクリスチャンとなってください。
アブラハムがみことばに従ってカルデヤ人のウルとハランを離れたように、私たちは2024年を離れ、今2025年を歩んでいます。私たちが歩んでいる、この2025年の道は誰も知りません。その道を経験した人は一人もいません。まさに2025年は未知の世界です。
イスラエルの民が出エジプトしてカナンに向かった時、カナンは誰も行ったことがありませんでした。しかし主が火の柱と雲の柱で導いてくださったように、私たちもきっと、みことばによって守られ、導かれると確信します。それによって、2025年にも勝利を収めることができると信じます。ただ主が示す所だけに歩んで行ってください。それだけが勝利の保証となります。
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212 |
詩篇8:1-9(人間の存在の目的)
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2025.08.24
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211 |
歴代誌 第二7:11-14(国のために祈ろう)
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2025.08.17
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210 |
詩篇121:1-8(わたしが、あなたの道を守る)
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2025.08.10
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209 |
ゼカリヤ書2:1–13(火の城壁の神)
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2025.08.03
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208 |
ヨハネの福音書 13:34(新しい戒めの中に生きよう)
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2025.07.27
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207 |
エペソ人への手紙2:1-5 (ロープを掴みなさい)
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2025.07.13
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206 |
創世記2:24 (聖書的結婚観)
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2025.07.06
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205 |
ヘブル10:37-11:7(信仰とは何か?)
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2025.06.29
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204 |
箴言3:5-6(自分の悟りに頼るな)
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2025.06.22
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