メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
ガラテヤ人への手紙2:20(不信と疑いは私たちを疲れさせる)
投稿者
tbic
投稿日
2025-05-18 20:29
閲覧数
121
ガラテヤ人への手紙2:20「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」
イエスさまを私の主として受け入れれば、聖霊に満たされ、前の私と後の私が変わる。(本文の内容の核心)
変化した人生は、(1)大胆に生きる。(2) 信仰によって生きる。
1.大胆に生きなさい。(be Courageous)
聖書は「大胆に生きなさい」と命令している。
(1) 聖書の本文
ヨシュア記1:9、「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」
エレミヤ書1:8、「彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」至る所に敵がいても「大胆になれ」と命令する。
ヨハネの福音書14:1、「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
(2) 大胆さがないということは不信であり、聖霊の人の姿ではない。
人間は恐怖をコントロールできない存在である。
しかし大胆さが命令の形で出てくるのは、大胆さの根拠は私たちにあるのではなく、イエスさまにあるということである。つまり私の中にキリストが生きておられるから大胆になれる。
結局、私として生きると、恐怖が溢れる人生を生きることになるが、私の中におられるイエスさまとして生きるようになれば、恐怖を克服して大胆に生きることができる。
(3) 私たちは改善という間違ったアプローチの方法を取ることができる。
しかしより良い私ではなく、私の中におられるイエス・キリストとして生きなければならない。
私たちがいくらより良い私として生きても、イエスさまとして生きる人より、もっと良くはなれない。なぜなら、勝利はより良い組織(人間)によってできるのではなく、キリストを通してのみ可能だからである。
例/ペテロはより良い私として進んだが(マタイの福音書18:21、「私の兄弟が罪を犯したら、7回を赦す?」)、イエスさまを3回も否認。イエスさまは「7回ではなく、70x7回でも赦しなさい」と言われた。これはイエスさまの力でのみ可能である。
例/ステパノの人生(イエスさまの人生)がモデル。私たちもいつも私の中におられるイエスさまとして生きなければならない。
(4) 私たちの人生の主語は誰なのか?(私なのか、イエスさまなのか?)イエスさまとして生きれば、人生は怖くない。
私がどれだけ我慢したのか、私がどれだけ頑張ったのか、私がどれだけ努力したのかと言うのは、ダメである。より良い私はいつも問題を引き起こす。
ただイエスさまとして生きてこそ、勝利できる。そして大胆になる。
例/ダビデが神の名で戦ったので、ゴリヤテが怖くなかった。(サムエル記第一17:45、「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。」)
例/吠える犬は噛まない。怯えた犬ほど、たくさん吠える。恐れてはならない。
例/大きな声で「殴る、殺す」と言葉で言う人は殺したり、殴ったりできない。本当に殺そうとする者は静かに刺す。
経済的な困難も私がやろうとするから大変なことになる。しかしイエスさまが主人になれば、経済的な問題も解決される。
病気の危険(がん):私が病気をcontrolできないから怖い。しかしイエスさまとして生きれば、癌も問題にならない。
特に私たちが嘲笑いと迫害を受けるとき、イエスさまでさえ嘲笑いと迫害を受けながら働いたということを覚えなければならない。
結局、私たちはどんな環境と難関の中でも、私の中におられるイエスさまとして生きれば、すべての問題が解決される。だから圧迫される人生を生きてはいけない。今できることに集中すると、神さまが働くようになる。
(5) あまりにも遠いところを見て、大きさに圧倒されてはいけない。神さまがくださった、今この瞬間の力に忠実であればいい。瞬間に忠実であれば、推進力(momentum)が加わって物事を成し遂げることができる。
例/12弟子を通して、全世界に神の御言葉が伝えられた。
心配する人々はあまりにも多くのことを見ている。しかし健康な人々は今私の力で今の使命を担う。つまり私ができることを、今やればいい。
今目を覚ましている人たちは、できることに集中する。しかしダメな人は大きすぎることを見て、落胆して絶望する。
(6) Charles Sheldonの「イエスさまなら、どうするか(In His Steps)」の人生。キリスト教の古典小説。大胆な人生の根源が何か、教えてくれる本。
恐怖は私として生きるとき、現れる症状である。
ただイエスさまの力で大胆さを成し遂げなければならないし、すべてのことを大胆にしなければならない。なぜなら、恐れには罰が伴うからである(ヨハネ第一4:18)。
2.信仰によって生きなさい。(Live by Faith)
私たちはいつでも信仰によって生きなければならない。(当然の話)
なぜなら、聖書的根拠として、救いの原理と人生の原理が信仰だからである。
ハバクク書2:4、「見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」
ローマ人への手紙1:17、『福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。』(信仰義認の教理)
ヘブル人への手紙10:38、「わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」(人生の原理)
だから私たちはいつも御言葉に基づいた信仰の供給を受けながら生きなければならない。信者は信仰の供給を止めてはいけない。
(1) 信仰の供給が中断されると、憂鬱(うつ病)に陥る。
例/ Edward Welchの 「Depression: A Stubborn Darkness (憂鬱:頑固な闇)」というタイトルの本。私たちの人生はそのままにしておくと、憂鬱に進むことになっている。クリスチャンも例外ではない。信仰が供給されないと、うつ病に陥るしかない存在が人間。
ローマ人への手紙7:24、「わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」うつ病を経験した使徒パウロの告白。
(2) 私たちは聖霊と共にしてこそ、勝利する人生を生きることになる。
ローマ人への手紙8:1-2、「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。」
つまり信仰によって生きるということは、①抱いて生きなければならない。②信じて生きなければならない。信じてこそ、疲れない。
3.私たちは誰でも抱いて生きなければならない。
例/ある信仰ある家庭の話:大切な娘を留学に送ったが、娘が寂しくて男に会う。男は麻薬取引をする人で、娘が22歳で妊娠して結婚した。とてつもない苦難を経験し、彼女は麻薬の中毒になった。だから麻薬を購入するために売春もした。両親が神さまに恨み始め、そして「神さまの前で正直に生きたのに、なぜこのようなことが起きたのですか」と神さまに聞く。これは他人の話ではなく、私たちの話である。
(1) 多くの人々は人間的な功労主義である迷信にとらわれている。
誤解1:優しい人には悪いことは起こらない。誤解2:黄金律-私がもてなす限り、相手も私をもてなすはずだ。しかしそうではない場合もある。
(2) つまり困難に遭うと、神の前で謙虚になるのではなく、神の前で恨む態度を示す。これは功労主義的な人々の特徴である。しかし神さまは私たちに焦らないで、すべてを抱いて行きなさいと言われる。
(3) したがって、その方は娘の状況が変化しないことを知っていても、この事実を抱いてそのまま進んだ。そして15年という時間が過ぎた現在では娘が回復してほぼ正常な家庭を成したという話。ここで神の命令はどんな状況の中でも、「信仰を握って、抱いて行きなさい」ということである。それが、聖霊が臨んだことである。つまりイエスさまが同行する人生を生きること。
(4) 賢い人の特徴:何でも抱いて行くことができる。
例/私たちがstressを受けてbalanceが壊れると、癌が発生する。だからできれば(いや、絶対的に)、ただ問題を抱えて行かなければならない。それが信仰である。
STIGMA:痕跡(傷)を持って、私たちは進むのみ。痕跡は障害、傷ではない。栄光の証拠である。
結局、信仰ある人は汚さも抱いて行くが、信仰がないとそれを抱いて行けない。
祈りの答えは何?神の御心が叶うこと。どんな答えでも受け入れること。抱っこして行くのと類似している。
多くの人が祈りの答えを、「私の意志を成す」と勘違いしている。しかし祈りの答えは、神さまが私にとって一番良いものをくださることである。それを私たちは信じること。Yes, No, Waitingという祈りの答えがある。神さまには3つの反応がある。すべてが神の答えである。だから賢い人はどんな答えでも神さまが与えてくださる道に従う。
そしてこのような道を行くと、私が変化して、後で見ると、一番良い道に来ていることを確認することになる。これがクリスチャンの人生であり、信仰の道である。
神さまの時間と状況に、あまり押されない人生を生きることが大事。そしてその時が本当に神の力と恵みを体験する時である。だからいつも私たちの意志ではなく、神の御心だということを一生忘れてはいけない。
4.信仰の反対は不信と疑いだが、これは私たちを疲れさせる。
信仰がなぜ重要なのか?信じてこそ、疲れないからである。
(1) 疲れるというのは、信仰によってやらないからである。
例/アブラハム:最後には信仰によって生きたので、100歳になっても疲れなかった。
(2) イエスさまが弟子を選別する方法(これが教会の原理):召し(Calling) – 呼び出す。
Callingに応答することが弟子になること。
教会の働きもお願いするのではなく、メッセージを通して、人々を呼ぶことである(calling)。そしてこのようなcallingに応答し、献身する人々を中心に進めば、絶対に教会は失敗しない。
結局、応答する人が選ばれた人である。だから教会が信仰の原理で進まないと、疲れる。しかし信仰の供給と信仰の原則で働きをすれば、決して疲れない。結局、信仰がないから疲れる。信仰があってこそ、いつも熱い気持ちで生きていけるようになる。
マルコの福音書9:23、『イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」』
ピリピ人への手紙4:13、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」
現代社会は疑い指数が高い社会。このような疑い指数のせいで社会が疲れている。
例/デパートの購入は定価と良い品物を買うから疲れない。しかし市場で売っている品物を買う場合は、とても疲れる。緊張して選ばないと騙されるからである。
つまり疑いがあって、不信がある所に行くと、不信と疑いと戦わなければならないので、疲れる。だから私たちは不信の所ではなく、信仰の所に行って、信仰によって生きなければならない。
そうすると、旺盛な生命力の中で生きるようになり、私たちの人生の問題を、余裕を持って抱いて行ける力を持つようになる。これが神さまのやり方で生きるクリスチャンの人生である。
神の時間がperfect timingである。人生のすべての問題は神さまなりの、神の方式の答えがある。だから私たちは焦らず、大胆に信仰によって進まなければならない。
結局、神さまは過程を通して私たちを変化させるので、信仰によって抱いていくと、神の一番良い時に神の御心が私たちの人生を回復させ、必ず勝利に導いていくことを確信しなければならない。そして自分の痛みが、かえって使命になる。
まとめると、すべてを抱いていくと、私たちは変化し、神の働きを経験することになり、より強力な信仰の人になる。
イエスさまを私の主として受け入れれば、聖霊に満たされ、前の私と後の私が変わる。(本文の内容の核心)
変化した人生は、(1)大胆に生きる。(2) 信仰によって生きる。
1.大胆に生きなさい。(be Courageous)
聖書は「大胆に生きなさい」と命令している。
(1) 聖書の本文
ヨシュア記1:9、「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」
エレミヤ書1:8、「彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。──主のことば。」至る所に敵がいても「大胆になれ」と命令する。
ヨハネの福音書14:1、「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
(2) 大胆さがないということは不信であり、聖霊の人の姿ではない。
人間は恐怖をコントロールできない存在である。
しかし大胆さが命令の形で出てくるのは、大胆さの根拠は私たちにあるのではなく、イエスさまにあるということである。つまり私の中にキリストが生きておられるから大胆になれる。
結局、私として生きると、恐怖が溢れる人生を生きることになるが、私の中におられるイエスさまとして生きるようになれば、恐怖を克服して大胆に生きることができる。
(3) 私たちは改善という間違ったアプローチの方法を取ることができる。
しかしより良い私ではなく、私の中におられるイエス・キリストとして生きなければならない。
私たちがいくらより良い私として生きても、イエスさまとして生きる人より、もっと良くはなれない。なぜなら、勝利はより良い組織(人間)によってできるのではなく、キリストを通してのみ可能だからである。
例/ペテロはより良い私として進んだが(マタイの福音書18:21、「私の兄弟が罪を犯したら、7回を赦す?」)、イエスさまを3回も否認。イエスさまは「7回ではなく、70x7回でも赦しなさい」と言われた。これはイエスさまの力でのみ可能である。
例/ステパノの人生(イエスさまの人生)がモデル。私たちもいつも私の中におられるイエスさまとして生きなければならない。
(4) 私たちの人生の主語は誰なのか?(私なのか、イエスさまなのか?)イエスさまとして生きれば、人生は怖くない。
私がどれだけ我慢したのか、私がどれだけ頑張ったのか、私がどれだけ努力したのかと言うのは、ダメである。より良い私はいつも問題を引き起こす。
ただイエスさまとして生きてこそ、勝利できる。そして大胆になる。
例/ダビデが神の名で戦ったので、ゴリヤテが怖くなかった。(サムエル記第一17:45、「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。」)
例/吠える犬は噛まない。怯えた犬ほど、たくさん吠える。恐れてはならない。
例/大きな声で「殴る、殺す」と言葉で言う人は殺したり、殴ったりできない。本当に殺そうとする者は静かに刺す。
経済的な困難も私がやろうとするから大変なことになる。しかしイエスさまが主人になれば、経済的な問題も解決される。
病気の危険(がん):私が病気をcontrolできないから怖い。しかしイエスさまとして生きれば、癌も問題にならない。
特に私たちが嘲笑いと迫害を受けるとき、イエスさまでさえ嘲笑いと迫害を受けながら働いたということを覚えなければならない。
結局、私たちはどんな環境と難関の中でも、私の中におられるイエスさまとして生きれば、すべての問題が解決される。だから圧迫される人生を生きてはいけない。今できることに集中すると、神さまが働くようになる。
(5) あまりにも遠いところを見て、大きさに圧倒されてはいけない。神さまがくださった、今この瞬間の力に忠実であればいい。瞬間に忠実であれば、推進力(momentum)が加わって物事を成し遂げることができる。
例/12弟子を通して、全世界に神の御言葉が伝えられた。
心配する人々はあまりにも多くのことを見ている。しかし健康な人々は今私の力で今の使命を担う。つまり私ができることを、今やればいい。
今目を覚ましている人たちは、できることに集中する。しかしダメな人は大きすぎることを見て、落胆して絶望する。
(6) Charles Sheldonの「イエスさまなら、どうするか(In His Steps)」の人生。キリスト教の古典小説。大胆な人生の根源が何か、教えてくれる本。
恐怖は私として生きるとき、現れる症状である。
ただイエスさまの力で大胆さを成し遂げなければならないし、すべてのことを大胆にしなければならない。なぜなら、恐れには罰が伴うからである(ヨハネ第一4:18)。
2.信仰によって生きなさい。(Live by Faith)
私たちはいつでも信仰によって生きなければならない。(当然の話)
なぜなら、聖書的根拠として、救いの原理と人生の原理が信仰だからである。
ハバクク書2:4、「見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」
ローマ人への手紙1:17、『福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。』(信仰義認の教理)
ヘブル人への手紙10:38、「わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」(人生の原理)
だから私たちはいつも御言葉に基づいた信仰の供給を受けながら生きなければならない。信者は信仰の供給を止めてはいけない。
(1) 信仰の供給が中断されると、憂鬱(うつ病)に陥る。
例/ Edward Welchの 「Depression: A Stubborn Darkness (憂鬱:頑固な闇)」というタイトルの本。私たちの人生はそのままにしておくと、憂鬱に進むことになっている。クリスチャンも例外ではない。信仰が供給されないと、うつ病に陥るしかない存在が人間。
ローマ人への手紙7:24、「わたしの義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、わたしの心は彼を喜ばない。」うつ病を経験した使徒パウロの告白。
(2) 私たちは聖霊と共にしてこそ、勝利する人生を生きることになる。
ローマ人への手紙8:1-2、「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。」
つまり信仰によって生きるということは、①抱いて生きなければならない。②信じて生きなければならない。信じてこそ、疲れない。
3.私たちは誰でも抱いて生きなければならない。
例/ある信仰ある家庭の話:大切な娘を留学に送ったが、娘が寂しくて男に会う。男は麻薬取引をする人で、娘が22歳で妊娠して結婚した。とてつもない苦難を経験し、彼女は麻薬の中毒になった。だから麻薬を購入するために売春もした。両親が神さまに恨み始め、そして「神さまの前で正直に生きたのに、なぜこのようなことが起きたのですか」と神さまに聞く。これは他人の話ではなく、私たちの話である。
(1) 多くの人々は人間的な功労主義である迷信にとらわれている。
誤解1:優しい人には悪いことは起こらない。誤解2:黄金律-私がもてなす限り、相手も私をもてなすはずだ。しかしそうではない場合もある。
(2) つまり困難に遭うと、神の前で謙虚になるのではなく、神の前で恨む態度を示す。これは功労主義的な人々の特徴である。しかし神さまは私たちに焦らないで、すべてを抱いて行きなさいと言われる。
(3) したがって、その方は娘の状況が変化しないことを知っていても、この事実を抱いてそのまま進んだ。そして15年という時間が過ぎた現在では娘が回復してほぼ正常な家庭を成したという話。ここで神の命令はどんな状況の中でも、「信仰を握って、抱いて行きなさい」ということである。それが、聖霊が臨んだことである。つまりイエスさまが同行する人生を生きること。
(4) 賢い人の特徴:何でも抱いて行くことができる。
例/私たちがstressを受けてbalanceが壊れると、癌が発生する。だからできれば(いや、絶対的に)、ただ問題を抱えて行かなければならない。それが信仰である。
STIGMA:痕跡(傷)を持って、私たちは進むのみ。痕跡は障害、傷ではない。栄光の証拠である。
結局、信仰ある人は汚さも抱いて行くが、信仰がないとそれを抱いて行けない。
祈りの答えは何?神の御心が叶うこと。どんな答えでも受け入れること。抱っこして行くのと類似している。
多くの人が祈りの答えを、「私の意志を成す」と勘違いしている。しかし祈りの答えは、神さまが私にとって一番良いものをくださることである。それを私たちは信じること。Yes, No, Waitingという祈りの答えがある。神さまには3つの反応がある。すべてが神の答えである。だから賢い人はどんな答えでも神さまが与えてくださる道に従う。
そしてこのような道を行くと、私が変化して、後で見ると、一番良い道に来ていることを確認することになる。これがクリスチャンの人生であり、信仰の道である。
神さまの時間と状況に、あまり押されない人生を生きることが大事。そしてその時が本当に神の力と恵みを体験する時である。だからいつも私たちの意志ではなく、神の御心だということを一生忘れてはいけない。
4.信仰の反対は不信と疑いだが、これは私たちを疲れさせる。
信仰がなぜ重要なのか?信じてこそ、疲れないからである。
(1) 疲れるというのは、信仰によってやらないからである。
例/アブラハム:最後には信仰によって生きたので、100歳になっても疲れなかった。
(2) イエスさまが弟子を選別する方法(これが教会の原理):召し(Calling) – 呼び出す。
Callingに応答することが弟子になること。
教会の働きもお願いするのではなく、メッセージを通して、人々を呼ぶことである(calling)。そしてこのようなcallingに応答し、献身する人々を中心に進めば、絶対に教会は失敗しない。
結局、応答する人が選ばれた人である。だから教会が信仰の原理で進まないと、疲れる。しかし信仰の供給と信仰の原則で働きをすれば、決して疲れない。結局、信仰がないから疲れる。信仰があってこそ、いつも熱い気持ちで生きていけるようになる。
マルコの福音書9:23、『イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」』
ピリピ人への手紙4:13、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」
現代社会は疑い指数が高い社会。このような疑い指数のせいで社会が疲れている。
例/デパートの購入は定価と良い品物を買うから疲れない。しかし市場で売っている品物を買う場合は、とても疲れる。緊張して選ばないと騙されるからである。
つまり疑いがあって、不信がある所に行くと、不信と疑いと戦わなければならないので、疲れる。だから私たちは不信の所ではなく、信仰の所に行って、信仰によって生きなければならない。
そうすると、旺盛な生命力の中で生きるようになり、私たちの人生の問題を、余裕を持って抱いて行ける力を持つようになる。これが神さまのやり方で生きるクリスチャンの人生である。
神の時間がperfect timingである。人生のすべての問題は神さまなりの、神の方式の答えがある。だから私たちは焦らず、大胆に信仰によって進まなければならない。
結局、神さまは過程を通して私たちを変化させるので、信仰によって抱いていくと、神の一番良い時に神の御心が私たちの人生を回復させ、必ず勝利に導いていくことを確信しなければならない。そして自分の痛みが、かえって使命になる。
まとめると、すべてを抱いていくと、私たちは変化し、神の働きを経験することになり、より強力な信仰の人になる。
合計 212
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
212 |
詩篇8:1-9(人間の存在の目的)
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2025.08.24
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211 |
歴代誌 第二7:11-14(国のために祈ろう)
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2025.08.17
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210 |
詩篇121:1-8(わたしが、あなたの道を守る)
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2025.08.10
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209 |
ゼカリヤ書2:1–13(火の城壁の神)
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2025.08.03
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208 |
ヨハネの福音書 13:34(新しい戒めの中に生きよう)
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エペソ人への手紙2:1-5 (ロープを掴みなさい)
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2025.07.13
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206 |
創世記2:24 (聖書的結婚観)
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2025.07.06
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ヘブル10:37-11:7(信仰とは何か?)
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2025.06.29
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箴言3:5-6(自分の悟りに頼るな)
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203 |
エペソ人への手紙5:22-33(夫と妻に対するお勧め)
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