メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
ヨハネの手紙 第一4:16(助演がロングランする)
投稿者
tbic
投稿日
2025-05-25 17:02
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ヨハネの手紙 第一4:16「私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。」
12弟子の中で、一番長生きしたのがヨハネです。私はこの長生きの秘訣が、二番手の役割(わき役)にあったのではないかと思います。ヨハネは他の人の成功を助け、低くされる中で、仕える知恵を学びました。私たちもロングランの人生を生きようとするなら、ヨハネから教えを受けなければなりません。
ヨハネは兄弟ヤコブと共に「ボアネルゲ、雷の子」の別名を取った人物です。ヤコブと同じように、その性格は火のようでした。更に功名心や出世欲も非常に強かったのです。彼の母はイエス様のもとに来て、神の御国において一人の息子を主の右に、もう一人を左に座らせて下さいと願い出ました。
マルコの福音書9:38を読みますと、ヨハネについて、もう少し具体的に知ることができます。彼はイエス様の弟子という自負心がとても強い人でした。彼は弟子ではない人が、イエスの名前で悪霊を追い出しているのを見て、それを止めたのです。
マルコの福音書9:38、「ヨハネがイエスに言った。先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」
すると、イエス様はこう言われました。39-40、「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。」広い心で人をご覧になっていたイエス様とは対照的に、ヨハネはその理解の幅が狭かったのです。
多くの人が様々な「原則」を紹介しています。確かに原則はとても重要です。しかし原則を立てる前に、その原則が何のためのものか、はっきりさせることが大切です。それが他の人を排除するための原則なのか、もっと多くの人々を受け入れるための原則なのかによって、大きな違いが出てくるからです。イエス様はなるべく原則を用いて、人を受け入れようとされましたが、ヨハネはその原則で人を追い出そうとしたのです。しかしイエス様は、私たちが原則を大きな視野で解釈して、多くの人々を幅広く受け止めることを願われました。
生きていれば、口うるさい人にも、性格があまり良くない人にも出会います。しかしそこには、「このような人も幅広く受け入れなさい」という神の御心があることを知らなければなりません。神様が与えて下さったビジョンは必ず同労者たちと一緒でなければ、成し遂げられないほど大きなものです。神様のビジョンを持って走る人は、必ず同労者と一緒に走ります。自分だけが正しいと考えず、他の人の主張も受け入れ、認める心、ヨハネにはその心が必要でした。
ヨハネは他人を受け入れる訓練ができていない偏った人物でした。しかしイエス様に出会った後、彼は変えられました。イエス様に出会うなら、みんな変わります。ヨハネは後に、どのような人になったのでしょうか。彼は多くの人を受け入れる「愛の人」になりました。
あるリベラル的な自由主義神学者が、ヨハネについて、こういう風に解釈したことがあります。「ヨハネの福音書を書いたヨハネと、ヨハネの手紙を書いたヨハネは同じ人物ではない。同じ人物であるはずがない。文体と態度があまりにも違うからだ。」
そのとおりです。文体と態度が全く違います。しかし自由主義神学者が、一つ見逃していることがあります。ヨハネがイエス・キリストに会って変えられたという事実です。若いころのヨハネは、成熟したヨハネと同じはずがありません。イエス様はヨハネの心を、それほど変えられました。私たちはこの点を忘れてはなりません。ではヨハネの変えられた姿について、二つぐらい皆さんと分かち合いたいと思います。
一番目、ヨハネは徹底的に、二番手(助演)を喜ぶ人になりました。彼はせっかちな母親のもとで、極度のコンプレックスにとらえられていました。以前は、何が何でも一番にならなければ気が済まない人でした。しかし使徒の働き以後を見ると、ペテロに少しずつ中心的な立場を譲り、ヨハネはそのアシスタント(わき役)として描かれています。
ペテロとヨハネが美しの門という神殿の門の所で足の不自由な人を治した時も、ペテロが中心となって癒しを行いました。多分ヨハネはペテロのそばで祈り、助けたと思われます(使徒3:1-8)。神様はペテロの衝動的な性格を、ヨハネを通して中和させたと思います。こういう風にペテロとヨハネは、素晴らしいチームワークを発揮しました。
昔のヨハネだったら、どうでしょうか。「なんでお前だけ前に出るんだ?お前はいっぺんやったから、今度は俺にやらせろ。」こう言って、喧嘩したと思います。しかし今、彼は二番手の立場に甘んじる者へと変えられました。私はヨハネのこの姿が聖霊によって変えられた非常に美しい姿だと思います。彼は他人の成功を喜ぶ者へと変えられたのです。
地上において最も素敵な人生とは、どんな人生でしょうか。他の人の成功を助ける人生だと思います。ペテロも偉大ですが、その横に立っているヨハネも立派な人です。事実、ヨハネが行く所どこでも、人々を助けるわざが伴いました。
サイパンやグアムでは、一定の周期ごとに海底火山が爆発して大災害が起きるそうです。そうしたら、島全体が水につかって、多くの死者が出るのです。そこの山の頂上には樹齢千年という木が何本かあって、その木々には二つの特徴があるそうです。
まずその木は海風と反対方向に曲がっています。千年を乗り越えるためにはまっすぐ立っていてはダメだということです。それを聞いて、私も曲げる姿勢が必要だと悟りました。まっすぐに立っている木の中で、そんなに長く立っている木はありません。人間はまっすぐな木は木材として用いられる良い木だと思いがちですが、曲がってこそ生き残るということです。
そしてその千年の木の根は、私たちが想像を絶するほどに深いと言います。外から見ると小さく、見栄えも良くないのですが、その根は巨木の根と同じぐらい深いのです。ヨハネの姿はこのようなものだったと思います。曲がることができる謙遜な二番手だったヨハネは、外面だけ見ると目立ちませんが、その内なる人を調べてみれば、これほど深みのある人はいなかったと思います。
使徒パウロはコリント人への手紙 第一13:13で、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」と言いました。その「信仰」に関する内容をまとめたのがヨハネの福音書であり、「希望」に関する内容はヨハネの黙示録、「愛」についてはヨハネの手紙に書かれています。ヨハネはこのように、とても深みのある人でした。ある一つの分野だけではなく、信仰について精通し、希望について精通し、愛について精通していたのです。私たちもこのすべてを持ちたいと願います。
ではヨハネはどのようにして変えられたのでしょうか。それは彼に謙遜さがあったからです。多くの人々が無能であることを謙遜だと錯覚しています。しかし何もできない人に向かって、「あなたは本当に謙遜な人です」と言うのは正しくありません。
例えば、いつも訳の分からない話をしている人が、素直に「私は今、何を話しているのか分かりません。」と告白した時、それは謙遜とは言いません。それはただ無能なことだけです。その人は、むしろ上から御力を頂いて、話の内容が素晴らしいものとなるように、実力を高められていかなければなりません。しかし実力があっても、姿勢を低くし、すべてのことを成し遂げた後に、「私は役に立たないしもべです。私は自分が成すべきことをしただけです。」という謙遜な姿勢で進み出ることが、聖書が語っている姿勢です。
ヨハネのように他の人の成功を助ける人生が、素晴らしい人生です。考えてみて下さい。10年前、20年前に主人公を演じた女優たちはほとんどテレビの世界から消えています。しかし助演を演じたわき役たちはほとんど健在です。私はわき役の美徳に大きな感銘を受けました。わき役をやれば、ロングランするのです。だから私もこういう風に祈ります。「主よ、素敵な助演となりますように。」
イエス様の12弟子の中で最も長く生きた人はヨハネです。私はこの長寿の秘訣は、やはり二番手というわき役にあったと思います。初代教会の資料によれば、ヨハネは紀元98年までエペソで暮らしたと言われています。だから少なくとも90歳以上を生きたことになります。ヨハネはそのように長い期間、主の働きをしました。他の人の成功を助け、へりくだって仕える知恵を学んだからです。私たちもロングランしようとするなら、ヨハネのような知恵を持たなければなりません。
聖書に出てくる名前の中で、西洋人に人気のある名前があります。ある時期はピーター(ペテロ)という名前が人気でしたが、最近の調査によると、アメリカではジョン(ヨハネ)という名前を持った人が1千200万人以上だそうです。1千200万人がジョンだと考えてみて下さい。アメリカの人口が約3億人だから、25人に1人がジョンだということです。更に、女性をジョンと呼ぶことはないから、男性15名のうち1人がジョンだということになります。ジョンという名前は本当に愛されています。
韓国でも、「ヨハン(ヨハネ)」という名前は多いようです。北ヨーロッパではヨハン・セバスティアン・バッハがそうです。フランスではジャン・ジャック・ルソーの「ジャン」が、ヨハネに当たります。スペイン語では「クワン」です。クワン・カルロス一世、二世、みんなヨハネです。
ヨハネという名前は全世界で多くの人に愛される名前となっています。「柔和な者が地を治める」と言われた御言葉通りです。強い者が世を治めるのではありません。ヨハネのように柔和な者、仕えることを知っている者が地を治めるようになります。
アメリカの伝説のバスケットボールの英雄マイケル・ジョーダンが、素晴らしいプレーができたのは理由があります。それは、彼が「シックスマン、第六の男(ベンチスタートのサブメンバー)」として走ったためです。「シックスマン」とは、スタープレイヤーではなく、仕える人のことを言います。
ペテロのように卓越した一番手として用いられることが難しいなら、ヨハネのようにすべての欲望を捨て、二番手として仕える人生を生きることです。このような人がロングランするのです。私たちもみんな同労者として仕え合い、長くイエス様に用いられる尊い器となりたいと思います。
二番目、ヨハネは愛の溢れる人になりました。リベラル的な神学者たちがヨハネの福音書とヨハネの手紙の著者が同じはずがないと言って混乱するほど、彼は徹底的に愛の人として変えられたのです。ヨハネはどのようにして、こんな愛の人となったのでしょうか。愛を受けた人だけが人を愛することができるようになります。イエス様からたくさんの愛を受けたのはヨハネでした。弟子の中で一番若かったからかもしれません。とにかく、ヨハネはイエス様から格別な愛を受けたのです。
神様の愛を深く体験したヨハネは、今日の本文の4:16で、「私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。」と真の愛を告白しています。イエス様の大いなる愛を受けたヨハネはその大いなる愛を分け与えることができました。私たちも主の愛をたくさん受けるなら、愛の力が臨みます。
ヨハネはイエス様の愛を最も多く受けたために、恐れにも打ち勝つことができました。ゲッセマネの園で兵士たちがイエス様を捕まえようとやって来た時、弟子たちはみんな逃げてしまいました。しかしその中で、一番最後まで残っていたのがヨハネでした。
ペテロもイエス様が大祭司の前に引っ張られて行く時、遠くからついて行きました。しかし彼は、女中から「お前も仲間だろう」と言われると、イエス様を否認してしまいました。ただヨハネだけがイエス様と最後まで一緒にいて、イエス様の十字架の近くまで行った弟子でした。悪意と批判が降りかかった時でも、ヨハネは逃げずに敵の真ん中の十字架の所に立っていたのです。こうして、ヨハネはイエス様の最後の御言葉を聞くことができました。
マタイ、マルコの福音書に出てこないイエス様の御言葉がヨハネの福音書に記録されている理由はここにあります。イエス様はご自分の母親のマリヤをヨハネに頼み、「そこに、あなたの母がいます(ヨハネ19:27)。」と言われました。イエス様のすぐそばにヨハネがいたため、こんな御言葉を直接聞くことができました。十字架の上でイエス様が言われた七つの御言葉の中で、ヨハネの福音書だけが記録しているものがあります。
「わたしは渇く(19:28)。」「完了した(19:30)。」はヨハネだけが聞いたイエス様の御言葉です。もしヨハネが最後までイエス様のそばにいなかったなら、私たちはイエス様が十字架上で渇かれたことも知らなかったし、救いを完成したことも知らなかったはずです。ヨハネは、兵士たちが槍でイエス様のわき腹を刺すと、そこから血と水が溢れ出たことも記録しています(19:34)。彼がイエス様のすぐそばで、最後の瞬間までいたのは全き愛のゆえでした。ヨハネは後に、こう告白しています。ヨハネの手紙 第一4:18、「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。」
愛があったからこそ、恐れがなくなったということを忘れてはなりません。難しいこと、困難なことに出会った時、私たちと最後まで一緒にいてくれるのは、勇気ある人ではありません。人間の勇気を、あまり信じ過ぎてはいけないのです。どんなに勇気ある人でも、状況や結果次第に、自分のことで精一杯になります。ペテロを見たら、すぐ分かります。彼は勇気ある人でした。刀を抜いて敵に襲いかかった人物です。しかしその勇気は最後まで続きませんでした。自分が危険な状況になると、慌てて逃げてしまったのです。最後まで残った人は勇気ある人ではなく、愛する人でした。
愛は急にできる、ただ生じるのではありません。だから、私たちは愛を育てなければなりません。本当に愛するなら、その人のそばにずっと、最後までいることができます。
漫画家の寺沢大介さんの作品、「将太の寿司」という漫画があります。もう20年前か読んだと思いますが、特に「アナゴ握り編」を見ながら感じた感動は未だに鮮明に覚えています。漫画ですが、重要なテーマは愛です。
最高の料理人となるためには最高の包丁が必要です。その包丁とは、工場で作り出された包丁ではなく、名人が職人意識をもって、鋼鉄を打ち、鍛えて作ったものです。その最高の包丁が、どれほど見事に寿司を作るのかが描かれています。これも職人意識から出た一つの愛だと言えます。自分の仕事に対する愛、ブランドに対する愛が豊かに込められているからです。ブランドとは、必ずしも高価な物のことではありません。こういう風に自分の魂が込められているものがブランドです。自分の分身とも言える包丁一丁を作り上げることも愛だと思います。
「アナゴ握り編」でも、たれを50年作ってきた人が出ます。長い間受け継がれた秘伝のたれが味を左右すると言いますが、50年も同じアナゴのたれを作ってきた人に誰が対抗できるのでしょうか。主婦も同じです。最高の食べ物を作るための自分だけの秘法を生み出す、真の愛が必要です。全てがこの最高の愛から出てくるということです。
あるピアニストから聞いた話ですが、熱心に練習すると、その曲の80%を表現できると言います。しかしその曲を完成させる残りの20%は愛から出てくると言うのです。つまり音楽を愛し、ピアノを愛さなければ、最高の演奏はできません。愛してこそ、それが可能です。それは能力でできることではありません。すべての完成の秘訣は愛にあることを、ぜひ覚えて下さい。
だから問題は愛です。ただ愛だけが人を変えるのです。ヨハネはそれを、身をもって体験し、証しました。神様の恵みの中でヨハネは成熟した姿に変えられました。せっかちで怒りっぽく、競争心の強いヨハネがイエス様に出会った後、仕える姿を取り、そして愛を持って世の中をひっくり返す者へと変えられたのです。私たちもヨハネのように仕え、愛によって変えられる真のクリスチャンになることを、切に願います。
結論、ヨハネを通して学んだ、神様に用いられるための原則。
1.原則を用いて、多くの人を受け入れる者となることです。
イエス様は原則をもって多くの人を受け入れようとされましたが、ヨハネは原則をもって人を排斥しようとしました。受け入れることを知っている人々が、他の人も変えることができるのです。
2.主役になるより、わき役になることです。
ヨハネは徹底的にわき役意識を持つことによって、わき役を喜ぶ人になりました。ペンテコステ(聖霊降臨)の後、ペテロが初代教会のリーダー的な役割を担った時、ヨハネはそれを喜び、助ける者となったのです。この地上で一番素敵な人生は他の人の成功を助ける人生です。主役は輝いた後には消え去ってしまいがちですが、わき役はロングランします。
3.力は愛から出てきます。
ヨハネは雷の子から愛の人へと変えられました。真の力は愛です。私たちの心の中に愛が入ってくると、人を生かします。すべての力は愛から出てくるからです。
12弟子の中で、一番長生きしたのがヨハネです。私はこの長生きの秘訣が、二番手の役割(わき役)にあったのではないかと思います。ヨハネは他の人の成功を助け、低くされる中で、仕える知恵を学びました。私たちもロングランの人生を生きようとするなら、ヨハネから教えを受けなければなりません。
ヨハネは兄弟ヤコブと共に「ボアネルゲ、雷の子」の別名を取った人物です。ヤコブと同じように、その性格は火のようでした。更に功名心や出世欲も非常に強かったのです。彼の母はイエス様のもとに来て、神の御国において一人の息子を主の右に、もう一人を左に座らせて下さいと願い出ました。
マルコの福音書9:38を読みますと、ヨハネについて、もう少し具体的に知ることができます。彼はイエス様の弟子という自負心がとても強い人でした。彼は弟子ではない人が、イエスの名前で悪霊を追い出しているのを見て、それを止めたのです。
マルコの福音書9:38、「ヨハネがイエスに言った。先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」
すると、イエス様はこう言われました。39-40、「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。」広い心で人をご覧になっていたイエス様とは対照的に、ヨハネはその理解の幅が狭かったのです。
多くの人が様々な「原則」を紹介しています。確かに原則はとても重要です。しかし原則を立てる前に、その原則が何のためのものか、はっきりさせることが大切です。それが他の人を排除するための原則なのか、もっと多くの人々を受け入れるための原則なのかによって、大きな違いが出てくるからです。イエス様はなるべく原則を用いて、人を受け入れようとされましたが、ヨハネはその原則で人を追い出そうとしたのです。しかしイエス様は、私たちが原則を大きな視野で解釈して、多くの人々を幅広く受け止めることを願われました。
生きていれば、口うるさい人にも、性格があまり良くない人にも出会います。しかしそこには、「このような人も幅広く受け入れなさい」という神の御心があることを知らなければなりません。神様が与えて下さったビジョンは必ず同労者たちと一緒でなければ、成し遂げられないほど大きなものです。神様のビジョンを持って走る人は、必ず同労者と一緒に走ります。自分だけが正しいと考えず、他の人の主張も受け入れ、認める心、ヨハネにはその心が必要でした。
ヨハネは他人を受け入れる訓練ができていない偏った人物でした。しかしイエス様に出会った後、彼は変えられました。イエス様に出会うなら、みんな変わります。ヨハネは後に、どのような人になったのでしょうか。彼は多くの人を受け入れる「愛の人」になりました。
あるリベラル的な自由主義神学者が、ヨハネについて、こういう風に解釈したことがあります。「ヨハネの福音書を書いたヨハネと、ヨハネの手紙を書いたヨハネは同じ人物ではない。同じ人物であるはずがない。文体と態度があまりにも違うからだ。」
そのとおりです。文体と態度が全く違います。しかし自由主義神学者が、一つ見逃していることがあります。ヨハネがイエス・キリストに会って変えられたという事実です。若いころのヨハネは、成熟したヨハネと同じはずがありません。イエス様はヨハネの心を、それほど変えられました。私たちはこの点を忘れてはなりません。ではヨハネの変えられた姿について、二つぐらい皆さんと分かち合いたいと思います。
一番目、ヨハネは徹底的に、二番手(助演)を喜ぶ人になりました。彼はせっかちな母親のもとで、極度のコンプレックスにとらえられていました。以前は、何が何でも一番にならなければ気が済まない人でした。しかし使徒の働き以後を見ると、ペテロに少しずつ中心的な立場を譲り、ヨハネはそのアシスタント(わき役)として描かれています。
ペテロとヨハネが美しの門という神殿の門の所で足の不自由な人を治した時も、ペテロが中心となって癒しを行いました。多分ヨハネはペテロのそばで祈り、助けたと思われます(使徒3:1-8)。神様はペテロの衝動的な性格を、ヨハネを通して中和させたと思います。こういう風にペテロとヨハネは、素晴らしいチームワークを発揮しました。
昔のヨハネだったら、どうでしょうか。「なんでお前だけ前に出るんだ?お前はいっぺんやったから、今度は俺にやらせろ。」こう言って、喧嘩したと思います。しかし今、彼は二番手の立場に甘んじる者へと変えられました。私はヨハネのこの姿が聖霊によって変えられた非常に美しい姿だと思います。彼は他人の成功を喜ぶ者へと変えられたのです。
地上において最も素敵な人生とは、どんな人生でしょうか。他の人の成功を助ける人生だと思います。ペテロも偉大ですが、その横に立っているヨハネも立派な人です。事実、ヨハネが行く所どこでも、人々を助けるわざが伴いました。
サイパンやグアムでは、一定の周期ごとに海底火山が爆発して大災害が起きるそうです。そうしたら、島全体が水につかって、多くの死者が出るのです。そこの山の頂上には樹齢千年という木が何本かあって、その木々には二つの特徴があるそうです。
まずその木は海風と反対方向に曲がっています。千年を乗り越えるためにはまっすぐ立っていてはダメだということです。それを聞いて、私も曲げる姿勢が必要だと悟りました。まっすぐに立っている木の中で、そんなに長く立っている木はありません。人間はまっすぐな木は木材として用いられる良い木だと思いがちですが、曲がってこそ生き残るということです。
そしてその千年の木の根は、私たちが想像を絶するほどに深いと言います。外から見ると小さく、見栄えも良くないのですが、その根は巨木の根と同じぐらい深いのです。ヨハネの姿はこのようなものだったと思います。曲がることができる謙遜な二番手だったヨハネは、外面だけ見ると目立ちませんが、その内なる人を調べてみれば、これほど深みのある人はいなかったと思います。
使徒パウロはコリント人への手紙 第一13:13で、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」と言いました。その「信仰」に関する内容をまとめたのがヨハネの福音書であり、「希望」に関する内容はヨハネの黙示録、「愛」についてはヨハネの手紙に書かれています。ヨハネはこのように、とても深みのある人でした。ある一つの分野だけではなく、信仰について精通し、希望について精通し、愛について精通していたのです。私たちもこのすべてを持ちたいと願います。
ではヨハネはどのようにして変えられたのでしょうか。それは彼に謙遜さがあったからです。多くの人々が無能であることを謙遜だと錯覚しています。しかし何もできない人に向かって、「あなたは本当に謙遜な人です」と言うのは正しくありません。
例えば、いつも訳の分からない話をしている人が、素直に「私は今、何を話しているのか分かりません。」と告白した時、それは謙遜とは言いません。それはただ無能なことだけです。その人は、むしろ上から御力を頂いて、話の内容が素晴らしいものとなるように、実力を高められていかなければなりません。しかし実力があっても、姿勢を低くし、すべてのことを成し遂げた後に、「私は役に立たないしもべです。私は自分が成すべきことをしただけです。」という謙遜な姿勢で進み出ることが、聖書が語っている姿勢です。
ヨハネのように他の人の成功を助ける人生が、素晴らしい人生です。考えてみて下さい。10年前、20年前に主人公を演じた女優たちはほとんどテレビの世界から消えています。しかし助演を演じたわき役たちはほとんど健在です。私はわき役の美徳に大きな感銘を受けました。わき役をやれば、ロングランするのです。だから私もこういう風に祈ります。「主よ、素敵な助演となりますように。」
イエス様の12弟子の中で最も長く生きた人はヨハネです。私はこの長寿の秘訣は、やはり二番手というわき役にあったと思います。初代教会の資料によれば、ヨハネは紀元98年までエペソで暮らしたと言われています。だから少なくとも90歳以上を生きたことになります。ヨハネはそのように長い期間、主の働きをしました。他の人の成功を助け、へりくだって仕える知恵を学んだからです。私たちもロングランしようとするなら、ヨハネのような知恵を持たなければなりません。
聖書に出てくる名前の中で、西洋人に人気のある名前があります。ある時期はピーター(ペテロ)という名前が人気でしたが、最近の調査によると、アメリカではジョン(ヨハネ)という名前を持った人が1千200万人以上だそうです。1千200万人がジョンだと考えてみて下さい。アメリカの人口が約3億人だから、25人に1人がジョンだということです。更に、女性をジョンと呼ぶことはないから、男性15名のうち1人がジョンだということになります。ジョンという名前は本当に愛されています。
韓国でも、「ヨハン(ヨハネ)」という名前は多いようです。北ヨーロッパではヨハン・セバスティアン・バッハがそうです。フランスではジャン・ジャック・ルソーの「ジャン」が、ヨハネに当たります。スペイン語では「クワン」です。クワン・カルロス一世、二世、みんなヨハネです。
ヨハネという名前は全世界で多くの人に愛される名前となっています。「柔和な者が地を治める」と言われた御言葉通りです。強い者が世を治めるのではありません。ヨハネのように柔和な者、仕えることを知っている者が地を治めるようになります。
アメリカの伝説のバスケットボールの英雄マイケル・ジョーダンが、素晴らしいプレーができたのは理由があります。それは、彼が「シックスマン、第六の男(ベンチスタートのサブメンバー)」として走ったためです。「シックスマン」とは、スタープレイヤーではなく、仕える人のことを言います。
ペテロのように卓越した一番手として用いられることが難しいなら、ヨハネのようにすべての欲望を捨て、二番手として仕える人生を生きることです。このような人がロングランするのです。私たちもみんな同労者として仕え合い、長くイエス様に用いられる尊い器となりたいと思います。
二番目、ヨハネは愛の溢れる人になりました。リベラル的な神学者たちがヨハネの福音書とヨハネの手紙の著者が同じはずがないと言って混乱するほど、彼は徹底的に愛の人として変えられたのです。ヨハネはどのようにして、こんな愛の人となったのでしょうか。愛を受けた人だけが人を愛することができるようになります。イエス様からたくさんの愛を受けたのはヨハネでした。弟子の中で一番若かったからかもしれません。とにかく、ヨハネはイエス様から格別な愛を受けたのです。
神様の愛を深く体験したヨハネは、今日の本文の4:16で、「私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。」と真の愛を告白しています。イエス様の大いなる愛を受けたヨハネはその大いなる愛を分け与えることができました。私たちも主の愛をたくさん受けるなら、愛の力が臨みます。
ヨハネはイエス様の愛を最も多く受けたために、恐れにも打ち勝つことができました。ゲッセマネの園で兵士たちがイエス様を捕まえようとやって来た時、弟子たちはみんな逃げてしまいました。しかしその中で、一番最後まで残っていたのがヨハネでした。
ペテロもイエス様が大祭司の前に引っ張られて行く時、遠くからついて行きました。しかし彼は、女中から「お前も仲間だろう」と言われると、イエス様を否認してしまいました。ただヨハネだけがイエス様と最後まで一緒にいて、イエス様の十字架の近くまで行った弟子でした。悪意と批判が降りかかった時でも、ヨハネは逃げずに敵の真ん中の十字架の所に立っていたのです。こうして、ヨハネはイエス様の最後の御言葉を聞くことができました。
マタイ、マルコの福音書に出てこないイエス様の御言葉がヨハネの福音書に記録されている理由はここにあります。イエス様はご自分の母親のマリヤをヨハネに頼み、「そこに、あなたの母がいます(ヨハネ19:27)。」と言われました。イエス様のすぐそばにヨハネがいたため、こんな御言葉を直接聞くことができました。十字架の上でイエス様が言われた七つの御言葉の中で、ヨハネの福音書だけが記録しているものがあります。
「わたしは渇く(19:28)。」「完了した(19:30)。」はヨハネだけが聞いたイエス様の御言葉です。もしヨハネが最後までイエス様のそばにいなかったなら、私たちはイエス様が十字架上で渇かれたことも知らなかったし、救いを完成したことも知らなかったはずです。ヨハネは、兵士たちが槍でイエス様のわき腹を刺すと、そこから血と水が溢れ出たことも記録しています(19:34)。彼がイエス様のすぐそばで、最後の瞬間までいたのは全き愛のゆえでした。ヨハネは後に、こう告白しています。ヨハネの手紙 第一4:18、「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。」
愛があったからこそ、恐れがなくなったということを忘れてはなりません。難しいこと、困難なことに出会った時、私たちと最後まで一緒にいてくれるのは、勇気ある人ではありません。人間の勇気を、あまり信じ過ぎてはいけないのです。どんなに勇気ある人でも、状況や結果次第に、自分のことで精一杯になります。ペテロを見たら、すぐ分かります。彼は勇気ある人でした。刀を抜いて敵に襲いかかった人物です。しかしその勇気は最後まで続きませんでした。自分が危険な状況になると、慌てて逃げてしまったのです。最後まで残った人は勇気ある人ではなく、愛する人でした。
愛は急にできる、ただ生じるのではありません。だから、私たちは愛を育てなければなりません。本当に愛するなら、その人のそばにずっと、最後までいることができます。
漫画家の寺沢大介さんの作品、「将太の寿司」という漫画があります。もう20年前か読んだと思いますが、特に「アナゴ握り編」を見ながら感じた感動は未だに鮮明に覚えています。漫画ですが、重要なテーマは愛です。
最高の料理人となるためには最高の包丁が必要です。その包丁とは、工場で作り出された包丁ではなく、名人が職人意識をもって、鋼鉄を打ち、鍛えて作ったものです。その最高の包丁が、どれほど見事に寿司を作るのかが描かれています。これも職人意識から出た一つの愛だと言えます。自分の仕事に対する愛、ブランドに対する愛が豊かに込められているからです。ブランドとは、必ずしも高価な物のことではありません。こういう風に自分の魂が込められているものがブランドです。自分の分身とも言える包丁一丁を作り上げることも愛だと思います。
「アナゴ握り編」でも、たれを50年作ってきた人が出ます。長い間受け継がれた秘伝のたれが味を左右すると言いますが、50年も同じアナゴのたれを作ってきた人に誰が対抗できるのでしょうか。主婦も同じです。最高の食べ物を作るための自分だけの秘法を生み出す、真の愛が必要です。全てがこの最高の愛から出てくるということです。
あるピアニストから聞いた話ですが、熱心に練習すると、その曲の80%を表現できると言います。しかしその曲を完成させる残りの20%は愛から出てくると言うのです。つまり音楽を愛し、ピアノを愛さなければ、最高の演奏はできません。愛してこそ、それが可能です。それは能力でできることではありません。すべての完成の秘訣は愛にあることを、ぜひ覚えて下さい。
だから問題は愛です。ただ愛だけが人を変えるのです。ヨハネはそれを、身をもって体験し、証しました。神様の恵みの中でヨハネは成熟した姿に変えられました。せっかちで怒りっぽく、競争心の強いヨハネがイエス様に出会った後、仕える姿を取り、そして愛を持って世の中をひっくり返す者へと変えられたのです。私たちもヨハネのように仕え、愛によって変えられる真のクリスチャンになることを、切に願います。
結論、ヨハネを通して学んだ、神様に用いられるための原則。
1.原則を用いて、多くの人を受け入れる者となることです。
イエス様は原則をもって多くの人を受け入れようとされましたが、ヨハネは原則をもって人を排斥しようとしました。受け入れることを知っている人々が、他の人も変えることができるのです。
2.主役になるより、わき役になることです。
ヨハネは徹底的にわき役意識を持つことによって、わき役を喜ぶ人になりました。ペンテコステ(聖霊降臨)の後、ペテロが初代教会のリーダー的な役割を担った時、ヨハネはそれを喜び、助ける者となったのです。この地上で一番素敵な人生は他の人の成功を助ける人生です。主役は輝いた後には消え去ってしまいがちですが、わき役はロングランします。
3.力は愛から出てきます。
ヨハネは雷の子から愛の人へと変えられました。真の力は愛です。私たちの心の中に愛が入ってくると、人を生かします。すべての力は愛から出てくるからです。
合計 212
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
212 |
詩篇8:1-9(人間の存在の目的)
tbic
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2025.08.24
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推薦 1
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閲覧数 21
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tbic | 2025.08.24 | 1 | 21 |
211 |
歴代誌 第二7:11-14(国のために祈ろう)
tbic
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2025.08.17
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推薦 1
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閲覧数 35
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tbic | 2025.08.17 | 1 | 35 |
210 |
詩篇121:1-8(わたしが、あなたの道を守る)
tbic
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2025.08.10
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推薦 2
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閲覧数 46
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tbic | 2025.08.10 | 2 | 46 |
209 |
ゼカリヤ書2:1–13(火の城壁の神)
tbic
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2025.08.03
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推薦 2
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閲覧数 64
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tbic | 2025.08.03 | 2 | 64 |
208 |
ヨハネの福音書 13:34(新しい戒めの中に生きよう)
tbic
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2025.07.27
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推薦 1
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閲覧数 74
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tbic | 2025.07.27 | 1 | 74 |
207 |
エペソ人への手紙2:1-5 (ロープを掴みなさい)
tbic
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2025.07.13
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推薦 1
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閲覧数 84
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tbic | 2025.07.13 | 1 | 84 |
206 |
創世記2:24 (聖書的結婚観)
tbic
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2025.07.06
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推薦 2
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閲覧数 91
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tbic | 2025.07.06 | 2 | 91 |
205 |
ヘブル10:37-11:7(信仰とは何か?)
tbic
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2025.06.29
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推薦 1
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閲覧数 92
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tbic | 2025.06.29 | 1 | 92 |
204 |
箴言3:5-6(自分の悟りに頼るな)
tbic
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2025.06.22
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推薦 1
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閲覧数 98
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tbic | 2025.06.22 | 1 | 98 |
203 |
エペソ人への手紙5:22-33(夫と妻に対するお勧め)
tbic
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2025.06.15
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推薦 1
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閲覧数 94
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tbic | 2025.06.15 | 1 | 94 |