メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

ローマ人への手紙8:28(あらゆる問題は益となる)

投稿者
tbic
投稿日
2025-06-02 00:32
閲覧数
113
ローマ人への手紙8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

1.はじめに。

イエス・キリストを信じてから牧師としていろいろな問題に取り組んでいくうえで、私には二つの大きなテーマが与えられています。第一のテーマは「あらゆる問題は『解決』できる」ということであり、第二のテーマは「あらゆる問題は『益』となる」ということです。

第一のテーマは「神の英知(御言葉)と力(祈り)」という視点から問題に取り組んでいくときに体験する真理です。第二のテーマは本質的には第一のテーマと同じですが、これは、「神の愛と恵み」という視点から問題に取り組んでいくときに体験する真理です。今日は第二のテーマである「あらゆる問題は『益』となる」という真理について、皆さんと分かち合いたいと思います。

2.こんな大きな御利益(恵み)はない。

こんな大きな御利益はどこにもない」(プレイズ出版)という本を滝元明先生が出版されましたが、私もこれに同感です。キリスト教においては、来世(天国)における御利益(恵み)を含めた霊的・精神的な御利益(恵み)が与えられるばかりでなく、この世の現実の生活における衣・食・住等にかかわる肉体的・物質的な御利益(恵み)も与えられるということです。

子供のように聖書を素直に読んでいくと、また聖書を論理的に厳密に解釈していくと、そうとしか考えられないのです。私の個人的な体験からも、また多くの方々の証による体験談からも、そうとしか考えられません。

私は「宗教」という言葉があまり好きではありませんので、キリスト教を「キリストを信じる者は、現世および来世における神の無限の恵みを受けることができる」という風に、言い換えたいと思います。まさに私たちは、神のアメイジング・グレイス(驚くべき恵み)の中に生かされているのです。

3.永遠の命。

まず聖書は「来世」についてなんと言っているのでしょうか。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである(ヨハネ福音書316)。」聖書には、神の御子イエス・キリストを信じる者は、「永遠の命」を得ると書かれています。こんなものすごい御利益があるのでしょうか。「永遠の命」です。私たちは皆、この世における百年足らずの命のために、アクセク勉強したり、働いたりしています。百年と永遠とはケタ違いです。いや、比較になりません。秦の始皇帝は「不老長寿」を念願して、「不老長寿の薬」を探した者にはなんでも望むものを与えると約束して、世界中を探させました。しかしその願いはかなえられませんでした。

私の祖母についてお話させていただきます。祖母は韓国の南の方にある貧しい家に生まれ育ちました。19歳の時、14歳の祖父と結婚しましたが、結婚したばかりのある日、アメリカ宣教師を通してイエス・キリストを信じ、それから熱心にキリストや教会に仕えました。毎朝4時に起きると、教会に行って、家族のため、国のために祈りました。また自分も貧しかったのに、たくさんの貧しい人たちを助け、少しでもお金の余裕ができると、みな教会に献金しました。いろいろな迫害があったのですが、それをすべて乗り越え、結局は家族みんなが4代にわたって全員クリスチャンになったわけです。

祖母は90歳を過ぎて病気になり、寝たきりになりましたが、ある日突然亡くなりました。家族のみんなが悲しみのうちにお葬式を準備しました。ところが、死んだはずの祖母が生き返ったのです。驚いている家族に祖母はこう言いました。

私は死んで天国に行きました。それはそれは美しいすばらしい所です。言葉では到底表現できません。もう2度と地上に戻りたいなどとは思いませんでした。そこで、イエスさまと会いました。イエスさまは優しく私を迎えて、ある場所に連れて行ってくださいました。私はとても大きな邸宅に入りました。見ると、なんとその家はすべてダイヤモンドでできていてキラキラと輝いているではありませんか。あまりの美しさに我を忘れてぼう然としていると、イエスさまがおっしゃいました。『これはあなたの家ですよ』。私はびっくりしてとっさに、『とんでもございません。イエスさま、私はこんなすばらしい家にはとてももったいなくて住めません。』と申し上げましたら、イエスさまは『あなたは地上にいたときに本当に良くわたしに仕えてくれた。わたしはそれを非常に喜んでいる。これはあなたのためにわたしが建てた家だ』とおっしゃたのです。その時、私は家族のことを想い出して、言いました。『天国がこんなにすばらしい所とは知りませんでした。ぜひこれを私の愛する家族に伝えたいと思います。だから、私をもう一度家族のもとに戻して下さい』と申し上げると、イエスさまは私の願いを聞いて下さって、私はこの世に戻ってきたのです。

私は死んで生き返った祖母から直接、この話を聞いたのです。祖母は元気になって、たくさんの人々に天国の話をした後、3年後に再び天に召されました。

私はこの話を100%事実であると信じました。そして「イエスさまは私のためにどんな家を用意して下さるだろうか」と大変楽しくなったのです。その時は心の奥底から、「一刻も早くこの地上を去って天国に行きたい。早くイエスさまと顔と顔を合わせてお会いしたい。」と思いました。

聖書には神の都は純金とあらゆる宝石でできていると書かれています(ヨハネの黙示録21:18-21)。また「神を愛し、神の命令を守る者には、恵みを千代にまで施す。(出エジプト記20:6」と書かれています。またイエスさまは言われました。ヨハネの福音書14:2-3、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。」確かな約束です。

4.万物を賜る神。

次に、聖書は「現世」について、なんと言っているのでしょうか。

ローマ人への手紙8:32、「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」つまり「キリストを信じる者には、神の永遠の命が与えられるばかりでなく、神の創られた天地万物をも与えられる」と書かれています。これは論理的にも当然のことです。なぜなら聖書によると、天地万物はキリストによって、キリストのために創られたものですから(ヨハネ1:3)。

私たちにキリストを与えて下さった神は、キリストによって創られた被造物にすぎない万物を、私たちに与えて下さらないはずがありません。私たちはキリストを信じて、キリストと一体となることによって、キリストの共同相続人(共有者)とされているのです。

私は高校生の頃、地球科学を学んだことから、宇宙に興味を持つようになりました。あの無限と思われる広大な宇宙を考えると、心が広くなります。そして日常のささいな物事を気にするのが馬鹿らしく思えました。しかし同時に宇宙の大きさに比べて地球はなんと小さいことか、その小さな地球に住んでいる1人の人間にすぎない私は、なんと小さく無価値な存在にすぎないことか、とむなしさを覚えてきました。

ところが聖書を学んで、天地は神がキリストによって、キリストのために創られたことを知りました。そして私たち人間は、神の愛の対象として神のイメージに創られた唯一・最高の被造物であることも知りました。すなわち私たち人間は天と地にあって、神と共に喜んで楽しんで生きるように創られたことを知りました。

私たちは天と地を神の恵みの賜物として、楽しむことができるのです。太陽や月は私たちの生活になくてはならないものです。数え切れない星をちりばめた雄大な天体は、私たちがその美しさに感動し、神の偉大さを誉め讃えるためのものです。

このように、「神は私たちを愛しているがゆえに、私たちに無限の恵みを与えて下さっている」という大前提に立ちますと、「神は万物を益として下さる」すなわち「あらゆる問題は『益』となる」ということが、よくわかってくるようになります。そして神は私たちを愛しているがゆえに、「あらゆる問題は『益』となる」ようにして下さらないはずがない、という確信になってきます。

5.問題はあらゆる仕事・職業を生み出す。

そもそも、あらゆる仕事や職業は「問題」を解決するためにあります。医師は「病気という問題」を解決するためにあります。牧師は人々の「霊魂にかかわる問題」を解決するためにあります。政治家は「政治問題」を解決するためにあります。「金融の問題」を解決するために銀行があり、「物資の流通の問題」を解決するために各種の商事会社があるのです。「教育問題」を解決するために学校があり、「老人や障碍者問題」等を解決するために福祉施設が存在しています。あらゆる問題を解決するために、いろいろな仕事や職業が生み出されているわけです。このように「問題」は「仕事・職業の存在価値」という「」をもたらしています。つまり「問題」を解決するために「人々がお互いに助け合い、協力し合って生きていく」という「」が生み出されているのです。

6.問題は神に出会うチャンスを生み出す:最大の益。

問題を持っている人を助けるために他の人々に仕事という益(生き甲斐)がもたらされているわけですが、それではその人自身にとって問題は益となるのでしょうか。問題を持っている人は、そのために他の人の助けを借りたり、お金を使ったりしなければなりません。それが果たして、その人にとって益となると言えるのでしょうか。

私たちが生きていく過程において問題は次から次へと生じてきます。やがては、人の助けやお金の力ではどうにもならないような問題に押し潰されそうになります。そしてついに、「神がおられるなら、神さまどうか助けて下さい。」と心で叫ぶようになるのです。多くの人々がこのようにして、神に出会ってきました。私もその1人です。神に出会うことによって、私たちの人生の根本の問題は本質的な意味において解決されてしまうのです。神に出会い、神を信じることによって、私たちのために神は「あらゆる問題を『益』として下さる」ことを体験できるようになるからです。

だから、問題のもたらす最大の益は、「天地万物の創造主なる神に出会うチャンスを生み出す」ということです。実に、私たちがこの世に生きる最大の目的は「神と出会う」ことです。

7.私の三大苦:韓国語・日本語・説教。

私にとって最も苦手で嫌いなことが三つあります。それは韓国語と日本語と説教です。しかしそれらが神と出会うチャンスを生み出し、今や私の日常生活において最も活用されているから、不思議でたまりません。

とにかく私は喋るのが嫌で、特に人前で話す説教は死ぬほど嫌いでした。私はもともと、黙って何も考えないでボーッとしているのが好きです。そして人の話を聞くのは好きですが、自分で話すのは嫌いなのです。ところが、牧師になったら、いろいろな人々と話さなければならないし、一番恐ろしい説教をしなければなりません。話すのが苦手ですから、話す前に内容を、一文字一文字文書にして準備しなければなりません。しかしこの文書が皆さんのお役に立っているのです。

神は私の「三大苦」をこのように「三大益」にして下さっています。まことに神は、「世界最高のコメディアン」であると私は思います。

それでは、なぜ神は私の苦手を益にして用いさせているのでしょうか。それは私が高慢にならないためではないかと思います。私にとっては、未だに説教は苦手です。だからまともにできるようにと、いつも祈らなければなりません。そうすると、なんとかまともにできるのです。私は自分の苦手なことをまともにできたとして、人からほめられても全然ピンときません。まともにできたとすれば、それは自分の能力によるものではなく、神の恵みによるものだからです。

私は人生の道に迷って、いろいろな苦しみを背負い込んでしまいましたが、そこから生じる様々な問題の重圧に耐えかねて、神に助けを求め、救われた者です。そして神と出会ってからも、日々の難しい問題に取り組むことによって、神との関係を深めさせていただいている者です。

8.神を愛する人々のために。

しかし「あらゆる問題は『益』となる」と言っても、世の中を見ると、必ずしもそうとは思えません。短期的に見れば、はじめは小さな問題がどんどん大きな問題となって、家出、離婚、重病、倒産、自殺、殺人といった事態にまで発展していくことが多くあります。これらの問題を通して、その人が神に出会うならば、問題は益となりますが、もし神に出会わなければ、必ずしも益とはなりません。

ここで聖書は何と言われるかというと、「あらゆる問題は『益』となる」のは「神を愛する人々」のためだとローマ人への手紙8:28ではっきり言われます。「神を愛する人々」とは、「キリストを信じる人々」、つまりクリスチャンのことです。

それでは、なぜ「神を愛する人々」、すなわち「キリストを信じる人々」にとって「あらゆる問題は『益』となる」のでしょうか。

信仰の「」という言葉は「」と「」が合体してできています。聖書には「イエス・キリストは神のことば」だと書かれています(ヨハネの福音書1:1-18)。だから神のことばと人が結ばれて一体となっていることが、「イエス・キリストを信じる」ということです。

すなわち、聖書に書かれていることを素直に受け入れていくならば、神のことばであり、かつ神であるイエス・キリストを心の中にお迎えすることが、すぐできます。つまり、イエス・キリストの誕生、生い立ち、教え、奇跡の業、十字架の死、復活、昇天、再臨等と、その奥義について聖書に書かれていることを、素直に受け入れることができます。

ここで大切なことは、聖書の言葉を、頭(知性・マインドの次元)に受け入れるだけではなく、心(霊性・スピリットの次元)にまで深く受け入れることです。そうすると、その人の内に一大変化が起きてきます。それは、「キリストによって全く新しく生まれる(コリント第二5:17」という体験です。そうすると、当然その人の物事の見方、行動のあり方が全く新しくなってくるのです。

イエス・キリスト」を信じるとは、つまりその人の心に神である「イエス・キリスト」がお住まいになるということです。それは、その人がキリストに結ばれてつながるということであり、その結果として、キリストの持っているすべてのものを共有し、楽しむことができるようになるということです。永遠の命はその最も重要な部分ですが、広い意味では、愛、喜び、平安、力、知恵、寛容、自制、健康、癒し、豊かな繁栄、安全などのあらゆる神のご性質と恵みが含まれます。

そうすると、「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである」というヨハネ 1:16の御言葉と、「神に満ちているすべてをもって、あなたがたが満たされる」というエペソ3:19の御言葉を、私たちが現実に体験するようになります。

イエス・キリストを信じる」ことによって、イエス・キリストの永遠の命、限りない愛、揺るがない平安、無尽蔵の豊かさ、誤りのない英知、完全な保護などによって満たされてくるわけですから、私たちは多くの問題がもたらす恐れ、不安、ごまかし、無慈悲、不寛容などのネガティブな思いを取り除くことができるのです。

そうすると、「問題があっても、もはやそれは問題ではない」ということになってきます。私たちが「問題を問題としない」ならば、問題を解決することも容易になります。安心して問題を全知全能の父なる神にゆだねつつ、その解決に取り組むことができます。

あらゆる問題は天地万物の創造主なる神の御手の内にあります。神は全知・全能ですから、解決できないような問題は何もありません。あらゆる問題は神の時に、神の方法によって解決されます。

それでは神は私たちを愛しておられるのに、どうして私たちが問題に直面することをお許しになるのでしょうか。それはいろいろな問題に直面し、それに取り組んでいくことが、私たち(特にキリストを信じるクリスチャン)の益になるからです。

神は私たちを愛しておられるから、むしろ私たちと共に苦しみながら、私たちが様々な問題に直面することを許しておられるのです。神の目的は、私たちが具体的な問題に取り組むことを通して、私たちが神に出会い、神に助けを求め、神にゆだね、神の導きに従い、神に受け、神に感謝し、神を愛していくようになることです。このようにして、私たちは神とますます親密に生きられるようになれるのです。

人間が自分たちの愛の欠如(すなわち罪)によって生み出した様々な問題に取り組むことを通して、神と人間の愛の結びつきは、ますます深められていきます。

私たちが様々な問題を取り組むことを通して、イエス・キリストを深く知り、創造主なる神の無限の愛と恵みを豊かに受ければ受けるほど、「ああ主よ、あなたさえおられるならば、もう十分です。この世の栄誉、栄華などはもう欲しくありません。(ピリピ3:8)」という心境に高められていきます。

つまり本物のダイヤモンドを持った人にとっては、ガラスの玉はあまり欲しくなくなってしまいます。ガラス玉をいくらたくさん集めても、決してダイヤモンドにはならないからです。このように「神を愛する人々」のために、神によって「あらゆる問題は『益』となる」ということができます。

最後に、テモテ第一4:8を読んで終わりたいと思います。「肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。

問題を取り組むことによって、私たちは敬虔になります。
合計 213
手順 タイトル 投稿者 投稿日 推薦 閲覧数
213
New ネヘミヤ記4:1-9 (信者はやられても嬉しい)
tbic | 2025.08.31 | 推薦 1 | 閲覧数 9
tbic 2025.08.31 1 9
212
詩篇8:1-9(人間の存在の目的)
tbic | 2025.08.24 | 推薦 1 | 閲覧数 26
tbic 2025.08.24 1 26
211
歴代誌 第二7:11-14(国のために祈ろう)
tbic | 2025.08.17 | 推薦 1 | 閲覧数 37
tbic 2025.08.17 1 37
210
詩篇121:1-8(わたしが、あなたの道を守る)
tbic | 2025.08.10 | 推薦 2 | 閲覧数 47
tbic 2025.08.10 2 47
209
ゼカリヤ書2:1–13(火の城壁の神)
tbic | 2025.08.03 | 推薦 2 | 閲覧数 66
tbic 2025.08.03 2 66
208
ヨハネの福音書 13:34(新しい戒めの中に生きよう)
tbic | 2025.07.27 | 推薦 1 | 閲覧数 76
tbic 2025.07.27 1 76
207
エペソ人への手紙2:1-5 (ロープを掴みなさい)
tbic | 2025.07.13 | 推薦 1 | 閲覧数 86
tbic 2025.07.13 1 86
206
創世記2:24 (聖書的結婚観)
tbic | 2025.07.06 | 推薦 2 | 閲覧数 92
tbic 2025.07.06 2 92
205
ヘブル10:37-11:7(信仰とは何か?) 
tbic | 2025.06.29 | 推薦 1 | 閲覧数 93
tbic 2025.06.29 1 93
204
箴言3:5-6(自分の悟りに頼るな)
tbic | 2025.06.22 | 推薦 1 | 閲覧数 102
tbic 2025.06.22 1 102