メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
エペソ人への手紙5:22-33(夫と妻に対するお勧め)
投稿者
tbic
投稿日
2025-06-15 23:00
閲覧数
97
エペソ人への手紙5:22-33「22.妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。23.キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。24.教会がキリストに従うように、妻もすべてにおいて夫に従いなさい。25.夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。26.キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、27.ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。28.同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。29.いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。30.私たちはキリストのからだの部分だからです。31.「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」32.この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。33.それはそれとして、あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。」
22-24節は妻に対する勧めです。25-33節は夫に対する勧めです。節の量だけ見ても妻の責任より、夫の責任が多いのです。だから家庭の責任は夫が取るべきです。もちろん全てではなく、主な責任です。妻の責任もあるのですが、主な責任は夫が取るべきです。
それでは夫の責任について、25節に、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をささげられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」
つまり妻を愛し、妻に自分をささげることが夫の責任です。この愛の基準は、キリスト・イエスご自身です。
この世にはいろいろな種類の愛が存在します。その中で、聖書にだけ出てくる愛が「アガペの愛」です。それは神の愛だと言うのですが、意味は変わらない愛、一方的な愛、返してもらうことを考えない愛、無条件の愛です。夫はこういう風に妻を愛することが求められています。これが聖書の教えです。
理由はイエス様からこういう無条件の愛を受けているからです。これが結婚の大前提です。キリストからこの愛を受けているのであれば、その愛を持って妻を愛しなければなりません。だからキリスト教の結婚式で、一番大切なことは誓いです。つまりこの愛を決断し、誓うことが結婚式です。
キリスト教で言っている愛と結婚は、常にこの決断と誓いが伴います。だから男性は自立しなければなりません。男性が自立していないのであれば、愛を決断できないし、誓うこともできないからです。
親が男の子を育てるときに、男らしく育てることが大事ですが、その男らしく育てることの意味は何でしょうか。決断できる人として育てることを意味します。自分の決断に責任を取れる人が男らしい人です。
男性は人生の中で、2回決断し、誓いをする時がやって来ます。1回目は洗礼を受ける時で、2回目は結婚する時です。
洗礼を受ける時は「一生涯イエス様だけを愛します」と誓うことで、結婚する時は妻に、「一生涯あなただけを愛します」と告白し、誓いをしながらそれを守り、完成することです。
だから男性にとって大切なことは主体性を持って決断し、その誓いを守ることです。そうすれば、神様は聖霊を注ぎだし、その誓いを守られるように助けてくださいます。聖霊の働きは神のみことばを守り、従う人に更なる力を与えてくださいます。
だからこそ、神の御前で誓いをし、そこに誠実に立っている男性に女性は引かれます。しかしそうではなく、いつも揺さぶられ、浮気をするのであれば、いじめられます。だから男性は、常に親から自立して、主体性を持って生きることが身につくように努力しなければなりません。人生の中で主体性を持って選択をし、神の恵みによって、それを完成することが男性の責任です。
クリスチャンはイエス様の愛を通して、この結婚生活の主体性を学ぶことができます。イエス様が無条件の愛を持って十字架にかけられ、死んでくださったことによって、全人類の救いの道が開かれました。イエス様がご自分の身を投げ出し、ゲッセマネの園で汗が血に変わるほど祈られたことはご自分の最大の決断であり、選択でした。
だから男性はイエス様のように一生涯1回は自分のゲッセマネで祈ることによって、決断する時が必ずやって来ます。そしてその時、決断したその十字架を負い、責任を持って歩まなければなりません。
イエス様が十字架に、ご自分の身を投げ出すことによって全人類が、つまり私たちが救われたように、このイエス様の十字架の愛が私たちの結婚生活の土台です。そしてこのキリストの十字架の愛が自立した男性の社会生活の土台でもあります。
家庭でも、学校でも、この十字架の愛を子供たちに教えなければなりません。この土台の上で神様から与えられた才能を生かし、天から与えられた職業を持って、収入が多かろうと少なかろうと、誰かが見ても見なくても、与えられた使命を全うするために最善を尽くす姿を、親は子供たちに見せなければなりません。また一人の女性を愛することを決定したとき、その決断を忠実に持続することを、夫はみんなに見せなければなりません。
そのすべての土台と基礎はイエス・キリストの愛です。キリストが私たちを無条件に愛したように、夫婦関係も、その愛によって維持できます。だから男性に対する要求がもっと難しいのです。しかし主に頼れば、必ずそれができます。この聖書のみことばに心を開いて祈れば、必ず神様が助けてくださいます。そして私たちの生きる道はそれしかありません。
次は女性(妻)の責任について、22節に、「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」
しかし問題は妻が夫を信頼し従うことは、妻にとってバカバカしいことであり、損害であると思うのが、今の現代社会の価値です。夫に従うことは封建主義的な考え方ではないか、とみんな思っています。しかしそこには悪魔の誘惑と、ごまかしがあります。
結婚生活は本質的に男女が平等ですが、二人が同時に主張し従うことができないから、秩序のために妻は夫に従わなければなりません。だから女性は従える祝福、従順の祝福を結婚の前に体験しなければなりません。現代の多くの女性たちは頭もいいですし、スタイルもいいですが、従うことの喜び、従順の祝福の経験があまりにも少ないのです。女性は、まず父親に従うことによって家族が守られる祝福を体験しなければなりません。お父さんは家族を守る門であり、罪から家族を守る兵士でもあります。そして家族に良いものを与えるリーダーであることを覚えましょう。だから結婚の前に従順がどれほど大きな祝福であるか、それを体験した女性は本当に幸せな女性です。そして何よりも天の父なる神様に従うことがどれほど大きな祝福であるかを、実際に体験した女性が一番幸せな女性です。
またこういう女性と結婚した男性はもっと幸せな人です。理由は当たり前で、結局神様に従うことが身についている女性は夫を立て、夫を信頼し、夫に従うようになるからです。こういう風に夫に従うのであれば、夫が謙遜になり、本当に妻が好きになります。しかし残念ながら男性であれ女性であれ、従順によって得られる祝福を体験した人は本当に少ないのです。
信仰というのは水平関係より、垂直関係だと言えます。垂直関係の神様に従うことがどれほど大きな祝福であるかを知っている者は人生のあらゆる面で祝福を体験します。牧会者に従うことによって信仰生活や教会生活が祝福され、会社の上司に従うことによって良い地位を確保できる確率が高くなります。しかしそれよりもっと大切なことは、神様に従うことによって人生がどれほど豊かになるのかを体験することです。
これを結婚する前に学べる女性は本人も幸せですし、夫も幸せです。また結婚する前に自立することを学んだ男性は本人も幸せですし、妻も幸せです。だから聖書は夫に「キリストが愛したように妻を愛しなさい」と、妻は「キリストに従うように夫に従いなさい」と言われます。
イエス・キリストが神様に従った時、全人類の救いの道が開かれました。これはイエス・キリストご自身の意志ではなく、天におられる父のみこころでした。もしイエス・キリストが神のみこころのままに従わなかったのであれば、私たちだけでなく、全人類の救いの道が閉ざされたに違いありません。だから神様に従うことはものすごく大切です。イエス・キリストの従順によって私たちは神の裁きから逃れ、生き返り、今神の子供として生きるのです。
だからクリスチャンと結婚する人は本当に幸せな人です。クリスチャン女性は真心を持って従順に従うし、クリスチャン男性は真の愛を持って愛するからです。これは神様と垂直関係から始まることです。
水平関係だけでは絶対にこんな恵みと祝福はありません。もし夫と妻の間に水平関係だけあれば、どうなるのでしょうか。妻の願いを夫が受け入れれば、夫が妻に妥協することになり、また夫の願いを妻が受け入れれば、妻が夫に妥協することになります。これはまるで綱引きのようなもので、二人が何もしなくてもお互いに疲れてしまいます。だから水平関係だけの夫婦は関係が難しくなり、ますます遠くなっていきます。
だから聖書が教える結婚生活は三角関係、聖なる三角関係とならなければなりません。イエス様を頭として置いて、その下に夫婦がいる、この三角関係の中で夫婦がお互いに主を見上げ、お互いの願いの上に、主のみこころは何か、主はどういう風に導かれるかを期待しながら夫婦が一つになること、これが一番祝福された結婚生活です。
しかし夫婦が水平関係だけあれば、お互いにそれぞれの考えが異なるから、絶対に二人は一つになれません。
だからイエス様を頭として受け入れ、イエス様はどういう風に考え、どうなさるのかと全てのことをここに合わせれば、夫婦は一つになり、成長と共に祝福の前進のみが与えられます。
結論、
幸せな結婚生活を送るためには、まず男性が決断し、自立する必要があります。この人間の自立の問題は一生涯の問題です。だから一生涯、自立しながら成長していく男性は素晴らしい男性です。そして女性は神様に従い、夫に従うことがどれほど大きな祝福であるかを、一生涯を通して学ばなければなりません。この一生涯の課題を忍耐強く、私たちは行っていきたいと思います。
22-24節は妻に対する勧めです。25-33節は夫に対する勧めです。節の量だけ見ても妻の責任より、夫の責任が多いのです。だから家庭の責任は夫が取るべきです。もちろん全てではなく、主な責任です。妻の責任もあるのですが、主な責任は夫が取るべきです。
それでは夫の責任について、25節に、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をささげられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」
つまり妻を愛し、妻に自分をささげることが夫の責任です。この愛の基準は、キリスト・イエスご自身です。
この世にはいろいろな種類の愛が存在します。その中で、聖書にだけ出てくる愛が「アガペの愛」です。それは神の愛だと言うのですが、意味は変わらない愛、一方的な愛、返してもらうことを考えない愛、無条件の愛です。夫はこういう風に妻を愛することが求められています。これが聖書の教えです。
理由はイエス様からこういう無条件の愛を受けているからです。これが結婚の大前提です。キリストからこの愛を受けているのであれば、その愛を持って妻を愛しなければなりません。だからキリスト教の結婚式で、一番大切なことは誓いです。つまりこの愛を決断し、誓うことが結婚式です。
キリスト教で言っている愛と結婚は、常にこの決断と誓いが伴います。だから男性は自立しなければなりません。男性が自立していないのであれば、愛を決断できないし、誓うこともできないからです。
親が男の子を育てるときに、男らしく育てることが大事ですが、その男らしく育てることの意味は何でしょうか。決断できる人として育てることを意味します。自分の決断に責任を取れる人が男らしい人です。
男性は人生の中で、2回決断し、誓いをする時がやって来ます。1回目は洗礼を受ける時で、2回目は結婚する時です。
洗礼を受ける時は「一生涯イエス様だけを愛します」と誓うことで、結婚する時は妻に、「一生涯あなただけを愛します」と告白し、誓いをしながらそれを守り、完成することです。
だから男性にとって大切なことは主体性を持って決断し、その誓いを守ることです。そうすれば、神様は聖霊を注ぎだし、その誓いを守られるように助けてくださいます。聖霊の働きは神のみことばを守り、従う人に更なる力を与えてくださいます。
だからこそ、神の御前で誓いをし、そこに誠実に立っている男性に女性は引かれます。しかしそうではなく、いつも揺さぶられ、浮気をするのであれば、いじめられます。だから男性は、常に親から自立して、主体性を持って生きることが身につくように努力しなければなりません。人生の中で主体性を持って選択をし、神の恵みによって、それを完成することが男性の責任です。
クリスチャンはイエス様の愛を通して、この結婚生活の主体性を学ぶことができます。イエス様が無条件の愛を持って十字架にかけられ、死んでくださったことによって、全人類の救いの道が開かれました。イエス様がご自分の身を投げ出し、ゲッセマネの園で汗が血に変わるほど祈られたことはご自分の最大の決断であり、選択でした。
だから男性はイエス様のように一生涯1回は自分のゲッセマネで祈ることによって、決断する時が必ずやって来ます。そしてその時、決断したその十字架を負い、責任を持って歩まなければなりません。
イエス様が十字架に、ご自分の身を投げ出すことによって全人類が、つまり私たちが救われたように、このイエス様の十字架の愛が私たちの結婚生活の土台です。そしてこのキリストの十字架の愛が自立した男性の社会生活の土台でもあります。
家庭でも、学校でも、この十字架の愛を子供たちに教えなければなりません。この土台の上で神様から与えられた才能を生かし、天から与えられた職業を持って、収入が多かろうと少なかろうと、誰かが見ても見なくても、与えられた使命を全うするために最善を尽くす姿を、親は子供たちに見せなければなりません。また一人の女性を愛することを決定したとき、その決断を忠実に持続することを、夫はみんなに見せなければなりません。
そのすべての土台と基礎はイエス・キリストの愛です。キリストが私たちを無条件に愛したように、夫婦関係も、その愛によって維持できます。だから男性に対する要求がもっと難しいのです。しかし主に頼れば、必ずそれができます。この聖書のみことばに心を開いて祈れば、必ず神様が助けてくださいます。そして私たちの生きる道はそれしかありません。
次は女性(妻)の責任について、22節に、「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」
しかし問題は妻が夫を信頼し従うことは、妻にとってバカバカしいことであり、損害であると思うのが、今の現代社会の価値です。夫に従うことは封建主義的な考え方ではないか、とみんな思っています。しかしそこには悪魔の誘惑と、ごまかしがあります。
結婚生活は本質的に男女が平等ですが、二人が同時に主張し従うことができないから、秩序のために妻は夫に従わなければなりません。だから女性は従える祝福、従順の祝福を結婚の前に体験しなければなりません。現代の多くの女性たちは頭もいいですし、スタイルもいいですが、従うことの喜び、従順の祝福の経験があまりにも少ないのです。女性は、まず父親に従うことによって家族が守られる祝福を体験しなければなりません。お父さんは家族を守る門であり、罪から家族を守る兵士でもあります。そして家族に良いものを与えるリーダーであることを覚えましょう。だから結婚の前に従順がどれほど大きな祝福であるか、それを体験した女性は本当に幸せな女性です。そして何よりも天の父なる神様に従うことがどれほど大きな祝福であるかを、実際に体験した女性が一番幸せな女性です。
またこういう女性と結婚した男性はもっと幸せな人です。理由は当たり前で、結局神様に従うことが身についている女性は夫を立て、夫を信頼し、夫に従うようになるからです。こういう風に夫に従うのであれば、夫が謙遜になり、本当に妻が好きになります。しかし残念ながら男性であれ女性であれ、従順によって得られる祝福を体験した人は本当に少ないのです。
信仰というのは水平関係より、垂直関係だと言えます。垂直関係の神様に従うことがどれほど大きな祝福であるかを知っている者は人生のあらゆる面で祝福を体験します。牧会者に従うことによって信仰生活や教会生活が祝福され、会社の上司に従うことによって良い地位を確保できる確率が高くなります。しかしそれよりもっと大切なことは、神様に従うことによって人生がどれほど豊かになるのかを体験することです。
これを結婚する前に学べる女性は本人も幸せですし、夫も幸せです。また結婚する前に自立することを学んだ男性は本人も幸せですし、妻も幸せです。だから聖書は夫に「キリストが愛したように妻を愛しなさい」と、妻は「キリストに従うように夫に従いなさい」と言われます。
イエス・キリストが神様に従った時、全人類の救いの道が開かれました。これはイエス・キリストご自身の意志ではなく、天におられる父のみこころでした。もしイエス・キリストが神のみこころのままに従わなかったのであれば、私たちだけでなく、全人類の救いの道が閉ざされたに違いありません。だから神様に従うことはものすごく大切です。イエス・キリストの従順によって私たちは神の裁きから逃れ、生き返り、今神の子供として生きるのです。
だからクリスチャンと結婚する人は本当に幸せな人です。クリスチャン女性は真心を持って従順に従うし、クリスチャン男性は真の愛を持って愛するからです。これは神様と垂直関係から始まることです。
水平関係だけでは絶対にこんな恵みと祝福はありません。もし夫と妻の間に水平関係だけあれば、どうなるのでしょうか。妻の願いを夫が受け入れれば、夫が妻に妥協することになり、また夫の願いを妻が受け入れれば、妻が夫に妥協することになります。これはまるで綱引きのようなもので、二人が何もしなくてもお互いに疲れてしまいます。だから水平関係だけの夫婦は関係が難しくなり、ますます遠くなっていきます。
だから聖書が教える結婚生活は三角関係、聖なる三角関係とならなければなりません。イエス様を頭として置いて、その下に夫婦がいる、この三角関係の中で夫婦がお互いに主を見上げ、お互いの願いの上に、主のみこころは何か、主はどういう風に導かれるかを期待しながら夫婦が一つになること、これが一番祝福された結婚生活です。
しかし夫婦が水平関係だけあれば、お互いにそれぞれの考えが異なるから、絶対に二人は一つになれません。
だからイエス様を頭として受け入れ、イエス様はどういう風に考え、どうなさるのかと全てのことをここに合わせれば、夫婦は一つになり、成長と共に祝福の前進のみが与えられます。
結論、
幸せな結婚生活を送るためには、まず男性が決断し、自立する必要があります。この人間の自立の問題は一生涯の問題です。だから一生涯、自立しながら成長していく男性は素晴らしい男性です。そして女性は神様に従い、夫に従うことがどれほど大きな祝福であるかを、一生涯を通して学ばなければなりません。この一生涯の課題を忍耐強く、私たちは行っていきたいと思います。
合計 213
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
213 |
New ネヘミヤ記4:1-9 (信者はやられても嬉しい)
tbic
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2025.08.31
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推薦 1
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tbic | 2025.08.31 | 1 | 2 |
212 |
詩篇8:1-9(人間の存在の目的)
tbic
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2025.08.24
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推薦 1
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閲覧数 26
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tbic | 2025.08.24 | 1 | 26 |
211 |
歴代誌 第二7:11-14(国のために祈ろう)
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2025.08.17
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推薦 1
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閲覧数 36
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tbic | 2025.08.17 | 1 | 36 |
210 |
詩篇121:1-8(わたしが、あなたの道を守る)
tbic
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2025.08.10
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推薦 2
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閲覧数 47
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tbic | 2025.08.10 | 2 | 47 |
209 |
ゼカリヤ書2:1–13(火の城壁の神)
tbic
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2025.08.03
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推薦 2
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閲覧数 65
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tbic | 2025.08.03 | 2 | 65 |
208 |
ヨハネの福音書 13:34(新しい戒めの中に生きよう)
tbic
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2025.07.27
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推薦 1
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閲覧数 76
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tbic | 2025.07.27 | 1 | 76 |
207 |
エペソ人への手紙2:1-5 (ロープを掴みなさい)
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2025.07.13
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推薦 1
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閲覧数 86
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tbic | 2025.07.13 | 1 | 86 |
206 |
創世記2:24 (聖書的結婚観)
tbic
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2025.07.06
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推薦 2
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閲覧数 92
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tbic | 2025.07.06 | 2 | 92 |
205 |
ヘブル10:37-11:7(信仰とは何か?)
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|
2025.06.29
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推薦 1
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閲覧数 93
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tbic | 2025.06.29 | 1 | 93 |
204 |
箴言3:5-6(自分の悟りに頼るな)
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|
2025.06.22
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推薦 1
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閲覧数 102
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tbic | 2025.06.22 | 1 | 102 |