メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
エペソ人への手紙2:1-5 (ロープを掴みなさい)
投稿者
tbic
投稿日
2025-07-13 22:52
閲覧数
85
エペソ人への手紙2:1-5 「1. さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、2. かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。3. 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。4. しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、5. 背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」
エペソ人への手紙2章は救われる方法を見せて下さいます。
* 救いの問題の重要性。
救いの道は永遠の命を切望させる問題です。
エペソ人への手紙2:8、「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」
* 恵みによって救われることと、信仰によって救われることの観点の違いです。
恵み(神様の立場): 無償で与えられます。私たちが十字架を負える根拠です。
信仰(人間の立場): 十字架の義を通してのみ救いを得られるという信仰です。それを受け入れるだけです。
結局、恵み、あるいは信仰によって救われたというのは同じ内容を言っています。
* 恵みによって救われた。= 主導権は神様にあります。
結局、私の義では救われず、ただ十字架(神)の義だけで救われるということを言っています。
1.現実と向き合いなさい。
エペソ人への手紙の始めは「現実と向き合いなさい」ということです。
(1) 人が最も恐れることは現実と直面することです。困難を経験すると、人々は現実から逃げます。その代表的な症状が統合失調症(精神分裂症)です。これは現実と仮想で、自分を分離する病理現象です。診断をたくさんする医師たちも胃、大腸などの内視鏡をあまりしません。現実直面の恐怖です。また自分が誰なのか、知らない学生は成績表に直面しません。
(2) 事実を話すと、人々は怒ります。人々は事実に対して回避し、あるいは怒ります。
①金持ちがつけているネックレスを偽物だと言ったら、傷を受けないのですが、貧乏人に偽物だと言うと、怒ります。
②「バカ、それも知らないの?」という冗談の言葉でも、小学校を卒業しただけの人にこの言葉を言う場合、この人は怒ります。
つまりメンタルが弱い人たちは事実(現実)を話すと、反発または回避します。
*死後の問題について最も多く話す宗教はキリスト教です。
(1)仏教/ヒンドゥー教: 心を空けて、煩惱を考えないことを強調します。彼らは無限などの概念を通して死後の問題を回避します(時間を無限に伸ばして問題を回避する進化論と類似している)。
(2) キリスト教: 死後に裁きを強調することは現実を直視することであり、これが可能なのは確かな答えがあるからです。
[質問]キリスト教が拒否感を誘発する理由は何か?
①絶対性 - 人間は汎神論的な話については好きですが、唯一と絶対性は嫌です。
②人間が聞きたくない話を強調します。(例/葬儀文化:韓国の葬儀場に酒と花札があるのは、死について考えないようにするためです。)
(3) 若い人々は事業をする人々と交わる必要があります。- 現実的な内容を知るためです。
学者たちは理想(ideal world)を追求しますが、事業をする人々は現実を語ります。だから事業をする人々と定期的に会うと、事実(fact)と接する方法を知るようになります。
例/韓国の政治: 理想と当異性に向かって進むと、選挙に負けるのですが、事実(fact)と現実に直面する場合には痛みを超える答えを提供して選挙に勝つ場合が多いです。聖書は私たちに常に現実と向き合うように強調しています。
2.現実の内容は何か?(あなたは死んでいた。)
今日の本文のエペソ人への手紙2:1、「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、(As for you, you were dead in your transgressions and sins,)」
英文: As for you, YOU WERE DEAD.
つまりエペソ人への手紙2:1は、私たちに死を宣言します。
例/霊柩車はいつもゆっくり行きますが、救急車は急いで行きます。
* 聖書における死(death)の意味:分離です(separation)。
(1) いのち/栄光/望みの神と分離されるのを、死と言います。
つまり①希望と分離されることを経験して絶望感を感じ、②栄光と分離すると、羞恥心を感じるようになり、③いのちと分離すると、死(闇)を感じるようになります。
例/創世記: 人間に臨んだ刑罰は「神との分離」です。
(2) いのちの中にいる人々は死をよく知らないのですが、いのちと分離された人には死が明確に近づいてきます。
例/ Moiave Desert(モハーヴェ砂漠): 完全な絶望を経験することになります。新鮮な風はなく、いつも熱い風だけを体験します。ある牧師は、「この砂漠で教会員たちを連れて2時間歩けば、彼らは生まれ変わる」と考えました(砂漠の霊性)。
*砂漠の意味: 完全な分離です。何の音もなく、熱さだけあります。
つまり砂漠(ミドバル)から神の言葉(ダバル)が出ました。結局、私たちは砂漠で神の言葉を求めるようになります。神と分離されると、神を探すようになり、初めていのちを得るようになります。
神様から用いられた人々の中で、荒野の経験をしなかった人は一人もいません。つまり彼らはみんな死(分離)を経験し、その過程の中で神を求めて探すようになりました。分離の中で神と繋がり、この繋がりを通して再び生き返るようになります。
3.死の結果は何か?
今日の本文のエペソ人への手紙2:2-3、「かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」
* 死の結果: 「この世の流れ」に従うことになります(悪魔の影響の中で罪だけ繰り返す)。つまり悪魔が支配する考え方、人生の構造などに従うことになります。悪魔は今も働いています。悪魔は力があるので、私たちが神様と分離すると、私たちを左右に揺さぶります。そしてこのような状態が、神の前で死んだ者たちの現実になります。
* 人間の本性。
(1) 人本主義的アプローチ方法: 幼児教育の対価-マリア・モンテッソーリ(Maria Montessori)。
モンテッソーリ教育の核心は人間の中に善と可能性があるということです。そして日本と韓国の教育のほとんどがモンテッソーリの影響を受けています。しかしこのような教育の根は人本主義です。だから私たちは環境論と教育を、あまり信じてはいけません。
(2) 聖書は人間の根には絶望しかないと語り、神の力によって導かれるべきだと強調しています。聖書は人本主義と相反する内容を持っていることを忘れてはいけません。
(3) 人間は矛盾的で裏切る存在です(人間は皆罪人)。したがって、私たちは人間の矛盾的な行動、そして裏切りの行動に驚く必要はありません。人間を知れば知るほど、絶望します。そして期待すると、失望することになるということを私たちは忘れてはいけません。
*キリスト教の本質と出発点は、私に対する絶望です(I am DEAD)。
エレミヤ書1:6、『私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」』
4.希望の根拠はどこにあるのか?主導権は神にある。
今日の本文のエペソ人への手紙2:4-5、「背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。」
*「しかし神が」
根拠: イエス・キリストの憐れみと恵みです。
転んだら、私の中で可能性を探すのではなく、「しかし神が私を愛しておられる」を思い出すと、希望が生まれます。結局、そのいかなる場合にも神は全てのことを行なわれたということを私たちは忘れてはなりません。
希望の根拠: 私が気をつけることではなく、むしろ「しかし神が」私たちに希望を与えられます。つまり始まりは「しかし神が」ということを私たちは絶対に忘れてはいけません。神に進んでこそ、力の働きが現れます。
*希望の根拠は神でなければなりません。
(1) 教会は希望の根拠を神に置いておかなければなりません。
(2) 説教の力: 神は言葉を通して働くと言われたので、私は説教の力を信じています。神のみ言葉を準備して宣言する時、聖霊が働いて私たちに影響を与えます。例えば、悔い改め、慰め、癒しなどのメッセージを私たちに与えてくださいます。つまりみ言葉は神様が働く通路になるのです。
(3) 伝道の力: 神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。福音のメッセージを理性的に伝えると、人々が信じると思うなら、大きな間違いです。しかし私たちは福音の道を伝えなければなりません。つまり神の福音を伝えれば、神の力を経験するようになります。コリント人への手紙1:21、「神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。」魂を救うのは伝道だけです。
(4) 祈りの力: 神は祈る時に働かれます。マタイの福音書18:18-19、「まことに、あなたがたに言います。何でもあなたがたが地上でつなぐことは天でもつながれ、何でもあなたがたが地上で解くことは天でも解かれます。まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」
神と共に働きができるように、道を開いてくださるのが祈りです。
* 絶望の後に来るのは、「神が働いてくださった」という告白です。
(1) 私たちは力に余るほど働かなければなりません。
エペソ人への手紙2章は救われる方法を見せて下さいます。
* 救いの問題の重要性。
救いの道は永遠の命を切望させる問題です。
エペソ人への手紙2:8、「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」
* 恵みによって救われることと、信仰によって救われることの観点の違いです。
恵み(神様の立場): 無償で与えられます。私たちが十字架を負える根拠です。
信仰(人間の立場): 十字架の義を通してのみ救いを得られるという信仰です。それを受け入れるだけです。
結局、恵み、あるいは信仰によって救われたというのは同じ内容を言っています。
* 恵みによって救われた。= 主導権は神様にあります。
結局、私の義では救われず、ただ十字架(神)の義だけで救われるということを言っています。
1.現実と向き合いなさい。
エペソ人への手紙の始めは「現実と向き合いなさい」ということです。
(1) 人が最も恐れることは現実と直面することです。困難を経験すると、人々は現実から逃げます。その代表的な症状が統合失調症(精神分裂症)です。これは現実と仮想で、自分を分離する病理現象です。診断をたくさんする医師たちも胃、大腸などの内視鏡をあまりしません。現実直面の恐怖です。また自分が誰なのか、知らない学生は成績表に直面しません。
(2) 事実を話すと、人々は怒ります。人々は事実に対して回避し、あるいは怒ります。
①金持ちがつけているネックレスを偽物だと言ったら、傷を受けないのですが、貧乏人に偽物だと言うと、怒ります。
②「バカ、それも知らないの?」という冗談の言葉でも、小学校を卒業しただけの人にこの言葉を言う場合、この人は怒ります。
つまりメンタルが弱い人たちは事実(現実)を話すと、反発または回避します。
*死後の問題について最も多く話す宗教はキリスト教です。
(1)仏教/ヒンドゥー教: 心を空けて、煩惱を考えないことを強調します。彼らは無限などの概念を通して死後の問題を回避します(時間を無限に伸ばして問題を回避する進化論と類似している)。
(2) キリスト教: 死後に裁きを強調することは現実を直視することであり、これが可能なのは確かな答えがあるからです。
[質問]キリスト教が拒否感を誘発する理由は何か?
①絶対性 - 人間は汎神論的な話については好きですが、唯一と絶対性は嫌です。
②人間が聞きたくない話を強調します。(例/葬儀文化:韓国の葬儀場に酒と花札があるのは、死について考えないようにするためです。)
(3) 若い人々は事業をする人々と交わる必要があります。- 現実的な内容を知るためです。
学者たちは理想(ideal world)を追求しますが、事業をする人々は現実を語ります。だから事業をする人々と定期的に会うと、事実(fact)と接する方法を知るようになります。
例/韓国の政治: 理想と当異性に向かって進むと、選挙に負けるのですが、事実(fact)と現実に直面する場合には痛みを超える答えを提供して選挙に勝つ場合が多いです。聖書は私たちに常に現実と向き合うように強調しています。
2.現実の内容は何か?(あなたは死んでいた。)
今日の本文のエペソ人への手紙2:1、「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、(As for you, you were dead in your transgressions and sins,)」
英文: As for you, YOU WERE DEAD.
つまりエペソ人への手紙2:1は、私たちに死を宣言します。
例/霊柩車はいつもゆっくり行きますが、救急車は急いで行きます。
* 聖書における死(death)の意味:分離です(separation)。
(1) いのち/栄光/望みの神と分離されるのを、死と言います。
つまり①希望と分離されることを経験して絶望感を感じ、②栄光と分離すると、羞恥心を感じるようになり、③いのちと分離すると、死(闇)を感じるようになります。
例/創世記: 人間に臨んだ刑罰は「神との分離」です。
(2) いのちの中にいる人々は死をよく知らないのですが、いのちと分離された人には死が明確に近づいてきます。
例/ Moiave Desert(モハーヴェ砂漠): 完全な絶望を経験することになります。新鮮な風はなく、いつも熱い風だけを体験します。ある牧師は、「この砂漠で教会員たちを連れて2時間歩けば、彼らは生まれ変わる」と考えました(砂漠の霊性)。
*砂漠の意味: 完全な分離です。何の音もなく、熱さだけあります。
つまり砂漠(ミドバル)から神の言葉(ダバル)が出ました。結局、私たちは砂漠で神の言葉を求めるようになります。神と分離されると、神を探すようになり、初めていのちを得るようになります。
神様から用いられた人々の中で、荒野の経験をしなかった人は一人もいません。つまり彼らはみんな死(分離)を経験し、その過程の中で神を求めて探すようになりました。分離の中で神と繋がり、この繋がりを通して再び生き返るようになります。
3.死の結果は何か?
今日の本文のエペソ人への手紙2:2-3、「かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」
* 死の結果: 「この世の流れ」に従うことになります(悪魔の影響の中で罪だけ繰り返す)。つまり悪魔が支配する考え方、人生の構造などに従うことになります。悪魔は今も働いています。悪魔は力があるので、私たちが神様と分離すると、私たちを左右に揺さぶります。そしてこのような状態が、神の前で死んだ者たちの現実になります。
* 人間の本性。
(1) 人本主義的アプローチ方法: 幼児教育の対価-マリア・モンテッソーリ(Maria Montessori)。
モンテッソーリ教育の核心は人間の中に善と可能性があるということです。そして日本と韓国の教育のほとんどがモンテッソーリの影響を受けています。しかしこのような教育の根は人本主義です。だから私たちは環境論と教育を、あまり信じてはいけません。
(2) 聖書は人間の根には絶望しかないと語り、神の力によって導かれるべきだと強調しています。聖書は人本主義と相反する内容を持っていることを忘れてはいけません。
(3) 人間は矛盾的で裏切る存在です(人間は皆罪人)。したがって、私たちは人間の矛盾的な行動、そして裏切りの行動に驚く必要はありません。人間を知れば知るほど、絶望します。そして期待すると、失望することになるということを私たちは忘れてはいけません。
*キリスト教の本質と出発点は、私に対する絶望です(I am DEAD)。
エレミヤ書1:6、『私は言った。「ああ、神、主よ、ご覧ください。私はまだ若くて、どう語ってよいか分かりません。」』
4.希望の根拠はどこにあるのか?主導権は神にある。
今日の本文のエペソ人への手紙2:4-5、「背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。」
*「しかし神が」
根拠: イエス・キリストの憐れみと恵みです。
転んだら、私の中で可能性を探すのではなく、「しかし神が私を愛しておられる」を思い出すと、希望が生まれます。結局、そのいかなる場合にも神は全てのことを行なわれたということを私たちは忘れてはなりません。
希望の根拠: 私が気をつけることではなく、むしろ「しかし神が」私たちに希望を与えられます。つまり始まりは「しかし神が」ということを私たちは絶対に忘れてはいけません。神に進んでこそ、力の働きが現れます。
*希望の根拠は神でなければなりません。
(1) 教会は希望の根拠を神に置いておかなければなりません。
(2) 説教の力: 神は言葉を通して働くと言われたので、私は説教の力を信じています。神のみ言葉を準備して宣言する時、聖霊が働いて私たちに影響を与えます。例えば、悔い改め、慰め、癒しなどのメッセージを私たちに与えてくださいます。つまりみ言葉は神様が働く通路になるのです。
(3) 伝道の力: 神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。福音のメッセージを理性的に伝えると、人々が信じると思うなら、大きな間違いです。しかし私たちは福音の道を伝えなければなりません。つまり神の福音を伝えれば、神の力を経験するようになります。コリント人への手紙1:21、「神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。」魂を救うのは伝道だけです。
(4) 祈りの力: 神は祈る時に働かれます。マタイの福音書18:18-19、「まことに、あなたがたに言います。何でもあなたがたが地上でつなぐことは天でもつながれ、何でもあなたがたが地上で解くことは天でも解かれます。まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」
神と共に働きができるように、道を開いてくださるのが祈りです。
* 絶望の後に来るのは、「神が働いてくださった」という告白です。
(1) 私たちは力に余るほど働かなければなりません。
私たちTBIC教会は人もいないし、経験もないし、お金もないから、私たちの力ではダメだということをよく知っています。しかしそれによって「神様」という告白が可能になり、「神様」だけに求めて、頼るようになります。 (2) 行動(人間)と奇跡(聖霊)の違い。 人間が働くのは行動ですが、聖霊が働くのは奇跡です。だから奇跡を経験するためには、人間ができないことに集中しなければなりません。結局、教会は人間ができないことに、祈りと信仰によって集中しなければならず、ただ神様だけができるということに集中しなければなりません。 * 自らの救いではなく、神の救いを求めるべきです。 (1)水に溺れた人の比喩。 水から出るためには、外部からロープまたは何かが来なければなりません。つまり力の根源が内部ではなく、外部にあります。そしてこのような外部の力に頼ってこそ、水から出られるようになります。このように私たちは自分自身ではなく、神のロープに依存する人生を生きなければなりません。 (2)人間には力と基盤がありません。そして神のいない罪人をそのまま放っておくと、結局自ら滅びることになります。だからクリスチャンは救いのロープにならなければなりません。そして神様が投げられた神のロープを掴む人生を生きなければならないし、私たちがこのようなロープを掴んだ瞬間、私たちの周りが変わって生きることになります。 恵み=ロープ: 神は何の対価もなく、くださいます。そして、このような恵みのロープを掴むのが信仰です。 [参考]牛生馬死: 洪水が起きたら、泳げない牛は生き、泳ぎ上手な馬は死ぬ可能性が高いのです。つまり牛は自分の力を使わずに水に身を任せるため、生存します。しかし多くの場合、私たちはバタバタしながら馬になることを願います。馬よりは牛になるべきです。 * 信仰は方向の問題であり、その信仰は聞くことから始まります。 救いのロープ: ロープは言葉として来ます。つまり絶望の中ではいつもみ言葉が私たちに近づいてきて、私たちに力を与えます。そして「み言葉を掴めば、必ず生きることになる」ということを、私たちは忘れてはいけません。 |
合計 212
手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
212 |
詩篇8:1-9(人間の存在の目的)
tbic
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2025.08.24
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211 |
歴代誌 第二7:11-14(国のために祈ろう)
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2025.08.17
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210 |
詩篇121:1-8(わたしが、あなたの道を守る)
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2025.08.10
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209 |
ゼカリヤ書2:1–13(火の城壁の神)
tbic
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2025.08.03
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208 |
ヨハネの福音書 13:34(新しい戒めの中に生きよう)
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2025.07.27
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207 |
エペソ人への手紙2:1-5 (ロープを掴みなさい)
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2025.07.13
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206 |
創世記2:24 (聖書的結婚観)
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2025.07.06
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ヘブル10:37-11:7(信仰とは何か?)
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2025.06.29
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箴言3:5-6(自分の悟りに頼るな)
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2025.06.22
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203 |
エペソ人への手紙5:22-33(夫と妻に対するお勧め)
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2025.06.15
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