メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
詩篇8:1-9(人間の存在の目的)
投稿者
tbic
投稿日
2025-08-24 15:17
閲覧数
179
詩篇8:1-9『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。』
今日は「人間の存在の目的」というタイトルでお話しさせていただきます。皆さん、人って、不思議な存在だと思いませんか?人は赤ちゃんから始まるのですが、四つん這いから二足歩行が出来るようになって、やがて三足歩行になり、人生を終えていく存在です。
先々週は私の57回目の誕生日でしたが、57年間あっという間でした。私は中学校に通っていた頃の自分と、今の自分が精神的に全く変わらないのに気づいて、ちょっとがっかりします。人間って、あんまり成長しないものだなと思います。しかし人間は、万物の王者として君臨しているわけで、相当、神さまから期待されて創造されたのではないかと思うわけです。
今の時代は神を否定できない時代となりました。なぜならば、人間の設計図であるDNA配列が発見され、解読されたからです。設計図とは、知的存在が関わらない限り存在しません。設計図は自然に出来上がるものではありません。設計者によって図面はできるわけです。ましてや人の設計図が存在することは、創造者が存在する事に他なりません。DNAはたった四つの物質で成り立っています。四つの塩基が組み合わされて、ひとまとまりの情報となり、遺伝子となって、人が組み立てられるわけです。これは決して偶然に生まれたのではなく、天地宇宙を創造された神が存在する証拠です。ある人たちにとって、「神」という言葉は宗教的で、あまり好まないようですが、一つ言えることは宇宙の主管者、知的存在が存在することは明らかです。
人間は特殊な存在であることは事実ですが、DNAレベルで人間を見ると、人が特殊だとは一概には言えません。遺伝子量が最も多い生物は人間ではないのです。私はこれを知って、びっくりしたのですが、なんと「ミジンコ」だそうです。ミジンコは人間よりも、ずっと遺伝子量が多いというのです。人間の二万三千個に対して、ミジンコは三万一千個も遺伝子を持っているそうです。遺伝子とは、神があるものを創造する時に使った部品の数ですから、人間よりも多くの部品を使って組み立てられた生物がいるということは、人間は特別な存在ではないことになります。神さまはミジンコを最も大切にしているのかもしれません。
「いやいや、そんなことありませんよ!人間は最強生物です!」とある人は言います。ある動物園で「最強生物」というコーナーがあって、「覗いてください」とあったので覗きました。覗いてみたら、中に鏡があって自分の顔が写っていました。ある意味、人間が世界最強生物のようですが、一般において世界最強生物は何か知っていますか?子どもたちに聞いたら、分かると思うのですが、世界最強生物とは、「蚊」だそうです。蚊ほど強力な生物はいないらしいのです。小さな生物ですが、運動能力、飛行能力においてはものすごいものがあります。空中でホバリングはするし、人にすごいスピードでアタックするし、血は吸うし、影に隠れるし、自由自在です。人が他の生物から殺されたのは、蚊によって殺されたのが最も多いと言われます。アフリカに行きますと、マラリア汚染地帯で飛んでいる蚊は、ほとんどマラリアの病原菌を持っているそうです。だから、現地の人々も怖がっているわけです。人間は世界最強ではありません。
そうなってきますと、そもそも人間がどういう存在なのか、ますます混乱します。私たちは何のために存在し、生きるのか、まじめに考えると、分からなくなります。皆さんにもそれぞれの職業があって、それぞれの生き方をされていると思いますが、究極的に人とは、何のために存在し、生きるのでしょうか。このすべての人に共通する土台を知らないと、人生は思わぬ方向に行ってしまう危険性があります。
しかし聖書は、この重大なテーマの答えを示しています。世界で最も読まれている書物、それは断トツ聖書です。ということは、聖書は人類が生きるために必要な情報を最も多く含んでいることになります。聖書の中には生きる秘訣が記されています。特に「人は何のために存在し、何のために生きるのか」という重大なテーマについて教えています。それがどこに書かれているのかというと、先ほど読んでいただいた「詩篇8篇」の中にあります。
イスラエルの歴史上、最も有名な王様は「ダビデ」です。彼は今でも英雄です。彼は偉大な王ですが、知的にも、感情的にもたいへん豊かな人物でした。彼には一つの疑問がありました。詩篇8:4で、『人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。』神はミジンコではなく、人に関心があるのです。その理由が知りたくて、ダビデは神の前に出て祈りました。その時、神は二つの理由を教えました。第一番目については、2節に書かれています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』
「人とは何者か」それは、「敵と戦う勇士」だというのです。そう言えば、人類の歴史は、戦いの歴史そのものです。どの時代をとっても、どの民族をとっても、戦いから離れた時代も民族もありません。日本にとって8月15日は「終戦記念日」ですが、実際は「敗戦記念日」です。日本はアメリカと連合軍に対して立ち向かいましたが、結果として戦争に負けたのです。過去にたくさんの血が流された地が、まさに日本です。人って、血が流された場所を好まないのです。中古住宅でも、「結構、新しくて綺麗だけど、値段が安いな」と思って調べてみると、事故物件だったりするわけです。家で血が流れたとか、自殺があったとかで安くなるわけです。なぜかと言うと、人は分かっているのです。科学にもならないし、学問にもならないのですが、血が流された場所は、なんらかの悪い力が働いていることを体感的に知っているからです。
様々な問題の背後に人類の敵である悪魔・悪霊どもの勢力がいます。しかし神はそのような勢力を打ち破るための存在を創造されました。それが人類です。人類は戦いの戦士です。それは人と戦うのではなく、目に見えない暗闇の勢力と戦う戦士です。
私たちは聖書を自分の都合の良い箇所だけを引き出してしまう傾向があります。しかし聖書全体を注意深く読みますと、初めから終わりまで、一貫性のあるテーマを発見できます。創世記で、天地創造が起こる前に「水があった」と記されています。水とは聖書全体から、いろいろな意味があるのですが、一つは「暗闇の勢力」という意味があります。その上に神の霊がうごめき、それらが打ち破られていく「戦いのストーリー」が聖書全体を貫く大きなテーマです。
新約聖書の最後のヨハネの黙示録21章で、『もはや海がない』という記録があります。それは、「新しい天と新しい地の創造」と共に起こることですが、イエスの再臨と共に、神の軍隊が敵に打ち勝ったことを意味します。人類とは何のために造られたのか、第一に「霊的な敵と戦い、打ち破るため」に造られたのです。
そして第二に述べられていることが何かと言うと、詩篇8:6に『あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。』と記されています。人類は神が造られた被造物を管理する「管理人」として造られたと聖書は告げています。実はこれはたいへん重要な人類の目的です。人は何のために造られたのか、それは「神が造られた被造物全体を管理する管理人として造られた」のです。人は「被造物の世話係」ということです。
大きな会社になればなるほど、様々な管理部門があって成り立ちます。管理部門が機能することによって、全体がうまく機能するわけです。被造物の世界も同じです。神は無数の被造物を造られました。どうしてこれほどまで多くのものを造られたのか、本当に神の意思は計りきれません。同時に人は神が造られた被造物世界に関して、膨大な情報を持っています。人類と直接関係ないような宇宙の果てに存在する星屑のデータまで人は欲しがります。それは人類に被造物を管理する役割があるがゆえの関心事です。
人は神が造られた被造物に対して、無関心ではなく、限りなく関心を持っています。今や人類の長い歴史の中で、最も多くの情報を得た時代であると思います。それがビックデータとして蓄積されて、有効に使われ、時には悪用されたりもします。なぜそのように人は、あらゆる被造物に対して情報を必要とするのでしょうか。それは人が被造物の管理人である証拠です。そのような視点で聖書を読んでいきますと、大変興味深いものがあります。
では管理するとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。神がこれほど多くの被造物を造られた理由と目的は結構シンプルです。それは一言でまとめると、「神はご自分が創造されたすべての被造物を通して、神を賛美させるオーケストラを編成された。」ということです。
人は音楽を聴いて豊かになろうとします。そのために人は音楽を作曲したり、演奏します。人にはそのような権利があるわけです。神はなぜ、宇宙にある無数の星々から、海の生き物、地のどん底にある物質まで、被造物で満ち溢れた世界を造られたのかと言えば、それらを通して、ご自分を賛美させるオーケストラを編成するためでした。
近年、物理学の世界が大きく進歩して、昔では分からなかった事柄が知られるようになりました。特に「物質」の根源について解明されています。私たちはいろいろな物質を見ていますが、これらを細分化しますと、例えば水の分子でも、細分化すると、物質の根源は振動する弦のようなものだというのです。弦を振動させることによって、張り具合で音程が変わります。すべての物質は振動する弦からできていて、はじくと、音の高さが変わるのです。そして物質の根源のすべては「音楽に置き換えられる」というのです。
今や高次元まで存在することが判明しつつあります。ある物理学者は「創造主をほめたたえるためのオーケストラを編成するため、物質界を造られた。」と語っていました。私はこの考え方に賛成です。オーケストラをお聴きになったら、分かりますが、オーケストラはそれぞれの楽器がそれぞれの音を出して、一つのまとまりのある音となって、聴衆は楽しむことができます。バランスのとれた素晴らしいオーケストラ音楽を聴くためには、「優れた指揮者」が必要です。指揮者なんて、ただ棒をふっているだけだから、俺だってできるみたいに素人は考えるのですが、そうではないのです。オーケストラは名指揮者によって音色を変えるのです。指揮者はすべての楽器の特性をよく知っていて、どのように音を出したら、調和のとれた音として、観客を楽しませることができるかを熟知しています。優れた指揮者が指揮台に立つことによって、観客は満足するのです。
神さまが被造物を造られたのも、まさにこの目的です。神さまはご自身を賛美するオーケストラを編成されたのですが、そのために優れた指揮者を任命されました。それが誰かと言うと、実は、「私たち人類」です。私たちが被造物オーケストラの指揮者になると、神さまはその音楽に満足されるのです。私たちは被造物全体を賛美させて、調和の取れた音を主にお届けする指揮者のような存在として創造されたのです。元々、万物は主を賛美する楽器として創造されました。しかし最初にお話ししたように、地球は敵の手に陥っています。指揮者であり、管理人である人類を倒せば、神への賛美は止められます。それが悪魔と悪霊どもの目的です。彼らは自分たちに賛美を向けさせて、神への賛美が届かないように、日々働いています。ゆえにすべての被造物には、うめきがあります。本来は「主を賛美したい」と願っている被造物たちが悪魔を賛美する楽器となっているからです。正しい音を出すことができない楽器になっているのです。その状況に関して、聖書は次のように告げています。ローマ人への手紙8:19、『被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。』
神が創造された人間以外の被造物は、「切実な思い」、ギリシャ語では「アポカラドキア」という言葉が使われているのですが、「頭をまっすぐに伸ばして観察すること」という意味が直訳です。すべての被造物は頭をまっすぐに伸ばして、自分を神に向けさせ、賛美させてくれる管理者なる神の子どもたちが、どこにいるのか、そんな強い気持ちで私たちに期待しているのです。しかしなかなかそこに気づくクリスチャンはいないのです。イエス・キリストを信じるとは、どこに目的があるのかというと、「うめいている被造物を解放して、主への賛美に変える管理人となる」ということです。日本においては、99パーセント以上の人々は賛美していないのです。なぜ宣教が必要なのか、伝道が必要なのか、それはまず第一に、人が主をほめたたえるようになり、同時に人が被造物の管理人として被造物のうめきを解いて、主への賛美に変えるためです。
日本の方が被造世界に対して持っている世界観は聖書が提示している世界観とは大きく異なっています。一般に「自然」と呼ばれる被造物に対する日本人の世界観では太い木を見れば、礼拝します。しかし木に宿っている命はどこから来たのか、それは「神が与えた命」なんです。大きな川を見れば、大きなエネルギーを感じます。命を感じます。それは誰が与えた命なのかと言えば、天地宇宙を造られた神が与えた命です。しかし悪魔は間違った世界観を人々に与えています。日本では、「地球は進化してできた」と考えています。しかしすべての物質に、「緒霊が宿っている」という「アニミズム」と呼ばれる世界観で生きています。人々は「自然界には何かが宿っている」と感じるのですが、「物体そのものが神」かのように勘違いしているわけです。
古い神社の所を通りかかると、樹齢何百年も経っているような木がありますが、そこにはしめ縄が張られて、「御神木」と出ています。日本の方は、「木そのものが神だ」と考え、手を合わせて礼拝します。本来、木は神が創造された被造物です。木の中に宿っている命が神ではなく、神が木に与えた命です。もしも木が神かのように拝まれるならば、木に宿っている命はうめき始めます。「やめてくれよ。俺は神じゃない。天地宇宙を造られた神から与えられた命を宿しているだけだよ」と、うめきます。だから私たちクリスチャンは手で作られた神々を拝むことはしません。太い木を見かけたら、そこに宿るのは神が与えた命です。うめきを取り去って、「主をほめたたえ、賛美せよ!」と宣言したらどうでしょうか。海や空や雲や山を見たら、それらにも「主を賛美しろ」と命じてみてください。雄大な被造物は喜んで主をほめたたえ始めるはずです。
それが人間の最も大きな使命です。詩篇148篇を、家に帰ったら、じっくり読んでいただきたいと思います。ここではすべての被造物に対して、「主を賛美しろ!主をほめたたえろ!」と命令されています。人間も含めて、すべての生き物に対して、「主を賛美せよ!」と命じられています。「無機質な物質」と思える山とか岩とか、そういうものに対しても、主を賛美するように命じられています。そんな中、5節と13節はただの命令形ではなく、「彼らに主の名をほめたたえさせよ」と使役形で記されています。新改訳2017では、残念ながら全てが命令形になっているのですが、実はヘブル語で見ますと、ここには特殊な用法が使われています。それは「ピエル体」と呼ばれる動詞が使われています。私たち人類は、すべての被造物を賛美させる存在です。一見、こんなものに命があるのだろうかと思うような物質でも、すべて神が造られた物質ですから、神とのチャンネルがあるはずです。主を賛美する機能がみんな備わっているのです。そのスイッチをオンにされるためには、管理人である人の命令を必要とします。それが神の定められた法則です。
すべての被造物は賛美のスイッチがオンにされる事を首を長くして待ち望んでいます。「私を賛美させてくれ」と。日本のすべての被造物は、私たちを待ち望んでいます。日本では「被造物自体が神々」になっていますから、特に日本は被造物のうめきが強い国だと思います。しかしそんなただ中で、私たちクリスチャンがすべての被造物を賛美させるようになったら、すべてが息づいてくるはずです。以前にもお話ししましたが、水でも親切な言葉をかけると綺麗な結晶ができるそうです。悪口を言ったりすると、結晶にならないというのです。これは事実らしいのです。
沖縄のある牧師が、米に対して実験をしてみたそうです。米を三つに分けて、別々の部屋に置いて6ヶ月間、一つの米には悪口を言って、真ん中の米には、ただ人間的な感謝、しかし三番目の米には、神の被造物であることを意識して、「米よ!主をほめたたえろ!主のみ名によって祝福する!」と宣言したそうです。6ヶ月間、試してみたというのです。すると、悪口を浴びせた米は黒くなり、感謝を述べた米はそのままだったそうです。しかし主のみ名によって祝福した米は光っていたそうです。安い米を買って来て、「主の名によって祝福する!君は安い米なんかじゃない。新潟県の魚沼産のコシヒカリよりも素晴らしい米だ!主をほめたたえ、賛美せよ!」と励ましたら、美味しい米になるかもしれません。なぜなら、すべての被造物は命を持っているからです。
神の役割、人間の役割、み使いの役割、そして被造物の役割がはっきりすると、神の栄光につながると信じます。詩篇69:34-36に、こんな御言葉があります。『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。』
最初の部分では、『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。』と呼びかけています。この部分の動詞も詩篇148篇と同じです。英語の聖書だと、「Let heaven and earth praise him,」となっています。「天と地を賛美させよ」という使役で訳すことができます。「賛美しましょう!」という意味にもとれますが、人間の役割が込められているのです。この動詞もピエル体で、「激しい動作や反復動作によって、人が被造物の所に行って何度も何度も主を賛美しろ!主を賛美しろ!」と宣言するイメージです。人にはそのような使命があるわけです。その時に何が起こるのか、『彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。』
現在、自然災害の影響で人類の存続すら危ない今日この頃ですが、これから私たちに未来はあるのだろうかと心配です。しかし未来はちゃんとあります。私たちクリスチャンが神が造られた被造物全体に対して「主を賛美せよ!」と彼らを賛美させ続けるならば、「ユダの町々は建て直される。すべての町々は建て直される」のです。そして「あなたの子孫はそこに住むことができる」しかしその条件として、「すべての被造物を賛美させてください」と告げています。
私たちと共に、被造物のすべてが賛美し始める時、町々は回復していきます。また被造物を覆っている暗闇の力に挑戦しなければいけません。すべての被造物を覆い、賛美できなくしている暗闇の力があります。私たちが勇士として、暗闇の力に対し、「被造物から手を離せ」と命令を下すならば、それらは打ち破られて、被造世界は回復し、賛美するようになるのです。これが聖書が告げる人間の存在の目的です。
人は何のために存在し、何のために生きるのか、この重要なテーマとリンクしています。イエス・キリストを信じて、ただ自分だけが救われて天国に行くのではなく、救われた者たちは、被造世界すべてに対して、責任を果たさなければなりません。
最後に一言、お祈りさせていただきます。ハレルヤ、天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。今日、私たちの存在意義と、何のために生きるのかについてお話しさせていただきました。今週は、更に主の勇士として用いてください。暗闇の力を打ち破る勇士として用いてください。神が造られた被造物すべてが主をほめたたえますように。私たちを彼らを賛美させる存在として用いてください。命をかけて十字架でいのちを回復してくださったイエスさまに、心から感謝をいたします。今日献げられた献金と、また経済も祝福してください。尊いイエスさまのみ名によって、お祈りいたします。アーメン!
今日は「人間の存在の目的」というタイトルでお話しさせていただきます。皆さん、人って、不思議な存在だと思いませんか?人は赤ちゃんから始まるのですが、四つん這いから二足歩行が出来るようになって、やがて三足歩行になり、人生を終えていく存在です。
先々週は私の57回目の誕生日でしたが、57年間あっという間でした。私は中学校に通っていた頃の自分と、今の自分が精神的に全く変わらないのに気づいて、ちょっとがっかりします。人間って、あんまり成長しないものだなと思います。しかし人間は、万物の王者として君臨しているわけで、相当、神さまから期待されて創造されたのではないかと思うわけです。
今の時代は神を否定できない時代となりました。なぜならば、人間の設計図であるDNA配列が発見され、解読されたからです。設計図とは、知的存在が関わらない限り存在しません。設計図は自然に出来上がるものではありません。設計者によって図面はできるわけです。ましてや人の設計図が存在することは、創造者が存在する事に他なりません。DNAはたった四つの物質で成り立っています。四つの塩基が組み合わされて、ひとまとまりの情報となり、遺伝子となって、人が組み立てられるわけです。これは決して偶然に生まれたのではなく、天地宇宙を創造された神が存在する証拠です。ある人たちにとって、「神」という言葉は宗教的で、あまり好まないようですが、一つ言えることは宇宙の主管者、知的存在が存在することは明らかです。
人間は特殊な存在であることは事実ですが、DNAレベルで人間を見ると、人が特殊だとは一概には言えません。遺伝子量が最も多い生物は人間ではないのです。私はこれを知って、びっくりしたのですが、なんと「ミジンコ」だそうです。ミジンコは人間よりも、ずっと遺伝子量が多いというのです。人間の二万三千個に対して、ミジンコは三万一千個も遺伝子を持っているそうです。遺伝子とは、神があるものを創造する時に使った部品の数ですから、人間よりも多くの部品を使って組み立てられた生物がいるということは、人間は特別な存在ではないことになります。神さまはミジンコを最も大切にしているのかもしれません。
「いやいや、そんなことありませんよ!人間は最強生物です!」とある人は言います。ある動物園で「最強生物」というコーナーがあって、「覗いてください」とあったので覗きました。覗いてみたら、中に鏡があって自分の顔が写っていました。ある意味、人間が世界最強生物のようですが、一般において世界最強生物は何か知っていますか?子どもたちに聞いたら、分かると思うのですが、世界最強生物とは、「蚊」だそうです。蚊ほど強力な生物はいないらしいのです。小さな生物ですが、運動能力、飛行能力においてはものすごいものがあります。空中でホバリングはするし、人にすごいスピードでアタックするし、血は吸うし、影に隠れるし、自由自在です。人が他の生物から殺されたのは、蚊によって殺されたのが最も多いと言われます。アフリカに行きますと、マラリア汚染地帯で飛んでいる蚊は、ほとんどマラリアの病原菌を持っているそうです。だから、現地の人々も怖がっているわけです。人間は世界最強ではありません。
そうなってきますと、そもそも人間がどういう存在なのか、ますます混乱します。私たちは何のために存在し、生きるのか、まじめに考えると、分からなくなります。皆さんにもそれぞれの職業があって、それぞれの生き方をされていると思いますが、究極的に人とは、何のために存在し、生きるのでしょうか。このすべての人に共通する土台を知らないと、人生は思わぬ方向に行ってしまう危険性があります。
しかし聖書は、この重大なテーマの答えを示しています。世界で最も読まれている書物、それは断トツ聖書です。ということは、聖書は人類が生きるために必要な情報を最も多く含んでいることになります。聖書の中には生きる秘訣が記されています。特に「人は何のために存在し、何のために生きるのか」という重大なテーマについて教えています。それがどこに書かれているのかというと、先ほど読んでいただいた「詩篇8篇」の中にあります。
イスラエルの歴史上、最も有名な王様は「ダビデ」です。彼は今でも英雄です。彼は偉大な王ですが、知的にも、感情的にもたいへん豊かな人物でした。彼には一つの疑問がありました。詩篇8:4で、『人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。』神はミジンコではなく、人に関心があるのです。その理由が知りたくて、ダビデは神の前に出て祈りました。その時、神は二つの理由を教えました。第一番目については、2節に書かれています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』
「人とは何者か」それは、「敵と戦う勇士」だというのです。そう言えば、人類の歴史は、戦いの歴史そのものです。どの時代をとっても、どの民族をとっても、戦いから離れた時代も民族もありません。日本にとって8月15日は「終戦記念日」ですが、実際は「敗戦記念日」です。日本はアメリカと連合軍に対して立ち向かいましたが、結果として戦争に負けたのです。過去にたくさんの血が流された地が、まさに日本です。人って、血が流された場所を好まないのです。中古住宅でも、「結構、新しくて綺麗だけど、値段が安いな」と思って調べてみると、事故物件だったりするわけです。家で血が流れたとか、自殺があったとかで安くなるわけです。なぜかと言うと、人は分かっているのです。科学にもならないし、学問にもならないのですが、血が流された場所は、なんらかの悪い力が働いていることを体感的に知っているからです。
様々な問題の背後に人類の敵である悪魔・悪霊どもの勢力がいます。しかし神はそのような勢力を打ち破るための存在を創造されました。それが人類です。人類は戦いの戦士です。それは人と戦うのではなく、目に見えない暗闇の勢力と戦う戦士です。
私たちは聖書を自分の都合の良い箇所だけを引き出してしまう傾向があります。しかし聖書全体を注意深く読みますと、初めから終わりまで、一貫性のあるテーマを発見できます。創世記で、天地創造が起こる前に「水があった」と記されています。水とは聖書全体から、いろいろな意味があるのですが、一つは「暗闇の勢力」という意味があります。その上に神の霊がうごめき、それらが打ち破られていく「戦いのストーリー」が聖書全体を貫く大きなテーマです。
新約聖書の最後のヨハネの黙示録21章で、『もはや海がない』という記録があります。それは、「新しい天と新しい地の創造」と共に起こることですが、イエスの再臨と共に、神の軍隊が敵に打ち勝ったことを意味します。人類とは何のために造られたのか、第一に「霊的な敵と戦い、打ち破るため」に造られたのです。
そして第二に述べられていることが何かと言うと、詩篇8:6に『あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。』と記されています。人類は神が造られた被造物を管理する「管理人」として造られたと聖書は告げています。実はこれはたいへん重要な人類の目的です。人は何のために造られたのか、それは「神が造られた被造物全体を管理する管理人として造られた」のです。人は「被造物の世話係」ということです。
大きな会社になればなるほど、様々な管理部門があって成り立ちます。管理部門が機能することによって、全体がうまく機能するわけです。被造物の世界も同じです。神は無数の被造物を造られました。どうしてこれほどまで多くのものを造られたのか、本当に神の意思は計りきれません。同時に人は神が造られた被造物世界に関して、膨大な情報を持っています。人類と直接関係ないような宇宙の果てに存在する星屑のデータまで人は欲しがります。それは人類に被造物を管理する役割があるがゆえの関心事です。
人は神が造られた被造物に対して、無関心ではなく、限りなく関心を持っています。今や人類の長い歴史の中で、最も多くの情報を得た時代であると思います。それがビックデータとして蓄積されて、有効に使われ、時には悪用されたりもします。なぜそのように人は、あらゆる被造物に対して情報を必要とするのでしょうか。それは人が被造物の管理人である証拠です。そのような視点で聖書を読んでいきますと、大変興味深いものがあります。
では管理するとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。神がこれほど多くの被造物を造られた理由と目的は結構シンプルです。それは一言でまとめると、「神はご自分が創造されたすべての被造物を通して、神を賛美させるオーケストラを編成された。」ということです。
人は音楽を聴いて豊かになろうとします。そのために人は音楽を作曲したり、演奏します。人にはそのような権利があるわけです。神はなぜ、宇宙にある無数の星々から、海の生き物、地のどん底にある物質まで、被造物で満ち溢れた世界を造られたのかと言えば、それらを通して、ご自分を賛美させるオーケストラを編成するためでした。
近年、物理学の世界が大きく進歩して、昔では分からなかった事柄が知られるようになりました。特に「物質」の根源について解明されています。私たちはいろいろな物質を見ていますが、これらを細分化しますと、例えば水の分子でも、細分化すると、物質の根源は振動する弦のようなものだというのです。弦を振動させることによって、張り具合で音程が変わります。すべての物質は振動する弦からできていて、はじくと、音の高さが変わるのです。そして物質の根源のすべては「音楽に置き換えられる」というのです。
今や高次元まで存在することが判明しつつあります。ある物理学者は「創造主をほめたたえるためのオーケストラを編成するため、物質界を造られた。」と語っていました。私はこの考え方に賛成です。オーケストラをお聴きになったら、分かりますが、オーケストラはそれぞれの楽器がそれぞれの音を出して、一つのまとまりのある音となって、聴衆は楽しむことができます。バランスのとれた素晴らしいオーケストラ音楽を聴くためには、「優れた指揮者」が必要です。指揮者なんて、ただ棒をふっているだけだから、俺だってできるみたいに素人は考えるのですが、そうではないのです。オーケストラは名指揮者によって音色を変えるのです。指揮者はすべての楽器の特性をよく知っていて、どのように音を出したら、調和のとれた音として、観客を楽しませることができるかを熟知しています。優れた指揮者が指揮台に立つことによって、観客は満足するのです。
神さまが被造物を造られたのも、まさにこの目的です。神さまはご自身を賛美するオーケストラを編成されたのですが、そのために優れた指揮者を任命されました。それが誰かと言うと、実は、「私たち人類」です。私たちが被造物オーケストラの指揮者になると、神さまはその音楽に満足されるのです。私たちは被造物全体を賛美させて、調和の取れた音を主にお届けする指揮者のような存在として創造されたのです。元々、万物は主を賛美する楽器として創造されました。しかし最初にお話ししたように、地球は敵の手に陥っています。指揮者であり、管理人である人類を倒せば、神への賛美は止められます。それが悪魔と悪霊どもの目的です。彼らは自分たちに賛美を向けさせて、神への賛美が届かないように、日々働いています。ゆえにすべての被造物には、うめきがあります。本来は「主を賛美したい」と願っている被造物たちが悪魔を賛美する楽器となっているからです。正しい音を出すことができない楽器になっているのです。その状況に関して、聖書は次のように告げています。ローマ人への手紙8:19、『被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。』
神が創造された人間以外の被造物は、「切実な思い」、ギリシャ語では「アポカラドキア」という言葉が使われているのですが、「頭をまっすぐに伸ばして観察すること」という意味が直訳です。すべての被造物は頭をまっすぐに伸ばして、自分を神に向けさせ、賛美させてくれる管理者なる神の子どもたちが、どこにいるのか、そんな強い気持ちで私たちに期待しているのです。しかしなかなかそこに気づくクリスチャンはいないのです。イエス・キリストを信じるとは、どこに目的があるのかというと、「うめいている被造物を解放して、主への賛美に変える管理人となる」ということです。日本においては、99パーセント以上の人々は賛美していないのです。なぜ宣教が必要なのか、伝道が必要なのか、それはまず第一に、人が主をほめたたえるようになり、同時に人が被造物の管理人として被造物のうめきを解いて、主への賛美に変えるためです。
日本の方が被造世界に対して持っている世界観は聖書が提示している世界観とは大きく異なっています。一般に「自然」と呼ばれる被造物に対する日本人の世界観では太い木を見れば、礼拝します。しかし木に宿っている命はどこから来たのか、それは「神が与えた命」なんです。大きな川を見れば、大きなエネルギーを感じます。命を感じます。それは誰が与えた命なのかと言えば、天地宇宙を造られた神が与えた命です。しかし悪魔は間違った世界観を人々に与えています。日本では、「地球は進化してできた」と考えています。しかしすべての物質に、「緒霊が宿っている」という「アニミズム」と呼ばれる世界観で生きています。人々は「自然界には何かが宿っている」と感じるのですが、「物体そのものが神」かのように勘違いしているわけです。
古い神社の所を通りかかると、樹齢何百年も経っているような木がありますが、そこにはしめ縄が張られて、「御神木」と出ています。日本の方は、「木そのものが神だ」と考え、手を合わせて礼拝します。本来、木は神が創造された被造物です。木の中に宿っている命が神ではなく、神が木に与えた命です。もしも木が神かのように拝まれるならば、木に宿っている命はうめき始めます。「やめてくれよ。俺は神じゃない。天地宇宙を造られた神から与えられた命を宿しているだけだよ」と、うめきます。だから私たちクリスチャンは手で作られた神々を拝むことはしません。太い木を見かけたら、そこに宿るのは神が与えた命です。うめきを取り去って、「主をほめたたえ、賛美せよ!」と宣言したらどうでしょうか。海や空や雲や山を見たら、それらにも「主を賛美しろ」と命じてみてください。雄大な被造物は喜んで主をほめたたえ始めるはずです。
それが人間の最も大きな使命です。詩篇148篇を、家に帰ったら、じっくり読んでいただきたいと思います。ここではすべての被造物に対して、「主を賛美しろ!主をほめたたえろ!」と命令されています。人間も含めて、すべての生き物に対して、「主を賛美せよ!」と命じられています。「無機質な物質」と思える山とか岩とか、そういうものに対しても、主を賛美するように命じられています。そんな中、5節と13節はただの命令形ではなく、「彼らに主の名をほめたたえさせよ」と使役形で記されています。新改訳2017では、残念ながら全てが命令形になっているのですが、実はヘブル語で見ますと、ここには特殊な用法が使われています。それは「ピエル体」と呼ばれる動詞が使われています。私たち人類は、すべての被造物を賛美させる存在です。一見、こんなものに命があるのだろうかと思うような物質でも、すべて神が造られた物質ですから、神とのチャンネルがあるはずです。主を賛美する機能がみんな備わっているのです。そのスイッチをオンにされるためには、管理人である人の命令を必要とします。それが神の定められた法則です。
すべての被造物は賛美のスイッチがオンにされる事を首を長くして待ち望んでいます。「私を賛美させてくれ」と。日本のすべての被造物は、私たちを待ち望んでいます。日本では「被造物自体が神々」になっていますから、特に日本は被造物のうめきが強い国だと思います。しかしそんなただ中で、私たちクリスチャンがすべての被造物を賛美させるようになったら、すべてが息づいてくるはずです。以前にもお話ししましたが、水でも親切な言葉をかけると綺麗な結晶ができるそうです。悪口を言ったりすると、結晶にならないというのです。これは事実らしいのです。
沖縄のある牧師が、米に対して実験をしてみたそうです。米を三つに分けて、別々の部屋に置いて6ヶ月間、一つの米には悪口を言って、真ん中の米には、ただ人間的な感謝、しかし三番目の米には、神の被造物であることを意識して、「米よ!主をほめたたえろ!主のみ名によって祝福する!」と宣言したそうです。6ヶ月間、試してみたというのです。すると、悪口を浴びせた米は黒くなり、感謝を述べた米はそのままだったそうです。しかし主のみ名によって祝福した米は光っていたそうです。安い米を買って来て、「主の名によって祝福する!君は安い米なんかじゃない。新潟県の魚沼産のコシヒカリよりも素晴らしい米だ!主をほめたたえ、賛美せよ!」と励ましたら、美味しい米になるかもしれません。なぜなら、すべての被造物は命を持っているからです。
神の役割、人間の役割、み使いの役割、そして被造物の役割がはっきりすると、神の栄光につながると信じます。詩篇69:34-36に、こんな御言葉があります。『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。』
最初の部分では、『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。』と呼びかけています。この部分の動詞も詩篇148篇と同じです。英語の聖書だと、「Let heaven and earth praise him,」となっています。「天と地を賛美させよ」という使役で訳すことができます。「賛美しましょう!」という意味にもとれますが、人間の役割が込められているのです。この動詞もピエル体で、「激しい動作や反復動作によって、人が被造物の所に行って何度も何度も主を賛美しろ!主を賛美しろ!」と宣言するイメージです。人にはそのような使命があるわけです。その時に何が起こるのか、『彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。』
現在、自然災害の影響で人類の存続すら危ない今日この頃ですが、これから私たちに未来はあるのだろうかと心配です。しかし未来はちゃんとあります。私たちクリスチャンが神が造られた被造物全体に対して「主を賛美せよ!」と彼らを賛美させ続けるならば、「ユダの町々は建て直される。すべての町々は建て直される」のです。そして「あなたの子孫はそこに住むことができる」しかしその条件として、「すべての被造物を賛美させてください」と告げています。
私たちと共に、被造物のすべてが賛美し始める時、町々は回復していきます。また被造物を覆っている暗闇の力に挑戦しなければいけません。すべての被造物を覆い、賛美できなくしている暗闇の力があります。私たちが勇士として、暗闇の力に対し、「被造物から手を離せ」と命令を下すならば、それらは打ち破られて、被造世界は回復し、賛美するようになるのです。これが聖書が告げる人間の存在の目的です。
人は何のために存在し、何のために生きるのか、この重要なテーマとリンクしています。イエス・キリストを信じて、ただ自分だけが救われて天国に行くのではなく、救われた者たちは、被造世界すべてに対して、責任を果たさなければなりません。
最後に一言、お祈りさせていただきます。ハレルヤ、天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。今日、私たちの存在意義と、何のために生きるのかについてお話しさせていただきました。今週は、更に主の勇士として用いてください。暗闇の力を打ち破る勇士として用いてください。神が造られた被造物すべてが主をほめたたえますように。私たちを彼らを賛美させる存在として用いてください。命をかけて十字架でいのちを回復してくださったイエスさまに、心から感謝をいたします。今日献げられた献金と、また経済も祝福してください。尊いイエスさまのみ名によって、お祈りいたします。アーメン!
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