メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
ルカの福音書11:9-13 (信仰の祈りには答えがある)
投稿者
tbic
投稿日
2025-09-07 22:29
閲覧数
342
ルカの福音書11:9-13 「ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」
人間は対話しながら生きる存在です。人間が分かち合う言葉を「対話」と言います。そうしたら、神様と人間が分かち合う言葉は何ですか?「祈り」です。「祈りとは、人格をもっておられる神様と言葉で分かち合うことです。」だから救われたクリスチャンはだれでも神様との対話が必要です。つまり祈らなければなりません。
赤ちゃんは幼いごろはしゃべることができないのですが、成長すれば言葉を学び、しゃべれるようになります。同じように教会に来て救われたら、祈れるようになります。しかしもし長い間、教会に出席しながらも祈れないのであれば、霊的に口の利けない障害者です。
そして真のクリスチャンの祈りは必ず答えられます。ヘブル人への手紙11:6、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」
私たちは祈るとき、神様が自分の祈りを聞いてくださると信じなければなりません。信仰のない祈りは、ただブツブツしゃべている精神障害者の無意味な言葉にすぎません。自分が祈れば、神様が必ず聞いてくださると信じ、祈り続けなければなりません。
人々によって、祈りの内容は異なります。同じように、祈りの答えも人によって異なります。
私たちはたくさんの祈りをささげますが、答えられる祈りは多くありません。しかし神様は私たちの祈りをすべて聞いてくださいます。ただ私たちが気づいてないだけです。
それでは、神様が私たちの祈りをどういう風に答えられるのかについて分かち合いたいと思います。
1. 神様に祈れば、必ず答えられると信じなければなりません。
クリスチャンの中には、不信仰の者もいます。自分が祈ったのに、答えを期待しないのです。こういう人々は神様から答えが来ても、それを偶然だと思います。
使徒の働き12:5に、「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」と出ます。エルサレム教会の監督であるペテロが投獄されました。すると、教会の人々はみんな教会に集まってペテロが出獄できるように祈ったのです。彼らが祈ると、神様が天使を使わしてペテロを救出してくださいました。天使の助けによって奇跡的に救出されたペテロは教会(ヨハネの母マリヤの家)に行って見ると、信者のみんなが家の戸を閉めて熱心に祈っていました。ペテロが入り口の戸をたたくと、ロダという女中が出て来たのです(12:13)。そしてペテロだと分かると、喜びながら奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っているとみんなに知らせました。しかし彼女の話をみんな信じなかったのです。むしろ彼らは、「あなたは気が変になっている」と言いました(12:15)。
エルサレムの信者たちは神様が自分たちの祈りに答えられたことを信じなかったのです。祈りながらも、祈りに答えられる神様を期待しませんでした。
マルコの福音書11:24、「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」私たちが信じたとおりになります。
ヤコブの手紙1:6-7、「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。」サタンは私たちの祈りを疑いさせます。しかし私たちが疑いさせるサタンの攻撃を打ち破り、祈り続けながら待っていれば、必ず祈ったとおりになります。
自分が祈ったことを信じるとき、神様が働き始めます。
2. 祈りの答えはいろいろな形で現れます。
①神様は聖書のみことばで答えられます。
聖書の66巻の中には、私たちのすべての問題の解決方法が書かれています。だから祈りながら、聖書を読むことを怠ってはなりません。
神様が聖書のみことばを通して答えられるときは普段とは違って、そのみことばが自分の心の中で確信として与えられます。例えば、あるクリスチャンが借金して逃げたある人から連絡をもらって、その人に会う前に、「神様、今日その人に会ったら、どうすれば良いのでしょうか。」と祈ったそうです。そして聖書を読みながら、ヤコブの手紙1:19-20に、「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りには、神の義を実現するものではありません。」というみことばが普段とは違って、特別に感じられたと言いました。これは神様がこのみことばを通して答えられたということです。そのクリスチャンはそのみことばを通して、借金した人に出会えば怒ってはならないと悟り、静かに話をして貸してあげたお金をもらったと言いました。
だから祈りながらも聖書を読むことによって、答えられる知恵ある人になってください。
②神様は夢を通して答えられます。
夢にはいろいろな夢があります。悪夢もあり、良い夢もあります。クリスチャンの夢は霊的夢もあるのです。神様は夢を通して、祈りに答えられるときもあると聖書は語ります。創世記41:32、「夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。」
ヨセフは夢の人です。パロ王は夢を見たのですが、何の夢か分からないときに牢屋にいたヨセフがパロ王に神様からいただいた夢の解き明かしを聞かせて、牢屋から釈放されるのです。そして後に、ヨセフはエジプトの総理大臣になります。
普通の夢はすぐ忘れます。しかし祈りの答えとして与えられる夢は絶対に忘れません。時間が経ってば経つほど、もっと明確になります。これは霊的夢です。
③神様は心の平安を通して答えられます。
あれか、これか選択するとき、祈って見れば、平安が与えられる方があります。そのときは平安の方を選びなさいという主の答えです。ヨハネの福音書14:27、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
祈った後、やって来る心の平安が祈りの答えです。例えば、あるお母さんが子どもの進学の問題で祈ったとき、心に平安が与えられる学校に進学すればいいのです。
結婚の相手のために祈る人々は焦ったり、不安になったら、神のみこころではありません。心の平安が与えられたとき、決めれば大丈夫です。
その他ヨナのように環境を通して答えられたり、牧師や信者同士で相談して答えられたりするときもあります。
3. 答えられる祈りの三段階。
信仰によってささげるすべての祈りには答えがあります。神様からすぐ答えられる祈りもあり、「待ちなさい」と言われるケースもあります。また「今現在が一番良い状態だから他のものを求めるな」という無応答が答えもあります。
①すぐ答えられる祈り。
列王記第二20章で、ヒゼキヤ王が死ぬ病気になったとき、イザヤ預言者はヒゼキヤ王に、「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」と言ったのに、ヒゼキヤ王はその宣告を聞いたとたん、顔を壁に向けて、神様に切に祈ったのです。そのとき、神様は「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。」と言われ、15年も命を延ばしてくださいました。
またルカの福音書8章で、12年の間長血をわずらっていた女が、イエス様の着物に手を出し、触った瞬間、その出血が止まったと出ます。こういう風にすぐ答えられる祈りがあります。
②待ちなさいという答え。
農夫が土に種を蒔き、時を待つように、祈りも時を待つ必要があります。創世記13:16に神様はアブラハムに、「わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。」と約束なさったのです。そして30年後、アブラハムの年、100歳にイサクを与えることによって、その約束を成し遂げるのです。このように祈ってから、長い時間が経って答えられる祈りもあります。だから祈って、すぐ答えられないと思って、疑ったり、あきらめたりしてはなりません。
③無応答が答えの場合がある。
使徒パウロは他人の病気は直しても、自分の病気は直せなかったのです。だから自分の病気が直るように、神様に祈った結果、答えがなかったのです。再び祈っても、病気はそのままでした。三度目に祈ったら、神様はコリント第二12:9に、「わたしの恵みは、あなたに十分である。」と答えられるわけです。神様はパウロに、「あなたは病気のままでいいんだ。それはあなたが高ぶることのないように、一つのとげとしてあなたに残す。」と言われました。だからパウロはむしろ、病気の苦しみが分かったから、たくさんの人々の病気を直してあげたのです。
クリスチャンは神様との対話、つまり祈りが必要です。
神様は信仰の祈りに、必ず答えてくださる全能なる神様です。すべての祈りには意味があり、無駄な祈りは一つもありません。だから必ず答えてくださることを信じて、休まずに祈り続けたいと思います。
人間は対話しながら生きる存在です。人間が分かち合う言葉を「対話」と言います。そうしたら、神様と人間が分かち合う言葉は何ですか?「祈り」です。「祈りとは、人格をもっておられる神様と言葉で分かち合うことです。」だから救われたクリスチャンはだれでも神様との対話が必要です。つまり祈らなければなりません。
赤ちゃんは幼いごろはしゃべることができないのですが、成長すれば言葉を学び、しゃべれるようになります。同じように教会に来て救われたら、祈れるようになります。しかしもし長い間、教会に出席しながらも祈れないのであれば、霊的に口の利けない障害者です。
そして真のクリスチャンの祈りは必ず答えられます。ヘブル人への手紙11:6、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」
私たちは祈るとき、神様が自分の祈りを聞いてくださると信じなければなりません。信仰のない祈りは、ただブツブツしゃべている精神障害者の無意味な言葉にすぎません。自分が祈れば、神様が必ず聞いてくださると信じ、祈り続けなければなりません。
人々によって、祈りの内容は異なります。同じように、祈りの答えも人によって異なります。
私たちはたくさんの祈りをささげますが、答えられる祈りは多くありません。しかし神様は私たちの祈りをすべて聞いてくださいます。ただ私たちが気づいてないだけです。
それでは、神様が私たちの祈りをどういう風に答えられるのかについて分かち合いたいと思います。
1. 神様に祈れば、必ず答えられると信じなければなりません。
クリスチャンの中には、不信仰の者もいます。自分が祈ったのに、答えを期待しないのです。こういう人々は神様から答えが来ても、それを偶然だと思います。
使徒の働き12:5に、「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」と出ます。エルサレム教会の監督であるペテロが投獄されました。すると、教会の人々はみんな教会に集まってペテロが出獄できるように祈ったのです。彼らが祈ると、神様が天使を使わしてペテロを救出してくださいました。天使の助けによって奇跡的に救出されたペテロは教会(ヨハネの母マリヤの家)に行って見ると、信者のみんなが家の戸を閉めて熱心に祈っていました。ペテロが入り口の戸をたたくと、ロダという女中が出て来たのです(12:13)。そしてペテロだと分かると、喜びながら奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っているとみんなに知らせました。しかし彼女の話をみんな信じなかったのです。むしろ彼らは、「あなたは気が変になっている」と言いました(12:15)。
エルサレムの信者たちは神様が自分たちの祈りに答えられたことを信じなかったのです。祈りながらも、祈りに答えられる神様を期待しませんでした。
マルコの福音書11:24、「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」私たちが信じたとおりになります。
ヤコブの手紙1:6-7、「ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。」サタンは私たちの祈りを疑いさせます。しかし私たちが疑いさせるサタンの攻撃を打ち破り、祈り続けながら待っていれば、必ず祈ったとおりになります。
自分が祈ったことを信じるとき、神様が働き始めます。
2. 祈りの答えはいろいろな形で現れます。
①神様は聖書のみことばで答えられます。
聖書の66巻の中には、私たちのすべての問題の解決方法が書かれています。だから祈りながら、聖書を読むことを怠ってはなりません。
神様が聖書のみことばを通して答えられるときは普段とは違って、そのみことばが自分の心の中で確信として与えられます。例えば、あるクリスチャンが借金して逃げたある人から連絡をもらって、その人に会う前に、「神様、今日その人に会ったら、どうすれば良いのでしょうか。」と祈ったそうです。そして聖書を読みながら、ヤコブの手紙1:19-20に、「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りには、神の義を実現するものではありません。」というみことばが普段とは違って、特別に感じられたと言いました。これは神様がこのみことばを通して答えられたということです。そのクリスチャンはそのみことばを通して、借金した人に出会えば怒ってはならないと悟り、静かに話をして貸してあげたお金をもらったと言いました。
だから祈りながらも聖書を読むことによって、答えられる知恵ある人になってください。
②神様は夢を通して答えられます。
夢にはいろいろな夢があります。悪夢もあり、良い夢もあります。クリスチャンの夢は霊的夢もあるのです。神様は夢を通して、祈りに答えられるときもあると聖書は語ります。創世記41:32、「夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。」
ヨセフは夢の人です。パロ王は夢を見たのですが、何の夢か分からないときに牢屋にいたヨセフがパロ王に神様からいただいた夢の解き明かしを聞かせて、牢屋から釈放されるのです。そして後に、ヨセフはエジプトの総理大臣になります。
普通の夢はすぐ忘れます。しかし祈りの答えとして与えられる夢は絶対に忘れません。時間が経ってば経つほど、もっと明確になります。これは霊的夢です。
③神様は心の平安を通して答えられます。
あれか、これか選択するとき、祈って見れば、平安が与えられる方があります。そのときは平安の方を選びなさいという主の答えです。ヨハネの福音書14:27、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
祈った後、やって来る心の平安が祈りの答えです。例えば、あるお母さんが子どもの進学の問題で祈ったとき、心に平安が与えられる学校に進学すればいいのです。
結婚の相手のために祈る人々は焦ったり、不安になったら、神のみこころではありません。心の平安が与えられたとき、決めれば大丈夫です。
その他ヨナのように環境を通して答えられたり、牧師や信者同士で相談して答えられたりするときもあります。
3. 答えられる祈りの三段階。
信仰によってささげるすべての祈りには答えがあります。神様からすぐ答えられる祈りもあり、「待ちなさい」と言われるケースもあります。また「今現在が一番良い状態だから他のものを求めるな」という無応答が答えもあります。
①すぐ答えられる祈り。
列王記第二20章で、ヒゼキヤ王が死ぬ病気になったとき、イザヤ預言者はヒゼキヤ王に、「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。」と言ったのに、ヒゼキヤ王はその宣告を聞いたとたん、顔を壁に向けて、神様に切に祈ったのです。そのとき、神様は「わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたをいやす。」と言われ、15年も命を延ばしてくださいました。
またルカの福音書8章で、12年の間長血をわずらっていた女が、イエス様の着物に手を出し、触った瞬間、その出血が止まったと出ます。こういう風にすぐ答えられる祈りがあります。
②待ちなさいという答え。
農夫が土に種を蒔き、時を待つように、祈りも時を待つ必要があります。創世記13:16に神様はアブラハムに、「わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。」と約束なさったのです。そして30年後、アブラハムの年、100歳にイサクを与えることによって、その約束を成し遂げるのです。このように祈ってから、長い時間が経って答えられる祈りもあります。だから祈って、すぐ答えられないと思って、疑ったり、あきらめたりしてはなりません。
③無応答が答えの場合がある。
使徒パウロは他人の病気は直しても、自分の病気は直せなかったのです。だから自分の病気が直るように、神様に祈った結果、答えがなかったのです。再び祈っても、病気はそのままでした。三度目に祈ったら、神様はコリント第二12:9に、「わたしの恵みは、あなたに十分である。」と答えられるわけです。神様はパウロに、「あなたは病気のままでいいんだ。それはあなたが高ぶることのないように、一つのとげとしてあなたに残す。」と言われました。だからパウロはむしろ、病気の苦しみが分かったから、たくさんの人々の病気を直してあげたのです。
クリスチャンは神様との対話、つまり祈りが必要です。
神様は信仰の祈りに、必ず答えてくださる全能なる神様です。すべての祈りには意味があり、無駄な祈りは一つもありません。だから必ず答えてくださることを信じて、休まずに祈り続けたいと思います。
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