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あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105

コリント人への手紙 第二 1:7-11(絶望が入って来る門を閉じなさい)

投稿者
tbic
投稿日
2025-12-06 16:04
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259
コリント人への手紙 第二 1:7-11『7.私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。8.兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、9.ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。10.ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。11.あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。』

* コリント第二 1章の背景: 激しい苦しみ、苦難(異端の攻撃)の中で、むしろ望みを語ります。7節、「私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。

(1) 望みを抱いている人の普段の特徴。

顔が明るくて、自信満々と生きます。しゃべり方も断固たるしゃべり方です。影響力もあって、周りにいる人々に希望を与えます。

(2) 事例。

① フラシボ効果(Placebo Effect):

不眠症患者の話:ある患者が病院の医者から薬を処方してもらって飲み方や時間、効果について具体的に説明を聞きました。その薬を飲んだら、よく眠るようになったのです。それでお医者さんに尋ねて行って感謝ですと言ったら、お医者さんは「それは薬ではなく、単なる小麦粉でした。」と言いました。その薬に対する信仰が変化をもたらしたのです。

私たちはそれ以上に信じたとおりになります。

② ピグマリオン効果(Pygmalion Effect):

ある高校の学生たちを対象してI.Qテストを行いました。それで適当に一組を選んで、この一組は頭が一番良い組だと先生やその組の学生たちに言ったのです。実は他の組とあまり変わらない学生たちでした。しかし学期が終わってテストの結果、その一組が一番高い点数を取ったのです。先生や学生たちは当たり前だと思いました。理由は学期の中で勉強するときに、先生は学生たちを信頼し、気落ちせず教え続け、学生たちは苦しみの中でも自信満々と期待をもって勉強に励んだからです。期待すれば、期待とおりになります。

(3) この意味は何でしょうか。望みには力があるということを私たちに教えてくれます。

私たちの心は畑です。希望を植えれば希望の実を結び、絶望を植えれば死の実を結びます。だから希望が入って来る「希望の門(Door of Hope)」はいつも開いておいて、絶望が入って来る「絶望の門(Door of Hopelessness)」はちゃんと閉じておく必要があります。

[質問] そうしたら、絶望は私たちにどういう風に入って来るのでしょうか。

① 「自分自身」をテーマにして入って来ます。

② 「」をテーマにして入って来ます。

③ 「現実」をテーマにして入って来ます。
  1. 絶望は「自分自身」をテーマにして入って来ます。
今日の本文、8-9節、「兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危うくなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

* 「もはや自分自身を頼まず

1) 絶望する人々の特徴。

いつも自分自身をテーマにして生きます。そうしたら、悪魔はこれをもって私たちを攻撃します。例えば、無能な自分自身、誠実さのない自分自身などで責められます。

2) 悪魔の攻撃は説得力があり、事実のように見えます。

しかしそれは違います。それはイエス様の十字架の血潮によって贖われた私たちを騙し取っていることです。

3) だから大事な話は、「神様をテーマ」にして話さなければなりません。

それが希望の可能性(神様の可能性=100%)を逃さない知恵です。つまり自分自身を見るのではなく、神様の可能性を見ながら新しい始まりを希望することです。だからウソをつく悪魔の話に耳を傾けることは絶対にダメです。

コリント第二5:17. 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

これは必ず言うべきみことばであって、これを取り除いて言うことは正しい話ではありません。

すべての考えを自分自身のテーマで満たせば、必ず滅びます。しかし神様のテーマ(神の観点)で満たせば、必ず神の栄光を見ます。

ピリピ4:13、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」 しかし自分だけ見つめれば、何もできません。

[参考] 最近の死亡の原因の統計。

① 結果: 癌 < 脳血管疾患 < 心臓血管疾患 < 自殺(Suicide)

自殺は交通事故の死亡率よりも高いのです。

② 自殺する人々の特徴。

すべてが「自分」、自己中心的な人々です。彼らはいつも自分を黙想するから死を選びます。

* 神様を黙想しなければ、絶望から逃れることはできません。

例/ ある人の娘の話です。娘が友達からいじめられたそうです。理由はあごが長いからです。友達から、「お前はなぜ、そんなにあごが長いの?アントニオ・猪木の娘?」とからかわれました。これを聞いたその子はショックを受けたのです。それが事実だからです。しかしその子のお父さんはその子にこう言ったのです。「パパが見てもお前のあごは長い。でも、そのあごは神様から与えられたものである。その理由はお前が願ってもないし、パパが願ったことでもない。ほら、パパはあごが長くないじゃない。パパに似てないよ、お前は。だから神様から与えられたあごでしょう。神様から与えられたのであれば、きっと理由がある。これからパパが神様に祈るから大丈夫。次の三つの中で一つになるから大丈夫だ。」と言いました。そして次の三つを予言したのです。① お前はまだ小さいからパパが祈れば、神様はお前のあごを短くしてくださるよ。もしそれがだめだったら、②神様がパパにお金をたくさんくださって、お前のあごの手術ができるように導くだろう。それも違うのであれば、③お前はそのあごのおかげで人生がうまく行くだろうと言ったのです。

皆さん、自分の人生に集中するのではなく、「神様から与えられた人生」だから神様に集中すれば、人生の解釈が変わることを覚えてください。
  1. 絶望は私たちの「」をテーマにして入って来ます。
今日の本文、コリント第二1:10、「ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

* 人間の究極的な死: すべての人は罪によって必ず死にます。

1) 悪魔はいつも「お前の罪のせいで神様はお前を赦すはずがない」とささやきます。そして私たちを罪に定めます。私たちは罪を犯したから、その悪魔の支配下にいるのです。例)ノンクリスチャンは私たちクリスチャンに(1)お前は本当にずうずうしい。(2) 人生を楽に過ごしていると言います。その話を聞いていれば、それが正しいから私たちは恥ずかしくなります。

2) 現場で姦淫をして捕まえられた女性の話が、ヨハネの福音書8章に出ます。

① 律法を持って攻撃する社会。

ヨハネの福音書8:5で人々は訴える。「モーセは律法の中で、こういう女を石打にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」明確な記録をもって、人々は私たちを攻撃します。しかしそれは間違った方法です。

② いつも律法は十字架の赦しを前提しています。

律法は正しいのですが、私たちは十字架の血潮によって生きるようになったと言わなければ、福音が福音になれません。しかし十字架の赦しを言った瞬間、本物の福音となります。だから私たちは律法を伝えるのではなく、その罪人のために十字架を負い、死んでくださったイエス様を伝えなければなりません。

ローマ人への手紙5:8、「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

* 罪の問題は神様の領域。

① 悪魔の攻撃。

悪魔はいつも罪の問題を私たちが自ら解決しなければならないと訴えます。「責任とれ」と責めるのです。

だから悪魔がやっていることは希望ではなく、絶望しかありません。

② しかし人間は罪の問題を解決できないからイエス様が来られ、十字架を負い、罪の問題を解決してくださいました。

イザヤ書53:5-6、「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

私たちはみんな重荷があるから、絶望の中で生きます。しかし自分が解決しようとする努力ではなく、十字架を握り締め、私のような罪人を生かした十字架の力は素晴らしいと告白すれば良いのです。

[参考] Victor Hugoのレ・ミゼラブル(Les Miserables)。

① 律法を現す人としてのジャベール警官はひたすら正義だけを追い求める人物です。ジャベールを見ますと、人生の中で休みがありません。本当に疲れる人生であることが分かります。他人を罪に定めなければ、自分を苦しめる姿で現れます。こういう人々は一生涯平安がないのです。後にジャン・バルジャンがジャベールを殺すことができるのに、生かしてあげます。ジャン・バルジャンの赦しの恵みを経験したジャベールは戸惑います。ここでジャベールは「自分が間違った」と告白すれば良いのに、人生を変えられずに自殺してしまいます。律法の最後は死です。

② 主人公のジャン・バルジャンは哀れみを受ける人、赦された人として現れます。彼は誤解されやすい険悪な怖い顔つきですが、心はやさしくて親のいない飢えているおいたちのためにパンを盗んだのです。しかし逮捕され、牢屋に入れられます。おいたちを考え、脱獄するのですが、再び捕まえられ、19年間投獄されます。その後、出獄したジャン・バルジャンは行くところがないので、ミリエル神父の所に行って助けを受けます。しかし教会の中にある銀の皿を見て、それを盗んで逃げます。再び逮捕され、「神父からそれをもらった」と言って教会の方に戻されます。神父ミリエルはジャン・バルジャンを見て、「なぜ皿だけもって行ったのか?燭台ももって行かないと。」と言いながら、ジャン・バルジャンに「私からのプレゼントを受け取るときに、正直に正しく生きると言ったあなたの言葉を覚えなさい。」と言って分かれます。赦しの恵みを通して、ジャン・バルジャンは変えられるのです。

③ 成功した後、ジャン・バルジャンはコゼットを養子の娘とします。そして死ぬ前にコゼットを呼んで、銀の燭台(=赦しの十字架)を持って来るようにと言いながら、あれを下さった方が天国で待っていると、自分が死んでどこにでも埋めてもかまわないと、そして押し入れにある500francは貧しい人々に分け与えなさいと言います。「赦しの人生を生きなさい」ということです。

④ またコゼットに「お母さんのファンテーヌを知っているか」と聞きながら、お前のお母さんはお前を捨てたのではなく、お前を最後まで愛した方だと。だから「その名を呼ぶときは必ずひざまづいて呼びなさい」と頼んでから死にます。最後まで赦しを語っているのです。結局、赦された人が最後まで赦しを叫んでいる小説がまさに、レ・ミゼラブルです。これは十字架の赦しを意味します。そして赦さなければ、決して人生は美しく変わらないという物語です。罪に定めることは人を生かせず、ただ殺すだけです。赦すことだけが人を生かせます。

罪に定めることが社会を支配すれば、耐えられない社会となります。しかし私たちが十字架の赦しのメッセージを語るのであれば、この社会と魂は回復します。

ヨハネの福音書8章に、現場で捕らえられた姦淫の女について、イエス様は律法主義者たちに何と言うのでしょうか。7節、 『彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」』と言われてから、姦淫の女と二人っきりになったとき、イエス様は彼女に、10-11節、『婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」』と言われます。赦しを受けたこの女性は希望が与えられたのです。だから十字架を通して赦されたときに希望が与えられ、道が開かれるのをぜひ覚えましょう。
  1. 絶望は「現実」をテーマにして入って来ます。
今日の本文、コリント第二1:11、「あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。

* 私たちはこの世より大きい神様を握り締めなければなりません。

1) この世は現実の危険と大変さを言っています。

だから権力の力、お金の力を強調するのです。それで私たちはこの世の危険と大変さに絶望してしまいます。

2) しかしこんな状況の中でも私たちはこの世より大きい神様を握り締めなければなりません。

この世が大きければ大きいほど、それよりもっと大きな神様の力を握り締めれば必ず勝利します。

[参考1] J. B. ピリプス牧師先生は、第2次世界大戦後にイギリスのハーレム街で孤児たちの働きをします。子供たちが落ち込んで何もできない姿を見て、「あなたの神はあまりにも小さい。(Your God is too Small)」と言って、最初から「大きな神様(すべてを支配し、すべてを打ち勝つ神様)」を教えます。こういう教育を通して、後にイギリスを導いたたくさんの人材を、その孤児院で輩出しました。

[参考2] リンカーン大統領は生まれた環境がものすごく悪いのです。お父さんは無知な人で、お母さんも半分は狂った人でした。それもリンカーンの8歳のときに亡くなるのです。しかしそんな悪い環境の中でも、リンカーンはただ大きい神様だけを握り締めました。彼は聖書を通して、大きな神様に出会いました。

* 現実を打ち勝つ力: 大きい神様を見上げることです。

現実を見れば絶望するのですが、大きい神様を見上げれば希望が与えられ、いのちを得ます。

例) 1cmの傷: 小さなねずみには死をもたらす打撃ですが、大きな象さんには傷に当たりません。だから私たちも小さいから、小さい傷に反応するのです。結局、現実より大きな神様を見上げながら生きるのであれば、現実のいろいろな挑戦はちゃんと乗り越えられます。
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