メッセージ
あなたのみことばは, 私の 足のともしび, 私の 道の 光です.
詩篇 119:105
ルカの福音書2:1-11(大きな喜びの知らせ)
投稿者
tbic
投稿日
2025-12-13 11:39
閲覧数
192
ルカの福音書2:1-11『1.そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。2.これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。3.人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。4.ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5.身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。6.ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、7.男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。8.さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。9.すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10.御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。11.今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」』
早いもので、12月になり、あっという間に一年が経ってしまいます。この12月は教会にとって、一番忙しい時期です。なぜなら、イエス様がお生まれになった記念の月だからです。来週はクリスマスの集会がありますが、ぜひ祈って参加して頂きたいと思います。クリスマスはイエス様の誕生日を祝っていますが、それで「ハッピー」です。世界で「一番の喜びの月」が、まさに12月です。本当に感謝です。
今日、読んで頂いた聖書の箇所はイエス様のお生まれの知らせが、どのように告げられたのかが、述べられていました。今日の本文の2:8-9、『さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。』
皆さん、どうでしょうか。羊飼いたちの心境にもなってみてください。羊飼いたちは通常の業務のただ中だったわけです。彼らは野宿で、羊たちが逃げないよう番をしていたわけです。逃げないというよりも、夜は猛獣が羊を襲うのです。だから羊飼いたちはたき火をしながら見張っていたのです。そんな所に突然、天の郡勢が現れて、2:10-11、『御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』
救い主の誕生を告げ知らせたわけです。羊飼いたちは当時のイスラエルにおいては、社会の片隅に追いやられ、不安がいっぱいな人たちでした。彼らはユダヤ人ではありません。ユダヤ人たちは羊なんか飼っていないのです。飼っているのは、ユダヤ人たちから「異邦人」と呼ばれるアラブ人たち、ベドウィンと呼ばれる遊牧民たちです。季節と共に砂漠を移動する人たちが羊を飼っているのです。国籍も持たない、定住地も持たない、明日はどこに行くのか分からないような人たち、夜も羽布団で寝るのではなく、固い岩の上に寝なければならない人たちの所に、喜びの知らせが最初に届いたのです。
『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』
「あなたがた」って誰でしょうか。羊飼いたちです。最初にメッセージが届いたのは王宮でもなく、金持ちの家でもありませんでした。今日ベドウィンと呼ばれている、遊牧民の所に届いたのです。神様はどういう人たちに目を向けておられるのかというと、行き先不安の、心配の中、苦しみの中に生きている人々の所に喜びの知らせを届けてくださるのです。ベドウィンたちだけでなく、全世界に住む、恐れの中、束縛の中、不安の中で生きている人たちのために、イエス様は生まれてくださったのです。教会にハッピーな事があって来る人はほとんどいません。大体行き先が不安になって教会を訪れるわけです。しかしそこに神の救いのメッセージが届けられるのです。
最初にメッセージが届いたのは、今年は西暦2025年ですが、2025年も前のことです。しかし西暦は原点で4年の誤差があると言われますから、多分2029年前のことです。日本の時代区分で言ったら、「縄文時代」です。日本が始まった頃、何とイスラエルにおいて、救い主がお生まれになったのです。以来、二千年以上に渡って、全世界に救いの知らせが響いているのです。こういう風にイエス様の誕生が全世界で祝われていることは、ただ事ではありません。嘘だったら、途中で消えてしまったはずです。二千年以上に渡って、ただ一人の人物の誕生日を盛大に祝っているのは、よほど人類にとって、喜ばしい知らせに違いありません。
イエス様の誕生は、すでに旧約聖書の中に預言されていました。聖書は66冊の本が一冊にまとめられた本です。だから脈略があるのが当然のように考えるのですが、実は66冊の本が地域も、時代も、著者も違って一冊にまとめられた本です。それでも一貫性があるということは、これは世界の七不思議のひとつです。どうして、こんな本ができたのでしょうか。
イエス様がお生まれになる七百年前、預言者イザヤが現れて、イエス様の誕生について預言しました。BC7世紀のことですから、今から2700年くらい前の事です。日本の時代区分なら、縄文時代を飛び越えて、石器時代です。そういう時代、既にイエス様の誕生がイザヤによって預言されていました。それが有名なイザヤ書61章にあります。1-3節、『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。』
「わたし」とは、イエス様のことを表しています。イエス様は地上に何のために来てくださったか、それは『貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。』と告げられています。
先ほどルカの福音書2章の紀元元年のクリスマスメッセージと、紀元前7世紀に、イザヤに神が語られたメッセージをつきあわせてみると、何の矛盾もありません。まさしくイエス様は心の傷ついた、国籍を持たない、国々から追い出され、砂漠を旅していた人たちにメッセージを届けられたのです。「捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ」とあります。最も捕われていた人たちに来てくださり、福音を宣べられたのです。
皆さん、刑務所と会社、どっちが幸せでしょうか。私は以前、ある方が書いた文章を読んで、日本人は本当に捕われているなと思いました。「刑務所と会社、どっちが幸せ?」というのがありまして、それを見たら、刑務所の方が会社よりも自由だなと思ったのです。
刑務所:三度の食事が無料。 会社:一食だけど自費。
刑務所:まじめに働けば、早く出られる。 会社:まじめに働けば、仕事が増える。
刑務所:専用トイレ。 会社:共用トイレ。
刑務所:経費は税金で支払われる。 会社:給料から税金が引かれる。
刑務所:見張りがいる。 会社:見張りがたくさんいる。
いや!私たちは自由だと思いますが、刑務所よりも、ひどい社会に住んでいるのかもしれません。人類は自由を求めましたが、実は自由ではないのです。
この頃、大きな社会問題があります。それは子どもたちの間にありますが、私たちは現代の子どもたちを守らなければなりません。子どもたちを自由にするために与えているアイテムが実は子どもたちを縛っているのです。それは何かというと「ゲーム」です。ゲームって、日常から解放され、すごく楽しく感じるかもしれません。しかしのめり込むと、そこから出ることができなくなるのです。
「子どものゲーム依存度」と言うのが、ある本に出ていました。初めは〇〇段階から始まります。
〇〇段階:ゲームに興味を持たない。
〇段階:ゲームを欲しがるが、持ってはいない。
一段階:時々プレーする。
二段階:週に一、二回。
三段階:毎日一時間。
四段階:毎日二時間。
五段階:毎日三、四時間。
六段階:ゲームをしないと、落ち着かない。不登校。引きこもりになる。
五段階、六段階になったら、治療しないと、ほとんど自分では抜け出せないと言われています。どうでしょうか。ゲームって、楽しいと思ってやるのですが、しかしだんだんと、牢屋の中に入って行くようなものです。抜け出すことができなくなります。
子どもたちはゲームが楽しいと思ってやっていますが、ちょっとずつ、ちょっとずつ、悪魔に餌をまかれ、捕虜となってしまうのです。一度捕まえられたら、最も体力がある十代の若者でさえ、抜け出すことができなくなります。一番自由に体が動く年代でも、一度捕まったら離れることはできません。子どもたちに、むやみにゲーム機やスマホを渡さないように注意しなければなりません。
小さい子が泣いたりすると親たちはつい、スマホを渡してしまいます。渡すと、小さい子がすごい集中力でユーチューブを見たり、ゲームをやります。「私が高校受験や大学受験の時に、このくらいの集中力があったら、どこの学校にでも入ったな…」と思うくらいの集中力です。このまま歳を重ねていったら、どういうことになりますか。みんなメディアの奴隷になります。
しかしイエス様は、そのような奴隷を解放するために来てくださったのです。「捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、」縛られ、苦しめられている人たちを解放するために来られたのです。スマホやゲームで縛られ、どうにもならない子どもたちを解放するためにも、イエス様はこの地上に来てくださったのです。良い知らせではないでしょうか。どこに行っても、解放できない事柄を解放してくださるのは、イエス様だけです。
イエス様は神ですから、天にいて、私たち人類を操作することも簡単にできたはずです。なぜなら、私たちを創られた方ですから。地上にまで来なくて、天にあるコンピューターの前に座って、遺伝子か何かをちょっと操作したら、私たちは変わったと思います。しかし何と神がご自分のポジションを捨て、地上に来てくださったところに、クリスマスのすばらしさがあるのです。
ヘブル人への手紙2:14-15、「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」
私たち人類は神の創造の産物ですが、ちりを原型とした血と肉を持って創られました。私たち人間は肉体の中に血液を流し、その中に命の息を吹き込まれて生き物となりました。このような肉体を持った生物として、人は地上に創造されました。
神は高次元に生きる生物をも創られたのです。身体なんかいなくて、存在できる生物も事実、創られたのです。しかし人間とは、肉と血があるのです。不自由な身体の中に一定期間、閉じ込められている生物です。そのため、身体を持たないで生きている高次元に住むような生物、すなわち天使たちや、悪魔・悪霊どもとは違った特殊な存在が人間です。
人間ははっきり言って、結構面倒くさい存在です。一日に三回食事をしなければいけません。朝起きたらご飯を食べないと、お腹が空いて仕事ができないのです。お昼なんて、朝食から考えたら、ほんの数時間後です。それでまた食料を補給しないと、生きることができません。車だって、一週間、二週間に一回ガソリンを入れたら持ちます。しかし人間はややこしいです。数時間経ったら、すぐにお腹が空くのです。
しかし神様はすばらしいお方です。数時間で補給しなければならない不自由な生物として造られた人間ですが、そんな中、一番の楽しみは何でしょうか。やはり「食べること」です。食べることが一番の楽しみです。最も不自由な中に、神は「自由と喜び」を与えて下さいました。神の業は最も不自由なところから、最高の自由が出てくるのです。しかし悪魔の働きはその逆で、自由に見せかけ、実は不自由にします。
神様は人間をただ創っただけでなく、人間の世界に来られて、人間目線で人の苦しみ、悲しみ、不自由さを体験して下さいました。すごいことです。遠くから遠隔操作ではなく、現場目線で私たちの所に降りて来て「人間って、こんなにお腹が空くもんか。人を地上に造ったけれど、体験してみると、結構大変なもんだ。家庭の中にも、いろいろと問題が起きるもんだな。仕事もしなきゃいけないのか。」と実際に体験して下さったのがイエス様です。
人って悲しいことに、一日の中で最高の時間を労働に奪われています。朝の8時くらいから午後の5時ごろまで、一番明るく、暖かく、過ごしやすい時間は労働に奪われています。会社とか仕事にとられています。どうでもいいような夜とか、朝早くしか、自由時間はないのです。本当に不自由です。現代人は最低でも8時間は仕事をしないといけません。残業なんかあったら、12時間以上、働いておられる方もいます。
実は、縄文時代は今から二千年くらい前ですが、ある本を読んだら、彼らが働いていたのは4時間ほどだったそうです。彼らは狩猟民族でした。「あそこに魚がいるぞ!あそこに動物がいるぞ!捕れ!」とか言って4時間ほど仕事をして、後は歌を歌ったり、踊ったり、飲んだり、食べたりして遊んでいたというのです。現代はどうでしょうか。人類は発展してきたというのですが、全然発展してないのです。進化なんかしていません。労働時間は倍になったわけですから、どんどん不自由度が増しています。
二千年前、日本は縄文時代でしたが、同じ頃、イスラエルはローマ帝国が支配していました。日本では、狩猟民族が原始的な生活をしていましたが、同時代ローマ帝国では、現代社会の基礎となった都市型社会がすでに発展していました。現代と同じような社会がローマ帝国を中心として、すでに出来上がっていたわけです。ということは、イエス様は、今の私たちと同じような都市型社会を体験されたのです。だからイエス様は現代人の苦しみ、悲しみを現場で体験したお方です。どういう家に生まれたかと言うと、大工の家でした。誰も知らないヨセフとマリアの家庭にお生まれになったわけです。神様だからどこに生まれても良かったのです。天から地球を見て、「どこに生まれようかな。そうだ。王様の家の皇太子になろう!」ということも出来たはずです。しかしそうではなかったのです。馬小屋に生まれ、当時一番大変な社会にわざわざ生まれたのです。そして人間の生活のすべてを体験してくださいました。
私たちも体験すると、今までになかった思いやりとか、哀れみの心が生まれてきます。皆さんもそうだと思います。私は食物アレルギーを持つある子どもの話を聞いたことがあります。調べてみたら、小麦、卵、牛乳、乳製品、大豆など、全て駄目です。どうでしょうか。小麦、卵、乳製品などを抜いて食事をしようとすると、ほとんど食べるものがありません。私は道ばたに落ちている物も拾って食べる人だから、選んで食べなければいけないなんて、考えられないことです。しかしそれらをちょっと食べても、一瞬にして湿疹が体中に出るわけです。そのような子どもたちがあふれているのが現実です。それを知って、ショックでした。また日光に当たるだけでもアレルギー反応を起こすとか、米も食べられない子もいるそうです。米も、北海道の方で作っている超まずい一つの銘柄しか食べられない子もいるそうです。
やはりそういうことを体験すると、その領域に目が向き、哀れみの心が湧いてきます。世間には、それ以上の子どもたちが多くいるという現実に目を向けるようになりました。それで、そういう子どもたちのためにも真剣に祈るようになりました。
ある方は教会に来るきっかけとなったのは、あまり嬉しくないことがあって、来られた方もいらっしゃいます。「本当につらかった。思い出すだけで涙が出る。」と。それぞれ、いろんな体験の中で、あまり嬉しくないようなことで教会に来るのですが、そこから祝福が溢れてくるのです。イエス様も一番大変な領域に生まれ、同情心や哀れみの心を自らが体験してくださいました。その上で私たちを助けてくださるのです。イエス様は決して上からの目線で助ける方ではなく、同じ目線で私たちに救いを与えてくださいます。しかも主は神ご自身ですから、本当に私たちを助けることができ、捕われ人を解放することができるわけです。
人間は誰でも、いろんな問題を持っています。助けを模索しています。しかしなかなかうまくいきません。でも人類のすべてを体験してくださり、助け手を伸ばして下さるイエス様と出会うなら、その人には大きな喜びの知らせが届くわけです。「捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ」とイエス様は言われます。
人類は魚に例えたら、鮭みたいな存在かもしれません。卵の時も狙われ、稚魚になって、海まで下り、何千キロも旅をして生まれた川に戻ってきます。そこまでも常に敵がいます。川に戻れば急流で、力を振り絞ってさかのぼっていくのです。でも最後の最後まで、北極熊やいろんな敵が待っています。こんなアラスカの映像がありました。
しかしイエス様は私たちが食われる寸前、敵から助けてくださるお方です。食われそうな方がおられても、心配しないでください。イエス様が命がけで川に飛び込んで助けてくだいますから、ご安心ください。最後にお祈りをして、今日のメッセージを終わりたいと思います。
ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。あなたはすばらしい神様です。私たちを命がけで助けるために、この地上に来てくださいました。ありがとうございます。私たちに良い知らせが届いていることを心から感謝します。人生の中には、様々な出来事がありますが、その事さえ使い、哀れみの心を与えて、同情心を養い、成長させてくださることを心から感謝をいたします。私たちはあなたの御前にいます。あなたの助けを必要としています。今日ここに、地上を体験されたイエス様がおられることを心から感謝いたします。この時を心から感謝し、イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
早いもので、12月になり、あっという間に一年が経ってしまいます。この12月は教会にとって、一番忙しい時期です。なぜなら、イエス様がお生まれになった記念の月だからです。来週はクリスマスの集会がありますが、ぜひ祈って参加して頂きたいと思います。クリスマスはイエス様の誕生日を祝っていますが、それで「ハッピー」です。世界で「一番の喜びの月」が、まさに12月です。本当に感謝です。
今日、読んで頂いた聖書の箇所はイエス様のお生まれの知らせが、どのように告げられたのかが、述べられていました。今日の本文の2:8-9、『さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。』
皆さん、どうでしょうか。羊飼いたちの心境にもなってみてください。羊飼いたちは通常の業務のただ中だったわけです。彼らは野宿で、羊たちが逃げないよう番をしていたわけです。逃げないというよりも、夜は猛獣が羊を襲うのです。だから羊飼いたちはたき火をしながら見張っていたのです。そんな所に突然、天の郡勢が現れて、2:10-11、『御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』
救い主の誕生を告げ知らせたわけです。羊飼いたちは当時のイスラエルにおいては、社会の片隅に追いやられ、不安がいっぱいな人たちでした。彼らはユダヤ人ではありません。ユダヤ人たちは羊なんか飼っていないのです。飼っているのは、ユダヤ人たちから「異邦人」と呼ばれるアラブ人たち、ベドウィンと呼ばれる遊牧民たちです。季節と共に砂漠を移動する人たちが羊を飼っているのです。国籍も持たない、定住地も持たない、明日はどこに行くのか分からないような人たち、夜も羽布団で寝るのではなく、固い岩の上に寝なければならない人たちの所に、喜びの知らせが最初に届いたのです。
『今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』
「あなたがた」って誰でしょうか。羊飼いたちです。最初にメッセージが届いたのは王宮でもなく、金持ちの家でもありませんでした。今日ベドウィンと呼ばれている、遊牧民の所に届いたのです。神様はどういう人たちに目を向けておられるのかというと、行き先不安の、心配の中、苦しみの中に生きている人々の所に喜びの知らせを届けてくださるのです。ベドウィンたちだけでなく、全世界に住む、恐れの中、束縛の中、不安の中で生きている人たちのために、イエス様は生まれてくださったのです。教会にハッピーな事があって来る人はほとんどいません。大体行き先が不安になって教会を訪れるわけです。しかしそこに神の救いのメッセージが届けられるのです。
最初にメッセージが届いたのは、今年は西暦2025年ですが、2025年も前のことです。しかし西暦は原点で4年の誤差があると言われますから、多分2029年前のことです。日本の時代区分で言ったら、「縄文時代」です。日本が始まった頃、何とイスラエルにおいて、救い主がお生まれになったのです。以来、二千年以上に渡って、全世界に救いの知らせが響いているのです。こういう風にイエス様の誕生が全世界で祝われていることは、ただ事ではありません。嘘だったら、途中で消えてしまったはずです。二千年以上に渡って、ただ一人の人物の誕生日を盛大に祝っているのは、よほど人類にとって、喜ばしい知らせに違いありません。
イエス様の誕生は、すでに旧約聖書の中に預言されていました。聖書は66冊の本が一冊にまとめられた本です。だから脈略があるのが当然のように考えるのですが、実は66冊の本が地域も、時代も、著者も違って一冊にまとめられた本です。それでも一貫性があるということは、これは世界の七不思議のひとつです。どうして、こんな本ができたのでしょうか。
イエス様がお生まれになる七百年前、預言者イザヤが現れて、イエス様の誕生について預言しました。BC7世紀のことですから、今から2700年くらい前の事です。日本の時代区分なら、縄文時代を飛び越えて、石器時代です。そういう時代、既にイエス様の誕生がイザヤによって預言されていました。それが有名なイザヤ書61章にあります。1-3節、『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。』
「わたし」とは、イエス様のことを表しています。イエス様は地上に何のために来てくださったか、それは『貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。』と告げられています。
先ほどルカの福音書2章の紀元元年のクリスマスメッセージと、紀元前7世紀に、イザヤに神が語られたメッセージをつきあわせてみると、何の矛盾もありません。まさしくイエス様は心の傷ついた、国籍を持たない、国々から追い出され、砂漠を旅していた人たちにメッセージを届けられたのです。「捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ」とあります。最も捕われていた人たちに来てくださり、福音を宣べられたのです。
皆さん、刑務所と会社、どっちが幸せでしょうか。私は以前、ある方が書いた文章を読んで、日本人は本当に捕われているなと思いました。「刑務所と会社、どっちが幸せ?」というのがありまして、それを見たら、刑務所の方が会社よりも自由だなと思ったのです。
刑務所:三度の食事が無料。 会社:一食だけど自費。
刑務所:まじめに働けば、早く出られる。 会社:まじめに働けば、仕事が増える。
刑務所:専用トイレ。 会社:共用トイレ。
刑務所:経費は税金で支払われる。 会社:給料から税金が引かれる。
刑務所:見張りがいる。 会社:見張りがたくさんいる。
いや!私たちは自由だと思いますが、刑務所よりも、ひどい社会に住んでいるのかもしれません。人類は自由を求めましたが、実は自由ではないのです。
この頃、大きな社会問題があります。それは子どもたちの間にありますが、私たちは現代の子どもたちを守らなければなりません。子どもたちを自由にするために与えているアイテムが実は子どもたちを縛っているのです。それは何かというと「ゲーム」です。ゲームって、日常から解放され、すごく楽しく感じるかもしれません。しかしのめり込むと、そこから出ることができなくなるのです。
「子どものゲーム依存度」と言うのが、ある本に出ていました。初めは〇〇段階から始まります。
〇〇段階:ゲームに興味を持たない。
〇段階:ゲームを欲しがるが、持ってはいない。
一段階:時々プレーする。
二段階:週に一、二回。
三段階:毎日一時間。
四段階:毎日二時間。
五段階:毎日三、四時間。
六段階:ゲームをしないと、落ち着かない。不登校。引きこもりになる。
五段階、六段階になったら、治療しないと、ほとんど自分では抜け出せないと言われています。どうでしょうか。ゲームって、楽しいと思ってやるのですが、しかしだんだんと、牢屋の中に入って行くようなものです。抜け出すことができなくなります。
子どもたちはゲームが楽しいと思ってやっていますが、ちょっとずつ、ちょっとずつ、悪魔に餌をまかれ、捕虜となってしまうのです。一度捕まえられたら、最も体力がある十代の若者でさえ、抜け出すことができなくなります。一番自由に体が動く年代でも、一度捕まったら離れることはできません。子どもたちに、むやみにゲーム機やスマホを渡さないように注意しなければなりません。
小さい子が泣いたりすると親たちはつい、スマホを渡してしまいます。渡すと、小さい子がすごい集中力でユーチューブを見たり、ゲームをやります。「私が高校受験や大学受験の時に、このくらいの集中力があったら、どこの学校にでも入ったな…」と思うくらいの集中力です。このまま歳を重ねていったら、どういうことになりますか。みんなメディアの奴隷になります。
しかしイエス様は、そのような奴隷を解放するために来てくださったのです。「捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、」縛られ、苦しめられている人たちを解放するために来られたのです。スマホやゲームで縛られ、どうにもならない子どもたちを解放するためにも、イエス様はこの地上に来てくださったのです。良い知らせではないでしょうか。どこに行っても、解放できない事柄を解放してくださるのは、イエス様だけです。
イエス様は神ですから、天にいて、私たち人類を操作することも簡単にできたはずです。なぜなら、私たちを創られた方ですから。地上にまで来なくて、天にあるコンピューターの前に座って、遺伝子か何かをちょっと操作したら、私たちは変わったと思います。しかし何と神がご自分のポジションを捨て、地上に来てくださったところに、クリスマスのすばらしさがあるのです。
ヘブル人への手紙2:14-15、「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」
私たち人類は神の創造の産物ですが、ちりを原型とした血と肉を持って創られました。私たち人間は肉体の中に血液を流し、その中に命の息を吹き込まれて生き物となりました。このような肉体を持った生物として、人は地上に創造されました。
神は高次元に生きる生物をも創られたのです。身体なんかいなくて、存在できる生物も事実、創られたのです。しかし人間とは、肉と血があるのです。不自由な身体の中に一定期間、閉じ込められている生物です。そのため、身体を持たないで生きている高次元に住むような生物、すなわち天使たちや、悪魔・悪霊どもとは違った特殊な存在が人間です。
人間ははっきり言って、結構面倒くさい存在です。一日に三回食事をしなければいけません。朝起きたらご飯を食べないと、お腹が空いて仕事ができないのです。お昼なんて、朝食から考えたら、ほんの数時間後です。それでまた食料を補給しないと、生きることができません。車だって、一週間、二週間に一回ガソリンを入れたら持ちます。しかし人間はややこしいです。数時間経ったら、すぐにお腹が空くのです。
しかし神様はすばらしいお方です。数時間で補給しなければならない不自由な生物として造られた人間ですが、そんな中、一番の楽しみは何でしょうか。やはり「食べること」です。食べることが一番の楽しみです。最も不自由な中に、神は「自由と喜び」を与えて下さいました。神の業は最も不自由なところから、最高の自由が出てくるのです。しかし悪魔の働きはその逆で、自由に見せかけ、実は不自由にします。
神様は人間をただ創っただけでなく、人間の世界に来られて、人間目線で人の苦しみ、悲しみ、不自由さを体験して下さいました。すごいことです。遠くから遠隔操作ではなく、現場目線で私たちの所に降りて来て「人間って、こんなにお腹が空くもんか。人を地上に造ったけれど、体験してみると、結構大変なもんだ。家庭の中にも、いろいろと問題が起きるもんだな。仕事もしなきゃいけないのか。」と実際に体験して下さったのがイエス様です。
人って悲しいことに、一日の中で最高の時間を労働に奪われています。朝の8時くらいから午後の5時ごろまで、一番明るく、暖かく、過ごしやすい時間は労働に奪われています。会社とか仕事にとられています。どうでもいいような夜とか、朝早くしか、自由時間はないのです。本当に不自由です。現代人は最低でも8時間は仕事をしないといけません。残業なんかあったら、12時間以上、働いておられる方もいます。
実は、縄文時代は今から二千年くらい前ですが、ある本を読んだら、彼らが働いていたのは4時間ほどだったそうです。彼らは狩猟民族でした。「あそこに魚がいるぞ!あそこに動物がいるぞ!捕れ!」とか言って4時間ほど仕事をして、後は歌を歌ったり、踊ったり、飲んだり、食べたりして遊んでいたというのです。現代はどうでしょうか。人類は発展してきたというのですが、全然発展してないのです。進化なんかしていません。労働時間は倍になったわけですから、どんどん不自由度が増しています。
二千年前、日本は縄文時代でしたが、同じ頃、イスラエルはローマ帝国が支配していました。日本では、狩猟民族が原始的な生活をしていましたが、同時代ローマ帝国では、現代社会の基礎となった都市型社会がすでに発展していました。現代と同じような社会がローマ帝国を中心として、すでに出来上がっていたわけです。ということは、イエス様は、今の私たちと同じような都市型社会を体験されたのです。だからイエス様は現代人の苦しみ、悲しみを現場で体験したお方です。どういう家に生まれたかと言うと、大工の家でした。誰も知らないヨセフとマリアの家庭にお生まれになったわけです。神様だからどこに生まれても良かったのです。天から地球を見て、「どこに生まれようかな。そうだ。王様の家の皇太子になろう!」ということも出来たはずです。しかしそうではなかったのです。馬小屋に生まれ、当時一番大変な社会にわざわざ生まれたのです。そして人間の生活のすべてを体験してくださいました。
私たちも体験すると、今までになかった思いやりとか、哀れみの心が生まれてきます。皆さんもそうだと思います。私は食物アレルギーを持つある子どもの話を聞いたことがあります。調べてみたら、小麦、卵、牛乳、乳製品、大豆など、全て駄目です。どうでしょうか。小麦、卵、乳製品などを抜いて食事をしようとすると、ほとんど食べるものがありません。私は道ばたに落ちている物も拾って食べる人だから、選んで食べなければいけないなんて、考えられないことです。しかしそれらをちょっと食べても、一瞬にして湿疹が体中に出るわけです。そのような子どもたちがあふれているのが現実です。それを知って、ショックでした。また日光に当たるだけでもアレルギー反応を起こすとか、米も食べられない子もいるそうです。米も、北海道の方で作っている超まずい一つの銘柄しか食べられない子もいるそうです。
やはりそういうことを体験すると、その領域に目が向き、哀れみの心が湧いてきます。世間には、それ以上の子どもたちが多くいるという現実に目を向けるようになりました。それで、そういう子どもたちのためにも真剣に祈るようになりました。
ある方は教会に来るきっかけとなったのは、あまり嬉しくないことがあって、来られた方もいらっしゃいます。「本当につらかった。思い出すだけで涙が出る。」と。それぞれ、いろんな体験の中で、あまり嬉しくないようなことで教会に来るのですが、そこから祝福が溢れてくるのです。イエス様も一番大変な領域に生まれ、同情心や哀れみの心を自らが体験してくださいました。その上で私たちを助けてくださるのです。イエス様は決して上からの目線で助ける方ではなく、同じ目線で私たちに救いを与えてくださいます。しかも主は神ご自身ですから、本当に私たちを助けることができ、捕われ人を解放することができるわけです。
人間は誰でも、いろんな問題を持っています。助けを模索しています。しかしなかなかうまくいきません。でも人類のすべてを体験してくださり、助け手を伸ばして下さるイエス様と出会うなら、その人には大きな喜びの知らせが届くわけです。「捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ」とイエス様は言われます。
人類は魚に例えたら、鮭みたいな存在かもしれません。卵の時も狙われ、稚魚になって、海まで下り、何千キロも旅をして生まれた川に戻ってきます。そこまでも常に敵がいます。川に戻れば急流で、力を振り絞ってさかのぼっていくのです。でも最後の最後まで、北極熊やいろんな敵が待っています。こんなアラスカの映像がありました。
しかしイエス様は私たちが食われる寸前、敵から助けてくださるお方です。食われそうな方がおられても、心配しないでください。イエス様が命がけで川に飛び込んで助けてくだいますから、ご安心ください。最後にお祈りをして、今日のメッセージを終わりたいと思います。
ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。あなたはすばらしい神様です。私たちを命がけで助けるために、この地上に来てくださいました。ありがとうございます。私たちに良い知らせが届いていることを心から感謝します。人生の中には、様々な出来事がありますが、その事さえ使い、哀れみの心を与えて、同情心を養い、成長させてくださることを心から感謝をいたします。私たちはあなたの御前にいます。あなたの助けを必要としています。今日ここに、地上を体験されたイエス様がおられることを心から感謝いたします。この時を心から感謝し、イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
合計 240
| 手順 | タイトル | 投稿者 | 投稿日 | 推薦 | 閲覧数 |
| 240 |
New マタイの福音書18:21-35 (どうしても赦せません)
tbic
|
2026.02.28
|
推薦 1
|
閲覧数 43
|
tbic | 2026.02.28 | 1 | 43 |
| 239 |
マタイの福音書12:43-45 (空っぽにすることよりも満たすことが大切)
tbic
|
2026.02.20
|
推薦 1
|
閲覧数 94
|
tbic | 2026.02.20 | 1 | 94 |
| 238 |
詩篇103:1-5 (聖霊に満たされた人生)
tbic
|
2026.02.13
|
推薦 1
|
閲覧数 100
|
tbic | 2026.02.13 | 1 | 100 |
| 237 |
マタイの福音書 11:2-6 (つまずかないためには)
tbic
|
2026.02.07
|
推薦 1
|
閲覧数 89
|
tbic | 2026.02.07 | 1 | 89 |
| 236 |
マタイの福音書10:1-4 (なぜ主はイスカリオテのユダを選ばれたのか)
tbic
|
2026.02.06
|
推薦 1
|
閲覧数 86
|
tbic | 2026.02.06 | 1 | 86 |
| 235 |
マタイの福音書 5:21-26 (信仰は愛の深さに比例する)
tbic
|
2026.01.31
|
推薦 1
|
閲覧数 95
|
tbic | 2026.01.31 | 1 | 95 |
| 234 |
マタイの福音書25:31-46 (最も小さい者たちの一人)
tbic
|
2026.01.22
|
推薦 1
|
閲覧数 137
|
tbic | 2026.01.22 | 1 | 137 |
| 233 |
マタイの福音書4:12 (主が私から退かれた時)
tbic
|
2026.01.19
|
推薦 1
|
閲覧数 135
|
tbic | 2026.01.19 | 1 | 135 |
| 232 |
詩篇23:4-6(契約)
tbic
|
2026.01.09
|
推薦 1
|
閲覧数 165
|
tbic | 2026.01.09 | 1 | 165 |
| 231 |
使徒の働き2:1-4(聖霊によって主の証人となりなさい)
tbic
|
2026.01.05
|
推薦 1
|
閲覧数 164
|
tbic | 2026.01.05 | 1 | 164 |

